小戦争 (キューバ)

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小戦争

革命の指導者カリスト・ガルシア
戦争キューバ独立戦争
年月日:1879年8月26日 - 1880年12月3日
場所キューバ総督領
結果:スペインの勝利
交戦勢力
キューバの旗 キューバ独立派英語版 スペイン スペイン王国
指導者・指揮官
キューバの旗 カリスト・ガルシア
キューバの旗 グレゴリオ・ベニテススペイン語版 
キューバの旗 ギリェルモ・モンカダ英語版(捕虜)
キューバの旗 アルカディオ・レイテ=ビダルスペイン語版 
キューバの旗 ホセ・マセオスペイン語版(捕虜)
キューバの旗 ラファエル・マセオスペイン語版(捕虜)
キューバの旗 セラフィン・サンチェススペイン語版
キューバの旗 リンバノ・サンチェススペイン語版(捕虜)
キューバの旗 フロル・クロンベトスペイン語版(捕虜)
キューバの旗 キンティン・バンデラ英語版(捕虜)
キューバの旗 セシリオ・ゴンサレス・ブランコスペイン語版 
キューバの旗 ピオ・ロサド・ロリエスペイン語版 
キューバの旗 フランシスコ・ヒメネス・コルテススペイン語版 
キューバの旗 エミリオ・ヌニェス・ロドリゲス英語版
スペイン アルセニオ・マルティネス・カンポス英語版
スペイン カミロ・ガルシア・デ・ポラビエハ英語版
スペイン ホセ・ルイス・セアセロ・インウガンソ(José Luis Ceacero Inguanzo

キューバ小戦争(しょうせんそう、スペイン語: Guerra Chiquita)は、スペイン王国とキューバ革命軍の間で行われた戦争。キューバで行われた3度の独立闘争(十年戦争、小戦争、1895年から1898年までの戦争)のうち2度目にあたる。小戦争は1879年8月26日に勃発、最初は成功したものの革命軍は1880年9月に敗れた。

背景[編集]

小戦争の背景には十年戦争と同じ理由があり、十年戦争の再開という面もある。1878年のサンホン協定英語版により釈放されたカリスト・ガルシアニューヨークに向かい、ほかの革命派とキューバ革命委員会を創設した。同年にはスペインのキューバ統治に反対するマニフェストを出し、ほかの革命派の指導者からの賛同が得られて戦争が1879年8月26日に勃発した[1]

戦争[編集]

サンホン協定に署名しなかった数少ない革命派指導者の1人カリスト・ガルシアが革命軍を率いた。カリスト以外の指導者にはホセ・マセオスペイン語版ギリェルモ・モンカダ英語版エミリオ・ヌニェス・ロドリゲス英語版などがいる[2]。革命軍の前には多くの問題が立ちはだかった。すなわち、革命軍にはガルシア以外で経験豊富な指揮官が少なく、武器も弾薬も不足しており、同盟国もいなかった。さらに、キューバの市民は十年戦争直後で疲弊しており、勝利の望みが少ないとして平和を望んだ[3]。キューバ西部では多くの革命派指導者が逮捕され、残りも1879年から1880年にかけて降伏を余儀なくされた。結局、革命軍は1880年9月には完全に敗北した[1]

その後[編集]

スペインは改革を承諾したものの、改革は効果が上がらなかった。1876年スペイン憲法英語版は1881年にキューバに適用されたが、それで変わったことは少なかった。キューバはスペイン国会に代表を送ることが許可されたが、キューバの最保守派が常に選出されるのが実情だったため、結局何も変わらなかった[1]

改革が実質的には全く進まなかったことで15年後には蜂起が再び起こり、95年の戦争として知られる独立戦争が勃発した。革命派の将軍たちが小戦争で得た経験は大いに役に立ち、95年の戦争と米西戦争の後、キューバはスペインからの独立を果たした。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c The Little War or Guerra Chiquita”. Cuba Heritage.org (2007年). 2007年12月18日閲覧。
  2. ^ The Little War (La Guerra Chiquita)”. historyofcuba.com. 2007年12月18日閲覧。
  3. ^ History of the Cuban Liberation Wars”. CubaGenWeb (2007年). 2007年12月18日閲覧。