宗久寺 (恵那市)
宗久寺 | |
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所在地 | 岐阜県恵那市東野1282 |
位置 | 北緯35度26分44.4秒 東経137度26分1.6秒 / 北緯35.445667度 東経137.433778度座標: 北緯35度26分44.4秒 東経137度26分1.6秒 / 北緯35.445667度 東経137.433778度 |
山号 | 萬松山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 聖観音菩薩 |
創建年 | 元和2年(1616年) |
開山 | 葉山嫩奕 |
開基 | 鈴木宗久 |
中興年 | 安政6年(1859年) |
中興 | 金端俊猊 |
札所等 |
恵那三十三観音霊場七番 中部四十九薬師霊場二十六番 |
文化財 | 市指定:蓮如上人真筆 |
法人番号 | 4200005009153 |
宗久寺(そうきゅうじ)は、岐阜県恵那市東野にある観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は萬松山。
歴史[編集]
元和2年(1616年)に岩村藩主松平乗寿の家臣で代官の鈴木主馬入道宗久が領民の求めに従って、しん地(年貢を納めなくてもよい地)に、大井長国寺ニ世の葉山嫩奕を開山に招いて庵寺を建立したのが始まりである。
その後、寺地は松浦屋敷、庄次坊、寺上と変遷して、現在地に移った。
嘉永6年(1853年)、天嶺秀暁が住持をしていた際に伽藍が焼失するが、
安政6年(1859年)に長栄寺の金端俊猊によって再建された。
本堂の聖観音菩薩が恵那三十三観音霊場七番札所の本尊となっているほか、
明治18年(1885年)に東野にあった小堂から移された薬師如来は別名を、『はだか薬師如来』と称する石仏で、中部四十九薬師霊場26番札所の本尊となっている。
また、応仁の乱の折に奥州の武士で当地まで転戦してきた太田氏が臨終の際に発願したとされ、
寛文10年(1670年)に建立された石造地蔵立像は、通称『みずかけ地蔵』と呼ばれ病気平癒に験があるとして信仰されている。
寺宝として、蓮如上人が文明3年(1471年)に自ら筆を執った六字名号を所蔵する。恵那市の文化財に指定されている。
関連寺院[編集]
参考文献[編集]
- 『恵那市史』 通史編 第2巻 第八章 江戸時代の社会生活と文化 第二節 社寺と文化 二 仏教と寺院 宗久寺 p1058~p1059 1989年
- 『郷土東野村』 十二章 神社・寺院 宗久寺
- 『恵那郡史』 第八篇 現代 第四十一章 人文の発展(一) 【各宗寺院】 p612~p619 恵那郡教育会 1926年