天野鍜助

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天野 鍜助
あまの かすけ
生年月日 (1883-04-24) 1883年4月24日
出生地 沖縄県国頭郡大宜味村
没年月日 (1966-03-19) 1966年3月19日(82歳没)
出身校 沖縄県師範学校

当選回数 3
在任期間 1920年 - 1932年

沖縄県議会議員
当選回数 不明
在任期間 1933年 - 不明
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天野 鍜助(あまの かすけ、1883年4月24日[1] - 1966年3月19日[1])は、日本の沖縄県の教育者、政治家である[注釈 1]。長男は琉球政府の農業技術者の天野鉄夫である。

来歴[編集]

大宜味村に生まれる[1]。1903年(明治36年)、沖縄県師範学校を卒業し、具志川尋常高等小学校の訓導となる[1]。1911年に訓導を退職し、大宜味村村会議員をつとめたたが、1914年に教職に就き[1]、辺野喜小学校や古宇利小学校の校長を務めた[2]

1920年に、初の民選として大宜味村の村長に当選し、以後、3期務める[1]。しかし、1931年(昭和6年)、大宜味村政革新運動が起き、村の経営について批判を受け、6月には、辞職要求を突きつけられた[注釈 2]

翌1932年(昭和7年)6月に議会で辞任を表明した[4]。しかし、同年の大宜味村の村会議員選挙に立候補して、当選した[5]。1933年(昭和9年)、沖縄県議会議員に当選する[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ もともとは「金城 鍜助」(きんじょう かすけ)を名乗っていたが、1948年に「天野」に改姓した[1]
  2. ^ 国頭郡の多くの町村長が立憲民政党に与していたのに対して、立憲政友会の党員であった点も原因の一つとして指摘されている[3]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 沖繩大百科事典刊行事務局 編『沖縄大百科事典 上』沖縄タイムス社、1983年。 NCID BN00422696 
  • 天野鉄夫「私の半生と研究」『史料編集室紀要』第13巻、沖縄県立図書館史料編集室、1988年3月、2-26頁、NAID 40004698350 
  • 大宜味村史編集委員会 編『大宜味村史』大宜味村、1978年。 NCID BN03822533