堀直治

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堀 直治(ほり なおはる、生年不明-正徳2年2月28日1712年4月3日))は江戸時代中期から後期の旗本堀直昭を祖とする須坂藩主家堀氏分家の3代目当主。初め熊本藩士佐久間半之丞の養子。は直治(堀氏時代)。通称は平右衛門。隠居号は眞浄。父は堀直昭。母は大草高正の娘。正室は佐久間半之丞の娘。養子は堀直方(沢村宇右衛門の子)。実子は娘(堀直方の正室)。

生涯[編集]

直昭の次男として出生。当初は熊本藩士の佐久間半之丞の婿養子となる。なお、父の従兄弟である堀舎人も熊本藩士となっている。なお、熊本藩士時代の元禄2年(1689年)に孫の平八郎(のちの堀直知)が出生している。

元禄5年(1692年)に甥の堀直持廃嫡となったことで旗本堀家に戻り、兄の堀直依の養子となり、元禄6年(1693年)に徳川綱吉への初御目見えを済ます。

元禄6年12月9日1694年1月6日)に書院番士となり、翌元禄7年(1694年)に兄の家督を継ぐ。

のちに書院番士を辞して小普請となり、宝永2年7月晦日1705年9月17日)に熊本藩士沢村右衛門の子で婿養子の直方に跡を譲って隠居、眞浄と号する。

正徳2年(1712年)に死去。法名は眞浄。葬所は旗本堀家の代々の墓所である浅草西福寺

脚注[編集]

参考文献[編集]