周端妃

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端妃周氏(たんひ しゅうし、1560年代 ? - 1654年から1659年の間)は、万暦帝の側室。

経歴[編集]

庶民の周清の娘として生まれる。万暦10年(1582年)3月、選ばれて後宮に入り、端嬪となった。万暦19年(1591年)、第5皇子・朱常浩(瑞王)を産んだ。同22年(1594年)、端妃となった。父の周清は正三品錦衣衛帯俸指揮使に任じられた。しかし万暦帝の寵愛はなく、低調な生活を送った。

崇禎17年(1644年)春、張献忠軍が重慶を落とした際、朱常浩は捕らえられ、一族もろとも処刑された。同年3月19日、李自成軍が皇宮に侵入すると、端妃は実家へ逃れて避難した。代に、清朝政府へ手当を申し込んだが拒否された。順治11年(1654年)までは存命であったが、同16年(1659年)以前に薨去した。皇貴妃鄭氏の墓に附葬された。

伝記資料[編集]

  • 『明神宗実録』
  • 『酌中志』