合従
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合従(がっしょう)とは、中国の戦国時代に考えられた外交政策のひとつで、戦国七雄のうち、秦以外の六国が縦(たて、従)に同盟することをいう。縦横家の蘇秦が唱えたとされるが、蘇代などによって継承された。
戦国時代の歴史は、大きく見ると内陸の野蛮国ながら強大になりつつあった秦による中国進出の歴史と見ることができるが、これに対抗するために他の各国が連盟を組み、共同で秦を押さえ込もう、というのが合従説の骨子である。秦以外の二カ国のみの場合も合従と呼び、屈原は、楚の国内で斉との合従を唱える合従派であったことが知られている(というか反秦派として『史記』に記述されている)。食客毛遂が、趙の平原君の使者として、楚に赴き、楚の頃襄王と合従した様子について平原君列伝に記載されている。
これに対して秦と結んで隣国を攻めるのが有利、と説くのが連衡説である。結局、各国はこの二説の間を行き来する間に各個撃破されてしまったようなものである。
戦国時代では同盟の相手をしばしば変えることがあったため、そのことにちなんで「合従連衡」という四字熟語で目まぐるしい外交関係を指す場合も多い。

