古林与六

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古林与六

古林 与六(與六、こばやし よろく、1866年5月31日(慶応2年4月17日[1] - 1922年大正11年)10月9日[2])は、日本の農業経営者、実業家政治家衆議院議員。幼名・磯五郎[3]

経歴[編集]

筑前国上座郡古毛村(のち福岡県朝倉郡朝倉町、現:朝倉市)で、素封家・先代古林与六[注 1]の長男として生まれる[3][4]。中学校を卒業し農業を営む[2]

耕地整理に尽力し古毛耕地整理委員長を務めた[3]。自由民権を唱え、朝倉村会議員、同村長、朝倉郡会議員、同参事会員、福岡県会議員などを歴任した[2][3][5]。その他、福岡県醤油組合支部長、朝倉軌道取締役などを務めた[2][5]

1920年5月、第14回衆議院議員総選挙に福岡県第11区から立憲政友会所属で出馬して当選したが、在任中に死去した[2][3]

親族[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『人事興信録』第6版、ふ30頁では与市(與市)。

出典[編集]

  1. ^ 衆議院『第四十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1922年(大正11年)、31頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』254頁。
  3. ^ a b c d e 『朝倉郡郷土人物誌』255-256頁。
  4. ^ 『福岡県官民肖像録』65頁。
  5. ^ a b 『人事興信録』第6版、ふ30頁。
  6. ^ 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年、443頁。ただし与六を「与作」と記している。

参考文献[編集]

  • 深田豊市『福岡県官民肖像録』博進堂、1913年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年。
  • 福岡県朝倉郡教育会編『朝倉郡郷土人物誌』福岡県朝倉郡教育会、1926年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。