北謙治

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北 謙治(きた けんじ、1893年8月22日 - 1956年7月25日)は、日本の経営者広島県広島市出身[1]

経歴[編集]

1916年東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行[1]1945年8月に退職し、山陽パルプ常任監査役を経て、1953年6月に富士重工業社長に就任[1]

1956年7月25日在職中に脳出血のために死去[2]。62歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 人事興信所 1953, き32頁.
  2. ^ 1956年 7月25日 読売新聞 夕刊 p5

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第17版 上』人事興信所、1953年。