六角広体

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六角広体
時代 江戸時代後期
生誕 不明
死没 嘉永3年8月16日1850年9月21日
改名 広体→光山(号)
別名 通称:富丸、頼母
幕府 江戸幕府 高家旗本
主君 徳川家斉家慶
氏族 六角家
父母 父:六角広胖
広泰
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六角 広体(ろっかく ひろもと)は、江戸時代後期の高家旗本高家六角家7代当主。

略歴[編集]

六角広胖の子として誕生した。文化12年(1815年)5月3日、祖父・広孝の死去により家督を相続する。文化13年(1816年)10月1日、11代将軍・徳川家斉御目見する。生涯、表高家衆に列し、高家職に登用されることはなかった。弘化3年(1846年)3月29日に隠居し、子の広泰に家督を譲る。

嘉永元年(1848年)11月17日、剃髪し光山と称する。嘉永3年(1850年)8月16日、死去。

先代
六角広孝
高家六角家7代当主
1815年 - 1846年
次代
六角広泰