六人部広道

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六人部 広道(むとべ の ひろみち)は、奈良時代の人物。官位越後介従五位下

出自[編集]

六人部氏は六人部伴造氏族で、『新撰姓氏録』によると、平安右京・山城国摂津国河内国を本拠地としていた。また、和泉国には渡来系の六人部連も存在している。

経歴[編集]

称徳朝神護景雲3年(769年)10月、天皇の河内国由義宮行幸に際し、河内三立麻呂高安伊可麻呂らとともに正六位上から従五位下に叙せられている[1]

光仁朝では、越後介出雲介と地方官を歴任し、さらにほどなくして役職を村国子老に譲り、越後介に再任されている。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』神護景雲3年10月30日条

参考文献[編集]