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久留島 通方(くるしま みちかた、生年不詳 - 寛文3年3月5日(1663年4月12日)は、豊後国森2代藩主久留島通春の子。3代藩主久留島通清の弟。
寛文3年(1663年)、兄の通清とともに参勤交代の途上、飛び地である別府湾の頭成港(大分県速見郡日出町)より瀬戸内海を船で江戸に向かう途中、周防国屋代島地家室沖で、春の大時化により通方ら11名の乗る御座船が磯の岩に激突し、通方ら全員が溺死した。墓は屋代島の普門寺。