久我通嗣

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久我通嗣
時代 鎌倉時代後期 - 南北朝時代
生誕 弘安2年(1279年
死没 正平9年/文和3年2月10日1354年3月5日
官位 正二位権中納言
主君 亀山上皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇花園天皇後醍醐天皇光厳天皇光明天皇崇光天皇後光厳天皇
氏族 久我家
父母 父:久我通基
兄弟 通雄通嗣通村通任通宣敦通、道雅
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久我 通嗣(こが みちつぐ)は、鎌倉時代後期の公卿内大臣久我通基の三男[1]官位正二位権中納言

経歴[編集]

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

脚注[編集]

  1. ^ 兄弟たちの中では嫡兄である通雄に次ぐ官位に昇ったため、二男の可能性もある。しかも20代で権中納言に昇っている。
  2. ^ 大嘗会の国司として。
  3. ^ 院の御給による。
  4. ^ 以後、薨去するまで約50年間にわたって前権中納言正二位のままであった。

参考文献[編集]