丹羽長聰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

丹羽 長聰(にわ ながとし、1944年昭和19年〉7月16日[1] - )は、陸奥二本松藩丹羽家第18代当主[2]

経歴[編集]

丹羽孝一(丹羽家17代)の長男として生まれる。

1969年日本大学文理学部を卒業[3]。大学卒業後は松下電器産業に入社[3]。電子部品の営業や福島県郡山市の郡山工場の工場長などを歴任[3]1999年に介護機器開発部門に勤務した後、2004年に定年退職[3]。東京二本松会、二本松史跡保存会、福島県城下町連絡協議会などの会長などを務め、震災復興や史跡の保存・修復、観光資源の開発などに携わり現在においてもかつての旧領・二本松市と交流を続けている[3]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.333
  2. ^ “丹羽家18代当主「信長、秀吉、家康に仕え、123万石→4万石→浪人から再び、10万石」”. 朝日新聞AERAdot. (2014年9月20日). https://dot.asahi.com/articles/-/106238 2021年9月22日閲覧。 
  3. ^ a b c d e 【S08】戦国大名の栄枯盛衰英知と機敏な対応力で復活を果たす”. 学習院さくらアカデミー. 2021年9月22日閲覧。
先代
丹羽孝一
丹羽家二本松)当主
第18代:
次代