三吉鬼

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三吉鬼(さんきちおに)は秋田県に伝わる正体不明の妖怪江戸時代の女流文学者・只野真葛の著書『むかしばなし』に記述がある。

概要[編集]

太平山三吉神社

三吉神(鬼)の最も古い記録は、只野真葛菅江真澄のものがある。江戸女流文学者の只野真葛が著した『むかしばなし』では三吉鬼は「見知らぬ男」と言われている。酒屋で酒を飲んで、そのまま出ていこうとするが、そこで男に酒代を請求すると必ず災いに遭い、酒を捧げると酒代十杯ほどの薪が門に積み上がっている。それからは、その男だろうと酒をあくまで飲ませれば必ず夜中に代わりの物が積み上がっているので、誰が言うと無く「三吉鬼」と呼んだ。後にはどこかの山の大松をこの庭に移してくれと願をかけて酒樽をささげると酒は無くなり一夜のうちに松の木が庭に植えられている。大名も人力で動かせない品を酒を出して願うと、願いに従って運ぶ。三吉鬼三吉鬼ともてはやしたが、文化年中より三~四十年前より絶えてその者は人里に出なくなってしまった[1][2]菅江真澄は『月酒遠呂智泥』で、ある年仙北郡のなる外大伴村(外小友村)で相撲取りをして世を渡っている若者が、太平山に登り三吉神に酒やを供えることでカ士は力を得ているとしている[3]。三吉神の力の神としての性格がうかがえる。一方「三吉」の所在を尋ねられた籠舎にいた人々が「神仙であるからどことも定まっていない」と答えていることにも注目すると、太平山村近の人々は三吉神が神仙であると認識していることになる。太平山三吉神社に保存されている棟札にも「仙人三吉権現」(1691年)と記されていることから、三吉神は元々仙人と考えられていたと推測できる[4]

そのように人々にもてはやされていた三吉鬼だが、文化年中より30-40年ほど前からは人里に現れることはなくなったという[5]

こうした三吉鬼の伝承には秋田の太平山に伝わる鬼神・三吉様の信仰が背景にあるといわれ[6]太平山三吉神社三吉霊神が人間の姿で人前に現れたときには三吉鬼の名で呼ばれたとする説もある[7]

脚注[編集]

  1. ^ 只野真葛『むかしばなし』、平凡社、1984年、p.200-201
  2. ^ 昔はなし』仙台叢書. 第9巻収録、仙台叢書刊行会、大正11-15年、p.396
  3. ^ 「月のおろちね」、菅江真澄遊覧記 5 収録、1968年、p.174-175
  4. ^ 「講」から「協力会」へ―太平山三吉 神社の信仰組織、呉柱賢、2021年
  5. ^ 只野真葛 著「むかしばなし」、青木虹二他 編『日本庶民生活史料集成』 第8巻、三一書房、1969年、349-350頁。 
  6. ^ 村上健司編著『妖怪事典』毎日新聞社、2000年、175頁。ISBN 978-4-620-31428-0 
  7. ^ 村上健司 著「日本全国鬼伝説地図」、講談社コミッククリエイト 編『DISCOVER妖怪 日本妖怪大百科』 VOL.02、講談社〈KODANSHA Officisil File Magazine〉、2007年、20頁。ISBN 978-4-06-370032-9 

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関連項目[編集]