三会村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みえむら
三会村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 編入合併
三会村島原市
現在の自治体 島原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
南高来郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 6,416
国勢調査、1950年)
隣接自治体 島原市、南高来郡多比良町千々石町小浜町大三東村土黒村
三会村役場
所在地 長崎県南高来郡三会村乙1935番地の2
座標 北緯32度48分59秒 東経130度21分02秒 / 北緯32.81625度 東経130.35042度 / 32.81625; 130.35042座標: 北緯32度48分59秒 東経130度21分02秒 / 北緯32.81625度 東経130.35042度 / 32.81625; 130.35042
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

三会村(みえむら)は、長崎県島原半島にあった村。南高来郡に属した。1955年(昭和30年)に南隣[1]島原市へ編入した。

現在の島原市の中北部にあたる。

地理[編集]

島原半島の東部に位置する。当地は古くは「三江」とも表記され、地内を流れる金洗川・西川・中河川の川尻に3つの入江がある様子から地名が生まれたとされる[2]

  • 山:江丸、飯洞岩、櫓木山、ホウノ木山
  • 台地:三会原
  • 河川:西川、金洗川、中野川、今井川、寺中川、小橋川、中河川

沿革[編集]

地名[編集]

を行政区域とする。三会村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。

なお、三会村では名の名称を十干に置き換えて表記する[3]

  • 甲 / 木崎名(きさき)
  • 乙 / 中原名(なかばる)[4]
  • 丙 / 寺中名(じちゅう)

交通[編集]

鉄道[編集]

島原鉄道

(大三東村) - 三会駅 - (島原市)

名所・旧跡[編集]

  • 礫石原(くれいしばる)遺跡
  • 景華園遺跡[5]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1954年4月1日
  2. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「三会」
  3. ^ 現在の島原市三会地域は名を廃止し町名設置を実施しているが、住所および登記簿上の地番の先頭には十干が付与されており、当時の地名の名残がうかがえる。
  4. ^ 現在は「なかば」と読まれているが、本項では『長崎県南高来郡町村要覧.上編』三会村の頁のうち「名数」に記載されている中原名の読み仮名を採用している。
  5. ^ 景華園遺跡出土の一括遺物 122点 長崎県の文化財

関連項目[編集]