ルイ・ド・ブルボン=オルレアン (オルレアン公)

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ルイ・ドルレアン
Louis d'Orléans
オルレアン公
在位 1723年 - 1752年

出生 (1703-08-04) 1703年8月4日
フランス王国ヴェルサイユ
死去 (1752-02-04) 1752年2月4日(48歳没)
フランス王国パリサント=ジュヌヴィエーヴ修道院
埋葬 フランス王国パリ、ヴァル・ド・グラース教会
配偶者 アウグステ・フォン・バーデン=バーデン
子女 ルイ・フィリップ1世
家名 オルレアン家
父親 オルレアン公フィリップ2世
母親 フランソワーズ・マリー・ド・ブルボン
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オルレアン公ルイ・ドルレアンフランス語: Louis d'Orléans, 1703年8月4日 - 1752年2月4日)は、ブルボン朝フランス貴族。

生涯[編集]

オルレアン公フィリップ2世と妻フランソワーズ・マリー(ルイ14世とモンテスパン夫人の間の庶子)の唯一の男子として、1703年8月4日にヴェルサイユで生まれる[1]。1723年に父の死によりオルレアン公を継承した[1]

政治にはほとんど関わらなかったが、1723年にギヨーム・デュボワ枢機卿と敵対したことで知られる[1]。また、軍務についていたが、1730年にアンドレ=エルキュール・ド・フルーリーに解任され、以降は引退して聖書の詩篇パウロ書簡の翻訳に集中した[1]

1752年2月4日、パリサント=ジュヌヴィエーヴ修道院で死去した[1]。一人息子ルイ・フィリップ1世がオルレアン公を継承した[1]

家族[編集]

バーデン=バーデン辺境伯ルートヴィヒ・ヴィルヘルムの娘アウグステ(オギュスタ、Augusta、1726年没)と結婚し、一人息子ルイ・フィリップ1世をもうけた[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Orleans, Louis, Duke of (1703-1752)" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 20 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 284.
フランスの爵位
先代
フィリップ2世
オルレアン公
1723年 - 1752年
次代
ルイ・フィリップ1世