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ヨハン・フリードリヒ (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨハン・フリードリヒ
Johann Friedrich
ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯
在位 1667年 - 1686年

出生 (1654-10-08) 1654年10月8日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯領アンスバッハ
死去 (1686-03-22) 1686年3月22日(31歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯領、アンスバッハ
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯領アンスバッハ、聖グンベルトゥス教会
配偶者 ヨハンナ・エリーザベト・フォン・バーデン=ドゥルラハ
  エレオノーレ・フォン・ザクセン=アイゼナハ
子女 一覧参照
家名 ホーエンツォレルン家
父親 ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯アルブレヒト
母親 ゾフィー・マルガレーテ・フォン・エッティンゲン=エッティンゲン
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子供時代のヨハン・フリードリヒ(1659年)

ヨハン・フリードリヒ・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハJohann Friedrich von Brandenburg-Ansbach1654年10月8日 - 1686年3月22日)は、フランケン地方アンスバッハ侯領辺境伯。ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯アルブレヒトと、その2番目の妻ゾフィー・マルガレーテ・フォン・エッティンゲン=エッティンゲンの長男。

1667年の父の死を受けて遺領を相続した時はまだ成人しておらず、最初は摂政の後見下で統治を行った。1672年に成人して後、自らブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯領の統治を行った。

子女

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1673年バーデン=ドゥルラハ辺境伯フリードリヒ6世の娘ヨハンナ・エリーザベト・フォン・バーデン=ドゥルラハ(1651年 - 1680年)と結婚、5人の子を儲けた。

1681年ザクセン=アイゼナハヨハン・ゲオルク1世の娘エレオノーレ(1662年 - 1723年)と再婚、3人の子を儲けた。

参考文献

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  • M. Spindler, A. Kraus: Geschichte Frankens bis zum Ausgang des 18. Jahrhunderts, München 1997. ISBN 3-406-39451-5

(この文献は、ドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際して直接参照してはおりません。)

外部リンク

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先代
アルブレヒト
ブランデンブルク=
アンスバッハ辺境伯
1667年 - 1686年
次代
クリスティアン・アルブレヒト