ヤップデイ

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1999年のヤップデイを祝い、伝統衣装を着て踊るヤップ人の男性(左)と女性(右) 1999年のヤップデイを祝い、伝統衣装を着て踊るヤップ人の男性(左)と女性(右)
1999年のヤップデイを祝い、伝統衣装を着て踊るヤップ人の男性(左)と女性(右)

ヤップデイ[1](Yap Day)は、ミクロネシア連邦ヤップ州の祝日。ヤップの伝統的な生活の知恵を後世に残そうとする試みで、毎年3月1日に開催される[2]

競技会や伝統舞踊などが行われる。競技は伝統の刺青、農産物・海産物品評会[2]、伝統的なゲームが含まれる。伝統舞踊は口承文学の表現法として今も機能しており、ヤップデイが近づくと島民たちはリハーサルを行う[3][4]。最終日には、ヤップ州政府観光局(Yap Visitors Bureau)が島を訪れたゲストのためにレセプションを開催する[3]

沿革[編集]

1968年、ヤップ諸島議会(Yap Islands Congress)はヤップ文化の保護を目的にヤップ地区の日(Yap District Day)を制定する。3月1日が選ばれたのは、現地では乾燥しているために「最も快適な」季節と考えてのこと。このイベントの名前は1979年3月、ヤップデイ(Yap Day)に変更される[5]

1990年のヤップデイには、ランニング、自転車、ジャグリング、綱引き、ココナッツの殻むき、かご編みの競技が行われた。5種類のダンスも披露された。これらの競技およびダンスのほぼ全ては、ヤップ文化を適切に保存することを目的に開催された[6]

1999年のヤップデイは2月28日から始まる3日間の日程で開催された。伝えられるところによると、これは子供たちの学校のスケジュールに対応するためであったが、 一部見学者は観光フライトのスケジュールとも一致していることに注目した。開会式はほぼヤップ語のみで行われた。男の子、女の子、女性、男性はそれぞれのダンスを披露した。射的やバスケット織りなどの子供向けの競技も行われた[6]

2001年以降、ヤップ女性協会(Yap Women's Association)のメンバーが組織委員会の委員を務めている。2002年、ヤップデイはラジオでミクロネシア連邦全土に、テレビでヤップ州全土に放送された[7]

出典[編集]

  1. ^ 愛知県国際交流協会 2011, p. 13.
  2. ^ a b 太平洋諸島センター 2018, p. 19.
  3. ^ a b Dennis 2006, p. 858.
  4. ^ Pinsker 1992, p. 29.
  5. ^ Aoyama 2001, p. 3.
  6. ^ a b Aoyama 2001, p. 4-5.
  7. ^ Komai 2005, p. 37.

参考文献[編集]

  • Aoyama Toru (2001). “Yap Day: Cultural Politics in the State of Yap”. Kagoshima University Research Center for the Pacific Islands Occasional Papers 34. 
  • Komai Yoko (2005). “The Failure to Objectify Culture : A Lack of Nationalism in the Federated States of Micronesia”. People and culture in Oceania 21. ISSN 1349-5380. 
  • Matthew Dennis, ed (2006). Encyclopedia of Holidays and Celebrations: A Country-by-Country Guide. New York, NY USA: Infobase Publishing. p. 858. ISBN 9780816062355 
  • Eve C. Pinsker (1992). “Celebrations of Government: Dance Performance and Legitimacy in the Federated States of Micronesia”. Pacific Studies 15 (4). 
  • 『ミクロネシア連邦』公益財団法人愛知県国際交流協会〈世界の国を知る・世界の国から学ぶ わたしたちの地球と未来〉、2011年。 
  • 『ミクロネシア連邦』(第4刷)太平洋諸島センター(南太平洋経済交流支援センター)、2018年9月28日。