メドヴェジエ、サニコヴォ

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両村の位置。緑(ベラルーシ)内の白い箇所のうち、東部がメドヴェジエ(北緯52度28分50秒 東経31度34分12秒 / 北緯52.48056度 東経31.57000度 / 52.48056; 31.57000)、西部がサニコヴォ(北緯52度28分50秒 東経31度33分00秒 / 北緯52.48056度 東経31.55000度 / 52.48056; 31.55000)

メドヴェジエならびにサニコヴォロシア語: Медвежье,Саньково)は、ベラルーシホメリ州内にあるロシア飛び地包領)である[1]。面積は両地を合わせておよそ4.5㎢(454ヘクタール[1])、ロシア国境まではおよそ800mの距離にある[2]。行政上はロシア・ブリャンスク州ズルィンカ地区(ru)の管轄である。現在は廃村であり、メドヴェジエとサニコヴォに住民はいない。

歴史[編集]

メドヴェジエとサニコヴォ(以下、両村と記載する)は20世紀初頭に、ロシア人の入植者によって建設された。当初の規模は、メドヴェジエに37戸、サニコヴォに30戸が存在した[1]。1926年、行政区分が改編され、両村を含む周辺地域は白ロシア・ソビエト社会主義共和国に属することになったが[3][1]、両村の住民がロシアへの帰属を希望したため[1]、白ロシア(現ベラルーシ)内において飛び地となった。

第二次世界大戦中、両村の住人は赤軍パルチザンに協力したため、ナチス・ドイツ軍によって両村は壊滅的な打撃を受けた[4]。また、1986年にチェルノブイリ原子力発電所事故が起こると、両村はきわめて汚染の激しい地域となった[4]。住民は避難をはじめ、1990年代初頭には両村合わせての人口は100人を割り込んだ[5]。さらに、ロシア連邦政府は両村をチェルノブイリ立入禁止区域に指定したため[6]、残った住民も全員村外に避難した。1999年には行政単位としても廃止され、現在、両村は無人となっている[4]

人口推移
年度 1926年 1979年 1989年
メドヴェジエ 159 95 49
サニコヴォ 165 76 34

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 服部倫卓・越野剛編著 『ベラルーシを知るための50章』 P276
  2. ^ Люди ушли — адрес остался
  3. ^ Атлас Армии США, 1954. Карты Восточной Европы. Квадрат NN 36-10 Гомель. Границы представлены по состоянию на 1950 год.
  4. ^ a b c 服部倫卓・越野剛編著 『ベラルーシを知るための50章』 P277
  5. ^ Анклав, или Государство в государстве Archived 2008年3月11日, at the Wayback Machine.
  6. ^ Перечень населённых пунктов, относящихся к территориям радиоактивного загрязнения

参考文献[編集]

  • 服部倫卓・越野剛編著 『ベラルーシを知るための50章』 明石書店、2017年