マルコス・マルティン

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マルコス・マルティン
名前
本名 マルコス・マルティン・デ・ラ・フエンテ
Marcos Martín de la Fuente
ラテン文字 Marcos Martín
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1968-09-17) 1968年9月17日(55歳)
出身地 バレンシア
身長 180cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF (DMF)
利き足 右足
ユース
スペインの旗 マジョルカ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1990 スペインの旗 マジョルカB 20 (3)
1988-1991 スペインの旗 マジョルカ 36 (5)
1991-1997 スペインの旗 セビージャ 209 (12)
1997-2000 スペインの旗 メリダ 98 (4)
2000-2005 スペインの旗 マジョルカ 139 (4)
通算 502 (28)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルコス・マルティン・デ・ラ・フエンテ(Marcos Martín de la Fuente、1968年9月17日 - )は、スペインバレンシア州バレンシア出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF

クラブ経歴[編集]

RCDマジョルカカンテラ出身。1987-88シーズンにマジョルカのトップチームデビューを果たすが[1]、レギュラーには定着できず、1991年にセビージャFCへと移籍した。加入1シーズン目からビクトル・エスパラゴ英語版監督によってレギュラーの座を与えられ、以降6シーズンに渡ってポジションを確保し続けた。1995-96シーズンには、キャリア初の国際大会となるUEFAカップにも出場し、セビージャでは在籍6シーズンで公式戦244試合に出場して14得点を挙げたが、1996-97シーズンにセビージャがセグンダ・ディビシオンへと降格したことでクラブを退団した[2]

セビージャを退団後はCPメリダに加入した。しかし、移籍したシーズンにクラブはセグンダ・ディビシオンへと降格した。それでもマルティンは降格後もクラブに残留し、セグンダ1シーズン目は、リーグ戦40試合に出場し、2シーズン目も36試合に出場した。当時のメリダはラ・リーガとセグンダを行き来するシーズンが重なり、クラブの経営が不安定だった。そして1999-00シーズンについに財政難に陥ったことでクラブは解散。マルティンもクラブからの退団を余儀なくされ、古巣RCDマジョルカに移籍した。

マジョルカでの1シーズン目からレギュラーとしてプレーすると、2001-02シーズンはキャリア初となるUEFAチャンピオンズリーグの舞台にも立ち、33歳での初出場となった。その翌シーズンにはコパ・デル・レイ優勝も経験し、30代にしてキャリアの最盛期を迎えた[3]2004-2005シーズン終了後、37歳で現役から身を退いた[4]

個人成績[編集]

タイトル[編集]

RCDマジョルカ

脚注[編集]

  1. ^ A nuevo entrenador, otra derrota del Mallorca; Mundo Deportivo, 1988年3月7日 (スペイン語)
  2. ^ Marcos: "Me gusta ver jugar a este Sevilla"” (スペイン語). Diario de Sevilla (2020年5月31日). 2022年5月8日閲覧。
  3. ^ Qué fue de… Marcos: un histórico del Real Mallorca” (スペイン語). 20 minutos (2018年6月21日). 2022年5月8日閲覧。
  4. ^ Marcos cuelga las botas para ser director del fútbol base; Diario AS, 2005年6月24日 (スペイン語)
  5. ^ マルコス・マルティン - BDFutbolによる個人成績 (英語)

外部リンク[編集]