マチュラン・モロー

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マチュラン・モロー
Mathurin Moreau
誕生日 1822年11月18日
出生地 フランス、ディジョン
死没年 1912年2月14日
死没地 フランス、パリ
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マチュラン・モロー(Mathurin Moreau、 1822年11月18日 - 1912年2月14日)はフランスの彫刻家である。

略歴[編集]

コート=ドール県ディジョンで生まれた。父親のジャン=バティスト=ルイ=ジョゼフ・モロー(Jean-Baptiste-Louis-Joseph Moreau: 1797-1855)は彫刻家で、母方の祖父、マチュー・リシェ(Mathieu Richer)も彫刻家だった。2人の弟、イポリット・モロー(Hippolyte Moreau: 1832-1926)とオーギュスト・モロー(Auguste Moreau: 1834-1917)も彫刻家になった [1]

1841年にパリのエコール・デ・ボザールに入学し、ジュール・ラメ(Jules Ramey: 1796-1852)やオーギュスタン=アレクサンドル・デュモン(Augustin-Alexandre Dumont: 1801–1884)に彫刻を学んだ。1842年のローマ賞に応募し2位になり、1948年にフランス芸術家協会の展覧会にデビューした。1897年にパリのサロンで名誉メダルを受賞した。

多くのモニュメントやパリの教会などの装飾彫刻を制作した。

1865年にレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲し、1885年にレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した。

パリ19区の区長を務めたことがあったことから、没年に19区の通りのひとつがマチュラン・モロー・アベニュー(fr:Avenue Mathurin-Moreau)と命名された。

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Family tree of Mathurin MOREAU”. Geneanet. 2019年9月18日閲覧。

参考文献[編集]

Ilse Krumpöck: Die Bildwerke im Heeresgeschichtlichen Museum, Wien 2004, S. 124 f.