ヒュスタスペス

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ヒュスタスペス / ウィシュタースパ
Ὑστάσπης / Vištāspa

子女 ダレイオス1世
アルタバノス
アルタプレネス
アルタネス
父親 アルサメス(アルシャーマ)
母親 スタテイラ1世英語版
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ヒュスタスペス古代ギリシア語: ῾Υστάσπης ヒュスタスペース古代ペルシア語: Vištāspa ウィシュタースパ)は、アケメネス朝の人物で、ダレイオス1世の父。

名称[編集]

ウィシュタースパという名前は、伝統的に višta-(臆病な) + aspa(馬)で、「臆病な馬を持つ」という意味に解釈されているが[1]、人名として妥当な解釈とは考えづらい。

人物[編集]

ベヒストゥン碑文によると、ヒュスタスペス(ウィシュタースパ)はダレイオス1世の父で、アルサメス(アルシャーマ)の子であった。ダレイオス1世が即位したときに、ヒュスタスペスはパルティアにあり、乱を起こしたパルティア人と戦った。ダレイオスはヒュスタスペスに援軍を送り、乱を平定した。

ヘロドトス『歴史』によると、ヒュスタスペスはアケメネス家の人でアルサメスの子であり、ダレイオスはその長男だった。ほかの息子にはアルタバノス・アルタプレネス・アルタネスらがあった。ヒュスタスペスはキュロス2世マッサゲタイ征伐に参加していた。

別にダレイオス1世の子にもヒュスタスペスという名の者がいる。

ゾロアスター教の人物[編集]

ゾロアスター教の文書では、ウィーシュタースパをザラスシュトラを庇護した王の名とする[2]。この王の父はアルワト・アスパ(Aurvat̰aspa、「速い馬を持つ」)であるなど、ダレイオスの父とは異なる点も多いが、同名であることから古くから両者を同一視することが行われた。古くは4世紀のアンミアヌス・マルケリヌスの『歴史』23.6.32 [3]に見える。

脚注[編集]

  1. ^ Christian Bartholomae (1979) [1904]. Altiranisches Wörterbuch. Walter de Gruyter. p. 1474. "verzagte, scheue Pferde besitzend" 
  2. ^ 岡田明憲『ゾロアスターの神秘思想』講談社現代新書、1988年、38ff頁。ISBN 4061488880 
  3. ^ Ammianus Marcellinus C. D. Yonge訳 (1911). The Roman History. London: G. Bell and Sons, Ltd. p. 336. https://www.gutenberg.org/files/28587/28587-h/28587-h.htm#Page_336  (Project Gutenberg)