バラタ (ジャイナ教)

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シュラバナベラゴラのチャンドラギリにあるバラタの像

バラタサンスクリット: भरत Bharata)は、ジャイナ教の最初のティールタンカラであるリシャバの子で、最初の転輪王プラークリット: cakkavattī[1])になったと伝えられる。世界(インド亜大陸)全体を支配したという点では『マハーバーラタ』に登場するバラタ族の始祖のバラタと共通するが、出身に関する伝説はまったく異なっている。

概要[編集]

ジャイナ教の文献であるジナセーナ『アーディ・プラーナ』やヘーマチャンドラ『トリシャシュティ・シャラーカー・プルシャ・チャリタ』(63偉人伝)などによれば、最初のティールタンカラであるリシャバは出家する前にスマンガラーと結婚してバラタを生んだ。またスナンダーを妻としてバーフバリを生んだ。バラタとバーフバリは土地を争い、力くらべによって勝負を決することになった。バーフバリが勝ったが、富や力への欲から兄を侮辱したことを後悔したバーフバリは世を捨てて出家した。このためにバラタがインド全体を支配することになり、最初の転輪王となった[2]

リシャバの子のバラタの伝承はプラーナ文献の一部にも記されている[3]。たとえば『ヴィシュヌ・プラーナ』の第2巻によると、リシャバは王であったが、裸の出家者となった。リシャバには100人の子があったが、長男のバラタが継承者となり、バラタの子孫たちがインド各地の王となったためにインドはバーラタヴァルシャと呼ばれるようになったとする[4]

脚注[編集]

  1. ^ Schubring 1962, pp. 21–22.
  2. ^ Jaini 2000, pp. 12–13, 327.
  3. ^ Schubring 1962, p. 27.
  4. ^ Horace Hayman Wilson (1865). The Vishńu Puráńa 2. Trübner. pp. 99-108,127-129. https://archive.org/details/worksbylatehorac07wils 

参考文献[編集]

  • Jaini (2000). Collected Papers on Jaina Studies. Motilal Banarsidass. ISBN 8120816919 
  • Schubring, Walther (1962). The Doctrine of the Jainas: Described After the Old Sources. translated by Wolfgang Beurlen. Motilal Banarsidass