ノート:雲外鏡

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多田氏の説? 原典?[編集]

多田克己氏の知見についての記述で、主語がはっきりしない一文があります。「旧暦8月(葉月)の十五夜に月明かりの下(もと)で水晶の盆に水を張り、その水で鏡面に化け物の姿を描くと、鏡の中に化け物が棲みつくともある。」(※編集後の文章)とあるこの文章の主語は、多田克己氏でしょうか。それとも氏が示す原典、あるいは全く別の原典があるでしょうか。判っている場合は明記されたし。例えば、「また、多田は、……棲みつく、ともしている」とか、「また、『●●●』には、……、ともある」などといった文体で宜しいかと思います。--Cyclops 2008年9月11日 (木) 00:02 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。意図としては「多田氏の著書には、旧暦8月の~棲みつく、ともある」との意味で書いたつもりでしたが、わかりにくくて失礼致しました。多田氏の著書 『幻想世界の住人たち IV 日本編』には「旧暦8月の(略)棲みつくといわれています。」とあります。この書籍で参考文献類として挙げられている書籍類を調査したところ、原典としては水木しげる氏の著書『水木しげるの妖怪文庫 2』に「旧暦の八月十五夜の(略)棲みつくといわれる。」とありました。Cyclopsさんの挙げて下さった例の前者を用いさせて頂ければ、「また水木しげるは、……棲みつく、ともしている」といったところかと思い、訂正してみましたが、いかがでしょうか。
話は逸れますが、要約欄に明記して下さった「Wikipedia:日本中心にならないように」も参考になりました。日本の伝承・妖怪・怪異などの興味があり、それらの記事を多く執筆しておりますもので、つい書き方も日本中心になりがちだったようです。今後、注意を払いたいと思います。--逃亡者 2008年9月11日 (木) 03:57 (UTC)[返信]
まずは、迅速なる回答および的確かつ丁寧な対応に感謝し、お礼申し上げます。追って、「脚注」を「脚注・出典」と改訂させていただきます。
>つい書き方も日本中心になりがちだったようです。
得意分野ゆえに没入しがちになり、知らぬ間に視野狭窄、近視眼的認識の傾向を帯びてしまうのは、誰もが等しく陥る罠ですよね(またそれが、他人にはしっかり見えてしまうという…、笑)。特に専門分野をお持ちの方ほどその傾向が強く現れるのは、むしろ理でしょう。そして、現状のウィキペディア日本語版にはそのような記事が非常に多いと感じています。私はマルチタイプの人間ですので、広域視野をもっての参加がウィキペディアにおいての唯一の存在意義と勝手ながら自負しておりまして(※個別の記述でスペシャリストに敵うはずもありません)、そのような視点から気になる記事には手を入れさせていただいている次第です(※もともと妖怪大好き人間なので今回はその限りでありませんが)。しかし、同じような編集方針を持ってくださる方が事の他少ないように感じています。その意味からも、逃亡者さんには今度とも「ウィキペディア日本語版」の記述をお願いいたします(…って、今、投稿記録を見せていただいたら、既に精力的に動いていらっしゃるようで)。僭越ながら、定義文をまず「知識ゼロの人向けの(根本的)定義文」、次いで「分野に則した定義文」と、2段階に分けて記述したりするのも、困ったときの一手段としてここに提示させてください。私は目下、こちら(ノート:中山道六十九次#世界の中の日本語版ウィキペディアの記述を)をテーマの一つとして、日本の古街道の記事を改訂作業中です。日本の戦国武将なども気になりますが、とうてい手が回りません。「Wikipedia:日本中心にならないように#具体的な事例」でこれを指摘した人は何で言うだけ言って実作業しないんでしょう。日本武将の記事には「日本の…」が抜けているものが本当に多いです。
なお、本ページの記述で言えば、浄玻璃鏡についての文章も「Wikipedia:日本中心にならないように」絡みで「(日本の)地獄の閻魔が」との表現を採りました。日本に限らず中国の閻魔(インドの「ヤマ」までは考慮していない)もこの鏡を持っていることが判れば「閻魔が」で事足りる所でしたが、未確認のためにこのようなかたちになりました(ご存知でしたら訂正入れてください)。万事この考え方でやっております。少しでも参考になりましたら幸いです。
あと、先の編集作業のコピペ漏れを追って補足しておきます。その改訂は、今様の描写を「現代的大衆文化」との表現で包括し、かつ、妖怪本の対象年齢に事実上、大人も目一杯含まれている点を押さえてのものとなります。--Cyclops 2008年9月11日 (木) 09:48 (UTC)[返信]