ノート:長崎弁

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

本文の一部転記[編集]

次の記述は本文に載せられていましたが、出典がないためノートページに移されました。本文に載せる際は出典を明記し、検証可能性を満たすようにしてください。これについての議論はノート:日本語の方言#出典のない記述の除去を参照してください。

また、長崎県内で用いられる方言は、近隣県に比べて多様性が高いと言われている。この理由は、江戸時代当時の藩政体制と密接に関与していると言われている。長崎県は当時、天領であった長崎と、平戸松浦藩(県北部)、大村藩(県央部)、島原藩(県南部、島原半島)、五島藩(五島列島)、対馬藩(対馬)、佐賀領諫早藩(県央部)、佐賀領深堀藩(県南部、長崎半島)に分かれていたが、諫早と深堀の両藩では佐賀弁が、それ以外の藩でもそれぞれ独自の方言(大村弁、島原弁など)が使用されたことによる。天領であった長崎にはこれらの周辺藩の方言が持ち込まれ、さらに江戸時代当時にオランダポルトガルとの交易が行われたこと、あるいは対馬などの島を介して朝鮮半島との交流が古くから行われていたことなどによって、狭義の長崎弁は、さまざまなところに語源を持つ語が集まった、多様性の高い方言になっていると言われている。

--Henlly2010年5月2日 (日) 09:50 (UTC)セクション見出し追加、マークアップ修正。--Henlly会話2017年9月14日 (木) 01:57 (UTC)[返信]

独自研究語彙の除去について[編集]

恐らく長崎地方出身の不特定多数の匿名方言話者によってよってたかって追記されたと見られる大量の独自研究記述を全て抹消しました。量が莫大でしたのでノートへの転記は実施しませんが、代わりに除去直前の版である長崎弁 2016年6月4日 (土) 06:06 (UTC) の版への固定リンクを張っておきます。◆この処置の論拠はノート:日本語の方言#出典のない記述の除去に従っているほか、問題点は「出典記載を一切行わないことによる、Wikipedia:検証可能性の完全な軽視または無視」であり適切な公刊書籍や方言研究資料による検証可能性をクリア出来る出典を示すことで記載は可能です。五島列島方言#語彙などの実例も参考にされて下さい。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年6月30日 (木) 14:26 (UTC)[返信]

コメント 追記 そもそも一口に長崎弁と言っても長崎弁#特徴・区画にて解説されている通り、古来どこの地方でも河川・山岳などによる地域分断によって孤立化した地域での語彙が異なる進化を遂げることは茶飯事であり、それらをひとまとめに「長崎弁の語彙」として列挙することに何の意味があるのでしょうか?◆川棚町茂木町長与町などは古くは現長崎市を中央として考えれば人馬の往来が非常に不便な隔絶地域で方言も話し言葉で出身地が判断出来たほどのかなりの地域差異があり、それらの解説をせずにただ語彙のみを列挙していくだけの編集は長崎弁を理解するための加筆ではなく、「こんな言い方があるよ」程度のトリビアでしかなく、長崎弁の理解に寄与する意味を持った文章足り得ないでしょう。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年6月30日 (木) 14:26 (UTC)[返信]