ノート:貨幣数量説

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

2009年7月5日(日)13:33編集について[編集]

①国債を増発して中央銀行に引き受けさせることで経済を刺激する政策とインフレターゲット政策は全く政策目的が異なります。②ヘリコプターマネーは国民に通貨をバラマくことで経済を刺激する政策ですので定額給付金方式はヘリコプターマネーの手段の一つですが、定額給付金の政策目標はヘリコプターマネーの実施ではありません。たしか政府は『ヘリコプターマネーのつもりは無い』的答弁をしていたはずだと思います(171回衆議院予算委員会25号平成21年05月08日:○筒井委員 私は先ほど厳密に言ったので、ケインズの政策が穴を掘って埋めるという公共事業であるとは全く言っていません。ケインズの言葉としてそういう言葉が言われている、こういうふうに先ほど申し上げたので。それと、バーナンキがこういうふうなことを言っています。ヘリコプターマネーという言葉も使っています。これもバーナンキが言った言葉であって、バーナンキがそのことを主張しているという意味ではありませんからね。その点、誤解しないでくださいね。要するに、ヘリコプターで現ナマをばらまくというこのヘリコプターマネー、これがやはり間違いであるというふうに考えるわけでございますが、しかし、今度の定額給付金とか、これは、それとどこが本質的に違うんですか。ただ、今度の定額給付金は自治体を通じてばらまいた。ヘリコプターマネーはヘリコプターを通じてばらまく。これは、もらう人はありがたいですよ、それだって、どっちだって。もらう人はありがたいし、それを、あるいは地域で商店で金を使うかもしれません。その点では景気にある程度貢献するかもしれません。しかし、こういうヘリコプターマネーなんという政策はやるべきことではないでしょう。なぜやるべきことではないのか。麻生総理、もう一度。麻生総理に聞きたいんですよ、私は。○与謝野国務大臣 今回の予算の中に、先生の言われるヘリコプターマネーというようなものはどこにも入っておりません。仮にヘリコプターでお金をまくとだれが拾うかわからないということがありますけれども、今回は、予算の支出の先は全部決まっておりますし、定額給付金も受け取る方はきちんと決まっているわけですから、ばらまきと言われては困ると思っております。)③マネタリストはヘリコプターマネー政策はインフレを招くだけだと批判していますが、その批判そのものが政策指針ですので『対案を示せていない』という批判は当たらないです。--大和屋敷 2009年7月5日 (日) 14:03 (UTC)[返信]

確かに、厳密に言えば、ヘリコプターマネー=定額給付金では有りません(その一手法)。(逆にいえば、=減税でも無いともいえるのでは無いでしょうか。要するに、ヘリコプターでお金を撒くように無差別にお金を供給することなので) (http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/227974/m0u/%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84/)

しかし、世間の認識ではほぼ「=」です。(WEB検索してみれば90%以上の確率でそのように認識されています。) なので、「厳密には違うが、一般的にそのように認識されている」という但し書きがあれば、wikipediaに載せてもいいのではと思います。(基本的にwikipediaは一般人の共通認識(集合知)が大体において妥当性を持っているという想定ではないかと思いますので) 付け加えるに政府答弁というのは、時代や政権が変われば変動するところがあるので、むしろ一般人の共通認識の方が妥当な場合が多いのではと思われます。  また、批判をするだけでは現実の問題に対する対案を示せているといえないのではと思われるのですが。

Wikipediaは政治活動の場や説得の場所ではないので、私個人を説得なさるような議論は意味が無いと思います。そのようなご尽力は全く無駄ですよ( ´_ゝ`) ・・・--大和屋敷 2009年7月19日 (日) 13:14 (UTC)[返信]
IPアドレスさんの投稿を色々編集しました①ヘリコプターマネーは国債を中銀に引き受けさせMを増やすことが政策手段ですので「クラウディングアウト」云々をいうこと自体見当ハズレです(「市中で消化しないかわりに」といった文脈はそもそも想定していない、市中で消化したならMは増えないですから)。②通常の財政金融政策とヘリコプタマネー政策が混交して説明されていましたので分離しました(有効需要云々・乗数効果云々)③バーナンキだけがおこなったかのような記述になっていましたが、与謝野大臣のいうヘリコプターマネー政策を実施した国はどこにもありません。逆に与謝野大臣のいう定額給付方式をおこなった国はアメリカだけではありません。いずれにせよミスリードとなるので削除しました④ヘリコプターマネーや定額給付金、地域振興券などの経済効果については色々論文ありますので読んで見てください。--大和屋敷 2009年7月19日 (日) 15:58 (UTC)[返信]

フィッシャーは古典経済学者でないということを言われていますが、wikipediaの同人の項に「新古典主義経済学者」と書いてあります。古典派+αが新古典派なので、明らかに大和屋敷さんの記憶違いですね。--60.40.216.26 2009年7月27日 (月) 13:49 (UTC)[返信]

wikipedia編集の引用元にwikipediaを利用するのは適切ではありません。またこのページはフィッシャーの記事ではなく「貨幣数量説」です。ご確認下さい。むしろフィッシャーの記事のほうの正確性も疑ってみてはどうですか?『経済学史(伊藤誠編)第7章』[1]には新古典派の簡便な要約があります。『新古典派とは,彼らの理論を基礎にして形成された三学派- オーストリア学派(ウィーン学派),ローザンヌ学派(数理学派),ケンブリッジ学派- およびその他の諸派の総称である』とありますが、フィッシャーは基本的にこのどれにも属していません(ほぼ独力で米国初の数理経済学教授という彼の経済学的地位を作り上げた)。むしろ彼と貨幣数量説で対立したマーシャルやピグーの系列にならぶ経済学が新古典派ですよ。すべての経済学者はなんらかの学派に属していると考えるのは分類好きの悪い癖だと思います。フィッシャーを新古典派だとしている分類は、個人的にはwikipedia以外ではあまり見かけたことがありません。このサイト[2]も学習の助けになると思いますので参考にされてみてはどうでしょうか?--大和屋敷 2009年7月27日 (月) 18:20 (UTC)[返信]

リンクを教えていただいて有難うございました。中を見て勉強させていただきました。

それで一応質問なのですが、貨幣数量論のwikipediaのこの部分、

フィッシャーの交換方程式

現実の統計値から貨幣量と物価の相関関係を分析するためのツールとしてフィッシャーの"交換方程式"がある。これは貨幣量と物価の関係を、貨幣の"流通速度"あるいは"取引水準"といった概念を導入することで記述するもの。<<いわゆる貨幣数量説の代表的なアイデアである。>>


と書いてあるので、少なくともフィッシャーが交換方程式をモデルにして、「貨幣数量説」を考えたのではないかと思ったもので。もちろん、マーシャルやピグー等のヨーロッパの新古典派の経済学者の批判も入っているので100%では無いことは承知しています。


また日本語版wikipediaのフィッシャーの項は、どうも英語版を訳したもののようなので、これを書いた外人さんがフィッシャーは新古典派経済学者であると思っているようです。


さらに、教えていただいた2番目のサイトので経済学者一覧のABC順のところで「Irving Fisher」(日本語版サイト)(http://cruelorg/econthought/profiles/fisher.html)、を探したところ、最初のところに


 アーヴィング・フィッシャーは、非凡な数学的能力を持った最初期のアメリカ新古典派の一人だ。かれは新古典派限界革命に無数の貢献をしている。以下に挙げるのはそのごく一部でしかない:

1. 1892 年のワルラス流均衡価格理論への貢献 (かれは無差別曲線の考案者でもある) 2. 資本と投資理論に関する大著群 (1896, 1898, 1906, 1907, 1930)。これはオーストリア学派の期間をまたがる理論を英語圏に紹介し、その中でかれは「ストック」と「フロー」がちがうということ、フィッシャー分離定理 (Fisher Separation Theorem) と、貸付資金説(金利が貸し出し可能資金量で決まるという理論)を導入している。 3. 有名な貨幣数量説の再興 (1911, 1932, 1935) 4. 物価指数 (index numbers) の理論 (1922) 5. フィリップス曲線 (1926) 6. 債務デフレ理論 (1933)。これはポストケインズ派経済学にも影響を与えている。


とあり「アメリカ新古典派」( http://cruel.org/econthought/schools/engmath.html )と書いてあったのですが、これはどのように解釈されますか?やはりフィッシャーは新古典派(ただしアメリカで独自に発展したもの)経済学者といっても良いのではないかと思われるのですが・・・  ちなみにこのページの英語版(元)だと思われるサイト(http://homepage.newschool.edu/het/)(ちなみに、日本語の元のサイトは[3])にも<<one of the earliest American Neoclassicals >>と書いてあり、外人の彼に対する認識は一致しているようです。 『経済学史(伊藤誠編)第7章』(http://cc.econ.hokudai.ac.jp/works96/neoclassical.pdf)の件については、ヨーロッパ学派でなかったので載せなかっただけなのではないかと思われますがいかがでしょう。

英語版より(http://homepage.newschool.edu/het//profiles/fisher.htm) 引用/ Irving Fisher, 1867-1947.

Portrait of I.Fisher

Irving Fisher was <<one of the earliest American Neoclassicals >>of unusual mathematical sophistication. He made numerous important contributions to the Neoclassical Marginalist Revolution, of which the following are but a sample:

(1) his contributions to the Walrasian theory of equilibrium price (he also invented the indifference curve device) in 1892; (2) his volumes on the theory of capital and investment (1896, 1898, 1906, 1907, 1930) which brought the Austrian intertemporal theories into the English-speaking world, wherein he introduced the famous distinction between "stocks" and flows", the Fisher Separation Theorem and the loanable funds theory of interest rates. (3) his famous resurrection of the Quantity Theory of Money (1911, 1932, 1935); (4) the theory of index numbers (1922); (5) the Phillips Curve (1926) (6) his debt-deflation theory (1933) which is echoed in Post Keynesian economics. /引用 --60.40.216.26 2009年7月28日 (火) 09:50 (UTC)[返信]

あー色々調べたらフィッシャー新古典派分類を記載している出典が色々出てきましたわ(汗[4][5]しかし「学派という単位でのくくり方が問題の理解を妨げる場合もある」[6](p.5)ともあり、どう取り扱った物か個人的には判断が付きかねます。いずれにせよ当方の主張は引用元により否定されておりますが、当方はその引用元の正確性に自信がありませんのでどうぞリバートなさって頂くなり適切にご処置ください。--大和屋敷 2009年7月28日 (火) 12:53 (UTC)[返信]

長い間、お付き合いいただき有難うございました。数々の有益なリンクを教えていただき勉強になりました。--60.40.216.26 2009年7月29日 (水) 12:50 (UTC)[返信]

恒等か恒真か[編集]

えーなんか付けまわされてるようですが。「恒真命題とは恒等的に真ということができる命題」([7]P.10脚注)と理解していたものですから、この文脈では恒真のほうが適切かなと思った次第ですが、なにやら「恒等式・定義式であって、恒真式ではない(まったく別のもの)」との強烈なクレームを頂きましたので日寄ります。--大和屋敷 2010年12月30日 (木) 06:26 (UTC)[返信]