ノート:藤原時平

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時平の意図について[編集]

大前提として、時平が道真の交際をどういう心境で行っていたかを立証することはできません。滝川氏の記述は時平の心境について「複数の可能性」をあげたものです。そして単純に考えることは難しいとしており、断定も、「可能性が高い」ともしておらず、仮説の提示や結論を出された訳ではありません。これを受けて誰かと論争になるほど重要視されたこともありません。記述の必要性は極めて低い部分です。--126.28.200.44 2020年1月15日 (水) 12:22 (UTC)[返信]

私はその可能性の提示も滝川氏の見解と考えているので載せるべきかと思います。それに記述の必要性という個人の主観で取捨するべきではないと思っています。--ハンコック2世会話2020年1月16日 (木) 11:36 (UTC)[返信]

すいませんが滝川氏の見解であるから載せていいというのであれば、書物に書かれた「滝川氏の見解」すべてが掲載可能になります。もちろん滝川氏以外の研究者もそうでしょう。そして、記述の必要性を個人で判断してはならないという理屈から行けばwikipediaにはありとあらゆる人物の見解が掲載されるべきということになります。そんな理屈は限りある資源を使っているWikipediaでは成立し得ない話です。
方針文書を確認してください。「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」「ある情報が事実である、または有用であるとしても、それだけではウィキペディアという百科事典に掲載すべきだという根拠にはなりません。百科事典の記事はあらゆる細部に至るまでのすべてを包括する詳細な解説ではなく、記事主題に関する、それぞれの分野において受け入れられている知識を要約したものであるべきです」(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。基本的な執筆方針を確認してから編集に参加してください。--126.28.200.44 2020年1月16日 (木) 14:28 (UTC)[返信]
(追記)それとハンコック2世さんの記述には出典の意図を正確に伝えていないという問題があります。「ただし、本心は別にあり敵対しない程度に配慮したか、あるいは父基経からの関係を息子の時平が継承しようとしたとも考えられ」という書き方は、明らかに時平の心境が本心では道真を嫌っている、ただ義務感だけで付き合っていると示唆しています。「ただし」は読者に対して注意を喚起する表現であり、「時平と道真のやりとり」に対してなにか裏があったと予断を与える表現です。さらに出典のこの部分は道真の文才を時平が高く評価していたという記述の前にあり、定額寺を願った際に道真に依頼した時平の心情を補足したものではありません。前も指摘しましたが、滝川氏は単純に考えるのは難しいと書いておられます。単純な結論に誘導し兼ねない記述方法なら書かないほうがましです。時平に裏があったという前提で記述していませんか。--126.28.200.44 2020年1月16日 (木) 14:49 (UTC)[返信]
検証可能な情報源があれば、しかも研究第一人者である滝川氏の見解ならば載せていいと思いますが?それが駄目ならwikipediaに書かれている~説のようなのが全部駄目になるし徳川家康の記事には研究者ですらない司馬遼太郎の小説のあとがき評価まで書かれています。指摘された部分はほぼ原書どおりに書き直しました。--ハンコック2世会話2020年1月17日 (金) 14:45 (UTC)[返信]
徳川家康の項目の話は本来ここでするべき話ではありません。ですがあえていいますと、司馬遼太郎は研究者ではありませんが、昭和以降の大衆文化に大きな影響をもたらした作家です。現代の大衆文化で家康がどのように受け止められているかを示す傍証としての価値も十分にあります。かといって、司馬遼太郎が家康について語った言葉すべてを掲載しようとすればさすがに止められます。もちろん道真について研究した人物も平安期以降何百何千といますが、「検証可能性」さえ満たしていれば、すべてを書けるわけではありません。そこで問題になるのは重要な論評かどうかです。
何度も繰り返しますが、滝川氏は、時平と道真がどのような関係にあったかは「単純に考えることは難しい」として明確な結論を下していません。まだ「説」の段階に至っていない部分です。他の研究者から引用されているか、論争を起こしているか、著者が結論としているかが記述するべきかどうかを判断するのに重要な点です。ハンコック2世さんがするべきなのは、滝川氏が信頼できる情報源を書いた人物かどうかを語るのではなく、それが重要な意見かどうかを判断することです。
さらに原書通りとおっしゃいますが、ハンコック2世さんの記述は原書と異なります。たとえば「時平からの送りものへの謝礼の詩からは、文字どおりに受け取れない面もあるが」という文章は「時平からの『贈り物の謝礼の詩』」、つまり時平が贈った詩ともとれます。原書を読んでいれば、「道真が時平のことを君主扱いしたような言葉を使っている詩」についてのことだと理解できます。「文字どおりに受け取れない面もあるが」と突然書かれても意図が全く通じません。基本的にハンコック2世さんの記述は、道真を高く見せようとし、時平を下げようとする意図があるとしか受け取れません。それは滝川氏があとがきで違和感を感じるとした「道真をあまりにも特別視しすぎた姿勢」にほかなりません。--126.28.200.44 2020年1月17日 (金) 15:51 (UTC)[返信]
私は時平と道真の関係を考える上で重要な意見だと思うので載せるべきだと思います。あとは修正しときます。--ハンコック2世会話2020年1月18日 (土) 15:00 (UTC)[返信]
重要な意見だと思うのであればその理由を説明してからにしてください。その説明は一度も行われたことがありません。さらに原文をほとんどそのまま書いたこの記述は著作権侵害に当たる可能性があります。Wikipedia:著作権問題調査依頼を提出しました。調査が完了するまで編集を行わないでください。--126.28.200.44 2020年1月18日 (土) 15:53 (UTC)[返信]

転載について[編集]

藤原時平 2020年1月18日 (土) 14:53‎・ 2020年1月18日 (土) 15:06 の版と、菅原道真2020年1月18日 (土) 15:11‎ の版でハンコック2世さんが記載された文章は、滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』中央公論新社(2019年)156Pから、一部文言を抜いただけの文章となっています。著作権侵害に当たる可能性があると思われますので、調査を依頼しております。--126.28.200.44 2020年1月18日 (土) 15:53 (UTC)[返信]

該当書籍で確認しました。「こうした情況」から「配慮した、」、「これらの」から「始まっており」までは滝川氏の原文と一致。他の部分も、パラフレーズというには原文との一致率が高すぎ、引用とするには正確でなく、範囲が明確でないと考えます。--Vindlys会話2020年1月21日 (火) 15:50 (UTC)[返信]

Vindlysさん、ご意見ありがとうございます。一週間意見募集を行い、反対意見はありませんでした。一致度が高いと思われる版を削除依頼に提出したいと思います。--126.28.200.44 2020年1月25日 (土) 05:35 (UTC)[返信]

Wikipedia:削除依頼/藤原時平・菅原道真を提出しました。--126.28.200.44 2020年1月25日 (土) 07:29 (UTC)[返信]