ノート:荻窪駅

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歴史の項[編集]

編集合戦になりかねない且きりがないので、ここに記しておきます。126.66.153.129様?、都電杉並線の会社の遷移は多大です。それを逐一駅の記事であるここへ書いておく必要は無いと思います。あと、大量削除と仰っていますが、私が整理対象にすることは、路線の記事に既に記されていることです。--継之助 2007年3月3日 (土) 05:53 (UTC)[返信]

これといった異論は無いと、推察致しました。--継之助 2007年3月4日 (日) 14:11 (UTC)[返信]
どちらのご意見にも一理あると思います。整理は必要だと思いますが、各路線の項目を参照することがない利用者(私もそのひとりです)のことも考慮して、路線名の変更、電化、複線化程度は残しておいていただければと思います。具体的には以下の案を提案します。--Metatron 2007年3月4日 (日) 15:26 (UTC)[返信]
追記:すでに編集されていたようですが、以下の案について改めてご検討いただければ幸いです。 --Metatron 2007年3月4日 (日) 15:34 (UTC)[返信]
*[[1891年]]([[明治]]24年)[[12月21日]] - '''[[甲武鉄道]](現在の中央本線)の駅として開業。'''
*[[1906年]](明治39年)[[10月1日]] - 政府、甲武鉄道を買収して国有化する。中央線に名称を改称。
*[[1909年]](明治42年)[[3月16日]] - 中央線、[[中野駅 (東京都)|中野]]~[[吉祥寺駅|吉祥寺]]間複線化工事完了。
*[[1919年]]([[大正]]8年)[[3月1日]] - 中央線、中野~吉祥寺間電化工事完了。
*[[1921年]](大正10年)[[8月26日]] - '''西武軌道により新宿軌道線が南口に開業'''(淀橋~荻窪間、西武軌道線とも。後の[[都電杉並線]])。
*[[1932年]]([[昭和]]7年)[[7月1日]] - 中央線、総武線との相互直通運転開始。
*[[1942年]](昭和17年)[[2月1日]] - 東京市電気局が新宿軌道線(新宿駅前~荻窪駅前間)の委託を継承。→市電38系統
*[[1951年]](昭和26年)[[4月5日]] - 東京都交通局、現西武鉄道から新宿軌道線を買収。都電杉並線と改称する。→都電14系統
*[[1956年]](昭和31年)- 都電杉並線荻窪駅前停留所、天沼陸橋を経由して荻窪駅北口に移設。
*[[1962年]](昭和37年)[[1月23日]] -'''[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]](現・[[東京地下鉄]])により営団地下鉄荻窪線が開業。'''
*1962年頃 中央線荻窪駅、高架化を見送る。
*[[1963年]](昭和38年)[[12月1日]] - '''地下鉄荻窪線との競合により、都電杉並線が廃止される'''。
*[[1966年]](昭和41年)[[4月3日]] - 中央線中野~荻窪間の複々線化工事完了。
*1966年(昭和41年)[[4月28日]] - 営団地下鉄東西線、中野駅から中央線荻窪駅までの直通運転開始。中央線、緩行線を荻窪まで延伸。快速線の休日運転開始。
*[[1969年]](昭和44年)[[4月8日]] - 中央緩行線、営団地下鉄東西線直通電車、運転区間を三鷹まで延長。
*[[1972年]](昭和47年)[[4月1日]] - 営団地下鉄、荻窪線を丸ノ内線に名称統一。
*[[1974年]](昭和49年)[[9月30日]] - 中央線荻窪駅、貨物取扱廃止。
*[[1987年]](昭和62年)4月1日 - [[国鉄分割民営化]]により、中央本線は[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]が継承。
*[[2004年]]([[平成]]16年)4月1日 - 営団地下鉄民営化により、丸ノ内線は[[東京地下鉄]](東京メトロ)が継承。
*[[2006年]](平成18年)4月28日 - 丸ノ内線全線ホームドア化へ向けて、荻窪駅にホームドアを設置。
*2006年(平成18年)7月1日 - 中央線快速ホームの新宿方階段を閉鎖し、エレベーター・エスカレータ設置工事を開始。
*2006年(平成18年)8月18日 - 北口出口の階段の半分を閉鎖し、エレベーター設置工事を開始。
*[[2007年]](平成19年)2月11日 - 中央緩行線ホームのエレベーター設置工事終了。同日から使用開始。

鉄道会社の遷移はなくてもかまわないと思いますが、継之助さんの編集では、会社の遷移以外の路線名や高架化についてまで削除されていたので、多少違和感を感じておりました。Metatronさんの案がいいと思います。--202.94.133.206 2007年3月5日 (月) 08:51 (UTC)[返信]

駅の歴史の項では、駅舎の改築(高架化含む)・駅名の変遷・旅客&貨物営業の有無・主要な鉄道事業者の遷移(例:国有化や国鉄分割民営化)を記述し、残る複線化・電化・路線名の変遷は路線記事に任せた方がより良い、と思っています。
それと、高架駅じゃないですよね?ここ。--継之助 2007年3月5日 (月) 09:31 (UTC)[返信]
「複線化」と書くべきところを誤って「高架化」と書いておりました。失礼いたしました。記載内容ですが、一部の記述については駅の記事として詳しく書くべきではないとの考え方もあるかと思いますが、鉄道に詳しい方ならともかく、一般の方が駅について調べた時に駅の記事に複線化についての記載が一切が無いと調べにくいと思います。詳しくは記載しないとしても、「○年○月○日 ○○駅付近複線化(詳しくは○○線の項目を参照)」という記載くらいは欲しいところです。歴史の項目をどういう方針で編集するかは、もはや荻窪駅のみの問題ではないと思いますので、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/駅にて合意を取り付けたほうが、たくさんの方の賛同を得ることもできますし、今後の編集合戦を防ぐことにもなり、よいのではないでしょうか。--202.94.133.206 2007年3月5日 (月) 10:06 (UTC)[返信]
継之助さんがWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/駅#歴史の項で議論を提起されているようですので、そちらでの議論を待ちたいと思いますが、現時点では本項の編集については合意が形成されていない状態ですので、当面の措置として、(1) 荻窪駅#歴史の節を、いったん継之助さんによる編集前の2007年2月23日 12:34(UTC)の版に戻し、(2) 合意できる削除や編集のみを行うことが適当ではないかと思います。(2)については、いささか手前みそではありますが、具体的にはこのノートで2007年3月4日 (日) 15:26 (UTC)に私が提示した案の状態までの編集を行ってはどうかと思います(これはあくまでも暫定的な措置で、最終的な結論をどうするかとは無関係です。)。過去の版への差し戻しは編集についての合意が形成されていない以上当然取るべき措置だと思いますが、可能であれば、差し戻しのみを行うのではなく、可能な範囲での削除・編集も同時にできればと思っています。ご意見がありましたらお願いいたします。 --Metatron 2007年3月10日 (土) 04:35 (UTC)[返信]
↑のままですと、文章的な問題と誤記が存在すると思います。貨物取扱終了の日付が違う、国有化するのが政府であるのは当然、無駄な強い強調(太字)等。現在の物に、必要だと思われる物を追加する方が良いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。--継之助 2007年3月15日 (木) 10:53 (UTC)[返信]

ご意見を踏まえて文章を修正してみました。また、項目も再度見直しましたが、全て必要ではないかと考えます。これで、いかがでしょうか。(なお、ご意見をいただいても、春分の日頃まではご回答できませんのでご了承ください。) --Metatron 2007年3月16日 (金) 16:03 (UTC)[返信]

*[[1891年]]([[明治]]24年)12月21日 - [[甲武鉄道]]の駅として開業。
*[[1906年]](明治39年)10月1日 - 甲武鉄道が国有化され、中央線に改称。
*[[1909年]](明治42年)3月16日 - 中央線、[[中野駅 (東京都)|中野]]~[[吉祥寺駅|吉祥寺]]間複線化工事完了。
*[[1919年]]([[大正]]8年)3月1日 - 中央線、中野~吉祥寺間電化工事完了。
*[[1921年]](大正10年)8月26日 - 西武軌道により新宿軌道線が南口に開業(淀橋~荻窪間、西武軌道線とも。)。
*[[1932年]]([[昭和]]7年)7月1日 - 中央線、総武線との相互直通運転開始。
*[[1942年]](昭和17年)2月1日 - 東京市電気局が新宿軌道線(新宿駅前~荻窪駅前間)の委託を継承。→市電38系統
*[[1951年]](昭和26年)4月5日 - 東京都交通局、現西武鉄道から新宿軌道線を買収。[[都電杉並線]]と改称する。→都電14系統
*[[1956年]](昭和31年)- 都電杉並線荻窪駅前停留所、天沼陸橋を経由して荻窪駅北口に移設。
*[[1962年]](昭和37年)1月23日]] -[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]]荻窪線が開業。
*1962年頃 - 中央線荻窪駅、高架化を見送る。
*[[1963年]](昭和38年)12月1日 - 地下鉄荻窪線との競合により、都電杉並線が廃止される。
*[[1966年]](昭和41年)4月3日 - 中央線中野~荻窪間の複々線化工事完了。
*1966年(昭和41年)4月28日 - 営団地下鉄東西線、中野駅から中央線荻窪駅までの直通運転開始。中央線、緩行線を荻窪まで延伸。快速線の休日運転開始。
*[[1969年]](昭和44年)4月8日 - 中央緩行線、営団地下鉄東西線直通電車、運転区間を三鷹まで延長。
*[[1972年]](昭和47年)4月1日 - 営団地下鉄、荻窪線を丸ノ内線に名称統一。
*[[1974年]](昭和49年)9月30日 - 中央線荻窪駅、貨物取扱廃止。
*[[1987年]](昭和62年)4月1日 - [[国鉄分割民営化]]により、中央本線は[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]が継承。
*[[2004年]]([[平成]]16年)4月1日 - 営団地下鉄民営化により、丸ノ内線は[[東京地下鉄]](東京メトロ)が継承。
*[[2006年]](平成18年)4月28日 - 丸ノ内線全線ホームドア化へ向けて、荻窪駅にホームドアを設置。
*2006年(平成18年)7月1日 - 中央線快速ホームの新宿方階段を閉鎖し、エレベーター・エスカレータ設置工事を開始。
*2006年(平成18年)8月18日 - 北口出口の階段の半分を閉鎖し、エレベーター設置工事を開始。
*[[2007年]](平成19年)2月11日 - 中央緩行線ホームのエレベーター設置工事終了。同日から使用開始。
その後ご意見がありませんので、上記の案の通り修正させていただきました(ただし、上記提案後の編集は考慮しています。)。なお、上述の通り、この編集は暫定的な措置であり、本件の最終的な結論ではないことを念のため明記しておきます。--Metatron 2007年6月2日 (土) 23:15 (UTC)[返信]