ノート:荒木飛呂彦

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202.221.184.194さんの投稿を一部補足して転記してみる

更新履歴[編集]

NHK特集の情報を追加(本名も)。

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手塚が褒めた、という件に付いて[編集]

手塚が荒木を称賛したという話なのですが、これって、どういう裏付けがありますか?

筒井康隆のエッセイによると、新人の選考の際、手塚は褒めてばかりで先に進まない、というのがあるのですが、荒木を褒めたのもこういう文脈なのでは無いかと思っています。そもそも、手塚賞って、新人賞なのだから、褒めるのが当たり前なのだし。手塚の大友克洋への話題に付いては、エッセイがいくつか残っていてそこで名前を出しているというのがありますが、荒木に付いては、何かよい文章はありますでしょうか。--ゆきち 2005年12月10日 (土) 06:50 (UTC)[返信]

本文中に「手塚治虫が彼の作品について「大変興味がある」というコメントを残していた。」という文章があるので、これだけでも十分だとおもうのですが。--釣ちごちゅが 2005年12月10日 (土) 10:16 (UTC)[返信]

アフェリエイトについて[編集]

IP:219.44.149.23により、Amazonアフェリエイトが追加されていました。今後は、そうしたことのないようお願いします。--ゆきち 2006年6月13日 (火) 01:30 (UTC)[返信]

バビル二世からの影響について[編集]

ジョジョについて「『バビル2世』に強い影響を受けた」とありますがCS番組週刊少年「」でのインタビューだと影響を受けたのは「主人公が学生服で舞台が砂漠」という部分、つまり第三部のみ、あるいは第三部~第五部にしか該当していないように受け取れます。他にソースがなければジョジョ全体がバビル二世の影響を受けているような記述は不適当ではないでしょうか。--蝦寄無頼 2006年7月27日 (木) 02:22 (UTC)[返信]

恩師とのエピソードについて[編集]

「描き下ろしの漫画を欠かさず贈呈している」という記述が不明確に思われます。「欠かさず」というのは「毎年欠かさず」というようなことでしょうか、「会う機会があるたびに欠かさず」ということでしょうか。Metronome 2006年11月15日 (水) 22:07 (UTC)[返信]

1995年の東北学院榴ヶ岡高校文化祭にゲストとして来校頂いた際は、「デビューからつい最近まで毎月1本必ず、現在は少しペースが鈍ったがそれでも数ヶ月に1本は送っている」と言っていました。会う機会があるたびということではなく普通に郵便で送っていたようです。当時も週刊少年ジャンプでジョジョを連載しておりましたから多忙であったと推測されますが「それでもあいつは律儀に送ってきやがるんだよ、内容は俺はよくわからないんだがな」とは恩師の弁です。
また、荒木氏がなぜ「進学と漫画で迷ったか?」という背景には、高校が県内では指折りの成績優秀校であり大学進学が当たり前であったことと、漫画という世界が教師も含めて中々理解されないものであったからだと言っておりました。周囲の「反対ではないが、よくわからない世界に行くぐらいなら進学しておけ」という雰囲気の中、恩師だけが励まし、また氏が卒業してからも専門学校の調査や資料の取り寄せ、入学の事務手続きを手伝ったりしたそうです(氏は一旦大学へ進学し中退しておりますので学校側にはもう関係のないことなのですが、恩師が個人的にサポートしていた)。ソースとよべるものが無いのですが(当時の在学生は知っていることですが)、どのように扱えばよいでしょうか?--以上の署名の無いコメントは、218.230.130.69会話投稿記録)さんによるものです。
すいません、返答が遅れました。とりあえず月ペースで恩師に作品を贈っているということは分かったのですが、「描き下ろしの漫画」の詳細は分からないでしょうか(分量や内容など)。「描き下ろしの漫画」だけだともうひとつイメージがしにくいようにに思うので。
この記事の取り扱いということですが、とりあえず出典として「(東北学院榴ヶ岡高校文化祭来校時の公演による)」という但し書きをつけることにしてはいかがでしょうか。Metronome 2007年1月15日 (月) 18:08 (UTC)[返信]

メモ: インタビュー[編集]

インタビュー記事があったので備忘録として。

概要について[編集]

概要の見出しを作ることにMetronomeさんは反対なようですが導入部はWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)で「導入部に概要がまとめてあることが望ましい。―導入部で読者が調べているものかどうかを判別しやすくするためのもの」と概要をまとめ、記事が読者の調べたいものか判断できる程度の記述であることが推奨されてます。発行部数や同期生についての記述が概要をまとめたものか私には疑問です。また、長さは「導入部は、100字から150字程度が望ましい。」とされておりますがこの記事は300文字を超えています。

もちろんこれらは公式な方針ではなく考慮すべきガイドラインですので必ず守らないといけないものではありませんが、「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されます」と従うことが推奨されています。Metronomeさんが推奨されているスタイルマニュアルに従わずに新たに節を作ることが不要だと考える理由をお手数ですがお聞かせください。--Qret 2008年5月4日 (日) 16:08 (UTC)[返信]

スタイルマニュアルの履歴を見ればわかるようにその100字から150字という目安は別に議論を経て作られたものではないです(面倒なので今そちらで提起する気は私にはありませんが)。必要性や便宜を考えずこれを機械的に当てはめるようなことはしないで欲しい。なおWikipedia:スタイルマニュアル (見出し)にはたった1段落や2段落の見出しを無闇に作らないようにとあります。ノストラダムスくらい導入部の量が多ければ反対はしませんが。ちなみに英語版の記事には「概要」なんて節がある記事はほとんどないですよ。日本語とアルファベットの文とでは見易さに違いがあるので「いらない」とまでは言いませんが、「あるのが当然」でもありません。--Metronome 2008年5月4日 (日) 18:00 (UTC)[返信]
追記:スタイルマニュアルにある「導入部に概要がまとめてあるのが望ましい」というのは「概要」という名の節を作れという意味ではないですよ。分かっているかもしれませんが念のため。現在の状態で十分まとまっており、内容を節で分断しなければならない必然性はありません。だいたい導入部を出身高校や血液型しか書かれていない第1段落だけにすることがなんで読者の助けになるのか・・・。--Metronome 2008年5月4日 (日) 18:25 (UTC)[返信]

導入部は読者が記事が自分が調べたいものか判断するための場所なので名前や職業といった簡単なプロフィールだけで十分かと思います。ほとんどの記事はWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に従っておりそれらの記事を見比べると少なくとも私は見にくく違和感を感じます。ノストラダムスぐらいなら反対しないとおっしゃっていますが、こちらのサイトでカウントする限りではノストラダムス295文字、荒木飛呂彦335文字となっています。

量の少ない節を作ることに反対ならば略歴にまとめるなりしてはいかがでしょうか?--Qret 2008年5月4日 (日) 19:10 (UTC)[返信]

違います。ノストラダムスの導入部分のことではなくて概要部分のことです(ノストラダムスにはすでに「概要」の節があります)。略歴にまとめてしまったら「概要」に当たる説明(その人物の主たる業績などの説明)が無くなってしまうでしょうが。
「ほとんどの記事は従っている」と言いますがあなたは1000万項目を超えるJPWPの記事のほとんどを見たのですか?秀逸な記事に限っても導入部が300字を超える記事はいくつもあるのですが。--Metronome 2008年5月4日 (日) 21:23 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (導入部)で議論を提起しました。--Metronome 2008年5月4日 (日) 22:05 (UTC)[返信]

本名[編集]

本名について「荒木利之」と2004年に記述され、そのままずっと残り続けていましたが、出典がないためWP:BLPを考慮し一旦除去しました。その代わり、手持ちの資料で『武装ポーカー』掲載予告が「荒木利之」名義であったことを確認したため、その旨記載しました。実際に本名であることを確認可能な方は、出典とともに再度掲載してくださると助かります。--cpro 2011年9月15日 (木) 05:31 (UTC)[返信]