ノート:花子とアン

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柳原白蓮がモデルということについて[編集]

解決済み公式サイトおよび二次資料で確認できるようになりましたので本文に反映させてあります --Megevand (会話) 2014年3月21日 (金) 12:11 (UTC)[返信]

登場人物のうち、葉山蓮子のモデルが柳原白蓮だとして、これまで2回編集があり、いずれも出典がないとして私が除去させて頂きました。

以上のような流れですが、この議論が今後再発するとしても、私の会話ページの中で留めているのは「場違い」であるとも思いましたので、こちらにこのようにこれまでの報告をさせて頂きました。

さて、今後同様の加筆をなされる方は、信頼できる出典(やはり制作サイドからの公式発表が一番良いのでしょうか)を明記の上でお願いしたいと思います。何卒よろしくお願いいたします。--Megevand (会話) 2014年1月6日 (月) 17:23 (UTC)[返信]

除去された記述[編集]

今後出典が見つかれば再記述されて良いのではと、個人的には思います。--Benzoyl会話2014年3月21日 (金) 11:34 (UTC)[返信]

もちろんそういう意味で要約欄に「復帰の場合は出典を」と書いています。何も難しいことや堅苦しいことは申しておりません。--Megevand (会話) 2014年3月21日 (金) 12:10 (UTC)[返信]

失礼いたしました。--Benzoyl会話2014年3月21日 (金) 12:28 (UTC)[返信]

連続投稿への注意[編集]

表に貼りつけてしまいましたが、とくにIPユーザーの方には(故意なのかメッセージに気付いていないのか)複数の方が会話ページで注意しているにもかかわらず一向に改善する気がないようなので、ここで言うしかなくなりました。注意書きに挙げたガイドラインなどを参照して、今後の編集を改善していただくよう求めます。--Garakmiu2会話2014年4月17日 (木) 15:47 (UTC)[返信]

石板でぶつシーンについて注意喚起[編集]

NHKのドラマスタッフのブログでは、アンが「名前をからかわれた」として石版をぶつとありますが、小説を確認された方からは、アンは赤毛のことをからかわれて「にんじん」と呼ばれたという、のが正しい[1]という指摘および編集をして頂いてます。

  1. ^ モンゴメリ(著)、村岡花子(訳) 『赤毛のアン』 新潮文庫、1954年、ISBN 4-10-211301-0、第15章

以上、今後、どなたかによりNHKのスタッフブログのみに準拠した書き換えが生じたときの注意喚起とさせて頂きます。よろしくお願いします。--MEGEVAND (会話) 2014年4月20日 (日) 23:32 (UTC)[返信]

小説『赤毛のアン』からの推論による、ドラマのあるシーンとの関連性[編集]

今回提起するシーンはひとつだけなのですが、今後、同種の議論が出てこないとも限らないので、このようなタイトルにしておきます。

経緯については、

の2つの議論をご覧頂き、また、議論の前提として、

  • ドラマの制作意図として、小説『赤毛のアン』のシーンがちりばめられていることが公表されている[1]

をご承知おき下さい。ですが、どのシーンに関連性あるかという特定はされていない。ということも併せてご承知おき下さい。ですから、スタッフブログなどによって特定のシーンと小説との関連性が明確になれば、今回のような議論の対象にはなりません(稀に、上節のようにスタッフブログで誤りが確認されることもありますが)。

とはいえ、議論の提案者である私自身、上記井戸端での他者のコメントや、特定ユーザーさんの考えに納得しているのかといえば、実はそうではありません。ただ、頭ごなしにダメと決めつけるのではなく話合いも必要だろうと改めて思いましたし、今回と同類のケースがこれまでにもあったでしょうし、今後も出てくるでしょうから、この『花子とアン』をケーススタディとして活用しても良いと考えましたので、この議論を立ち上げました。--MEGEVAND (会話) 2014年4月24日 (木) 07:59 (UTC)[返信]

報告Wikipedia:コメント依頼#議論活性化のためのコメント依頼を提出しました。--MEGEVAND (会話) 2014年4月27日 (日) 10:31 (UTC)[返信]

上記、参考ページを枠で囲み、文言の微修正を行いました。--MEGEVAND (会話) 2014年4月27日 (日) 23:13 (UTC)(さらに枠囲みと文言を修正しました)(さらに微修正しました --MEGEVAND (会話) 2014年4月27日 (日) 23:59 (UTC)[返信]

「奉公は女の子ではなく男の子」[編集]

今回の記載を可とするか、不可とするかの議論として、まず[2]をご覧ください(ちなみに[3]で一度除去した経緯もあります)。

劇中のはなの奉公に関するシーンと、小説の設定との類似性、関連性を記載されておられます。今のところ制作側からのこのシーンについての言及はありませんし、二次資料として確認ができるものもありません。検証可能性を担保するものは、ドラマと小説です。

これに関して、記載をして良いかどうか、という皆様のご意見をお聞かせ下さい。--MEGEVAND (会話) 2014年4月24日 (木) 07:59 (UTC)[返信]

コメント 慎重的意見 女の子ではなく男の子を奉仕として欲しいという場面は、小説の設定との「偶然の一致」という可能性が排除できませんので、「関連性は感じることはできるが、これが絶対確実である」と断言することができません。、というのは当初からの私の考えです。--MEGEVAND (会話) 2014年4月24日 (木) 07:59 (UTC)[返信]
保留 反対 寄り)個人的には、恐らく赤毛のアンの原文にオマージュしたシーンかと思います。しかし、他にも制作者側からの情報は無いが、小説と関連していると思われるシーンが第4週の時点で既にいくつもあり(例:醍醐亜矢子の名前は、小説のアンの親友「ダイアナ」から?、薬と思って((小説では間違えて))ワインを飲むシーン等)挙げ出したら放送終了時にはかなりの量になるのでは?。過去の似たパターンとして「あまちゃん」の様に、制作者側もしくは新聞、雑誌、などにおいて公表された物に限った方が賢明な気がします。--シロクマスイッチ会話) 2014年4月24日 (木) 08:41 (UTC)(追伸:誤字を訂正しました)--シロクマスイッチ会話2014年4月24日 (木) 22:50 (UTC)[返信]
提案 上記でシロクマスイッチさんが「作者側もしくは新聞、雑誌、などにおいて公表された物に限った方が賢明」と述べられておられるのですが、一方、このシーンを「踏まえたものである」ではなく、「についても類似が見られる」という表現に変えて、「スタッフが意図的に関連付けたものだと記述しない」方向に持っていくことで、記載可能性を探ればどうかという意見もあります[4]。この方向性で、他の類似シーンを記載するということになれば、シロクマスイッチさんのコメントの主旨とは真逆の編集になってしまいます。とはいえ、こちらに寄せられるコメントがあまりにも少なく、現在のままではこの数名の意見だけで決めざるを得なく、皆様には少しでも多く意見を寄せて頂ければと思います。よろしくお願いいたします。--MEGEVAND (会話) 2014年4月27日 (日) 10:23 (UTC)[返信]
コメント ちなみに、私はシロクマスイッチさんが仰ったように「作者側もしくは新聞、雑誌、などにおいて公表された物に限る」方が良いという意見だということを表明しておきます。--MEGEVAND (会話) 2014年4月27日 (日) 13:37 (UTC)[返信]
反対 はじめまして。Shiro0922と言います。コメント依頼で広くコメントを求めていらっしゃるようでしたので、一言書かせていただきます。
まず前提として私のことを書きますが、村岡花子さん訳のアンの小説版は一通り読んでいまして、「ファン」と言ってもいいと思います。ただ、このテレビドラマ「花子とアン」は全く見ていません。Wikipedia歴としては主に美少女ゲーム分野で執筆していまして、テレビドラマや小説分野は関わっていません。そのため的外れな点もあるかもしれませんが、ご容赦ください。
「『奉公は女の子ではなく男の子を欲しがっていた』というのは小説のオマージュ」という記述ですが、製作者側から明示された出典が無い限りは書くべきではない、と私は考えます。先行の議論にもありましたが、「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)」にあるように、フィクション作品の記事では作品そのもの(一次資料)を出典として作品内容を説明することが多いです。ですから「奉公は女の子ではなく男の子を欲しがっていた」とドラマ内容の説明を書くのはOKですが、「それは小説のオマージュである」と書くのは外部出典が無い限りは独自研究となってしまうと思います。作品世界内のことと、外部のものを結びつけることになってしまうので。(小説はフィクションですが、記事主題のドラマから見れば、「現実」を通ってさらに「外部」だと思います)。
私もファンの一人として、小説のオマージュと思われる点をたくさん書きたくなってしまう気持ちはわかります。もし私がドラマを見ていて、「奉公は女の子ではなく男の子を欲しがっていた」シーンが出てきたら、「これはアンがカスバート家へもらわれる場面から来てるな」とニヤリとすると思います。多くのファンにとっては当然わかることなのですが、それでも製作者側が「この部分はオマージュだ」と明示した出典が無い限りは、記事に書くべきではないでしょう。
また別の視点からですが、小説からの一つ一つのオマージュのような細かいことは記事に書くべきではないと私は考えます。私はWikipediaの記事は「記事主題について全く知らない読者が、ある程度の概要を知るためにある」と思っています。この「花子とアン」の記事で言えば、このドラマはもちろん、もしかすると小説版すら知らない読者がやってきて、「ああ、『赤毛のアン』の小説を翻訳した人の生涯を描いたドラマなのか」と概要がわかればよいものだと思います。「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」にもあるように、個々のオマージュのような細かいことは、Wikipediaではなく個人サイトやファンサイトなどの領域でしょう。Wikipediaの記事は「知らない初心者」のためのもので、「詳しいファン」のためのものではないと私は思います。
最後に、出典の信頼性について。NHKのスタッフブログは、ブログとは言えNHKが運営しているサイトの一部で、NHK内のチェックを受けていると考えられるので、公式サイトと同程度の信頼性はあると思います。(制作スタッフが個人で運営するブログだったら、かなり信頼性は落ちるでしょうが)。ただ、ドラマから独立した他の二次資料がもっとあるといいですね。NHKはもちろん、「花子とアン」推進委員会も独立性は微妙なので、テレビ情報誌や情報サイトなどで制作スタッフインタビューなどがあればいいのですが…。以上です。長文すみませんでした。--Shiro0922会話2014年4月30日 (水) 19:46 (UTC)[返信]
こんにちは。ほかの皆様ほど熱心に本記事に加筆しているわけではありませんが、偶然、二次資料を見つけたので参りました。産経新聞の2014年5月6日東京朝刊のp.11に「花子とアン 原作のオマージュ随所に」という記事があります。同記事では既出の「花子と呼んでくりょう」「そうさな」の由来に加えて、はながワインを飲まされる場面も『赤毛のアン』のオマージュとされています(ただし立場はあべこべになっているとのこと……すみません、『赤毛のアン』は未見です)。WP:IINFOは最近私も意識しているところですので、ここまで網羅すべきかどうか迷いますが、ひとまずの情報提供です。--逃亡者会話2014年5月19日 (月) 19:21 (UTC)[返信]
ここまででご意見をお寄せ頂いた方々に感謝申し上げます。さて、コメントの総意としては、「資料で確認できるもののみを掲載しましょう」ということであると思います。編集される皆さん、このことにこれからもご留意下さい。何かしら問題が発生した場合は、こちらの議論をご案内させて頂きます。--MEGEVAND (会話) 2014年5月29日 (木) 18:30 (UTC)[返信]
さて、逃亡者さんに寄せて頂いた情報ですが、公式側からの意図を確認できるものはなく、外部からドラマを分析および言及した資料だということですね。それに関しては、「産経新聞では〜」というふうな出だしで記載したら良いのではないかと思いますが、記載するかどうかはお任せします。少なくとも、二次資料があるということで、より独自研究的な色はなくなりますので、記載は問題ないのではないでしょうか。--MEGEVAND (会話) 2014年5月29日 (木) 18:30 (UTC)[返信]
ご助言ありがとうございます。遅くなってしまいましたが産経新聞での指摘について加筆させていただきました。--逃亡者会話2014年6月14日 (土) 01:58 (UTC)[返信]

「小説『赤毛のアン』へのオマージュ」という節タイトルの適切性について[編集]

節タイトルに「オマージュ」という語句を入れていることについて、先に挙げた井戸端で意見がありました。それによりますと、スタッフブログの「そこには、様々な仕掛けがあって、『赤毛のアン』に登場するエピソードもドラマの中に散りばめられているんです」[5]という「出典」を根拠に、この節を「オマージュ」とするのは適切でない、というものです(詳しくは、挙げた差分のリンクをご覧ください)。

つきましては、ここの節タイトルをどのようにするのが適切かについて、ご意見を募りたいと思います。よろしくお願いします。問題が無いと思われれば、無いとする意見もお寄せください。--MEGEVAND (会話) 2014年4月27日 (日) 10:23 (UTC) (修正 --MEGEVAND (会話) 2014年4月27日 (日) 13:35 (UTC)[返信]

コメント 上節での議論の決定の後に決定 ウィキペディアの「オマージュ」を見れば、この語句には、「製作者の原作へのリスペクト」という意味があるようです。ですが、これは「ドラマ全体に赤毛のアンのエピソードがちりばめられている」ということそのものを指しているのであって、上節で私やシロクマスイッチさんが表明した「製作者側の意図が確認できるものである」ことを必ずしも指していないのかもしれません。ですから、今この段階で節タイトルを決めるよりも、上記の「奉公は男の子」などのエピソードを入れるのか、入れないのかの方向性がはっきりしてから節タイトルを考え直せば良いかなと、ここの立案者ではありますが、そう思いました。--MEGEVAND (会話) 2014年4月27日 (日) 13:47 (UTC)[返信]

こちらの議題に関しては、意見も寄せられず、これまで特に問題も発生しなかったので、敢えて節タイトルを変更することは控えようかと思います。--MEGEVAND (会話) 2014年5月29日 (木) 18:30 (UTC)[返信]

あらすじと登場人物節のそれぞれの役割について[編集]

あらすじ節が登場人物節の肥大化、逐次編集を和らげる目的で、その編集を推奨された思いますが、現在あらすじ節もだいぶスリムになってきて、やはり登場人物の記述が細かくなってきている傾向があると思います。

例えば児童文学賞受賞に関する記述ですが、はな、醍醐、出版社の人(名前忘れました)にそれぞれ書かれていますが、これなんかあらすじにまとめられると思います。でも、今の傾向ではそれをしてもすぐに割愛されるような気がしますので、こちらでお伺いしてから、と考えました。その他にも大文學会のこともあらすじに以前まとめてあったものが割愛されて、結果、人物節に書かざるを得なくなってきました。

冗長かつ肥大化せぬ最善の方法は分かりませんので、私が上に提起した疑問も確信を持って述べていることではありませんので、編集に携わっておられる方の忌憚なきご意見、ご提案をお待ちしております。--MEGEVAND (会話) 2014年5月25日 (日) 16:23 (UTC)[返信]

注30の不具合[編集]

 不具合を直そうとしたら、29まで変になってしまいました。ごめんなさい。  どこが悪いのか分からないので、誰か直してください。 --以上の署名のないコメントは、Macinchan会話投稿記録)さんが 2014年8月21日 (木) 09:36 (UTC) に投稿したものです(Haatouki会話)による付記)。[返信]

IPへの編集内容注意[編集]

こういった品のない、くだらない加筆をするIPユーザーがまた復活しているようですが、架空のキャラクターに対する個人的な好き嫌いや、特定の職業や性に対するヘイトのまき散らし[6]はウィキペディアでは許されません。ノート:まれ#編集に関する注意で注意したのと同じ人物かどうかは知りませんが、低質な編集でウィキペディアの品格を下げないよう、警告します。これ以上続けたら投稿ブロック依頼します。--Garakmiu2会話2016年3月15日 (火) 11:58 (UTC)[返信]