ノート:紫電改

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使用画像[編集]

使用画像ですが、コメントによると英語版から転用とのことで、確認した所そちらにも張られていましたが。この写真はおそらく、学習研究社の[歴史群像]太平洋戦史シリーズの24号、局地戦闘機紫電改の裏表紙からの転用と思われます。なおこの写真は、343空の4月10日出撃準備中の写真をCG加工した物のようであります(参考、文林堂世界の傑作機No53強風.紫電.紫電改54ページ)。このような場合の著作権はどうなるのでしょうか。

それとも、この元写真は著作権フリーなのでしょうか。 --A6M4 2005年1月11日 (火) 13:48 (UTC)[返信]

en:Image:Kawanishi N1K2-J.jpgによると出典不明でフェアユースとのことなので残念ながら日本語版では使用不可です。削除依頼に出します。Tietew 2005年1月11日 (火) 14:34 (UTC)[返信]
一応本稿から画像はコメントアウトとし隠しました。不適当という場合は戻してください。--A6M4 2005年1月15日 (土) 05:29 (UTC)[返信]
お疲れ様でした。--Raiden
旧著作権法では、写真の場合保護されるのは10年間でしたよね?。だとすると出典不明でフェアユースもなんだか腑に落ちません。おそらく著作権が国々によってまちまちだからフェアユースにしてるんでしょう。が.海外では50年としても旧軍機が飛んでたのはせいぜい1945年(マニアの動態保存機を除いて)だからいずれにしても1956年・昭和31年12月31日以前の写真は日本の法律の及ぶ所では全ていいと思うのですが如何でしょう。papamaruchan22 2007年3月29日 (木) 10:26 (UTC)[返信]

現在のは文林堂世界の傑作機no.149 特集・「紫電」と「紫電改」34ページの物です。大丈夫?--123.230.199.188 2009年5月20日 (水) 18:23 (UTC)[返信]

急降下制限速度と空中分解の解説[編集]

さて、約1名ほど、自分の記事がなぜ度々修正されるのか、理解しておられない方がいるようです。いろいろと資料を引用して熱弁を揮っておられますが、根本的な勘違いに気づいていないようですので、この場を借りて解説させていただきます。

>急降下制限速度は昭和19年3月のテストで志賀少佐が記録した796km/hから740km/hと控えめに決められただけであろう。

このように考えているようですが、基本的に急降下制限速度というのは、設計段階ですでに決まっているもので、実際に飛行してから決めるものではありません(飛行後に不具合が発見されて、飛行制限を課すことは多々ありますが)。

まず用兵側から急降下制限速度の要求があり、設計者は制限速度からの引き起こしに必要な機体強度を計算して、試作1号機と同時に荷重試験用の機体を製造します。そして、荷重試験用の機体の主翼、尾翼にバラストを乗せて荷重試験を行い、要求以上の強度があることを確認します。

この荷重試験の話は、零戦でも四式戦でも、開発時の話を著した文献中によく出てきます。紫電21型も例外ではないはずです。

>301飛行隊の訓練中の空中分解事故(昭和20年3月)が急降下制限速度に影響を与えた訳ではない(そもそも時期が合わない)。このとき分解した紫電改の計器速度は630km/hに過ぎない。

この説も何か勘違いされてるようです。「630km/hで起きた空中分解なら、740km/hの急降下制限速度とは無関係」だと言いたいらしいですが、設計の時点で既に決まっていた制限速度が、実際に空中分解を起こした速度と何の関係もないのは当然です。しかし、高々630km/hで空中分解したという事実は、性能向上の際には大きな足枷となりますし、場合によっては飛行制限を課さなければならない事態にも発展します。

例を挙げますと、零戦21型の量産機で、旋回中主翼外板に皺がより、そこから降下に入ったところ、外板と補助翼が飛散する事故が発生した、という話をご存知かと思いますが、この事故の調査中に、下川万兵衛大尉が空中分解で殉職されています。その結果、空中分解は、「ただ一機の欠陥」ではなく、設計上の問題だったことが判明し、零戦の急降下制限速度は、設計時の想定より低い340knot(630km/h)に制限されることとなりました。

もし、最初の事故を「想定より低い荷重で起こった事故だから、設計の問題ではない」と片付けていたら、後日、激しい戦闘になったとき、多くの零戦が空中分解したことでしょう。当然、川西の技術者も、「ただ一機の欠陥と思われる」などという無責任な説明はせず、風洞実験まで行って、原因究明に努めたのです。もし、630km/h付近で空中分解を起こす兆候が発見されれば、改修しなくてはなりませんし、そのハードルをクリアしなければ、急降下制限速度の更なる向上など、有り得ないわけです。ただし、紫電21型は、空中分解事故の影響で飛行制限などは課してないようです(そんな余裕は当時なかったのでしょうか)

続きまして、四式戦の急降下制限速度の件です。確かに日本の出版物で同機の制限速度を明記したものはないようですが、「ki-84 496 mph」で検索をかけると、いくつかのサイトが引っかかります。ほとんどが四式戦の制限速度が496mphであることを解説しています(496mph=798km/hとしている所と、=800km/hとしている所がありますが、日本陸軍はメートル法ですから、800km/hが正解)。

この制限速度は恐らく飛行マニュアルか、要求仕様書から引用したものでしょうから、用兵側が要請した四式戦の制限速度は800km/hだったことになります。

一方、碇義朗著『戦闘機 疾風』(廣済堂)に拠りますと、荷重試験の様子がこのように記載されています。「規定では10.8Gをクリアすればよかったが、12Gをかけても主翼の破壊は起こらなかった」つまり、中島飛行機は、用兵側の要請より12/10.8倍の強度がある機体を製作したわけです。荷重倍数が制限速度の2乗に比例するとすれば、中島が想定した急降下制限速度は840~850km/hであったと証明できます。

続いて、紫電21型が機動中に空中分解を起こした件ですが、これにつきましては下記URLのページに書かれている雑談程度のソースしか見つかりませんでした。 http://www.warbirds.jp/ansq/11/A2002551.html この件に関しては、秋元実氏が書かれた著作中に詳しいらしいので、出典を確認しましたら、報告いたします。

以上のことを踏まえ、Monadaisukiには次のことを提案します。

1.「最高記録は昭和19年3月のテストで志賀少佐が記録した796km/hである」「301飛行隊の訓練中の空中分解事故が急降下制限速度に影響を与えた訳ではない。このとき分解した紫電改の計器速度は630km/hに過ぎない」等はソースの明確な事実であっても、「急降下制限速度は昭和19年3月のテストで志賀少佐が記録した796km/hから740km/hと控えめに決められただけであろう」「301飛行隊の訓練中の空中分解事故(昭和20年3月)が急降下制限速度に影響を与えたと誤解している者がいる」等はあなたの妄想。妄想に基づいて改ざんした箇所をすべて元に戻す。

2.急降下制限速度は四式戦の方が速いことを認める。ただし「100km/h以上速い」を認めたくないのであれば、「50km/h以上速い」でも可。

3.機動中の空中分解の件に関しては、出典が明確になるまで削除する。

4.もしくは四式戦と紫電21型の比較に関する記事は全削除する。

提案を受け入れるも無視するもあなたの自由ですが、あなたのおかげで記事がぐちゃぐちゃになっていますので、あなた自身の手で修正するのが義務と思います。

あと余談ですが、四式戦1型乙の生産数に関して、「製造番号3001以降の量産機がすべて1型乙」とする資料と「1型乙の生産数はごく僅か」とする資料がありましたので、これに関する記述は修正しておきます。219.14.48.40 2007年4月7日 (土) 01:27 (UTC)[返信]

長々書いているけどちっとも内容がないね。それに履歴を見た限り、嘘ばかり書いて修正ばかりされているのは219.14.48.40の方だろう。Wikiは妄想を書くところではなくてソースを提示できるものだけを記述するところだ。それが理解できないならWikiに来ないでください。--219.165.24.33 2007年3月31日 (土) 06:43 (UTC)[返信]

検証可能性[編集]

==219.14.48.40チョンボ伝説==

:上記manadaisuki氏の見出しはブロックにも相当する暴言ですので、一応見出しをはずしたうえで、議論のために本文は表示を復活させます。また他人の意見削除・改竄もブロック相当です。今回は売り言葉に買い言葉の状況にあるようですので一応様子見とさせていただきます。皆様にはWikipedia:検証可能性に基づいた議論をお願いします。くれぐれも冷静な議論をお願いします。--Miya.m 2007年4月10日 (火) 11:13 (UTC)[返信]


>さて、約1名ほど、自分の記事がなぜ度々修正されるのか、理解しておられない方がいるようです。

間違いだらけなのはお前だ。その言葉を訂正及び謝罪しない限りお前の言うことは無視する。

2007年3月20日 (火) 10:20の版

>大きな差がついたのは急降下制限速度で、四式戦の方が100km/h以上速い。
→ソースがない上に間違っている。せいぜい60km/h速いだけ。

>紫電改の速度は、海軍に納品する前に社内で測定した数値で、武装、燃料等を満載した
>状態での試験飛行ではない(同質量のバラストを積んでいた可能性はあるが)。
>また四式戦の速度も、推力式単排気管に改造される前の初期試作機の数値であり、
→ソースがない

2007年3月20日 (火) 13:29の版

>(→評価 - 紫電改信者は認めたくないでしょうが、事実ですから。)
→事実と称しながらソースなし。

>武装は四式戦1型乙がホ-5 20mm×4、紫電改が99式2号 20mm×4で同等である。
→私が書いたように同等ではない。携行弾数と炸薬量の違いからすると紫電改が圧倒的と言える。

2007年3月22日 (木) 09:13の版

>(→評価 - 空中分解したのは1機じゃありませんし、カタログデータ上の制限速度はあくまで740km/h。「実際はこれくらい大丈夫だった」と言うなら、四式戦も900km/hのダイブは可能でした。)
→900km/hのダイブが可能というソースなし。というか妄想。

2007年3月22日 (木) 10:06の版

>紫電改は機動中に空中分解する事故が数件報告されている。対して四式戦は無理な機動ができないように
>意図的に舵を重くしてあり、この種の事故は報告されていない。
→数件の空中分解事故が何をさしているのかが不明。事故の日付すら把握していない。事故の分析ができてこそこういうことを書くべきではないか。

    • papamaruchan22です。ノートページでは、熱心なあまり感情的になったり、自説にこだわる論争がよく起きます。冷静で礼儀を守った議論は建設的ですが、感情が表に出てしまうとお互い破壊的となりなす。といっている私自身も自説にはこだわりたいし、相手の方が、ウィキ上で論争慣れしている方と言い合いになったりすると、「何だこの人は」なんて思うことはしょっちゅうです。私たちが集まっているのは百科事典を作り上げるためです。初心者であっても、この目的をちゃんと理解し、意見の一致を目指して協力作業します。ただその議論が、電子掲示板ネットニュースでの論争と同じものと勘違いする人もいます。感情的な小競り合いに対しては、一時黙っているか、中立的な立場から双方の対立を解消するように働きかけが本当は必要ですがあまりにも専門的になると出て行けなくなるときもありますね、こういうも見方やこんな出典ではこうですよなどと一歩引いた表現もたまには必要ですね。礼儀を忘れないでください。 Wikipedia:議論が白熱しても冷静にも参照してください。このノートの意見を非表示にするのは、ルール上ナッシングです。非表示は、はずしたほうがいいです。個人への攻撃、中傷を含むものであっても討論相手の評価や貴方の対話の判断はコミュニケーションのかたがたが見てます。ので、決してお互いの利益になりません。私たちは完全ではありません、私もよく衝突してます。お互いに寛容な精神をもって善意で発展的なコミュニケーションをするように心がけたいと思うのです。papamaruchan22 2007年4月10日 (火) 10:39 (UTC)[返信]
貴重なご意見ありがとうございます。非表示にしたのは、Wikipedia:個人攻撃の除去の方針に従ったまでですが、いけませんでしたでしょうか。個人攻撃さえ除去されれば、Monadaisukiの意見に回答する用意はできていますので、非表示の解除はいつでもどうぞ(IPが変わっていますので今回は署名なしでお願いします)。利用者:219.14.48.40

色々と書かれていますが、先に挑発したのが219.14.48.40なのは履歴をみれば分かるでしょう。原因があって結果がある。原因を作ったのは219.14.48.40である。私の意見はすでに述べたので219.14.48.40は前言撤回するかどうか考えるように。--Monadaisuki 2007年4月10日 (火) 14:08 (UTC)[返信]

ノート投稿のまえに、[編集]

  • Wikipedia:個人攻撃の除去の方針はね、感情的な部分を隠すことにより状況の悪化を食い止める手段のひとつですよね。全部消してしまうのは、論点をもかくしてしまうと受け取られかねません。お互い辞書つくりにここに来てます。議論まで隠してしまうことは、問題なしとはいえないのでは。管理者の方が比較的穏やかに今回見守りとしたのは、「いけないことでしょうか」とか「原因はだれそれ」だとかという言葉を期待してはいないと思うのです。くれぐれも冷静になって、と思うからです。周りでみている人もがっかりでしょうね、「お前が」・「いやそっちこそ」ではどうしようもないです。ソースを示しつつ検証可能の条件をさぐり、お互いこの際エンターキーを押す前に一晩ぐらいおいて無礼な言葉は無いかとか自問して、投稿キーを押すことでしょうねぇ。お互いのせっかくの記事が載せられなくなるかも。私も経験してるので申し上げるのですが、感情のぶつかり合いから結論を導き出すことは難しいとつくづく思ってます。papamaruchan22 2007年4月11日 (水) 09:41 (UTC)[返信]
某IPユーザーのようにバカの壁を作っている人に何を言っても無駄なのでしょうね。養老孟司先生のおっしゃるように「話し合ったら分かるは嘘」なんですよ。だから戦争はなくなりません。--Monadaisuki 2007年4月13日 (金) 13:10 (UTC)[返信]

とりあえず回答~これで最後ね~[編集]

>紫電改の速度は、海軍に納品する前に社内で測定した数値で、武装、燃料等を満載した
>状態での試験飛行ではない(同質量のバラストを積んでいた可能性はあるが)。
>また四式戦の速度も、推力式単排気管に改造される前の初期試作機の数値であり、

四式戦が624km/hを記録した時の状況は、世界の傑作機No.19で確認でき、集合排気管をつけた乗機の写真も掲載されています。海軍の試作機に機銃等が搭載されるのは海軍に納品されてからになります。こちらを参照のこと。http://www.warbirds.jp/ansq/12/A2003472.html
で、それがどうかしたのですか?紫電改の海軍測定値は594km/hと分かっているでしょう?何が言いたいのですか?--Monadaisuki 2007年4月13日 (金) 13:36 (UTC)[返信]

>大きな差がついたのは急降下制限速度で、四式戦の方が100km/h以上速い。

これについては説明済み。英語がわからない、計算式が理解できないと言われても私は知りません。
投射エネルギーの計算ができなかった人がそういうことを言わないで下さい。--Monadaisuki 2007年4月13日 (金) 13:03 (UTC)[返信]
219.14.48.40氏のこの発言は明らかに誹謗中傷です。--Monadaisuki 2007年4月13日 (金) 13:36 (UTC)[返信]

>荷重倍数が制限速度の2乗に比例するとすれば、中島が想定した急降下制限速度は840~850km/hであったと証明できます。

想定と実測をごちゃまぜにしないで下さい。想定は証明ではありません。実測値はどこにあるのですか?--Monadaisuki 2007年4月13日 (金) 13:03 (UTC)[返信]
結局のところ疾風の急降下制限速度は800km/hということしか判明しないですよね。ということは紫電改の制限速度よりも60km/h速いだけ。仮に実際の最大値が850km/hだとしても紫電改はソースのある実測値で最大796km/hですから、結局は54km/h速いだけです。どこをどう考えても100km/h速いことにはなりません。--Monadaisuki 2007年4月13日 (金) 13:30 (UTC)[返信]

その他については、本文の記事を発展させる上で、何の意味もない(煽り、中傷の目的と思われる)ものであり、回答することは控えさせていただきます。219.14.48.40 2007年4月13日 (金) 06:06 (UTC)[返信]

都合の悪いことは「煽り、中傷」ですか。--Monadaisuki 2007年4月13日 (金) 13:00 (UTC)[返信]

ご意見[編集]

まず お二方ともWikipedia:検証可能性をお読みください。「計算式が理解できない」とわからない記事や「投射エネルギーの計算ができない」と証明できない内容、更に「2乗に比例するとすれば」などの記述は「独自の調査」に相当します。四式戦闘機のノートをご参照くだされば分かると思いますが、もしそのような記述があれば編集で消すべきです。もうひとつ Monadaisuki さんへ、他人の発言を細かく区切って反論を入れておられるのはご注意レベルを超えるかなり重大なエチケット違反です(あなたが逆のことをされた場合を想定してみてください)。反論したいのであれば正々堂々と議論を展開してください。Miya.m 2007年4月13日 (金) 13:56 (UTC)[返信]

独自の調査に付いては了解いたしました。申し訳ございません。--Monadaisuki 2007年4月13日 (金) 14:08 (UTC)[返信]
>あなたが逆のことをされた場合を想定してみてください
私は別に何とも思いません。どの部分の指摘なのか明確になって読みやすいでしょう。--Monadaisuki 2007年4月13日 (金) 14:08 (UTC)[返信]
    • papamaruchan22です。またここに出で来るのは気が重いのですが最初にクールダウンをといった都合上すみませんね。まず、お2人ともここで停戦なさい。↓の評価の項目でIP61.114.208.142さんがクールダウンのきっかけとなるかもしれない戻しをしておられます。(戻すこと自体が是かどうかは、私は判断出来ませんが、良いきっかけになればお2人のためにもいい)。さらにお2人が4式戦の当事者かも詮索したくはないですけれど。アトで書いたほうがかならずしも有利だと考えるとエンドレスになります有利ともいえませんからここで一度休戦しておいたらどうですか。ちょっと「どの部分の指摘なのか明確になって読みやすいでしょう」って自分がなんとも思わないから良いってものでもないんですよ。papamaruchan22 2007年4月13日 (金) 14:25 (UTC)[返信]
冷静に考えると四式戦闘機との比較自体が「独自の調査」みたいなものですので、これ以上の議論は無意味ですね。私はもうここには来ませんし、本文も元に戻っているのでこのままにします。みなさんご苦労様でした。失礼いたします。--Monadaisuki 2007年4月15日 (日) 11:07 (UTC)[返信]

特攻機援護について[編集]

IP218.114.178.109。氏が述べられました特攻援護ですが、特攻機の燃料片道搭載は、説だったのですかねぇ?。特攻機は航続距離が長かったのか?等。この段落は工夫がいりますね。どなたかよろしく。papamaruchan22 2007年3月27日 (火) 02:21 (UTC)[返信]


「説」というのは語弊があるのかもしれませんが、特攻=片道燃料と主張される方が多いことは確かです。(戦艦大和の特攻についても同様です。)一部の教育機関や書物で「特攻=片道燃料」と誇張して教えられたことが影響しているのではないかと私は思います。それゆえ「説」という表現を用いました。

特攻機として多用された零戦はご存知のとおり航続距離が長かったわけですが、三式戦、四式戦などもわずかですが使用されています。これらについてはたしかに航続距離が長いとはいいがたいですね。ご指摘のとおり一まとめにして表記するには少々無理があることを承知の上ですが零戦が多数使用されたことを鑑みまして特攻機は航続距離が長いというニュアンスで加筆いたしました。

蛇足ですが知覧特攻平和会館で三式戦についてお詳しい関係者の方にお話を聞きましたところ、レーダー網を避けるため燃費の悪い高度で飛行しなければならないし、航続距離を伸ばすために燃料満載は必須に近いし、燃料満載にしても会敵しえなかったこともあったとのことです。 会敵できず帰還しようとしても未熟なパイロットが多かったため自機の位置を失ってしまい、さまよった挙句ただでさえ残り少ない燃料を使い切ってしまい海没したケースもあったそうです。この場合は結果論として片道燃料であったといえますが。 wikipediaの特別攻撃隊の項目に詳しく書かれていますので、この部分を修正される場合は参照されるといいかもしれません。Papamaruchan22さん的確なご指摘ありがとうございます。--以上の署名のないコメントは、IP218.114.178.109会話/Whois)さんが 2007年3月28日 (水) に投稿したものです。

  • 大筋おっしゃるとおりの事でしょうね、いろいろありがとうございます。特攻機は用兵の不適切さから爆撃や練習機まで種々多様にわたりましたね、従がって航続距離もさまざまだったでしょうね。それで「航続距離の長い特攻機、、」のくだりが如何かなと思ったのでした。ここの部分はもう少し加筆とか改稿したらさらに良いかもしれませんね。今後も良い記事期待致します。papamaruchan22 2007年3月29日 (木) 06:19 (UTC)[返信]


  • IP218.114.178.109です。papamaruchan22さん、こちらこそありがとうございます。「航続距離の長い特攻機、、」のくだりは私自身も如何なものかとおもいつつ書いたのですが、紫電改の項目で特攻隊についてこと細かく書くのはどうかな、と思ったりもしましてこのような表現になってしまいました。たしかに改稿してよりよい記事にしたほうがいいですね。若輩者で稚拙な記事になりがちですがよろしければ今後ともご指摘いただければ幸いです。※前回署名を付け忘れまして失礼しました。※アカウント取得しました。--ふろぽぬ 2007年3月29日 (木) 08:55 (UTC)[返信]

評価の項目について[編集]

いつのまにか「疾風」との比較の項目になってしまったので、純粋な「紫電改」の評価が書かれてた時に戻しました。「疾風」と「紫電改」の比較をするのなら、「隼」のページのように「一式戦と零戦」というような項目を作った方が良いでしょう。--以上の署名のないコメントは、IP61.114.208.142会話/Whois)さんが 2007年4月10日 (火) に投稿したものです。Papamaruchan22・付記

注記の項目について[編集]

『ちなみに四式戦は米軍テスト時に689km/hを記録し「最優秀日本戦闘機」と呼ばれており、紫電改も米軍によるテストにおいてきちんと測定が行われていれば、これに勝るとも劣らない結果を出したのではないかという意見もある。』

ということですが、一体誰の意見なのでしょうか?記事の出展として信頼に足るものでなければ、削除しなければなりませんが。--210.234.6.242 2007年6月23日 (土) 15:31 (UTC)[返信]

私は書籍でその記事を読んだ覚えがあります。確か光人社発行の碇義朗氏の「紫電改入門」ではなかったかな?と。今手元にないので何とも言えませんが。--GF 2007年6月24日 (日) 13:18 (UTC)[返信]

  • それでは出展になりません。もしこの記述の存続を望むのであれば、望む側から出展を示さなくてはならないのがルールです。追加情報お待ちしております。--210.230.11.239 2007年6月26日 (火) 12:47 (UTC)[返信]

そうですねぇ。>>>公称1800馬力であったが、量産機は状態が良くても1400馬力程度しか発揮できなかったといわれる。とか、 >勤労奉仕の工員が多くなっていた。←事は末期の全機種についていえることだし、 ちなみに四式戦は米軍テスト時に689km/hを記録し「最優秀日本戦闘機」と呼ばれており、紫電改も米軍によるテストにおいてきちんと測定が行われていれば、これに勝るとも劣らない結果を出したのではないかという意見もあるとか、(私は最優秀機の一つであるのは間違いないとはおもうのですがね。意見もあるとした場合は出典を示した方がいいです。)、 当時の日本軍の航空機エンジン用オイルは戦前にアメリカから輸入した自動車用エンジンオイルであり、その備蓄は終戦間際には既に底を尽きかけていた。との記述も出典をお示しの上、はっきりした方が親切でしょうね。papamaruchan22 2007年6月26日 (火) 14:27 (UTC)[返信]

テスト云々は出典確認今のところ出来ていませんが、それ以外は柳田邦男 著 「零戦燃ゆ」からの出典です。著者はノンフィクション書籍での資料集めに関しては定評のある方ですし、信用して問題はないかと。 --GF 2007年6月26日 (火) 15:48 (UTC)[返信]

ページを分割を提案します[編集]

紫電を探していて、このページを見つけました。紫電だけでもたくさん書くことがある故に、ページ「紫電」と「紫電改」を分けることを提案します。--Tb1-2 2008年8月17日 (日) 04:31 (UTC)[返信]

  • Tb1-2さまこんばんわ。papamaruchan22ともうします。ご存知のように紫電(N1K1-J)は水上戦闘機の強風の陸上機化したものですよね。で、紫電11型と呼称しました。この水上戦闘機から発展した為、中翼形式で脚が長くなってりして若干の欠点があったのを低翼化したのが紫電21型(N1K2-J)なのです。海軍制式名称は、あくまで紫電21型ですので正式名称を項目名とするというウイキペディアの名前の付け方から言えば紫電でもいいかもですが、改良された紫電改の名前が人口に膾炙されてるのでこの項目名が付いているのでしょう。このままで宜しいのかなぁと思います。papamaruchan22 2008年8月17日 (日) 15:02 (UTC)[返信]

ページ分割に賛成します。私も紫電の名で検索して、その名で頁が立っていないのでちょっと面くらいました。紫電改は本来の名称が紫電21ですから、「紫電改」が「紫電」のページに含まれるというなら自然ですが、紫電11型が紫電改と呼ばれることはないはずです。Papamaruchan22さんは「紫電改の名前が人口に膾炙されてる」と仰っていますが、それは単に「紫電改のほうは紫電より有名」ということに過ぎず、紫電改という名前に紫電11型も含まれるということではないでしょう。百科事典として考えても、「紫電改」を調べたい人が「紫電」で検索することはあっても、「紫電」を調べたい人が最初から「紫電改」と入れることはまずないのではないでしょうか。もちろん、紫電11型が、紫電改に至るまでのワンステップに過ぎないのであれば、紫電改の開発史の中で触れるだけでよいと思うのですが、採用され量産に移された機体でもあり、分割が妥当であるように思います。--Kaba-maru 2008年8月30日 (土) 12:34 (UTC)[返信]

  • Kaba-maru さまこんばんわ。papamaruchan22です。あのですねぇ。「紫電11型が紫電改と呼ばれることなんてまずないのだから別にしたら」というのは本末転倒です。だれも11型と紫電改が同じで11型をも紫電改だなんて呼びませんよ。そういうことではなくて。紫電改は紫電から派生したのですから当然紫電の事をこの項目で書いてあってもおかしくないのですよ。それこそ何年もまえからここのページはあるのですからね、さて、貴方様のご意見の最後の結論部分がよく理解できませんでした。ひょっとしてこの文章ではむしろ一緒にしておいて良いと言う逆の主張に取れます。{紫電11型が紫電改に至るまでのワンステップに過ぎないのであれば、紫電改の開発史の中で触れるだけでよいと思う}のですよねぇ。だったら尚の事この紫電改に至る紫電11型の開発史を書いて置くという貴方の主張通りにここにおけばいいのですね、分離しずらいですよね。一緒のほうがいい理由を述べておられるのではと思いました。検証可能性から申しましても、紫電と紫電改は、内外航空関係の図書[1]でも同じくくりてかいてあることが多く、それが妥当ですね。ウィキペディアの名前の付け方は、日本語の大多数の読者にとって判りやすいのが一番なんですだから紫電改。次にリダイレクトしやすさ、そして正式名称となります。紫電(紫電11型-1011機生産)と紫電改(紫電21型-406機生産)は型番の違いだけなので両方とも正統な名前で分離してないんです。
  • 参考
  • ^  ①「日本軍用機の全貌」109頁、航空情報編集局編㈱酣燈社1953年刊。 ②「日本軍用機三面図集」148頁、荻原四郎著㈱鳳文書林1962年刊。 ③「第2次大戦戦闘機」日本語版125頁、ケネス・マンソン著、野沢正監修㈱鶴書房1970年刊
  • papamaruchan22 2008年8月31日 (日) 11:36 (UTC)[返信]


    (1)まずは言葉足らずをお詫びしておきます。「紫電11型が、紫電改紫電改に至るまでのワンステップに過ぎないのであれば」と書いたのは、「ワンステップである以上の意味を持たない機体なのであれば」ということです。例えば紫電11型が、強風から紫電改に至る過程での試作機であるとか、採用はされても極少数機で終わったとかであれば、紫電改の項目に含めて終わりというのも当然と思います。
    しかし実際には、(数々の問題は抱えつつも)Papamaruchan22さんのコメントにあるように1000機を越える(紫電改以上の)生産機数がある機体ですし、紫電改に先だって実戦参加も果たしているはずです。「紫電と紫電改は型番の違いだけなので」と仰っていますが、確かに名称上はそうであっても、主翼とエンジン以外はほぼ新規に設計された、場合によっては別名称が付いていても不思議ではない違いがあるわけですし、実際に通称でも「紫電」「紫電改」と呼び分けるのもそれがあるからでしょう。
    Papamaruchan22さんは「紫電と紫電改は、内外航空関係の図書でも同じくくりてかいてあることが多く」と書かれていますが、強風→紫電→紫電改という一連の流れで開発されてきた機体なのですから、書籍で一緒に取り上げられるのは当然であると私も思います。しかし(残念なことに上げて頂いた図書はどれも私の手元にはありませんが)その内外の資料では、どれも、紫電(11型)は紫電改の開発史の中で触れられているだけの機体なのでしょうか?
    (2)「ページ分割に賛成」と言っても、現在の記事をばっさり2つに切り分けよう、ということではありませんし、またそれは無理な話だろうと思います。「紫電改は紫電から派生したのですから当然紫電の事をこの項目で書いてあってもおかしくないのですよ」と仰っているのもその通りで、紫電改が強風から紫電を経て開発されたことは当然本項で触れるべきことで、それを否定するつもりはさらさらありません。しかし、だからと言って「ここで書いてあればそれでいい」ではないと思う、ということです。
    現在の記事を見ると、それなりの長さのある記事ですが、「1 開発の流れ/1.1 強風から紫電」「2 派生型」「3 諸元」を除いては、ほぼ(N1K1-J)となっています。従って、分割と言っても、先の項目の紫電の部分だけを切り分け、それを核に新たに紫電のページを立ち上げるというイメージになるかと思います(もちろん、「1.1 強風から紫電」についてはある程度このページにも残した方が、紫電改という機体を理解するのによいと思います)。
    先の書き込みで「私も紫電の名で検索して、その名で頁が立っていないのでちょっと面くらいました」と書いたのも、紫電についてちょっと知りたいと思って来たものの、紫電改のページのなかで、それこそ紫電改に至るワンステップとしてだけ触れられていて、紫電自体の配備状況やら使用状況やらの情報がほとんど書かれていなかったからでもあります。紫電は強風から……水上機から実用の陸上戦闘機へと発展した、他には例のない特異な機体ですし、さまざまなトラブルを内包しつつも約1000機も量産された機体であり、この節を立てたTb1-2さんが最初に仰っているように、紫電だけでもそれなりに書くことはあると思うのです。特に日本機はファンも多いジャンルですから、紫電の頁を立てれば、それなりに記事を成長させて下さる方も出てくると思います。
    ――長文失礼致しました。--Kaba-maru 2008年8月31日 (日) 18:32 (UTC)[返信]
    • こんばんわ、papamaruchan22です。長文だなんて、有意義な意見です。ただ、紫電改は、制式名称紫電21型であるという事だけは押さえておいてください。ここの名前は本来紫電でもよいのですよ、しかしながら、ウィキペディアの名前の付け方の一番最初の条件であげられている日本語の読者に一番判りやすい名称であるという事を適用して、先達は制式名称でなく一番活躍した最終型の紫電改の項目名にしたのです。無視は出来ません。これはごく自然の流れだと思うのです。だから人口に膾炙した名前といいました。完成型が紫電21=紫電改なのですから。それから1000機のうち紫電改に改造された機体もあります。名前の付け方としては紫電改とするのは当然のことです。紫電のことを知りたいあなたが紫電をクリックすれば紫電改にたどり着きますね、必要充分条件はクリアしてます。そこでですが制式名称(N1K1-J)と(N1K2-J)で第4の位の数字しか違わないのです。また、検証可能性を満足させるためには分割して書いてある記事を示したほうがいいです。もう少し紫電について知りたければ、あるいは分離したければここの記事をより膨らませる事をしてください。期待します、そうすれば分割という選択肢もあるいはあるかもしれませんね。papamaruchan22 2008年9月1日 (月) 12:08 (UTC)[返信]
    • 追伸--{別名称が付いていても不思議ではない違いがある}とのことですが独自の見解とも受け取られかねません。連合国コードネームは、両方とも(George)で同一機とみなしてるんです。反対に零戦のコードネームは(Zeke)ですけど、32型は(Hamp)で別機体と思ってたんです。でも記事を別けてはいないのです、ましてここでは同じコードネームの機体(紫電・紫電改)は別けない方がいいのかなとも思料するのです。もっともコードネームで決まるわけでもないのですが、交戦国がどう考えてたかは、判断の一つの目安にはなるかもしれませんね。papamaruchan22 2008年9月1日 (月) 12:41 (UTC)[返信]
    • 分割に賛成。紫電改や強風よりも紫電の方が生産数が上回っている以上、具体的に何機が紫電から紫電改に改造されたのか数字を出していただかないと説得力にかけるのではないでしょうか。また、第343海軍航空隊でも紫電改と紫電からなる混成部隊だったわけですから、強ち「一番活躍した最終型の紫電改」とは言えないと思います。--Fox-Two 2008年9月4日 (木) 04:56 (UTC)[返信]
    • こんばんわ、紫電から紫電改の流れをみると分割は慎重にしたらいいのではというのが私の意見です。1000機と400機の機数を気にしておられますが、当然のことながらいつも10対4の装備機数ではなくて、戦争末期においては343空でもそうでしたがほとんどが紫電改でした。それからウィキペディアの英語版でも紫電改の記事になってますね。分割して記事の発展効果が大きく図られるのならもろ手を上げてFox-Twoさんのご意見に賛成できるのですが。現在の記事をバッサリ2つに切り分けるわけでもないでしょうから、記事の加筆をも考えねばなりません、意見の推移を拝見する事にしましょう。papamaruchan22 2008年9月4日 (木) 10:13 (UTC)[返信]

    改名提案[編集]

    「紫電改」というのは紫電二一型の愛称に過ぎず、愛称を用いないという指針に合致していません(PJ:航空参照)。この戦闘機の正式名称は「紫電」であるので、これに曖昧さ回避を付加した紫電 (航空機)という記事名が適切だと思われます。--蟻蜂蚣 2010年5月9日 (日) 11:51 (UTC)[返信]

    コメント - (この問題は『「紫電」か「紫電改」か』ということと『_(航空機)を付けるべきか』ということの2つに分けることが出来ます。後者の問題は複雑であること、(記号のみの米・露・(現)日・中はともかく)旧日本機分野に関しては当方あまり詳しくないこと、この問題で大事な事は前者であり、_(航空機)については後回しでいいことから、暫くは前者『「紫電」か「紫電改」か』についてのみ言及します。
    やはり「紫電」「紫電改」が同居している事が状況を複雑にさせていると思います。この記事では表立って「なお本稿では、一般的に「紫電改」と呼ばれる紫電二一型以降について取り上げ、「紫電」と呼ばれる紫電一一乙型以前の機体については、紫電二一型の登場に至るまでの流れにおいて説明する。」と冒頭で断っており、簡単に言うと「この記事は紫電改について説明します。一応強風・紫電の補足もします。という状態なわけで、そのまま「紫電」とすると内容と合致しません。あくまで一記事でいくのならばもっと紫電(強風)について加筆をするべきですし、(昨今の分割状況からして別々に記事があってもいいことから)いっそのことこの記事を分割する(というより後述する新規作成記事への一部転記レベルでしかない。移すのは派生型や諸元くらいで、概要「強風から紫電」節は補足程度の内容でしかなく、新規執筆した方がよろしいかと)か、分割しなくても新たに紫電 (航空機)を新規作成したほうが良いと思います。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年5月9日 (日) 16:46 (UTC)[返信]
    PS:あ、忘れてました。例え「紫電」を別に作成したとしても『紫電改が愛称で紫電二一型が正式名称である』という問題が解決してませんね(この辺旧日本機に疎い自分は弱いなぁ)。この点について正式名称を重視するならば、1記事のままでいく場合→紫電_(航空機)(他に紫電がある為、_(航空機)強制付記)。分割する場合→こちらの記事名は紫電二一型紫電改はリダイレクト)…となるのでしょうか(あくまで想定しているだけであって自分からこれがいいとは推しません。保留です)。--ButuCC+Mtp 2010年5月9日 (日) 16:54 (UTC)[返信]
    • なるほど、この記事では紫電改の解説が主で、紫電と強風はオマケ程度という訳でしたか…ならば、紫電二一型 (航空機)が適切じゃないでしょうか?もっとも、「二一型」まで付ければ曖昧さ回避は不要かも知れませんが、航空機記事名は先頭に製造者名を付けるか、後ろに(航空機)を付けるのが慣例となっているので…。--蟻蜂蚣 2010年5月11日 (火) 11:15 (UTC)[返信]
    Wikipedia:ウィキプロジェクト 航空/項目名ガイドラインによると日本機は1-1か1-3方式ということになります。「紫電二一型」の名称ではちょっと1-1を適用するのは難しい(この適用範囲が曖昧なのがちょっと問題…)ですが、一方で1-3によって_(航空機)を必ず用いるパターンというのはP-1_(航空機)とかMiG-1_(航空機)とかのような『{機体名称}がアルファベット、仮名文字、数字、記号等のみで構成される場合』であって、『紫電』を記号と考えるのは微妙です命名法に則るという意味では記号かもしれませんが、文字の分類から言えば『漢字』ですし、その場合は紫電_(航空機)のように『曖昧さ回避の必要に応じて{(航空機)}を用いる。』→ガイドラインではなく単純に曖昧さ回避の観点から括弧が必要、という考えになり、紫電二一型とする場合は不要ということになります)。つまり、『紫電二一型』という記事名はガイドラインの想定している範囲外の名称であり、この場合単純に曖昧さ回避が必要か否かの判断となるのではないでしょうか。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年5月11日 (火) 12:05 (UTC)[返信]
    • 蟻蜂蚣さまこんばんわ。papamaruchan22ともうします。いつも軍事関係の確実なる記事興味を持って拝見いたしております。、さて、ご存知のように紫電(N1K1-J)は水上戦闘機の強風を陸上機化したもので、紫電11型と呼称しました。この水上戦闘機から発展した為、中翼形式で脚が長くなってりして若干の欠点があったのを低翼化したのが紫電21型(N1K2-J)ですよね。海軍制式名称は、あくまで紫電21型ですので正式名称を項目名とするというウイキペディアの名前の付け方から言えば「紫電」でもいいかとも思いますが、何ゆえ先人は「紫電改」を項目名にしたのかを考えてみますと、(これは私の意見のおさらいの為にも述べているのでくどくなるのをお許しください。)以前分割のノートでも言いましたが単に「紫電改のほうは紫電より有名」というだけではなく紫電と紫電改は、内外航空関係の図書[1]でも同じくくりてかいてあることが多くそこでの表題も紫電改なんですよね、従いましてそれが妥当としたのかと思われますし私もそれでいいと強く感じております。ウィキペディアの名前の付け方は、日本語の大多数の読者にとって判りやすいのが一番なんです、それで紫電とか紫電21型よりも「紫電改」がいいでしょう。次にリダイレクトしやすさ、その次の順位として正式名称となります。そんなこんなでウィキペディアの名前の付け方の一番最初の条件であげられている日本語の読者に一番判りやすい名称であるという事を適用して、先達は制式名称でなく一番活躍した最終型の紫電改の項目名を採用したとおもいます、これはごく自然の流れだと思うのです。だから人口に膾炙した名前と以前言ったりしております。完成型が紫電21=紫電改なのですから。要は紫電と紫電改の二つの記事を作るには内容的に両タイプ機は不離不測の関係にあり、一緒に記述しておくことで開発の流れもよくわかりますので多数の書籍でも同一箇所に記述していると存じます、今後の日本機研究のご参考に成れば幸甚です。
    • 追伸--それから、『紫電二一型』とか○○型を包含した項目名は旧日本機の命名基準に鑑み一位は発動機の改修を示し十位は機体の改修を表しさらに細部の改修の場合は甲乙丙と発展することから型を含めた項目名とするには増大複雑になり不適切であると存じます。
    • ^  ①「日本軍用機の全貌」109頁、航空情報編集局編㈱酣燈社1953年刊。 ②「日本軍用機三面図集」148頁、荻原四郎著㈱鳳文書林1962年刊。 ③「第2次大戦戦闘機」日本語版125頁、ケネス・マンソン著、野沢正監修㈱鶴書房1970年刊
    • 蛇足ながら強風 (航空機)については十分な記事が建てられておりますのでそちらもご参照くださいpapamaruchan22 2010年5月12日 (水) 15:14 (UTC)[返信]

      • (便乗する形ですが、蛇足ということで…)「強風」について独立記事が既に存在していることに気付かず(忘れて)コメントしていました。お恥ずかしい限りです、はい。--ButuCC+Mtp 2010年5月12日 (水) 16:24 (UTC)[返信]

      坂井三郎氏の紫電改の評価について[編集]

      坂井氏の紫電改評は、かなり私情が含まれています。最近の「祖父たちの零戦」や渡辺洋二著「決戦の蒼空へ」に収められている「「J改」指揮官の個性」や「源田の剣」、丸別冊「最強戦闘機 紫電改」、世界の傑作機No124「強風 紫電 紫電改」を読んでみて、今一度投稿内容を検討してみて下さい。

      どうのような事情があるにせよ、出典を伴うものは、検証可能性を満たしています。--sabuell 2011年3月11日 (金) 16:40 (UTC)[返信]

       それでも、坂井氏の紫電改評というのは「坊主憎けりゃ袈裟まで」というもので、坂井氏の晩年の著作を読まれたのなら源田實に強い反感を抱いていたのはご存知かと思います。源田自身は、それだけの人物でしたが、その源田への反感が紫電改や三四三空への評価にもつながっています。それに三四三空時代の氏自身にも問題があったようで、それは「祖父たちの零戦」を読んで頂ければ分かって頂けると思います。  また紫電改だけでなく、零戦の評価に対しても21型を最良と評するなど、坂井氏の意見は多くの他の搭乗員の意見と甚だしく乖離しています。坂井氏が優れた搭乗員であったのは間違いないことですが、ガダルカナル戦の初日に負傷してからは、硫黄島上空での空戦などに参加したもののそれ以降の実戦経験は少ないです。その間に戦術と機材は大きく変化しました。例えば32型以降の改良もほとんどの搭乗員が歓迎していたのに、坂井氏が21型を最良というのが正しいとは考えにくいのです。同様に、紫電改で実戦を経験しておらず、その証言も、実戦を経験した搭乗員の方々の意見と大いに食い違うとなれば、ここで坂井氏の意見を紹介するのは適当ではないと思います。  自動空戦フラップについても、明らかに紫電までの話しで世界の傑作機No124「強風 紫電 紫電改」などを読んで頂ければ紫電改では(機械なので、どんなものでもまったく故障が無いとは絶対いえませんが)、かなり改善されて正常に作動するようになっていたことが分かると思います。また当時の日米の搭乗員も自動空戦フラップの有効性を認めています。  航続距離の問題にしても、本来局地戦闘機なのに、それでもF6F並にあったのですから、必要十分にはあったと思います。 Sabuellさんが言うように「どうのような(ママ)事情があるにせよ、出典を伴うものは、検証可能性を満たしています」し、もっともなことですが、それならば こぐさん も投稿前に、最低限最近の「祖父たちの零戦」や渡辺洋二著「決戦の蒼空へ」に収められている「「J改」指揮官の個性」や「源田の剣」、丸別冊「最強戦闘機 紫電改」、世界の傑作機No124「強風 紫電 紫電改」などを読んで検証してから投稿すべきと思います。--武者 2011年3月12日 (土) 10:25 (UTC)[返信]

      事情の説明ありがとうございます。また、署名をしていただきまして、他の閲覧者にとって議論が見やすくなったことでしょう。重ねて御礼申し上げます。
      本題ですが、ウィキペディアには、WP:NPOVというものがあります。坂井三郎の"意見"が、多くの他の搭乗員の"意見"と甚だしく乖離していたとしても、検証可能性を満たした坂井三郎の"意見"なのであれば、そういう"意見"が"事実"として存在したとして多くの他の搭乗員の"意見"と一緒に併記するべきです。WP:NPOVをお読みいただいて、しっかりご理解していただくには、時間も労力もいることでしょう。当方はRVのような編集は控えますので、ゆっくり考えてみてください。--sabuell 2011年3月12日 (土) 18:53 (UTC)[返信]

      Sabuell様、ありがとうございます。最初の書き込みでは署名を忘れまして申し訳ございませんでした。「祖父たちの零戦」の著者 神立尚紀氏のブログ に、ちょうど最近「坂井三郎さんとの対話 03月01日」という記事がありました。参考までに記しておきます。「祖父たちの零戦」と合わせて読んで頂ければと思います。 --武者 2011年3月13日 (日) 01:42 (UTC)[返信]

      坂井三郎の紫電改に対する意見が、多くの紫電改搭乗者の評価と乖離している事は知っています。しかし坂井の紫電改に対する意見が正しいか否かをウィキペディアの編集者が勝手に書いてしまえば、それは『独自研究』にあたります。坂井の意見は意見として紹介し、その上で坂井の見解を否定する出典と脚注を付記するのが一番適当な方法ではありませんか? また、紫電改に対する評価を坂井の意見の後に追記していく方法もあります。「また当時の日米の搭乗員も自動空戦フラップの有効性を認めています。」に対し、搭乗員の具体的な証言と、出典と脚注をつけるのがウィキペディアではありませんか? --こぐ 2011年3月16日 (水) 12:12 (UTC)[返信]

      坂井三郎は部下から嫌われていたことやねずみ講をしていたことで孤立し、逆恨みで部下が乗っていた紫電改や尊敬していた源田司令や杉田少尉などの悪口を言っていますが、間違いが多く、嘘も多い人なので信頼性が乏しいと思います。--Ascotit会話2019年2月27日 (水) 07:12 (UTC)[返信]

      改名提案(再)[編集]

      先の改名提案に於いては、

      • 紫電一一型についての記述は限定的でありオマケ程度に過ぎないこと。
      • 「紫電」よりも「紫電改」の方が知名度が高いと思われること。

      以上の2点から却下となったと推察します。 しかし該当提案から8年近くが経過しまして、紫電一一型に関する記述も増加し、「紫電改の開発」項にまぎれている情報も含めればほぼ同等といえるまでとなったと考えます。そしてその状況において、紫電二一型のみを指す「紫電改」を項目名として用いるのは問題があると考えます。したがって、本記事を紫電 (航空機)に移動し紫電改はリダイレクトとすることを提案します。なお移動に際しましては、「紫電」としての記事にそぐわない記述の修正も同時に行われるものとします。--とろろ猫会話2018年4月9日 (月) 08:54 (UTC)[返信]

      先の改名提案でpapamaruchan22さんが「日本語の大多数の読者にとって判りやすいのが一番」「紫電と紫電改は、内外航空関係の図書でも同じくくりてかいてあることが多い」「紫電と紫電改の二つの記事を作るには内容的に両タイプ機は不離不測の関係にあり、一緒に記述しておくことで開発の流れもよくわかりますので多数の書籍でも同一箇所に記述している」(2010年5月12日 (水) 15:14 (UTC))とコメントされており、私もpapamaruchan22さんのご意見に賛成ですので、改名の必要はないと考えます。--ぽん吉会話2018年4月18日 (水) 08:31 (UTC)[返信]
      まだまだ紫電改の方が紫電よりも知名度が高いと思います。知名度と出典と特筆性が有るのでしたら、紫電改とは別に紫電あるいは紫電 (戦闘機)を新規立項する手も有るかと思いました。--ootahara会話2018年4月24日 (火) 09:17 (UTC)[返信]