ノート:狂言

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11月18日、京都観世会館で催された京都府古典芸能振興公演、忠三郎狂言会で、最終演目『靭猿』で大名を演じていた茂山忠三郎氏が体調不良となり、救急車で搬送されました。容態が心配です。

記事内容について[編集]

1.「流派」項目内の茂山千五郎家についての記述が長すぎるように感じます。項目として分離した方がいいのではないでしょうか? 124.102.31.70Osaka18

分割提案をされては?--Peachkiller 2008年4月19日 (土) 16:25 (UTC)[返信]

「舞狂言」はどこに書けばよいのでしょうか[編集]

先日,井上ひさしの「ムサシ」を見ました。その中で「蛸」というのをしていました。 お能のパロディーで,蛸の亡霊が出てきて昔話をした後,舞うという作品です。 てっきり,井上ひさしが作ったと思ったのですが,実は古典狂言だそうです。 夢幻能の形式を踏んだ「舞狂言」と呼ばれるもので, 他に「楽阿弥」「通円」などの作品があるとのことです。Yahoo!辞書 そこで,狂言のどこかに書こうと思うのですがどこに書くとよいでしょうか。Suzukitaro 2009年5月4日 (月) 07:02 (UTC)[返信]

明治以降の鷺流についての記述が矛盾しているように思います。[編集]

  1. .「参加組は歌舞伎役者に家芸を伝えたと謗られてその後も能楽界への復帰が許されなかった」
  2. .「最後の鷺流狂言師となった鷺畔翁が晩年に鷺流宗家を自称していたものの、大正11年(1922年)の彼の死去をもって鷺流は能楽協会に所属する流派としては廃絶するに至った」
  3. .「鷺畔翁をはじめ能楽界を追放された鷺流狂言師たちは歌舞伎界に接近し」

とあります。 1.と3.からは鷺畔翁も歌舞伎界に接近して能楽界を追放されたと読め、一方1.と2.からは鷺畔翁は死去迄能楽協会に所属していた(つまり能楽界を追放されなかった)と読めます。これは矛盾だと思います。どちらが正しいのでしょうか。--153.162.231.139 2019年5月12日 (日) 15:08 (UTC)[返信]