ノート:東日流外三郡誌/過去ログ1

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–生み出された背景と社会的影響の項に強く疑問を感じるのですが、これは定説として確立されているものなのですか?--210.170.209.214 2006年7月13日 (木) 12:17 (UTC)

ご指摘の箇所はエッセーもしくは感想文・自説の類と強く推定されましたので、コメントアウトしておきました。--shimoxx 2006年7月13日 (木) 14:41 (UTC)


建物から発見された「液体」は、確かに怪しさ満点ですが、偽作された古文書との関連は、厳密には検証を受けていないはずです。和田家文書を偽書とする私から見ても、この液体を「偽書の証拠」と言い切ってしまうことには若干の抵抗を感じます。世間ではすでに偽書の証拠として定着しつつあるようですが、ここははっきりとしておくべきではないでしょうか。

それから、2008年に発刊の「寛政原本」は、オンデマンド出版で5000円(税別)です。--119.245.35.235 2009年8月23日 (日) 07:22 (UTC)


一回目の移動

なにもここに書かずに移動するのは乱暴ではないでしょうか。 --ねこぱんだ 2010年3月24日 (水) 04:37 (UTC)

一旦戻しました。日野智貴さんにおかれましては、ご自分が提案した改名について、何ら説明されないままの移動強行はおやめ頂きたいと思います。--ろう(Law soma) D C 2010年3月24日 (水) 04:56 (UTC)

すみません。今回の移動ではいろいろと問題が起きたようなので、早目に解決します。--日野智貴 2010年3月25日 (木) 01:22 (UTC)



現在、”東日流諸郡誌偽書事件”で検索するとヒットするのは2ちゃんねるの1すれのみ。しかもウィキペディアのこの項目の改名(移動)を非難するコメントによるものです。 事実問題として「東日流諸郡誌偽書事件」は今のところ、一般に認知しえない日野様の造語といっていいでしょう。 すみやかに元の表題にもどすか、一般に通用する「東日流外三郡誌偽作事件」といったタイトルに変更することを提案します。 また、和田家文書で荒覇吐族と敵対したとされるのは九州王朝ではなくあくまで大和朝廷です(熊襲や筑紫の磐井などはむしろ荒覇吐族の友好勢力として登場しています)。 この点についても事実に即して訂正することを提案する次第です。原田実 2010年3月29日 13:31

どうも、先の「合意なき改名」への反対意見が多いようですので(私も反対まではしませんが不適切だと考えております)一旦元の名前に戻します。十分に議論をしてください。--ろう(Law soma) D C 2010年3月30日 (火) 05:24 (UTC)

現在、真書派として名があげられている人物はいずれも古文書学、書誌学の専門家ではありませんし、彼らの専攻はばらばらであり一からげに「専門家」としてとりあげる意味はありません。 また、笠谷氏も鑑定書と言われるものに署名したとされているだけで、真書説を自ら論文で積極的に主張したわけではありません。真書派として具体的に行動している人を上げるなら、笠谷氏よりも飛鳥昭雄氏、佐治芳彦氏、高橋良典氏らの方を優先すべきでしょう。なお、日野氏より『市民の古代』第12集の『蝦夷国と九州王朝』をどう扱うかとのメッセージをいただきましたが、『東日流外三郡誌』は倭の五王=津軽安東将軍説をとっているくらいで、そもそも九州王朝説と矛盾する内容になっています。文献の内容に言及する場合は古田武彦説に基づく解釈よりも文献自体の主張を優先させるべきでしょう。        原田 実3月30日15:10

追伸 日野智貴様  メッセージに書かれた「東日流諸郡誌偽書事件」は原田実が起こしたというのはどういう意味でしょうか。偽作を行ったのは和田喜八郎氏であって私ではないというのは自明かと思われますが。 原田 実 3月30日15:21

現在改名提案がなされている「和田家文書 (石塔山)」についてですが、広く通用している言葉とは思われません。検索する場合の簡便性からいっても「東日流外三郡誌」以上に適切な表題はないものと思います。 原田 実 3月30日15:40

佐治芳彦氏を「古史古伝」の第一人者として紹介したメディアもありますし、飛鳥昭雄氏も超古代史関係では、いくつもの著作を有しています。専攻が異なる西村氏や北村氏を同等に「専門家」扱いするような緩い基準ならば彼らを含めてもおかしくはありません(というよりアカデミックな場所以外での方が支持されている文献については「専門家優先」という基準そのものが無意味かと思われます)。また、積極的に発言しているということでは竹田侑子氏の『北奥文化』における活動も無視できませんので真書派として紹介いたしました。 原田 実3月30日17:13

連投失礼します。 『蝦夷国と九州王朝』は斎藤隆一さんの論考ですね。斎藤さんが「東日流誌」などの総称を用いていることは承知しています。しかし、ウィキペディアの表題の場合、検索で来る人のために一般によく知られた呼称を用い、個々の問題には本文で対応するというのが利用者の便宜に則した方法だと思われる次第です。     原田 実

すみません、可読性をそこないますので、ルールにそった署名をお願いします。半角ハイフンふたつと、半角波線4つでできますので。あと、付加した署名記事を除去しないでください。 --ねこぱんだ 2010年3月30日 (火) 13:27 (UTC)


編集への参加には慣れていないもので失礼しました。ところで署名記事を削除した覚えはないのですがどこの個所についてのものなのでしょうか。ご教示いただければありがたく存じます。 --原田実 2010年3月30日 (火)


報告

先ほど原田氏の投稿記録を確認したところ、署名記事を削除したところはありませんでした。ただ、先日3時10分の投稿を指しているのかもしれません。それについてはウィキペディア日本語版で認められている行為なので気にしなくていいです。

本題

それでは本題に入ります。ここでいう専門家とは大学に職がある人をさします。このことについては他の投稿者に意見も聞いて議論しましょう。--日野智貴 2010年3月31日 (水) 05:57 (UTC)

追伸

ノートなので問題はありませんが、論文名は「」内に書くのが決まりです。なお、東日流六郡誌には磐井を卑弥呼の子孫としています。九州王朝説では九州王朝の裏付けとなっていますがどうでしょうか。--日野智貴 2010年3月31日 (水) 06:05 (UTC)

日野智貴様 手元の『広辞苑』第4版によると「専門家」とは「或る学問分野や事柄などを専門に研究・担当し、それに精通している人」とあります。専門家を「大学に職がある人」と定義するのは一般に通用しないだけでなく、在野の研究者に対する侮辱です。 (近世のものとされる)歴史的文献の真贋ということでいえば、北村氏は明らかに専門外ですし、教育学専攻の西村氏にしろ、主な業績は中世思想史・古代史であげている古田先生にしろ、専門家とはいえません。専門家優先ということであれば、むしろこの3人を外すべきでしょう。 和田家文書を超古代史・古史古伝の領域のものというなら、専門家といえるのはむしろ佐治氏、飛鳥氏、佐治氏、高橋氏だということになります。専門家優先ということなら、こちらの方を筆頭にあげるべきです。むろんこれは極論なのですが、現在の和田家文書受容状況を問題にするなら、ことさら大学関係者を優先するのはあまり意味はないでしょう。 なお、六郡誌では卑弥呼は荒覇吐王の友好勢力扱いです。だから磐井に関する新設定が加わっても九州王朝と津軽が敵対したという話にはなっていないのです。 --原田実 2010年3月31日 (水)

わかりました。ただ、ムーの漫画家と大学教授を混合すると事情を知らない人に誤解を招くのでもう少し他の人の意見も聞こうと思います。なお、九州王朝との関連については原田氏の会話ページにも書いたのでご参照ください。--日野智貴 2010年3月31日 (水) 06:48 (UTC)

和田家文書の現在の受容状況において支持者を肩書で分別することにあまり意味があるとは思えませんし、個々人の業績についてはウィキペディア内でのリンクや検索機能で確かめられるので混乱が起きるとも考えにくいのですが、他の人の意見をうかがうことには賛成です。ウィキペディアらしく利用者の総意が反映されればなによりです。--原田実 2010年3月31日 (水)

「真書派」について、現時点でウィキペディア内に項目がある人物を優先し、その後は言及ページが多い人物がなるべく前にくるように並べ変えました。これで肩書や縁故によることなく、それぞれの人物の実績や影響力について明確な整理ができたものと思う次第です。ちなみに「西村俊一」についてウィキペディア内の項目は同姓同名の別人に関するものであり、真書派の一人としての西村氏については「東日流外三郡誌」「古田武彦」の2項目で言及されるのみですので、それに見合った位置に移動しました。-原田実 2010年4月9日 (金) 11:57 (UTC)


#改名についてのぎろんがありませんが、合意が形成されたのでしょうか。--日野智貴 2010年3月31日 (水) 07:00 (UTC)

改名について

すこし行き過ぎた表現があったのでお詫びします。「『蝦夷国と九州王朝』は斎藤隆一さんの論考ですね。斎藤さんが「東日流誌」などの総称を用いていることは承知しています。しかし、ウィキペディアの表題の場合、検索で来る人のために一般によく知られた呼称を用い、個々の問題には本文で対応するというのが利用者の便宜に則した方法だと思われる」確かにそうです。ただし、則天武后と武則天の例があるので議論の余地はあると思います。--日野智貴 2010年3月31日 (水) 04:48 (UTC)

提案

1現行の内容は移動 2リダイクレトページだとご指摘された問題が起こる恐れがあるため、あらたに東日流外三郡誌のページを作る 3それは「総称」ではなく外三郡誌(全500巻)のみの項目とする。

賛成か反対か留意か、賛否両論の投稿をお願いします。--日野智貴 2010年3月31日 (水) 12:06 (UTC)

反対がなければ合意が形成されたとして4月5日に提案通りの処置をします。--日野智貴 2010年4月1日 (木) 00:52 (UTC)


「指摘された問題」とは何を意味するのでしょうか。『東日流外三郡誌』という語に教義の用法と広義の用法があるということはすでに本文で説明されているわけですし、別に教義の用方について説明すべき店があるようにも思われません(資料状況については現状で言いつくされているでしょう)。一般に通用しているのは広義の用法ですし、別に教義についての項目を建てたところで検索手続きが煩瑣化するだけで利用者には不便になるだけです。また、意見が出ないということは提案そのものが黙殺されているわけであって、賛同者多数を意味しないものと思われますが。 --原田実 2010年4月1日 

日野智貴様 私の利用者ページでの会話で、古田先生が狭義の東日流外三郡誌以外の和田家文書から国記天皇記について発見したことを明記すべきだということを解明理由として挙げておられますが、貴方はそのことをすでに「国記」の項目で書きこんでおられますね。ならば「国記」の方でくわしく説明したうえでこの項目にリンクさせればいいだけのことではないでしょうか。 --原田実 2010年4月1日

念のため述べるなら、実のところ、『東日流六郡誌』『丑寅日本記』などと称してみても、全体のストーリーや用語は『東日流外三郡誌』と共通ですし、重複する話も多いのです(このことは後で本文でも補完いたしたく存じます)。だからこそ、『東日流外三郡誌』をもって和田家文書を代表させる用法が定着しているわけですし、和田家文書と『東日流外三郡誌』の関係はすでに本文で述べられているわけですから、これから、わざわざ「和田家文書」と「東日流外三郡誌」をわけて項目を立てる必要があるとは思えません。 --原田実 2010年4月2日

大は小を兼ねます。別記の項目を立てるのは、ウィキペディアでは珍しくありません。また、本文の説明の多くは原田氏によるもので、広義の用法とは古史古伝に無知な人のために便座上言われているものです。実際には、広義の用法はなく、(東日流六郡誌が出版された後は、和田氏が誤解を防ぐため東日流諸郡誌を造語した)作者の意思を重んじるべきです。現在の定説では、和田氏が偽作したことになっており、また信書派のほうでも総省は三春ハン氏の副本となっています。さらに裁判でも「『東日流外三郡誌』その他の和田家文書」となっているため、総称としては和田家文書のほうが正確です。

また、「一般に通用しているのは広義の用法」というのも誤解です。一般の人は六郡誌の存在も知りません。原田氏自身も和田家文書と呼んでいるなど、正確には和田家文書とするべきだと思います。--日野智貴 2010年4月2日 (金) 03:43 (UTC)

追記

提案部は原田氏のページに書きこんだことの写しです。指摘された問題ーー「雑誌の見出しや単行本のタイトルにもよく使われていた(一般の人にも目にする機会があった)呼称を優先させなければ、知識を得たい人がたどりつくことさえできない、という危険さえおこりうる」--日野智貴 2010年4月2日 (金) 03:48 (UTC)

「一般の人は六郡誌の存在も知りません」という状況だからこそ、だからこそ一般の人にもわかる形で表題は提示されるべきだと思われますが。現在、『東日流外三郡誌』を表題・副題に掲げた書籍で古書市場も含め流通しているのはアマゾン和書検索で34冊、そのうち、19冊が市浦村・北方新社・八幡書店を版元とする狭義の『『東日流外三郡誌』テキスト、残り15冊は『東日流外三郡誌』の表題で和田家文書全般の問題を扱っています。 それに対して和田家文書を表題・副題にかかげる書籍は皆無です。雑誌の記事名などにしても、関連報道の見出しでは和田家文書全般の問題を扱う場合でも、ほとんどが『東日流外三郡誌』の名を掲げていました。 何にしても項目名の事実上の変更は利用者にとって重大な問題であり、一人の提案で決めていい問題ではありません。 の人の積極的な賛意が集まらないなら現状維持を通すというのが常識的な考え方ではないかと思います。 --原田実 2010年4月2日

ところで日野様が最終期限を4月5日に定めたのはどういう理由でしょうか。あまりにも性急かと思われますが。 --原田実 2010年4月2日

現在、グーグルで「東日流外三郡誌」を検索してもこの項目がヒットしなくなっています。 つまりむやみな改名は利用者の便を阻害するということが証明されたわけです。 この状況が改善しないうちにむやみな改名を繰り返すべきではありません。 --原田実 2010年4月3日


日野さん >反対がなければ合意が形成されたとして4月5日に提案通りの処置をします。

合意の形成どころか、議論も始まっていません。始まらないのは、読者に対して日野さんの改名動議の真意が伝わっていないからです。利用者ページにもいろいろと書かれているようですが、この東日流外三郡誌のノートページで動議の理由を整理して、あらためてきちんと提示していただけませんか。言うまでもありませんが、「合意の形成」は真摯な議論無くしては成り立ちません。現時点では、わたしは原田実さんのご意見を支持します。--124.154.93.70 2010年4月3日 (土) 04:41 (UTC)

正直いって、日野さんの記述には、誤変換とおぼしきものが放置されていて、読みづらいです。原田さんも、できればタイムスタンプでの署名にしてほしいと思います。

それで、上記のIPユーザーの方のご意見どおり、もう一度論点を整理してください。日野さんは、偽書がたくさんあるから、上位概念の〈和田家文書〉にしたいということですね。原田さんは、〈東日流外三郡誌〉が人口に膾炙しているから、現状でいいということですね。この整理でいいですか。 --ねこぱんだ 2010年4月4日 (日) 11:02 (UTC)

ねこぱんだ様 その通りです。 検索でこの項目にたどりつくであろう人の利便性を考慮すればその方がいいかと思う次第です。―原田実 2010年4月4日 (日) 22:19 (UTC)

整理についてはそのとおりです。(ただ、誤解してほしくないのは私はこの項目をリダイクトにするのではなく、別に新しいページを作るということです)期限を4月5日にしたのは議論からい週間たったためです。

現在、和田家文書という正しい名前を知らない人が多いのが現状です。インターネットでは信頼されているウィキペディアでは正確な説明をしなくてはなりません。八百事典と百科事典の区別がつかない人(MetaNest)もいるようですが、そのようなことは禁止されています。--日野智貴 2010年4月5日 (月) 01:02 (UTC)

中傷はやめてください。人がいることが禁止されてるんですか? まともな日本語でお願いします。
正しい名前が「和田家文書」ならば「和田家文書」でいいのではないですか? なぜ「東日流諸郡誌偽書事件」のようなよくわからない名前にしようとするのか理解に苦しみます。なお、八幡書店より「東日流外三郡誌」というタイトルで東日流外三郡誌は全巻本が出ており、また、「和田家文書」を代表するタイトルであり、本項目の項目名としてなんら問題ないものと思います。
斉藤光政さんの本のタイトルが『偽書「東日流外三郡誌」事件』だから、ずばりのその名前がウィキペディアで使われるのが嫌、という個人的なわがまま、と邪推するぐらいしか、正直、あなたの動機がわかりませんね。
もう一度言います。ウィキペディアのルールでは、誰でも検証可能であるように、どういう文献の何号何頁に誰の文で「東日流諸郡誌偽書事件」という文言があるのかを、示す必要があるのは日野さんの側です。あなたに、私に対して、本も読まずに何を言うか、と非難する資格は、どこにもありません。それが、あなたの大好きな「八百事典と百科事典の区別」ですよ。--MetaNest 2010年4月5日 (月) 04:38 (UTC)
ここは和田家文書に関する項目なので控えてください。--俀国 2010年4月28日 (水) 07:33 (UTC)

日野様、署名を間違えていますよ。-原田実 2010年4月28日 (水) 08:18 (UTC)

元密にいえば、「和田家文書」も「正しい名前」ではなく便宜上つけられた通称(初出は和田喜八郎生前に出た歴読別冊『「古史古伝」論争』)です。 実際には和田家に古くから代々伝わっていたわけではなく喜八郎が一代で書きあげたものですから誤解を与える呼称だとの見方もできます (喜八郎逝去後、一時、喜八郎の長男の手元にあった時期がありますから二代に限れば和田家に伝わったという言い方も可能には違いないのですが)。 「正しい名前」を求めようとすれば議論が煩瑣化するだけでますます利便性を失うことになるのがオチです。―原田実 2010年4月5日 (月) 05:06 (UTC)

追記です。 日野様のコメントより―「私はこの項目をリダイクトにするのではなく、別に新しいページを作るということです」 ・・・ならばすでに「和田家文書」の項目がすでにある以上、こちらを改名する必要はありませんね。 同じく―「現在、和田家文書という正しい名前を知らない人が多いのが現状です」 ・・・比較的、よく知られている名詞がタイトルになっている項目をわざわざ知らない人が多い名前にするのはウィキペディアでのその項目を利用者から遠ざけるだけです。 ―原田実 2010年4月5日 (月) 05:54 (UTC)

◆若干関わっておりましたので私も意見を述べますが、基本的に日野さんの提案でも、それがどこかでオーソライズされた名称であるならば反対まではしません。ただしその場合には、当然のことながら、原田さんが懸念を示しておられるようにインターネット検索で記事にたどり着く人のための利便性にも配慮する必要があります。通称としての総称である(広義の)「東日流外三郡誌」冒頭で「広義の意味合いは和田家文書へ、狭義はここ」というような道案内を示す必要があるということです。その辺の配慮は日野さんは如何お考えなのか伺いたいと思います。--ろう(Law soma) D C 2010年4月5日 (月) 08:16 (UTC)


失礼しました。訂正です。歴読別冊『「古史古伝」論争』以前に『季刊邪馬台国』52号(1993年10月)で藤野七穂氏が「和田家文書」という語を使っているのを見つけました。歴読別冊はこの藤野氏の用語を採用したものですね。 現在、ウィキペディアには「和田家文書」の項目があるにも関わらずグーグル検索でトップに出ることはありません。それが現状でのこの用語の認知度を物語っているといえます。 ―原田実 2010年4月5日 (月) 11:14 (UTC)

ろう氏に対し、説明不足であったので補足します。

まず、「「東日流外三郡誌」冒頭で「広義の意味合いは和田家文書へ、狭義はここ」というような道案内を示す必要がある」この点については編集のマナーとして考慮しています。ページの分割が私の案です。

原田氏に対して。「ウィキペディアには「和田家文書」の項目があるにも関わらずグーグル検索でトップに出ることはありません。」検索では「あいまいさ回避」「リダイレクト」はトップに出ません。なので、新しいページを作る必要があるのです。

MetaNest氏はアンサイクロペディアどころか2チャンネルでも認められないことをいっている。1他人の会話ページで匿名2自分の会話ページでさえも返事をしない3ウィキペディアで「出典はページ数もしるせ」と明記した決まりはない4私の書き込みも見ずに詭弁を並べる。これらはウィキペディアで禁止されている行為、および道徳的に好ましくない行為である。--日野智貴 2010年4月7日 (水) 01:23 (UTC)

追記

MetaNest氏の「雑誌名だけでは「出典」になりません(Wikipedia:出典を明記するを参照)。また、古田武彦氏の支持者による雑誌で、「偽書事件」と明言したとはとても信じられませんが。」に対する署名はいつでしょうか。だいたい「八幡書店より「東日流外三郡誌」というタイトルで東日流外三郡誌は全巻本が出ており」無知がばればれです。「人がいることが禁止されてるんですか?」こういうややこしい論争に嘘を垂れ流しにする人が来るのは、歓迎されません。「提案」をよく読みなさい。--日野智貴 2010年4月7日 (水) 01:33 (UTC)

日野さん、ご回答ありがとうございます。なお、下で原田さんも書かれておりますが、利用者の利便性に特段の問題がなく、どちらがより適切な名称かの判断がつきにくい場合には現状のままでいくというのも一つの考えですので、改名しなければならない理由をもう少し明確にして頂ければ宜しいと思います。--ろう(Law soma) D C 2010年4月7日 (水) 04:43 (UTC)

なるほど、ではこの項目内に狭義での「東日流外三郡誌」について説明する小見出しを建てればいいだけの話ですね。わざわざ分割までする必要はない。よろしければ私が立てましょうか。―原田実 2010年4月7日 (水) 01:42 (UTC)

追記、現在、「和田家文書」で検索するとトップにこの項目が出ます。「和田家文書」の呼称については、その本文で説明されているわけで、つまり利用者からすれば、わざわざ「和田家文書」という曖昧さ回避まで必要な語での項目を立てるよりも現状の方が便利ということですね。―原田実 2010年4月7日 (水) 02:37 (UTC)

管理人や研究者に言うのは釈迦に説法になるのはあきらかですが、IPユーザーの利用者もいるので、「改名しなければならない理由」を簡単に説明します。

まず、百科事典では事実を無視した欲称も一般に使われない専門用語も好ましくありません。東日流三郡誌の項目は間違いではありませんが、「わざわざ分割までする必要」があるほど内容が不正確です。ここは一から作り直すべきである、というのが私の提案です。なお、「「和田家文書」の呼称については、その本文で説明されている」これは一時的な妥協案(おそらく原田氏のもの)で、より適切なものが見つかると廃案にするのが筋です。--日野智貴 2010年4月10日 (土) 02:23 (UTC)

和田喜八郎による偽書の総称に関する使用状況を本文で整理しました。この議論の参考になれば幸いです。-原田実 2010年4月10日 (土) 03:30 (UTC)

「一般に使われない専門用語も好ましくありません」これはその通りです。「東日流諸郡誌」のように現在では誰も使わない語や「和田家文書」のように事情をある程度知っている関係者しか使わない語は項目名にふさわしくありません。-原田実 2010年4月10日 (土) 03:59 (UTC)

何度も言うように「広義の東日流外三郡誌」というのは正確な用法でなく、それどころか私の改名提案による議論で便座上つけられたものです。なので表現を改めます。(ウィキペディアで議論中のものを「確定した事実」として描くのはあまりふさわしくないからであって、この議論とはあまり関係はありませんが、「この議論の参考になれば幸いです」といわれている部分なのであえて記しました)--日野智貴 2010年4月12日 (月) 09:30 (UTC)

「真偽論争においては和田家文書と呼ぶ」というのは実際の論争史を無視した意見ですね。事実に合わせて訂正しておきます。-原田実 2010年4月12日 (月) 10:48 (UTC)

議論の最中に投票を始めるということ自体が乱暴すぎますが、とりあえず付き合いましょう。 それにすでに投票されたということは日野様としてはすでに議論を続けるつもりはない、 ということでしょうからそれだけ正常化も早まるわけですし。 で、投票期間はいつまでに設定されるおつもりですか―原田実 2010年4月12日 (月) 10:30 (UTC)


国語的に「和田家文書」等の呼称は、どの文書を指す場合でも常に曖昧さを伴う用法であると言えます。「東日流外三郡誌」についても人口に膾炙される呼称に至った経緯の潜在的理由としてこの要素は無視し得ません。上のほうで原田さんも検索結果などのデータを添えて発言されていますが、検索の利便性を損なう改名には反対です。 呼称については、真偽論争の過程において複数の論者が自説に基づき便宜的にネーミングしてきたものもあり、時流に乗って、あるいは支持不支持の主張により使用されなくなったものもあることを考えると、ある程度までの各論への踏み込みが不可欠となる恐れがあります。主義主張に基づいた改名が行われることは百科事典にふさわしいとは思われません。その端緒となる可能性を指摘しておきたいと思います。 また日野さんは「わざわざページ分割までする必要」があるほど内容が不正確であると主張しておられますが、その部分について、本文の編集ではなくノートにおいて簡潔に提議くださるようお願いします。 さらに投票期間の明示については私からも重ねて要求をいたします。--モラズ 2010年4月12日 (月) 13:58 (UTC)

まず「検索の利便性を損なう改名には反対」というような指摘はすでに原田氏からされていましたが、時間の都合で説明できませんでした。それでは今回の改名は検索に影響しないことを説明します。

まず、誤解してほしくないのは(モラズ氏は誤解しているようですが)私はリダイレクト(事実上の削除)や削除依頼をするわけではありません。ただ、今の項目は名前が不適切だと言っているのです。

それでは東日流外三郡誌の項目をどうするか、についてですが一から作り直すべきだと思います。「主義主張に基づいた改名が行われることは百科事典にふさわしいとは思われません」これについては誤解です。(後述)

では「「真偽論争においては和田家文書と呼ぶ」というのは実際の論争史を無視した意見ですね」という指摘ですが、裁判などで使用されており「真偽論争の過程において複数の論者が自説に基づき便宜的にネーミングしてきたもの」とはまた違います。

なお、「それにすでに投票されたということは日野様としてはすでに議論を続けるつもりはない、ということでしょうからそれだけ正常化も早まるわけですし」という発言は研究者にふさわしくないこと、また西和彦の例もあるように著名人ほど投稿ブロックの対象になりやすいことは忠告しておきます。--日野智貴 2010年4月14日 (水) 06:50 (UTC)

今回の改名は検索に影響しないことの説明は以上でよろしいでしょうか。
つまり日野さんの案では「東日流外三郡誌」で検索するユーザが飛ぶ先は新規に作るページになるわけですが、その一から作り直す内容が引き続きまったく説明されておらず(私は説明をお願いしておりましたが)、議論の俎上に上がっている状態ではありませんね。また、「今の項目は名前が不適当」と主張されておきながら、「東日流外三郡誌」の項目は残して一から作り直すという点においても、日野さんの着地点が不明です。目的を明確にしてください。
そもそも、この文書群について二つのページが作られることについては、利用者にとって煩瑣にすぎます。日野さんが一から作り直すというその妥当性を説明されない現状において、ページ分割ついても賛同できません。なお、私はリダイレクトを「事実上の削除」とは考えておりません。
さらに「和田家文書」は当文書群にのみに使用される呼称ではなく、他の文書および文書群を指し示す場合も多々あり、曖昧さを回避することができません。これは前述のとおりです。踏みこんで言えば、検索する際このような一般名詞的単語を使用することを避ける傾向があるでしょう。和田喜八郎の名を付加することによって差別化をはかるとしても、発見者とされる和田のフルネームを知らなければたどりつけないようなページ構造は、利用者にとって甚だ不親切と考えます。
また、裁判で使用される「和田家文書」という呼称については、他の種々存在する和田家文書と混同される恐れがない場において使用されるものであって、百科事典の項目として妥当であるとか、裁判所が普遍に耐える公的なネーミングを行ったなどと主張出来るものだとは思えません。
以上の点から私はページ分割および本ページの改名には反対します。--モラズ 2010年4月14日 (水) 10:23 (UTC)


本文で加筆された通り、論争や裁判において「東日流外三郡誌その他の和田家文書」という総称が用いられているとすれば、 その中でのメインが「東日流外三郡誌」であるのは自明ですし、「東日流外三郡誌」抜きでは「和田家文書」の方の意味が特定できないということをも示しています。 この議論は始まって以来、日野様があげられる事例や根拠はいずれも日野様が求める結論を否定するものにしかなっていませんね。-原田実 2010年4月15日 (木) 03:15 (UTC)

すみませんが私の編集に関する問題は会話ページでしてください。

「日野様があげられる事例や根拠はいずれも日野様が求める結論を否定するものにしかなっていませんね」私はページの移動は求めていません。移動は形式上で、かつて原田氏が言われた「わざわざ分割までする必要はない」というのも分割にこだわる必要がないのは事実です。しかし、反対者は分割に代わる案を提示・実行していない(要に私は思っていますが、誤解なら会話でした記してください)少なくとも明確な案はないので改名提案を主張しています。

「提曖昧さを回避することができません。これは前述のとおりです。」それは前述のとおりです。「裁判で使用される「和田家文書」という呼称については、他の種々存在する和田家文書と混同される恐れがない場において使用されるものであって、百科事典の項目として妥当であるとか、裁判所が普遍に耐える公的なネーミングを行ったなどと主張出来るものだとは思えません」については「メインが「東日流外三郡誌」であるのは自明ですし」といわれているので裏返せばメインが「東日流外三郡誌」であるのは自明の状態にすればよいのです。

「この文書群について二つのページが作られることについては、利用者にとって煩瑣にすぎます」「私はリダイレクトを「事実上の削除」とは考えておりません」どういう意味か、モラズ氏の考えすべてがわかるわけではありませんが、私は一文書と全文書の項目を別々に作るつもりで、同じ文書郡の項目を多く作るわけではありません。代替新しいページの作成まで否定するのはあまりよくない。--日野智貴 2010年4月17日 (土) 05:41 (UTC)誤字修正--日野智貴 2010年4月18日 (日) 07:23 (UTC)

つまり、すでに曖昧さ回避のための「和田家文書」の項目があり、さらにこの項目を見れば”メインが「東日流外三郡誌」であるのは自明の状態”なわけですから、現状のままにしておくのが賢明ということですね。-原田実 2010年4月17日 (土) 07:52 (UTC)


まず、利用者ページの編集に関する問題ならともかく、本文の編集に関する問題あるいは議論における誤解の解消には会話を多用されないよう、各位へお願いしたいと思います。
また、日野さんにおかれては、投稿の際に推敲をお願いします。
「一文書と全文書の項目を別々に作ること」は、利用者にとって煩瑣にすぎると、これも重ねて主張します。また、ウィキペディアの編集方針そのものに反する可能性があります。新規の記事を立ち上げるより、関連する既存の記事に加筆する方がよいかどうかを検討(Help:新規ページの作成)されましたか? たとえば和田家文書偽書事件の程度の情報量のページを作られるのであれば、再考いただく必要があると思います。
代替ページの作成まで否定する、とのことですが、「リネーム出来ない、じゃあ代替ページを作成しよう」という考え方自体がおかしいと思うのです。このページの記述内容が「わざわざページ分割までする必要」があるほど内容が不正確であるのなら、その箇所の指摘を本文の訂正ではなくノートにおいて指摘下さい、と、この要求はすでに3度目になります。また、曖昧さ回避が出来ないのでは、という疑義に対して「前述」では不十分です。さらに説明を加えてください。なお、私の前述がどこを指すのかお分かりにならないのであればそのようにご指摘ください。
加えて、曖昧さ回避や裁判所で便宜的につけられた呼称について触れられたセンテンスは、ちょっと意味が分かりません。特に「メインが「東日流外三郡誌」であるのは自明ですし」といわれているので裏返せばメインが「東日流外三郡誌」であるのは自明の状態にすればよいのです。の部分ですね。
申し上げておきますが、ウィキペディアは記事名とされることによってそれを通説とする、権威づけるなどの機能に供されるべきものでは決してありません。「記事名や記事内容をこうしておけば次第に自明な状態になるだろうからこうしましょう」というご意見があれば、その主張は断じて受け入れることはできません。Wikipedia:記事名の付け方を熟読下さい。--モラズ 2010年4月17日 (土) 08:29 (UTC)

誤字が多く、利用者の皆さんは議論が静らかったと思います。すみませんでした。「私の前述がどこを指すのかお分かりにならないのであればそのようにご指摘ください」わかりました。その通りです。「曖昧さ回避が出来ないのでは、という疑義に対して「前述」では不十分です」これについては私の編集ミスです。「Wikipedia:記事名の付け方を熟読下さい」また読んだ後詳しことについて触れますが、とりあえずまだ答えていないことに対して返答いたします。

「たとえば和田家文書偽書事件の程度の情報量のページを作られるのであれば、再考いただく必要があると思います」「新規の記事を立ち上げるより、関連する既存の記事に加筆する方がよいかどうかを検討(Help:新規ページの作成)されましたか」この二つについては検討済みです。

「現状のままにしておくのが賢明ということですね」これは誤解です。原田氏が何らかの案を提示しない限り、それは通用しません。--日野智貴 2010年4月18日 (日) 07:23 (UTC)

記事名は基本的には日本語での正式名称を使用します(ただし記事によっては#その他の慣例にあるように自動車関連の記事などに一部例外あり)。その際、名称が外国語のものは文字種に応じて#略号・記号・片仮名語ならびに#漢字を適切に使うことに従ってください。よく使われる略称、別名、別表記などは記事名に使うのではなく、正式な記事名へのリダイレクト(転送)ページにしましょう。詳しくはWikipedia:リダイレクトを参照してください。

×「日比谷高校」 → ○「東京都立日比谷高等学校」 ×「私立小松原高等学校」 → ○「小松原高等学校」 ×「北朝鮮」 → ○「朝鮮民主主義人民共和国」 ※国名に関しては慣例がある。後述。 ×「TBS」 → ○「TBSテレビ」日本の法人に関しては#団体名を参照のこと。 訳語やある事象に関する記事など、正式な名称がない場合は日本語での適切な名称を採用します。ただし、記事の投稿後に記事名について論争が起こった場合、ノートでの合意形成を行いましょう。」とあり、仮に改名の主張者が私一人だけでも一定の論理に基づいていればまともに検討すべきです。

別名や略表記で無いので転送の必要はありませんが、全体の文書という意味では正式名称ではないことは原田氏も認めており、正確さにためにはページの改革が必要なのです。解明にこだわる必要はありませんが、反対者からの提案がないのであればしかたないことです。--日野智貴 2010年4月18日 (日) 07:35 (UTC)

日野さんは、あくまで「正式名称」に拘っておいでのようですが、そもそも正規の精査・整理を一度も受けたことのない「東日流外三郡誌(和田家文書)」なのですから、学問的な「正式名称」は存在しないと言えるのではないでしょうか。そのように考えると、日野さんのおっしゃる「改名」は、むしろ『独自研究』とみなされる恐れさえあります。一方で「東日流外三郡誌」という語は、和田喜八郎のところから出現した古文書群を代表する存在としてすでに世間一般では認知されています。従って、検索の簡素化・正確性を考慮すれば、改名せずに「東日流外三郡誌」のままのほうが百科事典としての利便性を保障していると思います。このことは、すでにみなさんが「提案」しておられることなのですが、なぜ、「反対者からの提案がないのであればしかたないことです」などとおっしゃるのか、理解に苦しみます。--124.154.92.15 2010年4月18日 (日) 13:31 (UTC)


>「私の前述がどこを指すのかお分かりにならないのであればそのようにご指摘ください」わかりました。その通りです。

これについては、私が 2010年4月12日 (月) 13:58 (UTC) の投稿において、「国語的に『和田家文書』等の呼称は、どの文書を指す場合でも常に曖昧さを伴う用法であると言えます」以降に述べた部分と重複しますので前述としました。


>正確さにためにはページの改革が必要なのです。

現在、本文の「内容」の項において正確ではない旨触れられていると思います。大切なのは、当該文書群の初歩的な知識を得たい人に対して実は「東日流外三郡誌」という文書は、和田家から公表された文書群のたった一部にしかすぎないのだということを、まず理解してもらうことではありませんか? であれば、(正確さの許す範囲内において)間口を広くとり、正確な記事をたくさんの人に閲覧してもらうほうが有効であると考えます。


正式に「和田家文書」という名が与えられているのであれば、利便性より正確さを上位に置くべきと思いますが、そういう事実もない上に、日野さんの主張では「和田家文書」という記事名さえも一時的措置ということになりますよね。また、まったく違う呼称を提唱しておられる研究者もいらっしゃる現状では、客観的な妥当性(たとえば検索によるヒット数や書名に採用されている数の多さなどのデータ)以外の根拠を容れると、例えば「日高見文書」が何故排除されるのか、という疑問に対する答えを見失います。--モラズ 2010年4月18日 (日) 14:48 (UTC)

まず最初に言わなければならないのは大変身勝手ですが、私は数日前から「改名」は必ずしも必要ではない、と思い直しているということです。誤解を招かないためここで明記します。

さて、「例えば「日高見文書」が何故排除されるのか、という疑問に対する答え」に対する反論から。日高見文書というのは誰も使っておりません。一方で和田家文書は古田先生も斎藤記者も、わざわざ議論に参加している原田氏さえも使用している、あるいは使っていた言葉です。なので「これが一番妥当である」として提案しました。この項目を作成すること自体は悪くはありません。「日野さんのおっしゃる「改名」は、むしろ『独自研究』とみなされる恐れさえあります」大学教授が使っている言葉を解説して、独自研究と騒ぐ人は少なくとも管理人にはいません。

「おや、ウィキペディアのノートの方を見ると、現状維持というのも一つの提案だということさえ判っていない。・・・これはもう納得させること自体不可能か」原田氏はウィキペディア外でこんなことを言っているが、議論を放棄したのだろうか。ここは国語の問題である。何の開設もせず、議論さえせずに「広義の東日流外三郡誌は」はおかしい。私は利用者としての権利をもったいるのだから無視される必要はない。仮に私の言うことが論理のとおってない暴論ならブロック依頼を出したらいいことで、先ほどの発言はウィキペディア批判とさえ思われる。--日野智貴 2010年4月19日 (月) 09:31 (UTC)


改名の提案を取り下げるのであれば、このセクションでの発言をとりあえず終了してください。 しばらく待って異論がなければ、本文の改名議論のタグを外します。--モラズ 2010年4月20日 (火) 13:31 (UTC)

取り下げてはいません。ここでモラズ氏は再反論や新提案を一切する気がないことがわかります。--日野智貴 2010年4月24日 (土) 05:22 (UTC)


日野さん、主張をまとめてください。改名が必ずしも必要でなく、別の方法を考えておられるなら、

>まず最初に言わなければならないのは大変身勝手ですが、私は数日前から「改名」は必ずしも必要ではない、と思い直しているということです。誤解を招かないためここで明記します。

「改名について」のセクションはいったん終了してください。 新たに別提案があるのであれば、新たに適切なセクションを立てて議論を続けてください。適切なノートの使用をお願いします。--モラズ 2010年4月26日 (月) 03:54 (UTC)

「改名が必ずしも必要でなく、別の方法を考えておられる」というわけではなくて、「モラズ氏は再反論や新提案を一切する気がない」ので改名を提案しているのです。「まったく違う呼称を提唱しておられる研究者もいらっしゃる」そうでしょうか。原田氏のいう意味での専門家も、私のいう大学の文献史学者も、斎藤記者の新聞さえもが「和田家文書」です。たかが一素人の主張を大袈裟にとらえすぎです。--日野智貴 2010年4月26日 (月) 09:09 (UTC)


>「モラズ氏は再反論や新提案を一切する気がない」ので改名を提案しているのです。

ちょっとびっくりするというか、絶句しますよね。よく考えてから発言ください。 私は一貫して「東日流外三郡誌」を提案し続けています。


>たかが一素人の主張を大げさにとらえすぎです。

ダブルスタンダードです。呼称の使用者の多寡が改名の決め手であれば「和田家文書」より「東日流外三郡誌」になり、正確さが求められるなら「和田家文書」と「日高見文書」は同等です。「斎藤記者の新聞」が「たかが一素人」でないと誰が定義しますか? 故に私は現行のまま「東日流外三郡誌」とする意見を提案(支持)します。--モラズ 2010年4月27日 (火) 02:22 (UTC)

モラズ氏に聞きたい。

「「斎藤記者の新聞」が「たかが一素人」でないと誰が定義しますか?」

よくわかりませんが、「斎藤記者の主張が日高見文書ろんしゃより専門的だとなぜいえるのか」という文脈の話のようです。ならば和田家文書を使用している論者をあげましょう。

古田武彦(昭和薬科大学元教授)

安本美典(産能大学元教授)

西村俊一(国際教育大学教授)

和田喜八郎(本人)

ベティ・J・メガース

古賀達也

又便座上次の人も使ってます。

原田実(昭和訳か大学元助手)

斎藤光政(新聞記者)

これだけの人が使っており、また古史古伝にあまり関心のない私も使っているのです。「正確さが求められるなら「和田家文書」と「日高見文書」は同等です」というのはここまで来ると詭弁にしかなりません。このような「傍証論」で時間をつぶすべきではありません。はっきりとした証明をしてください。--日野智貴 2010年4月30日 (金) 05:41 (UTC)

まず、日本語の用法について議論したいなら日本語での論文・著書を書いていない人物は持ち出さないこと。また、和田喜八郎は「和田家文書」以外の総称も使っているわけであまり持ち出す意味はありません。それから,私は便座の上で文章を書いたりはしません(おそらく斉藤氏もそうでしょう)。また、項目の対象について関心がないのなら、項目名をいじくりまわそうとして関心がある人に迷惑をかけないこと。 さて、いかに多くの人が使っている言葉であっても、その人名を並べることで「正確である」という証明に換えることはできません。久慈氏は古代史について多くの著書があるわけで「たかが一素人」と蔑まれるいわれはありません。ちなみに西村俊一氏は歴史学専攻ではありませんし、古田武彦氏はすでに20年以上も審査がある媒体で論文を発表していません。現在の歴史学界からすれば、どちらも「たかが一素人」扱いされて、おかしくないのですよ。-原田実 2010年4月30日 (金) 08:04 (UTC)

念のため、ベティ・J・メガースについて『海の古代史』所収の講演と足摺岬発掘調査報告書所収のレポートを見ましたが、それらは翻訳であるのみならず、文中に「和田家文書」も「東日流外三郡誌」も登場していません。有名人の名前を出せば相手が恐れ入るという発想での羅列は謹んで下さい。ー原田実 2010年4月30日 (金) 08:29 (UTC)

原田氏いわく「この場合、私や斉藤記者も使っているという反論は(中略)(学問用語でなく)慣用表現にすぎないことを自覚の上でジャーナリズムの場において使用しているからです。」そして「それから,私は便座の上で文章を書いたりはしません(おそらく斉藤氏もそうでしょう)。」便宜上原田氏が和田家文書の言葉をつかっているのは明らか。また「念のため、ベティ・J・メガースについて(中略)翻訳であるのみならず、文中に「和田家文書」(中略)登場していません。有名人の名前を出せば相手が恐れ入るという発想での羅列は謹んで下さい。」これも誤解。翻訳の証拠なし。

次に原田氏の歴史観について。「ちなみに西村俊一氏は歴史学専攻ではありませんし、古田武彦氏はすでに20年以上も審査がある媒体で論文を発表していません。」しかし、古田氏以上に安本氏も歴史専攻で無いどころか原田氏も古田氏と安本氏の論争に立ち入っただけです。また「久慈氏は古代史について多くの著書があるわけで「たかが一素人」と蔑まれるいわれはありません。」といいますが、古田氏や安本氏などより肩書が低く、和田家文書に関する著作が少ないのであり、議論の必要さえないといえます。

最後にモラズ氏。モラズ氏は傍証をならべているでけですが、皿に立ち入った議論をお願いします。--日野智貴 2010年4月30日 (金) 23:57 (UTC)

>これも誤解。翻訳の証拠なし。<

足摺岬調査報告書についていえば目次に「翻訳・古田武彦」と明示されていますし、『海の考古学』に収録された講演については『古田史学会報』9号に「通訳付き」と示されているわけで、証明はこんなものでよろしいでしょうか。-原田実 2010年5月1日 (土) 13:13 (UTC)

そもそも翻訳であろうとなかろうと「和田家文書」にも「東日流外三郡誌」にも言及していない人物の名をここに出すのは無意味でしょう。また、安本美典氏は「東日流外三郡誌」という用語を主に使っており、「和田家文書」という語が文中に出てくる場合は大方が古田氏などの主張の引用、あるいはその内容への言及です。安本氏が編集する『季刊邪馬台国』での特集タイトルに出てくるのも「東日流外三郡誌」だけであり、「和田家文書」が使われた例はありません。-原田実 2010年5月1日 (土) 21:48 (UTC)

>便宜上原田氏が和田家文書の言葉をつかっているのは明らか<

これは、4月30日のコメントだけでなく、今まで日野様が使っておられた「便座上」という語はすべて「便宜上」の意味に解していいということを意味しているのでしょうか。「便座上(総称としては)和田家文書(わだけぶんしょ)のほうがよい」という、「便宜上」と解しては内容が矛盾するコメントを書いておられたため、判断を保留しておりました。ー原田実 2010年5月2日 (日) 00:18 (UTC)

まあ、何にしても、ある用語が特定セクト内で通用している(また、そのセクトへの批判者も便宜上用いている)ことをもって、辞書の見出しを、一般に通用している名称からその用語に置き換えるべきだという主張が暴論にすぎないことに代わりはありませんが。-原田実 2010年5月2日 (日) 00:43 (UTC)

第一集だけだも目次にこれだけ和田家文書が出てきます。

「砂上の和田家文書偽書説」

「和田家文書は断固として守る」

「和田家文書概観」

「和田家文書研究の本領」

「和田家文書研究序説」

「西欧科学誌と和田家文書」

以上、特集一「東日流外三郡誌の世界」 表題でもわかるように東日流外三郡誌の名称が主だが、和田家文書の名称も少なくない

「和田家文書の信憑性」

「和田家文書偽作論者に対して」

以上、特集二「和田家文書偽作説の崩壊」 ここでは完全に和田家文書であり、論文名に東日流外三郡誌はない

一方で東日流外三郡誌の用語が出るのはこれだけです。

「東日流外三郡誌とは」

以上、特集一「東日流外三郡誌の世界」

だいたい特集タイトルだけ考えるのは「森を見て木を見ない」状態であり、「安本氏が編集する『季刊邪馬台国』での特集タイトルに出てくるのも「東日流外三郡誌」だけであり、「和田家文書」が使われた例はありません。」も内容論に入らない以上無意味です。--日野智貴 2010年5月2日 (日) 01:16 (UTC)

表題で和田家文書の名称を使用している特集一では和田家文書と東日流外三郡誌のどちらの用例が多いのか調べてみました。参考にしてください。

東日流外三郡誌 33例

和田家文書    64例

つまり、和田家文書のほうが「東日流外三郡誌の世界」という標題にかかわらずよくつかわれることがわかります。--日野智貴 2010年5月2日 (日) 01:45 (UTC)

つまり、『新・古代学』第1集において、表紙では世間で通用している用語を使い、中身ではセクト内での用語を使っているということですね。ついでにいえば、その第1集では和田喜八郎氏は「和田家文献」の総称を使っており、セクト内でさえ不安定だったことがうかがえます(日野様コメントにおける「和田家文書は断固として守る」というのは「和田家文献は断固として守る」の間違いです)。ー原田実 2010年5月2日 (日) 01:33 (UTC)


中間まとめ

原田氏に対する反論も当然ありますが、それよりもこのセクションが異常に長いのでとりあえず論点をまとめます。これからはいかに議論を書いてください。

まず、この改名に反対しているのは原田氏とモラズ氏とネコパンダ氏とろう氏ですね。この人たちは「東日流外三郡誌」を正式な総称、またはそれに準ずる一般的な呼び方としています。

ならば次のことを明らかにしてください。 1和田家文書は一般的でない 2国語的にも問題がある 3東日流外三郡誌は多くの研究者が総称として使用している 4斎藤氏の『偽書「東日流外三郡誌」事件』でも和田家文書がわずかながら総称として使われている理由

次に反論「、『新・古代学』第1集において、表紙では世間で通用している用語を使い、中身ではセクト内での用語を使っているということですね」これは原田氏の自爆テロである。表紙でも「和田家文書偽作説の崩壊」と和田家文書の語を使用している。さらに『新・古代学』第二集では「東日流外三郡誌」の語は全く使われていない。よって「つまり、『新・古代学』第1集において(中略)セクト内での(和田家文書という)用語を使っているということ(中略)和田喜八郎氏は「和田家文献」の総称を使っており、セクト内でさえ不安定だったことがうかがえます」は全くの詭弁であり、和田家文書が元も正確な総称であることがわかります。また'私は総称のことを論じており、東日流外三郡誌の項目も残すので利用者にも不便では無い'ことが立証されたのです。今度は反対者に証明責任があります。(なお、反対者は立証責任という語訳を使用するが、それは古田氏と面識のあった倉田裁判官の用語を使いたくないからであり、そのようなものが中立的な百科事典の編集をするのは八百事典が驚くだけである)--日野智貴 2010年5月5日 (水) 05:28 (UTC)

今のこのページの内容を、『東日流外三郡誌』の記事名で充実させることに対しては、日野智貴さんも異論はないのでしょう。それならば、「『改名』の必要はない」ということでの合意にはなりませんか。別記事として、和田家文書(わだけぶんしょ)の項目をたてて、ほかのものも含めればいいのではないでしょうか。〈和田家文書偽書事件〉のページが存在するようですが、そちらを改名するという方向にはなりませんか。 --ねこぱんだ 2010年5月5日 (水) 06:25 (UTC)

日野氏に聞きますが、なぜ私が反対者になっているのでしょうか。また和田家文書の項目を立てることでよいと思います。原田氏は和田家文書の項目を立てることにも反対していますが、原田氏よりネコパンダ氏のほうが妥当です。--俀国 2010年5月5日 (水) 07:14 (UTC)

私もなぜ自分が「反対」とのレッテルを貼られているのかお聞きしたいです。私のスタンスは最初から「反対はしないが説明不足のままの改名は不適切」であって、それに対し何ら皆の納得がいく説明がなされていません。ボールはそちらにあります。明確にご説明頂ければ賛成に回ります。--ろう(Law soma) D C 2010年5月6日 (木) 04:21 (UTC)

ねこぱんだ様、「和田家文書」については、すでに曖昧さ回避のためのページが立てられています(実際、このような総称で呼ばれる文書類は複数あるため、『東日流外三郡誌』もしくは和田喜八郎との関係無しでは特定できないのです)。したがって新しいページを別に建てるとすれば、「和田家文書(和田喜八郎)」もしくは「和田家文書(『東日流外三郡誌』等)」といった表題にする必要がありますね。--原田実 2010年5月5日 (水) 12:37 (UTC)

ちなみに現在、ウェブ書店で「東日流外三郡誌」「和田家文書」をそれぞれ検索した結果は次のようになります。 amazon 「東日流外三郡誌」79件 「和田家文書」9件(うち三郡誌と無関係4件) ビーケーワン 「東日流外三郡誌」39件 「和田家文書」7件(うち三郡誌と無関係2件) 紀伊国屋(内容詳細検索)「東日流外三郡誌」43件 「和田家文書」11件(すべて三郡誌関連) 「東日流外三郡誌」という名称が出版界で広く使われているという現実と、「東日流外三郡誌」と無関係の「和田家文書」に関する書籍も少数ながら流通している、という現実がともにあるわけで独立した「和田家文書」という項目を立てるにあたってはそれを考慮する必要がある、というわけです--原田実 2010年5月5日 (水) 13:44 (UTC)

上記の実情を踏まえた上で、和田喜八郎の偽作文書の総称としての「和田家文書」の項目を立てるということであれば、次の手順のどちらかが妥当かと思われます。 1、現在の「和田家文書偽書事件」を「和田家文書」に改題し、曖昧さ回避のための「和田家文書」を「和田家文書(『東日流外三郡誌』関連以外)」と改題する(ねこぱんだ様の案に基づく)。 2、新たに「和田家文書」の項目を立て、曖昧さ回避のための「和田家文書」を「和田家文書(『東日流外三郡誌』関連以外)」と改題、「和田家文書偽書事件」はすえおく。 ※どちらの案をとるにしても、「和田家文書」は「東日流外三郡誌」「和田家文書(『東日流外三郡誌』関連以外)」の双方の項目とリンクして利用者の便に答えることにする。 その他の案もありうるでしょう。要は利用者に便利で、ウィキペディア全体の内容が充実しさえすればいいいのですから。--原田実 2010年5月5日 (水) 20:45 (UTC)

ネコパンダ氏、原田氏、俀国氏、返答ありがとうございます。ようするに原田氏は和田家文書の項目を立てることに(これまでは反対でしたが)今は賛成ということですね。ここで和田家文書の項目を立てることは合意されたと思いますが、まだ3人答えてないのでしばらく待ってください。また、新規作成か東日流外三郡誌の移動か和田家文書偽書事件の移動かも議論する必要があります。なお、参加者は多いほうがよいので意見がある人はいち早いコメントをお願いします。意週間ほど異論がなければ和田家文書の作成で合意したとみなします。--日野智貴 2010年5月6日 (木) 04:01 (UTC)

「和田家文書」の項目を立てることに反対も賛成も何も、この議論が始まる前からすでに(曖昧さ回避のページではありますが)「和田家文書」の項目はあるわけです。私は「和田家文書」の項目に反対していたわけではなく、『東日流外三郡誌』を改名(移動)するべき根拠がないということを指摘してきただけです。日野様が「和田家文書偽書事件」の移動に同意されるなら、ねこぱんだ様の提案がもっとも妥当かと思われます。--原田実 2010年5月6日 (木) 06:49 (UTC)

現在、議論は、この項目の改名の問題を離れ、「和田家文書」の項目を立てる手順や、すでにある(曖昧さ回避のページの)「和田家文書」といかなる関係にするべきかに移っていますので、小見出しを「改名について」から「「和田家文書(仮)」の項目について」と改題することを提案します。--原田実 2010年5月6日 (木) 07:05 (UTC)

ろう氏に対して「東流外三郡誌の世界」での統計。

和田家文書64例(すべて総称)

東日流33例(すぜて非総称)

原田氏が根拠としたものでさえこうです。証明責任は反対者にあり。--日野智貴 2010年5月6日 (木) 05:32 (UTC)

原田氏と違い、私は「和田家文書(和田喜八郎)」を新規作成しようとしています。とりあえずページの分割は合意されました。モラズ氏は明らかに反対してますが、その場合は証明責任を負います。反論は一週間ほど待ちましょう。--日野智貴 2010年5月8日 (土) 08:06 (UTC)

ある程度の合意がなされたのは(新規に立ち上げるにしろ、「和田家文書偽書事件」を移動するにしろ)曖昧さ回避のページと別に「和田家文書」のページを作ることであって、このページの分割ではありません。ねこぱんだ様の提案や私の合意の内容を捻じ曲げないで下さい。--原田実 2010年5月8日 (土) 08:27 (UTC)

捻じ曲げているわけではありません。このページに関する新たなページの作成を(他に適当な表現がないため)分割としたのです。

なお、原田氏の案に問題点があります。「曖昧さ回避のための「和田家文書」を「和田家文書(『東日流外三郡誌』関連以外)」と改題する(ねこぱんだ様の案に基づく)」はねこぱんだ氏の名誉にもかかわるので言っておきますが、この場合は「和田家文書(曖昧さ回避)」とすることになっています。不注意による誤りでしょうが、議論の参加者にわかりやすくするため言っておきました。--日野智貴 2010年5月9日 (日) 08:04 (UTC)

重ねて申しますが、この「改名について」という小見出しは改名されるか、別に「和田家文書」設立手続きに関するコーナーが立てられるべきです。また、現在、本文に注として「改名提案がなされている」旨ありますが、すでにノートでの提案内容が改名とは異なってきている以上、正確ではありません。そちらも修正されるべきでしょう。--原田実 2010年5月13日 (木) 04:16 (UTC)

和田家文書 (和田喜八郎)」の項目を立てること自体にはほぼ合意が得られたということで、日野様に代わって行わせていただきました。内容およびこの項目との関係については改めてそちらにて議論願います。--原田実 2010年5月13日 (木) 06:13 (UTC)

改名提案を下す前に作らないでください。原田氏は私が取り下げたと判断したのかもしれませんが、実際には取り下げていません。仮に取り下げても、タグがある以上は一週間以上の議論を必要とします。--日野智貴 2010年5月14日 (金) 06:56 (UTC)

日野さんは「和田家文書 (和田喜八郎)」の項目名に反対なのですか?そうでないならば誰が作業をしようと問題ないはずです。折角対処が先に進んでいるのですから反対でなければ是とするべきではありませんか?提案自体はそもそも2010年3月31日 (水) 07:04(UTC)に、日野さんが改名提案テンプレートを「和田家文書 (和田喜八郎)」への改名に変更[1]した時点ですので1か月以上が経過しております。--ろう(Law soma) D C 2010年5月14日 (金) 07:59 (UTC)

改名不可能状態に追い込むな。無理やり改名提案を取り下げられたのと実質は変わらない。はっきり言うとろう氏の文章は急いで書いたようです。全く意味がわからない。誤解を招く表現です。私は和田家文書(和田喜八郎)へ改名すると主張しており、全く新しい項目を作るとは言っていません。

失礼ながら馬鹿正直にろう氏の文を見ると改名反対のための詭弁に見えてしまいます。とりあえず事実上白紙化します。--日野智貴 2010年5月15日 (土) 05:21 (UTC) 白紙化取り下げ--日野智貴 2010年5月15日 (土) 05:53 (UTC)

議論終了

改名取り下げ--日野智貴 2010年5月22日 (土) 08:32 (UTC)

なお、モラズ氏は作成に反対のようですが、このページでの議論は終了したため別に削除依頼を出してください。--日野智貴 2010年5月28日 (金) 03:48 (UTC)

多数決

賛成か反対か留意か、投票お願いします。議論については#改名についてでしてください。--日野智貴 2010年4月12日 (月) 10:07 (UTC)


賛成--日野智貴 2010年4月12日 (月) 10:07 (UTC)

反対ー原田実 2010年4月12日 (月) 10:20 (UTC)

コメント-いったいなにを投票で決めようというのですか。項目をもう一度整理してください。 --ねこぱんだ 2010年4月13日 (火) 00:00 (UTC)

提議-本多数決は要件を満たしているのか疑問があります。招集者である日野さんより「何に対して賛成(反対)を表明するのか」「投票期間」等の提示があるまで、本多数決は凍結されるよう提案いたします。--モラズ 2010年4月14日 (水) 10:23 (UTC)

とりあえず賛成、反対とも同数の時点で合理的な物言いがついたということでこの投票は双方とも無効ということですね。 モラズ様、ねこぱんだ様、お手数かけて申し訳ありません。

また、ねこぱんだ様、ご教示のおかげで署名の方法、学べました。遅くなりましたが改めましてご教示ありがとうございます。―原田実 2010年4月14日 (水) 11:46 (UTC)

コメント-「賛成、反対とも同数の時点で合理的な物言いがついたということでこの投票は双方とも無効」これはその通りだと思います。--日野智貴 2010年4月18日 (日) 07:10 (UTC)

内容と表題の整理について

以上のリネームや移動議論に関連して、まずノートページで行うべき編集議論を経ておらず、直接本文の編集で対処されているような印象を受けます。特に表題に関する部分ですが、内容に関する部分と比べバランスを欠いてるように見受けられます。もし一部の利用者による改名や移動や削除を回避するために、本文が編集されているような状態であれば、これは是正すべきかと思われます。


特に「真偽論争がさかんに行われていた頃には、」以降のセンテンスについて、もう少し内容を整理、あるいは『市浦村史 資料編』の刊行についての記述以外を削除することを提案します。


全文書名を洩れなく列挙するのが数量的に不可能であるから「どう取捨選択して利用者の検索の利に供するか」という議論が起こっているのであればまだなんとか理解できるのですが、東日流諸郡誌・和田家文献・和田家史料・和田家資料・東日流誌・和田文書・和田喜八郎文書などと言った二次的呼称について詳細に列挙している現状は理解に苦しみます。また、久慈力提唱の呼称についてなどは、利用者が後項の真書派の研究者名からたどることが可能であるため不必要かと思います。 翻って「和田家から最終的にどの程度の数量的規模の文書群が発見されたとされているのか(数百冊というのは初期値ではないのでしょうか?)」「何年間にわたって公表され続けてきたのか」などの客観的なデータは記載されていないことを考えると、単に本文の情報量が多すぎてデータベース化してしまっているというより、何らかの意図を感じさせる本文に思えてなりません。

(追記)私が「客観的なデータ」として例に挙げた二要素については私の誤認があるかもしれません。その際はご教示戴ければありがたいです。


また、「東日流外三郡誌」に限らずどの呼称が「もっとも広く用いられている総称」かどうかをあらためて本文において言及・宣言する必要があるでしょうか? ウィキペディアという百科事典の表題については、利用者の便など各説の主張外の要素があることから「東日流外三郡誌」という呼称を用いるのが最も妥当であると私は考えますが、改名議論が正しくノートによって行われるのであれば、(というかノートで行われるべきです)本文ではもっとも広く用いられている総称については言及するべきではないと思います。


以上、2週間程度の期間をめどに参加者各位のご意見を頂ければと思います。--モラズ 2010年4月17日 (土) 07:41 (UTC)

私自身が書いた個所が大部分ではありますが、表題に関する記述はたしかに煩瑣に過ぎました。 モラズ様の提案に基づく編集がなされることに異存ありません。-原田実 2010年4月17日 (土) 08:20 (UTC)

モラズ様の提案に基づき一部修正しました。 さらに参加者各位のご意見いただければありがたく存じます。-原田実 2010年4月17日 (土) 09:32 (UTC)

私は参加者に入っているのでしょうか。--日野智貴 2010年4月24日 (土) 05:23 (UTC)

当然じゃないでしょうか。--モラズ 2010年4月25日 (日) 15:38 (UTC)

今回の修正で誤解も少なくなったと思います。な、私の編集に問題があれば言ってください。--日野智貴 2010年4月26日 (月) 09:10 (UTC)

まず、裁判に関して言えば、青森地裁判決、仙台高裁判決、最高裁結審のいずれにも「和田家文書」という用語は一切出てきません。判決文中で総称として用いられている語は「『東日流外三郡誌』等」です。 また、「厳密な論争」という語が何を意味するのか不明ですが、実際の論争において論者ごとにさまざまな総称が用いられていたのはすでにくりかえし指摘された通りですし、論争に参加した研究者の中で、(当時)国立大学教官だった国史専攻者に限って言えば、新野直吉氏、小口雅史市とも「東日流外三郡誌」とだけ言っていて「和田家文書」という語は使っていない。そもそも「和田家文書」という語は和田家に先祖代々伝わっていたという誤解を与える上にその実態が書誌学で言う「古文書」の態を成していない(その意味では偽古文書でさえない)わけで、厳密な言葉に拘るなら使えるわけがないものです。 この場合、私や斉藤記者も使っているという反論は無効。なぜなら、私たちはこの語が学術的なものでなく、慣用表現にすぎないことを自覚の上でジャーナリズムの場において使用しているからです。 というわけで現行本文における「しかし、厳密な論争や裁判では「東日流外三郡誌その他の和田家文書」などと記されている」「また和田家文書という総称も使われ、本来はこのほうが正確である」という箇所は単純な虚偽記載です。この箇所を書かれた本人による速やかな削除を勧める次第です(ご本人が事実を受け入れるまでの準備期間を考え、一応、2週間の猶予を与えることにいたします)。 -原田実 2010年4月27日 (火) 00:46 (UTC)

念のため、新野直吉氏の論文表題は「静かに念じること」(当時の肩書は秋田大学長)、小口雅史氏の論文表題は「『東日流外三郡誌』をどう扱うべきか―近時の論争に寄せて」(当時の肩書は弘前大学助教授)、どちらも『季刊邪馬台国』52号掲載。同誌所収の論文・記事で「和田家文書」の総称を用いているのは先述の藤野七穂氏のみ、しかもその呼称を最初に用いた藤野氏もその同誌所収の論文「現伝”和田家文書”の史料的価値について」で、「(藤野氏は『東日流外三郡誌』等を)「古文書」と理解しているわけではない。・・・現在世間に公開されている和田家の資料は二次的編纂物であって、史料性の高い「文書」(もんじょ)とはおのずと区別して考えなければならないのである。ここでは、たんに和田家の書類【書き物】、すなわち「文書」(ぶんしょ)という意味で”和田家文書”と一括呼称することにしたい」としており、自ら、この用語が学術的意義を持たない便宜上のものであることを認めています。-原田実 2010年4月27日 (火) 23:51 (UTC)

つまり、便座上(総称としては)和田家文書(わだけぶんしょ)のほうがよいというわけですね。--日野智貴 2010年4月28日 (水) 07:15 (UTC)


総称しすぎて二次文献まで含むのは問題があります。まだ「東日流外三郡誌等」のほうが正確です。--モラズ 2010年4月28日 (水) 15:26 (UTC)

それが詭弁であることは既に証明しました。--日野智貴 2010年4月30日 (金) 05:42 (UTC)

日野智貴様、貴方はまだ何も証明していません。詭弁を弄しているのは貴方の方です。-原田実 2010年4月30日 (金) 08:07 (UTC)

たとえば新・古代学では総称を和田家文書にしています。--日野智貴 2010年5月1日 (土) 00:02 (UTC)

『新・古代学』第1集の特集表題は「東日流外三郡誌の世界」ですし、第3集の報告表題では「和田家文書(「東日流外三郡誌」など) 訴訟の最終的決着について」として和田家文書だけでは意味が通じないことを前提に(「東日流外三郡誌」など)を補う形になっています。第4集以降第8集まで(『新・古代学』は全8集)の論文表題には「東日流外三郡誌」という名称を示したものはありますが、「和田家文書」は見られません。結局、『新・古代史』の論文名表示そのものが社会的に認知されている総称が「和田家文書」ではなく「東日流外三郡誌」であることを裏付ける形になっていますね。-原田実 2010年5月1日 (土) 13:04 (UTC)

第一集だけだも目次にこれだけ和田絵文書が出てきます。

「砂上の和田家文書偽書説」

「和田家文書は断固として守る」

「和田家文書概観」

「和田家文書研究の本領」

「和田家文書研究序説」

「西欧科学誌と和田家文書」

以上、特集一「東日流外三郡誌の世界」 表題でもわかるように東日流外三郡誌の名称が主だが、和田家文書の名称も少なくない

「和田家文書の信憑性」

「和田家文書偽作論者に対して」

以上、特集二「和田家文書偽作説の崩壊」 ここでは完全に和田家文書であり、論文名に東日流外三郡誌はない

一方で東日流外三郡誌の用語が出るのはこれだけです。

「東日流外三郡誌とは」

以上、特集一「東日流外三郡誌の世界」

つまり、原田氏は「第4集以降第8集まで(『新・古代学』は全8集)の論文表題には「東日流外三郡誌」という名称を示したものはあります」と言っていることでもわかるように一集から三集までを軽視した(二集に至っては名前すら出していない)空論です。「和田家文書だけでは意味が通じないことを前提に(中略)社会的に認知されている総称が「和田家文書」ではなく「東日流外三郡誌」であることを裏付ける形になっていますね」は「森を見て木を見ない」「丁寧に調べない」としか考えれない文です。一集では森も見ていない。--日野智貴 2010年5月2日 (日) 01:11 (UTC)

繰り返しますが、実際の裁判所の判決文には「和田家文書」という用語は一切出てきません。また、「東日流外三郡誌その他の和田家文書」のみが「厳密な論争」に使われる用語としてしまうと、論争において「和田家文書」の名称を用いなかった論者は「厳密な論争」に参加していなかったことになってしまいます。したがって「しかし、厳密な論争や裁判では「東日流外三郡誌その他の和田家文書」などと記されている」という一文が不当なことに変わりはありません。--原田実 2010年5月5日 (水) 13:44 (UTC)

『季刊邪馬台国』54号から96号までで『東日流外三郡誌』論争に関する論文・記事は全228件。そのうち、表題に「東日流外三郡誌」を用いるもの55件、「和田家文書」を用いるもの20件、それ以外(「東日流誌」「和田家資料」など)を用いるもの16件。この16件が排除されるべきいわれはありません。ちなみに『サンデー毎日』での古田武彦・安本美典論争での見出しではすべて「東日流外三郡誌」が用いられており、「和田家文書」の例はありません。--原田実 2010年5月6日 (木) 06:49 (UTC)

また、「和田家文書」の用例はともかくとして「東日流外三郡誌その他の和田家文書」という総称の用例はどこにあるのでしょうか。いちいちこのような長ったらしい総称を使うような場というのは、法廷はもちろん厳密であろうとなかろうと議論でもまずありえないように思われます。--原田実 2010年5月6日 (木) 09:21 (UTC)

4月26日以降のやりとりで双方が提示した事実に基づいて言えることは「『新・古代学』など古田武彦の支援団体が関与した刊行物と、それらにおける古田の主張を批判する内容の論文・書籍などでは『和田家文書』という総称が使われることが多い」ということですね。先の提案から2週間が経ちますし、よろしければ該当箇所をこの内容で訂正したいと思います。--原田実 2010年5月9日 (日) 15:17 (UTC)

4月27日付の勧告および5月9日付の提案に基づいて本文を修正しました--原田実 2010年5月13日 (木) 04:05 (UTC)

改めて本文を読み直してみると、総称としての「東日流外三郡誌」と「和田家文書」云々の個所そのものが冗長との見方もできますね。その個所をまるごと削除するというのも一つの方針としてありかも知れません。--原田実 2010年5月13日 (木) 04:42 (UTC)