ノート:東京メトロ有楽町線/過去ログ1

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東京地下鉄有楽町線についてのノート[編集]

Category:都市伝説にこの記事がリンクされているのですが、そのような内容の記述がありません。識者の方の執筆を望みます・・・--以上の署名のないコメントは、59.138.221.206会話)さんが 2006年7月24日 (月) 11:34 (UTC) に投稿したものです。

2006年7月23日 0:05(UTC)の版でコメントアウトされていました。Rusk 2006年7月24日 (月) 12:16 (UTC)
お手数おかけしました。Ruskさんありがとう。--以上の署名のないコメントは、59.138.221.206会話)さんが 2006年7月24日 (月) 13:06 (UTC) に投稿したものです。

都市伝説について[編集]

下記の記述を削除しました。

『前述の2本の連絡線は「特殊な検査機器のある綾瀬検車区への回送用」と説明されているが、検査機器を各線が自前で持つ事と、わざわざ地下に数百メートルもの連絡線を掘る事、どちらが安上がりなのか、理由の信憑性を疑う声もあるが連絡線の項で述べた説明も成り立つ。』


上記の主張は、秋庭 俊 著『帝都東京・隠された地下網の秘密』から引用しているものと思われますが、単に氏の歴史認識に不完全な点があるために生じている誤解と思われます。

まず、有楽町線が開通したのは本稿にもある通り昭和49年の池袋~銀座一丁目間が最初で、全区間都市部の地下線であり、沿線に車両を収容するスペース(つまり車庫や検査設備を建設する用地)がそもそもありませんでした。 また、最初に投入された編成は7000系7両編成×19本であり、たった130両程度の検査をするために有楽町線自前でそのための設備を持つのは不経済です。氏は「わざわざ地下に数百メートルもの連絡線を…」と述べていますが、仮に地下に検査設備を建設した場合、10両編成×10本程度を収容出来ると仮定して概算で10000平方メートルもの用地が必要になります。それこそ「数百メートルの単線トンネルを掘る」方がよほど経済的です。であるがゆえに、自前で検査設備を持たず千代田線との連絡線を建設し綾瀬検車区を利用する必要があったわけです。

なお千代田線の綾瀬検車区には、他の検車区にはない設備として、全長2kmの実験線を含むATC関係の試験設備があります。なぜ綾瀬にだけこの設備があるのかというと、千代田線が旧営団地下鉄ではCS-ATCを導入した最初の路線であったために、ATC関連の試験設備を自前で持つことが必要不可欠であったからです。千代田線の開通した昭和44年当時、日本でCS-ATCを導入していたのは東海道新幹線だけでしたので、さもありなん、と言ったところでしょう。綾瀬検車区を利用して試験を実施した車両には、千代田線用6000系のほか、有楽町線7000系・南北線9000系などがあります。

歴史的経緯を踏まえれば、有楽町線・桜田門駅~千代田線・霞ヶ関駅間の連絡線建設の必要性はかように説明可能です。書籍として出版されているからというだけの理由で、史実や事実関係を無視して安易に引用していると、百科事典としての信頼性に傷がつきますので熟考をお願いします。--以上の署名のないコメントは、Alt winmaerik会話投稿記録)さんが 2006年9月15日 (金) 03:39 (UTC) に投稿したものです。

不要と思われる部分の追加[編集]

一部コメント化が解除されていますが永田町は半蔵門線の方が深いので少なくとも有楽町線の都市伝説にはなりません。また、特に異例と思われるほど特出していない限り「非常に」という表現をしないほうが良いのではないでしょうか。実際、それほど特異には思えませんし少し位変わった駅ならどこにでもあるでしょうから異議がなければ削除させて頂きます。また、軍事とまず関係なさそうなほどの事まで取り敢えず挙げているだけと思われる報道機関もこの節からは削除(沿線施設の挙げる事自体は問題ないと思うので「沿線施設」などの節を作って移設)させて頂きたいと思います。個人的には軍事路線だとは全く思いませんが他にもこの様な噂的事項を扱っている記事も多いようなので取り敢えずは全面削除はせずに容認出来る範囲だとは思います。ただし根拠もなく無闇に駅や施設などを関連付けたりする事は避けて頂きたい所です。--市川太一 2007年2月20日 (火) 11:52 (UTC)--市川太一 2007年2月20日 (火) 12:08 (UTC)分かりにくい部分を修正

追記 多数の路線が繋がっているというのはJRや多数事業者の相互直通運転では当たり前の事なのでそれも(取り敢えず要出典を張りましたがやはり)削除させて頂きたいと思います。--市川太一 2007年2月20日 (火) 11:55 (UTC)
異議が出なかったので削除致しました。ただし「沿線施設」は新たに節を作る程の量ではなかったので取り敢えず概要に移設致しました。--市川太一 2007年3月2日 (金) 10:46 (UTC)

概要へ「接続していない路線や駅」を書き下すことについて[編集]

ここ1ヶ月くらいの間に、東京の地下鉄路線すべてに掲載されていた当該記事を移動又は削した者ですが、都営浅草線の記事でIPユーザーによるリバートが起きてきたので、経緯を念のためこちらのノートにも書いておくことにしました。

概要の中に「○○線と△△線は乗換ができない」とか「○○駅と△△駅は至近である」といった瑣末な情報が書き込まれていたため、当該記事は駅一覧へ移動又は削除しました。前者については、文章に書き下さなくとも駅一覧を見れば一目瞭然ですし、後者については、駅一覧に記載するか、各駅の記事に書けば事足りるからです。経緯については、こちらもご覧ください。Alt_winmaerik 2007年6月30日 (土) 04:49 (UTC)

自動改札導入後のエピソードについて[編集]

有楽町線に導入されていた自動改札について、2007年7月24日現在、下記の記述があります。

当時関西においては自動改札の導入が順調に進んでいたが、この営団の失敗により、首都圏での自動改札の導入は大きく遅れることとなった。

営団の失敗が首都圏の自動改札導入の遅れに繋がったことの出典を示して下さい。8月中旬までに出典提示のない場合は削除させていただきます。

有楽町線より前(1973年)に開業している国鉄武蔵野線にも開業時から自動改札が導入されていました。現在とは異なり裏の茶色い切符を使用するタイプで、1990年代前半に首都圏JR各駅の自動改札化が推進される過程で、武蔵野線の自動改札も同タイプに移行しました。それまでは大きな問題もなく稼動していました。Alt_winmaerik 2007年7月25日 (水) 11:30 (UTC)


出典ではないですが、実際に1978年頃の有楽町線 池袋駅にて自動改札を使った経験から、フォローさせていただきたいと思います。

おっしゃるとおり、首都圏という範囲にまで広げてしまうことには無理があると思いますが、有楽町線で当時使われていた自動改札についていえば、利用者からは大きな問題があり、この結果によって、営団のその後の自動改札の導入遅れにつながった可能性があると感じます。以下、利用者の経験談としてその状況をまとめておきます。

・背景:池袋駅には帝都高速度交通営団の路線が2つあった

 池袋駅には、丸ノ内線と有楽町線という2つの路線があります。  丸ノ内線と有楽町線の駅はそれぞれ反対にあると言うほど、距離が離れており、このうち自動改札は有楽町線の中央より改札、それも片方にのみ設置されていました。距離が離れていることから、切符売り場も定期券売り場もそれぞれで独立しておかれていました。


・背景:自動改札には磁気情報をもった切符や定期が必要だったが、一般的でなかった

 さて、当時、自動改札を通すことができる定期券や切符は、情報を保持するため磁性体を帯びたものである必要がありましたが、それは当時あまり一般的なものではありませんでした。  切符販売機も、茶色の磁性体がつき、かつ、情報が書き込まれた切符が必要なわけですが、丸ノ内線には自動改札自体が一切導入されていなかったこともあり、丸ノ内線側の切符売り場ではこの磁性体付きの切符が発売されていませんでした。  さらに悪いことに、定期券の実装は片面が透明、もう片面に裏の茶色い磁性体を帯びたラミネートで、紙の定期券をはさみ加工することで実現していましたが、このラミネートをするとともに定期券情報を書き込むことができる機械は高価だったのか、当時池袋駅に2台しかなく、上記2台とも有楽町線側の販売所ただ1カ所にのみ置かれていただけで、それ以外のすべて(他駅を含む)の定期券売り場では、この自動改札対応の定期券を購入することができませんでした。


・自動改札の効率は悪い?

 上記のような状況から、自動改札の恩恵を受けられるのは、特定の切符売り場、あるいは定期券売り場で磁性体付きの乗車券、定期券を購入した、一部の人間に限られてしまいました。自動改札では、丸ノ内線側で購入した裏の白い乗車券や定期券を投入する人が多数発生するなどして、混乱が多発していました。

 一方で、自動改札はそれなりのスペースが必要なものであります。記憶が正しければ、有楽町線池袋駅では、中央寄り改札の片側4~6レーン程度を割いていましたが、この改札を利用する人は、結果的に非常に少数でした。ほとんどの駅で発行される切符、定期券も同様に磁気情報を持ちませんため、有人改札にて対応することとなり、結果的に、有人改札の方が圧倒的な人の数を処理しているように見えていました。このような流れの結果として、利用者としては自動改札の効率が悪いと感じていました。  その後、具体的な年代は失念しましたが、この初期の自動改札は撤去、有人改札へと変更され、現在の様な自動改札が導入されるまでを経ることとなります。


皆様もご存じの通り、営団地下鉄に自動改札が積極的に導入されるようになったのは、当時の国鉄が首都圏での導入を一気に進め、実績を出した後になります。国鉄は導入に当たり、首都圏ほぼ全駅の切符自動販売機や定期券売り場で磁気対応のものにすることで、上記のような問題をまず、自社内で無くしていくという進め方で克服しています。

このような観点からすれば有楽町線 池袋駅の自動改札での事象が、結果として、営団に自動改札の導入が遅れた遠因になった可能性は十分考えられると思います。--以上の署名のないコメントは、125.53.5.20会話)さんが 2009年3月10日 (火) 16:55 (UTC) に投稿したものです。

6000系のヘッドマークについて[編集]

西武球場前行きは定期列車の延長で、特に珍しい列車ではなく、ヘッドマークつきの車両に限定されているわけではありません。6000系には各種ヘッドマークが付けられることも多いですが球場関連のヘッドマークつき車両が常時走っているわけではないようです。

そのためここ数年の現状に基づいて表現を修正させて頂きましたが過去にはそうではなかったというのであれば再度修正して頂けると幸いです。--市川太一 2007年9月8日 (土) 12:45 (UTC)


有楽町線各駅の駅番号などの表記について[編集]

有楽町線の各駅の記事の文章で、駅番号などをY-01このように表示していますが、色合いが見にくくないでしょうか。Y-01例えばこのように、字の色を変えてみてはどうでしょう。有楽町線の駅の記事全てに共通する提案なので、とりあえずここに書き込みました。--Villeneuve1982 2008年2月10日 (日) 08:12 (UTC)

そもそも、東京の地下鉄には、背景色を用いて白抜きで駅番号を示す習慣はないんですよね。現在、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/駅#色分けや強調表示についてのお願いで、このような色遣いを規制しようという方向でガイドラインを作成中です。よろしければ、ご意見をお聞かせくださいませ。--ikaxer 2008年2月10日 (日) 13:13 (UTC)
そちらに議論の場があったんですね。ありがとうございます。--Villeneuve1982 2008年2月16日 (土) 15:31 (UTC)

(ガイドライン化のお知らせ)Wikipedia:ウィキプロジェクト 鉄道#過剰なマークアップは控えるがガイドライン化されました。各駅の記事につきましては、以下のように対処願います。

  • 本文中の駅番号の記述には、直接文字色や背景色を指定しない。
  • 駅番号への色を付けは、図や表(Template:駅情報など)に限って使用する。

なお、駅番号に背景色をつけてラインカラーを示す習慣は大阪の地下鉄で見られますが、東京の地下鉄にはこのような習慣はありません。有楽町線のように薄い背景色を指定するよりも、Template:駅番号cの使用をお勧めします。


記入方法 表示
背景色指定 {{駅番号s|#d7c447|#fff|Y00}}  Y00 
駅番号c {{駅番号c|#d7c447|Y00}} Y00

--ikaxer 2008年3月2日 (日) 15:12 (UTC)

東京都市計画都市高速鉄道第8号線について[編集]

統合を提案します。理由は、東京都市計画都市高速鉄道第8号線の記事の概略は既にこの有楽町線の記事に含まれており、書くべきことがあるならこの記事に加筆するだけで事足りるため。「東京都市計画都市高速鉄道第8号線」を別記事として残しておく意義が無いためです。ご意見お願いします。Alt_Winmaerik 2008年2月12日 (火) 05:21 (UTC)

記事をを立ち上げた者です。東京都市計画の都市高速鉄道の地下鉄及び広域路線13路線のうち、ほとんどは地下鉄路線と一致するかまたは包含関係にありますので、記事を作るまでもありません。ただ、都市高速鉄道第8号線については、8号線本線=西武有楽町線・地下鉄有楽町線の小竹向原~新木場・有楽町線新線、8号線分岐線=成増~小竹向原、8号線分岐線その2=中村橋~護国寺と、東京地下鉄有楽町線のみで構成されておらず、路線の構成が複雑でどの路線に統合するにもふさわしくないと考えます。東京都市計画道路の環状街路がわかりやすいと思います。例えば1号線2号線などはさまざまな国道都道で構成されているので単独記事がありますが、7号線8号線などは路線としては都市計画上も都道と一致しているので記事はないですし不要です。--ちんぐゎらっ 2008年2月18日 (月) 22:29 (UTC)
ご意見ありがとうございます。都市計画における都市高速鉄道と開業済み路線が含有関係にあるかどうかがブランチングポイントなのですか? なぜ含有関係にないと新しい記事を作成しなければならないのでしょうか。その理由をご説明いただけますか? 私見では現在の有楽町線の記事で、計画路線と開業済み路線の構成や関係は比較的容易に理解できるように思いますが、新しい記事を作成するメリットは何ですか?
記事を新規作成する際に、営業路線名(例えば鉄道要覧等記載のもの)の視点でまとめる(現在の地下鉄の記事のほとんどが該当)のか、都市計画上の路線名の視点でまとめるのか、複数の方法があるかとは思います。東京都市計画都市高速鉄道第8号線の記事作成に使用されたお手持ちの資料が何かは存じませんが(出典がまったく記載されていないので)、分岐線その2以外はすべて8号線有楽町線(西武有楽町線含む)として開業済みであります。一方、分岐線2は未着工です。つまり開業済み路線=有楽町線という状況であり、別記事を立ててまで説明が必要なほど複雑な状況とは思えないのですが。むしろ情報が分散してかえって分かり難いように思います。東京都市計画都市高速鉄道第8号線の記事を立てたのも執筆しているのもちんぐゎらっさんだけのようですが、今後どの程度記事が充実する見込みがあるのでしょうか。現行では計画路線の定義がかかれているだけの記事のように見えるのですが。その辺お聞かせいただければと思います。Alt_Winmaerik 2008年2月19日 (火) 02:30 (UTC)
確認しておきたいのですが、ちんぐゎらっさんは上記にて
路線の構成が複雑で
と仰っていることから察しますに、複雑な状況を読者が理解し易くするために「東京都市計画都市高速鉄道第8号線」の記事を作成された、と解釈してよろしいのでしょうか。であるならば、結果的に現状が理解を助けることに繋がっているのかどうかが問われるべきと考えます。私は上で述べた通り、情報の重複や分散はむしろ理解を妨げるという認識のもとに、統合提案をしています。もし貴方が、読者の理解を助けるためではなく、ご自身の嗜好や独自の基準・判断に基づき記事を存続させたいということでしたら、その合理性やメリットを説明していただけないと、記事存続への賛成は難しいです。Alt_Winmaerik 2008年2月28日 (木) 08:14 (UTC)
そうです。一つの完結したものでも、別の観点からするとあるものの一部だということで、それらを総括する記事が作成されているものは少なくありません。都市高速鉄道8号線から見れば、地下鉄有楽町線・有楽町新線(副都心線)の小竹向原~池袋(これは調査不足で都市計画上は8号線の扱いのままでした。)・西武有楽町線・中村橋~護国寺の4つのパーツから構成され、地下鉄有楽町線はあくまでその一つであり、それらの4つに分散したものを総括する記事として必要だと考えております。
次に記事の成長性について。8号線は当初の都市計画決定は現行のルートとは異なり6回も変更されて現在の路線となりましたがその経緯、そして中村橋~護国寺の長距離にわたって事業化されないまま計画上残った原因(競合私鉄の関係)など、他の都市高速鉄道では見られない特筆事項があります。
都市高速鉄道の多くは単一の地下鉄線のみで構成されるので、この場合は確かに当該営業路線の記事で言及しリダイレクトすれば事足ります。しかし8号線の場合は地下鉄有楽町線のみで構成されず統合・リダイレクトはもちろん不可能で、有楽町線新線・副都心線・西武有楽町線の各記事の立場は?ということになります。地下鉄有楽町線に統合し充実させた場合は地下鉄有楽町線の内容からは逸脱したものになります。--ちんぐゎらっ 2008年3月2日 (日) 14:47 (UTC)
どうも。
>他の都市高速鉄道では見られない
例えば6号線なども幾度の計画変更を経て建設されておりますが、建設経緯という節を設けてその中で記述されております。計画から着工までにルート変更された路線は、最近では減っているのかもしれませんが、首都圏の地下鉄では8号線に限らずかなりあると思いますが。なぜ8号線だけ別記事を立てるのか依然疑問です。それともルート変更の回数が問題なのですか?
>都市高速鉄道の多くは単一の地下鉄線のみで構成されるので、…(中略)…8号線の場合は地下鉄有楽町線のみで構成されず
その論理ですと、都市交通審議会や運輸政策審議会で出された答申に基づいて計画・建設された首都圏の地下鉄や複々線化された乗入れ先のかなりの路線について、別記事を立てることが可能になってしまいますが? 例えば1号線には都営浅草線以外のいくつかの路線が該当すると思いますし、9号線は着工前の計画段階では常磐線の松戸や小田急線の喜多見まで含まれていたこともあります。京王相模原線の延伸区間は10号線であるなど類例は他にもあり、なにも西武有楽町線に限った話では無いと思うのですが。たとえ8号線が有楽町線以外で構成されていたとしても、記事として触れることは可能でしょう。「統合・リダイレクトはもちろん不可能」というのはちんぐゎらっさんの嗜好ではないでしょうか。私は可能だと思いますよ。
>有楽町線新線・副都心線・西武有楽町線の各記事の立場は?
まず、有楽町新線は副都心線へ統合される見込みですから杞憂です。統合提案が一度出され、提案時点ではまだ開業前ということで否決されましたが、開業後の統合であれば賛成意見が多数であり反対意見はいまのところ出ていません。西武有楽町線は、路線自体が短いことや有楽町線と一体的に運用されており、8号線の経緯に関する記述部分は有楽町線へ誘導すれば済むと考えます。
最後に、別記事をたてて内容を拡充できるとのことですが、「事業化されないまま計画上残った原因」などに触れる場合は、独自研究を避ける意味で出典の提示は必須だと思いますが、いかがですか。まさかちんぐゎらっさんの8号線に関する個人的な分析結果をウィキペディアで披露するために別記事を立てるおつもりではないですよね。取り越し苦労であることを願います。Alt_Winmaerik 2008年3月12日 (水) 11:16 (UTC)(追記)Alt_Winmaerik 2008年3月12日 (水) 11:47 (UTC)
記事作成者に上記の点を確認したいのですが、2週間回答がありません。もし1ヶ月間回答が無かった場合は、統合提案を再度出しなおして引き続き議論する予定です。取り下げは致しません。Alt_Winmaerik 2008年3月26日 (水) 06:08 (UTC)
1ヶ月以上経過しても回答が無かったため、統合提案を一度外しました。記事そのものに別の問題が含まれているようなので別途対応させていただきます。Alt_Winmaerik 2008年4月10日 (木) 02:56 (UTC)
ウィキペディアの手続きに従い、当該記事は削除されましたので、念のためこちらにご報告いたします。Alt_Winmaerik 2008年5月8日 (木) 07:20 (UTC)

保護依頼を提出致しました。[編集]

「『運行形態』の項目内における可変IPユーザーによる速報的な記述・編集の繰り返し」が理由です。『編集履歴』の参照をお願い申し上げます。ダイヤの大幅な乱れについての詳細が東京メトロHPにて公表されていますので参考文献とした上で該当の記事を移動させて頂きました。--東武経験者 2008年6月22日 (日) 06:15 (UTC)

横槍失礼いたしますが、編集履歴と内容を見る限り、保護するほどのことには思えないのですが。該当部分に独自研究や要出典タグを貼ったうえで、利用者の会話ページやノートで対話を呼びかけるなり、やり方は他にもあると考えます。自分が編集に関与しておいて「保護依頼」というのはいかがなものかと思いますが。Alt_Winmaerik 2008年6月22日 (日) 06:47 (UTC)
  • 依頼を提出した後で編集を致しましたので正直申し上げて私自身も「どうなるかな?」と思っております。
「利用者の会話ページやノートでの対話の呼びかけ」の件ですが、過去の経験から申し上げて相手がIPユーザーの場合で返答があったケースは皆無です。「書き込みの責任の追及を逃れたいからIPユーザーとして書き込んだ」とも言えます。逆に、お相手がログインユーザーの場合は余程の事が無い限り呼びかけに応えて下さいます。
保護依頼の件に戻りますが、「文責を明らかにするため」の理由も含んでいます。それが半保護依頼とした一番の理由です。--東武経験者 2008年6月22日 (日) 07:18 (UTC)
副都心線開業からしばらく経過して、ほとぼりが冷めたら保護を解除すべきだと思います。それまでは経過措置として保護を続けたほうがよいと思います。--123.224.145.143 2008年7月2日 (水) 08:51 (UTC)
東武経験者さま。私は半保護そのもには積極的に賛成も反対しません。呼びかけの件で私が申し上げているのは、実効性の有無のことではありません。ウィキペディアがコミュニケーションによる問題解決を前提とた場である以上、それを放棄して記事の保護に向かうのはどうか、ということを申し上げています。相手がルールを守らないから自分も守る必要はないのだ、という理屈は成立しませんので、一般的に。Alt_Winmaerik 2008年7月8日 (火) 08:08 (UTC)

ATO運転の実施について[編集]

東京地下鉄では毎年、「東京メトロハンドブック」という年鑑誌を発行しています。今年秋に発行された2010年版では丸ノ内線と有楽町線において全列車がATO運転を実施していることが記載されいます。

  • 2009年版におけるATO運転の実施路線は
    • 丸ノ内線の池袋 - 荻窪間・中野坂上 - 中野富士見町間6両編成
    • 千代田線北綾瀬区間列車
    • 南北線・副都心線の全列車
  • 2010年版におけるATO運転の実施路線は
  • 丸ノ内線
  • 千代田線北綾瀬区間列車
  • 有楽町線・南北線・副都心線の全列車

と記載されており、東京地下鉄からの公式な文献で確認可能なため、検証可能性を満たします。つまり、2010年度時点では丸ノ内線全列車(方南分岐線)にも拡大と有楽町線に拡大されたことが分かります。ただし、開始時期まで記載されていませんのでこの点は触れません。--TKKM 2010年10月14日 (木) 12:54 (UTC)

有楽町線のATO運転開始日時ですが、最近刊行されたレールアンドテック出版「鉄道車両と技術」No.177記事「ATOの技術」において東京メトロ側から正式に発表がありました。2010年5月22日と記載されており、信頼できる情報源からの出典が可能となりましたので修正しておきました。--TKKM 2011年7月10日 (日) 10:46 (UTC)

沿革節の工事の記述について[編集]

沿革節に記されていた2012年11月4日の工事の記述を除去したら、即座に差し戻されてしまったのですが、何故なんでしょうか。終日折り返し運転を伴う工事は至る所であるわけですが、それらは都度「沿革」として記されるべきなのでしょうか。その割には、全ての路線でそれらがカバーされているようにも思えませんが。そもそも、この記述はまだ工事が実施されていない10月1日の段階で、東京地下鉄の広報PDFを出典として記述したものですから[1]、「東京地下鉄の広報板代わりの記述」とも受け取れるのですが、そうしたものも出典さえつければ良しということなんでしょうか。何より納得がいかないのは、私は一応概要に理由を記して除去したのに、無言で差し戻されたことなのですが。私ごときの編集など、差し戻しに理由を記すまでもないってことでしょうかね。--けいちゃ会話2013年3月16日 (土) 05:07 (UTC)

もとより差し戻し理由不明でしたが、このノートにも相当期間異論がありませんでしたので私の方で利用者:氷鷺会話 / 投稿記録さんの編集を差し戻しました[2]。--Henares会話2013年3月24日 (日) 04:27 (UTC)
ご理解、ご対応に感謝します。--けいちゃ会話2013年3月26日 (火) 01:30 (UTC)