ノート:日本の城

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記事の読み方について[編集]

記事分割ご苦労様です。カテゴリとデフォルトソートを付けました。ところで、「日本の城」ですが、読みは「にっぽん」ですか? どちらも正しいのでしょうが、日本100名城日本の城一覧は「にほん」なのですね。Wikipedia:索引 につほんに登録したところ、「日本の城一覧」が無いので記事を見てみたら気が付きました。なお、日本は読みが(にっぽん、にほん)となっていて、索引には両方登録されています。--アルビレオ会話2013年12月8日 (日) 21:34 (UTC)[返信]

お疲れ様です。分割後早速、カテゴリ付け等していただいてありがとうございます。すみませんうっかりしていました。また、私事でこの一週間ほど分割後の編集に一切携われず皆様方には大変ご迷惑をおかけしておりました。
さて、「日本」の読みについてですが、ご指摘にある通りどちらも一般的ですので冒頭の読みは併記として、デフォルトソートは「日本の城一覧」に合わせて「にほん」としてはいかがでしょうか。--ムカイ会話2013年12月14日 (土) 14:30 (UTC)[返信]

「沖縄県のグスク」の差し戻しについて[編集]

「琉球のグスク」としたものを「沖縄県のグスク」と変更された分に関して、差し戻しをいたしました。理由は、旧琉球国領の鹿児島県奄美地方にもグスクが点在するためで、沖縄県に限定された遺跡ではないためです。旧琉球国領内のグスク遺跡に関してカテゴライズしているため「琉球のグスク」としています。この件に関しましてほかにご意見がございましたら、お願いいたします。--ムカイ会話2015年9月6日 (日) 03:06 (UTC)[返信]

「「しろ」の語源」節の修整について[編集]

編集に携わる皆さん、おつかれさまです。ムカイです。

ここでは、2017年5月4日 (木) 17:02以降の「「しろ」の語源」節の修整についての編集趣旨説明、場合によっては議論を行うところといたしたいと思います。

まず、これまでの最終編集者のKazovさんに敬意を表します。

さて、私の当該節における修整案につきまして以下に変更・追加点と趣旨を説明いたします。

  1. “日本において漢字「城」が「しろ」と訓じられるようになった時期は特定されていないが、室町時代(文明6年)以前である。”
    これを“日本において漢字「城」が「しろ」と訓じられるようになった時期は特定されていない。”
    に戻します。理由は、室町時代(文明6年)に記述されている記録が最古かどうかを確認できないためです。“文明6年(1474年)の文明本『節用集』には、「城」に「シロ」の訓がある。”としてあるだけで、最古とか初見という表現ではなく、ただそうした例が室町時代に現れているということがわかっているという書き方であるので、中立的観点からこの記録を最古と暗示しかねない書き方は適切ではないと思われ、「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」にも抵触する恐れがあります。
  2. “文明6年(1474年)の文明本『節用集』には、「城」に「シロ」の訓がある。”
    あくまでも一次資料であって、出典が明記されていませんでしたので、{{Cite web |url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532232 |title=国立国会図書館デジタルコレクション『節用集』 |accessdate=2017-05-06 }}をつけます。これは、検証可能性を補う意図があります。
  3. Kazovさんの挿入して頂いているコメント「ここで論理が飛躍していて分かりにくいです。」の部分について
    説明いたします。2017年4月9日 (日) 07:14時点に行った修整では、できる限り言葉の変遷を時系列にたどれる記述を束ねておき、一説にとどまっているものについては、たとえ時代や年代が書かれていたとしても混同せずに一説として分類しました(WP:SYNに抵触する恐れがあるため)。その結果、拙いことに古代から中世にかけての「しろ」という言葉の変遷、経緯をたどれる記述がすっぽりと抜けてなくなってしまい、それを補えるような文献を私の手元で探しましたが思うようなものがなかったため、当方では空白となっている古代から中世までの加筆を断念しました。
    実際に、文章としても「やがて」で接続してあるだけで、古代から中世後期に飛躍してしまう印象をもたれたのはご尤もなことだと思います。しかし、資料または史料がなく、こちらも加筆できない現実があるため、時間をかけてでもこの空白部分に相応しい記述ができるだけの二次資料を収集して編集するのが最善ではないかと思います。疑問を呈されたKazovさんがご存知でありましたら、加筆していただけますと記事がよりよくなるものと思います。もし加筆できるだけの情報源がない場合は、以下の節スタブテンプレートを掲示してこの節の加筆を募るほかは今のところ致し方ないと思います。
    {{節スタブ|1=鎌倉時代から室町時代まで|date=2017年5月}}

以上です、ご意見、ご賛同をいただけますと幸いです。--ムカイ会話2017年5月6日 (土) 07:38 (UTC)[返信]

上記の内容で編集を行います。ありがとうございました。--ムカイ会話2017年5月21日 (日) 12:02 (UTC)[返信]

「城」が「しろ」と訓じられるようになった時期の表現[編集]

私 kazov も、多くの加筆を慎重にしてくださるムカイさんに感謝いたします。また、国立国会図書館デジタルコレクション『節用集』を挙げてくださり、どうもありがとうございます。

当該の節「「しろ」の語源」を読む利用者は、まず「城」を「しろ」と訓じるようになった理由と時期が知りたいでしょう。理由には確実なものはないのですが、時期には明確な下限があります。

せっかく“「城」を「シロ」と訓じたのは文明6年(1474年)かそれ以前である”ことを示す確実な一次資料『節用集』があるのですから、その事実を第1段落に掲載して、利用者に早く知らせるほうがよいと考えます(頭括法を用いる)。第2段落では、時代を追って書かれているので、訓の「シロ」が登場するのは最後になっています。したがって、第1段落に書かない場合、第2段落の最後まで読まないと、いつ「シロ」と訓じられるようになったかの概要すら不明になります。

我々に分かっていることを、箇条書きにしてみます。

  1. 古代には、「城」を「キ」と訓じていた。
  2. 文明6年(1474年)の一次資料で、「城」を「シロ」と訓じている。
  3. したがって、「シロ」と訓じ始めたのは、文明6年かそれ以前である。(考古学では、こういう場合に「文明6年を下らない」というようです。)
  4. 文明6年以前のいつから「シロ」と訓じ始めたかは、不明である。

上記の 3. と 4. を端的に表現できるとよいと思っています。次行の文ではどうでしょうか。

日本において漢字「城」が「しろ」と訓じられるようになった時期は室町時代(文明6年)以前であるが、それ以前のいつであったかは特定されていない。

現状の「時期は特定されていない」だけでは、利用者はまず、時期が全く分かっていないと思ってしまうのではないでしょうか。 --Kazov会話2017年5月25日 (木) 12:24 (UTC)[返信]

コメント ご意見、ありがとうございます。私事で恐縮ですが時間がないので手短に回答いたします。
項目3についてですが、「したがって、「シロ」と訓じ始めたのは、文明6年かそれ以前である。」という書き方は、独自研究(「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」)に抵触すると思います。よくご検討をお願いいたします。
「「シロ」と訓じ始めたのは、『節用集』によれば文明6年かそれ以前」といった記述が2次史料にあればよいと思いますが、それ以前にいつから「しろ」と読まれ始めたかの学術的な説が書いてある2次資料や3次資料があれば、そこまで悩まずに編集できると思います。
現状の「時期は特定されていない」だけでは、利用者はまず、時期が全く分かっていないと思ってしまうのではないでしょうか。
現時点で参考にされている出典には、時期を特定または推定しているような学術的な説や調査結果は記されてはいませんので、『節用集』に「シロ」という訓が記されているということだけしか記述することはできないと思われます。
現時点では、読者から時期が特定されていないと思われても仕方がない文となっていると思います。しかし、私たち執筆者個人の見解を織り交ぜるようであれば、それもまた違う誤解をさせてしまうこともあろうかと思いますので、ここは慎重に検討していきたいところです。--ムカイ会話2017年5月27日 (土) 07:48 (UTC)[返信]
反対 : 出典には文明6年の『節用集』しか用いていないので、「…発表済みの情報の合成」には該当しないと考えます。 理由: 私の前回投稿中の 3. は 2. から単純に演繹される事実であり、そこに私の独自研究(見解)は含まれていません。「特定の観点を推進」してもいないと思いますし、「合成」はしていません。
コメント 最古かどうかについて: 「しろ」と訓じた例は、その後に例えば『祇園執行日記』(天文三年七月二一日)に「谷のしろへつめ候とて、どしめき候き。さうとよりしろを手をあはせ、みなとりまはし候由申候」があります。現在(通常)知られている文献の中では、『節用集』が最古です。これは、例えば、二次資料である文献 [3] 『古語大辞典』角川、1987 が採用しています。3. の「「シロ」と訓じ始めたのは、文明6年かそれ以前である。」は、今後もっと古い文献が出てきたとしても誤りではないことにご注意ください。また、今後どんなに古い文献が出てきたとしても、それが「最古である」と言い切れることはないでしょう。歴史上のことは、明確に言い切れることのほうが少なく、きっちりとは証明されていない定説を採用するしかない、そうしないと歴史が語れないのが歯がゆいところです。
ぜひ、時間のあるときに、ゆっくり再考なさってみてください。また、ほかの方々のご意見も伺いたいものです。 --Kazov会話2017年5月27日 (土) 08:49 (UTC)[返信]
コメント 素人なので外しているかもしれませんが、言葉の使い方が変わるのは一般的には特定の瞬間ではなく、ある程度の幅があるはずです。
具体的に「城」の読みについては、時代の古いほうから
(1) 「キ」と読む。
(2) 「キ」の他に「シロ」とも読まれる。
(3) 「シロ」と読むのが主流になるが、まだ「キ」とも読まれる。
(4) もっぱら「シロ」と読まれる。
と遷移したと考えます。
で、『「シロ」と訓じ始めた』が(2)を指しているのか(3)を指しているのかが曖昧です。Kazovさんは(2)のつもりのようですが、(3)だととらえる人はいるでしょうし、(4)だと思う人もいるかもしれません。少なくとも私は最初に読んだとき、(3)の意味だと思いました。--アルビレオ会話2017年5月27日 (土) 10:09 (UTC)[返信]
コメント アルビレオさん、ご意見をありがとうございます。私は、(3)のつもりでした。節用集のような字書に掲載される読みは、かなり一般的であるはずだからです。
 しかし、改めて節用集を見てみると、単独の「城」は(4)のようです。節用集は、主な読みを各単語の右側に片仮名で振っています。「シ」の部にある「城」には、右側に「シロ」と振ってあり、左側には「ジヤウ」と振ってあります(「キ」はありません)。(このように左側に音が振ってある例はかなり珍しく、前後十数枚ずつ[イロハ順でサキユメミシヒモ]を見ても他には発見できませんでした)。また、「キ」の部を見ると、単独の「城」はなく、わずかに「城門(キド)」があるだけでした。つまり、訓読み「キ」は、この時点でほぼ失われているのです。(ただし、現在も「茨城」などに「キ」が残るので、固有名詞中の読みとしては(3)です。)
 記事「節用集」を読むと、節用集以前の辞書として平安時代末期の『色葉字類抄』があります。しかし、文献 [3] 『古語大辞典』(角川、1987)は、「シロ」の語源として『節用集』を採用しています。ですから、たぶん平安時代末期から文明6年(室町時代中期)までの間で「シロ」と訓じられるようになったのでしょう。
 ただし、アルビレオさんの(3)または(4)を示唆するような表現にすると、「特定の観点を推進する」ことになってしまいます。
提案 : 「ただし、中世後期には「城」は「しろ」と読まれた[3]。」を、第1段落の最後にも書くのはどうでしょうか。 --Kazov会話2017年6月1日 (木) 12:29 (UTC)[返信]

Kazovさん、アルビレオさん、おつかれさまです。(インデント戻します)

私事ですが、インターネット回線のトラブルで暫く携われず申しわけありませんでした。本日15時45分ごろから、一応今までの流れを拝読いたしました。

独自研究に関して、私も少し理解が足らなかった部分があったと思います。

>“出典には文明6年の『節用集』しか用いていないので、「…発表済みの情報の合成」には該当しないと考えます。 理由: 私の前回投稿中の 3. は 2. から単純に演繹される事実であり、そこに私の独自研究(見解)は含まれていません。「特定の観点を推進」してもいないと思いますし、「合成」はしていません。”
>>“2.文明6年(1474年)の一次資料で、「城」を「シロ」と訓じている。3.したがって、「シロ」と訓じ始めたのは、文明6年かそれ以前である。”
仰るように、2の事実を根拠に「文明6年かそれ以前」と付け加えています。以下は、その部分について検討したものです。
独自研究は載せない#一次資料と二次資料」によると、一次資料の解釈は信頼できる二次資料が必要とあるわけですが、解釈とは一次資料自体に関する記述(分析・合成・解釈・評価など)を行う場合のことだと解釈できるため、単純にはこの「独自研究は載せない」の「一次資料と二次資料」のこの一節で、果して焦点の件が当てはまるかは疑問です。
次に信頼できる情報源のウィキペディアにおける「一次資料」の扱いについてです。「信頼できる情報源」によれば、信頼できる二次資料に頼るべきとあります。その一方で「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません。」ともあります。(私が以前、『節用集』に外部リンクを付して閲覧可能な状態にしたのはそのためです)したがって、「その情報が入手できる状態に」なっている『節用集』は一次資料なれど使用可能な資料と判断できます。
したがって、方針やガイドラインに記述されているような部分では、「文明6年かそれ以前」を付してはならないとはいえない、という結論に至ります。ただし、「演繹」がOKかについてはプロジェクトの文書に見当たらないので、セーフかはまだ判断できません。探してみますが、他のルールや井戸端などの議論の例などでご存知でしたらご紹介ください。ない場合は、議論終了後井戸端かどこかで聞いてみたいと思います。いかがでしょうか。
>“ 最古かどうかについて: 「しろ」と訓じた例は、その後に例えば『祇園執行日記』(天文三年七月二一日)に「谷のしろへつめ候とて、どしめき候き。さうとよりしろを手をあはせ、みなとりまはし候由申候」があります。”
コメント ここに見える「谷のしろへつめ候とて」の「谷のしろ」は現代語的に表記すれば「谷の城」ということなのでしょうけど、漢字表記ではなくひらがな表記なので単純に城をしろと読んでいたという根拠としてはいまひとつ足らない気がいたします。私たちが「城」と呼んでいるようなものをその時代に「しろ」と呼んでいたという根拠にはなりうるとは思いますが、厳密すぎるかもしれませんけど、もう一つ「谷の城」など、「城」と「しろ」がリンクしあうような、いくつかの異表記が現れていないと、『祇園執行日記』という文献において「城」と言う字が「しろ」と読まれていたという一例にはならないような気がいたします。
その他に文献をご存知でしたら、またよろしくお願いいたします。
『角川古語大辞典』を出典とする「山に城を造って領国を守る時代が訪れ、中世後期には「城」は「しろ」と読まれた」についてですが、実際の記述を読んだわけではないため大きなことはいえませんが、この書籍が節用集を出典にこの部分を記述しているのであれば、「文明6年(1474年)の文明本『節用集』には、「城」に「シロ」の訓がある。この記述から『角川古語大辞典』では「中世後期には「城」は「しろ」と読まれた」としている。」という書き方も可能だと思われます。これについては、実際に辞典にそこまで書いてあるかはわかりませんので、図書館で調べてまいります。
>“「ただし、中世後期には「城」は「しろ」と読まれた[3]。」を、第1段落の最後にも書くのはどうでしょうか。”
反対 私はそれには賛成しません。
“日本において漢字「城」が「しろ」と訓じられるようになった時期は特定されていない。”を打ち消す「ただし」を付して記述するのですから、それよりも“日本において漢字「城」が「しろ」と訓じられるようになった時期は特定されていない。”の一文を削除したほうが文章も短くなってよいと思います。

アルビレオさん、ご意見をありがとうございます。

>“『「シロ」と訓じ始めた』が(2)を指しているのか(3)を指しているのかが曖昧です。Kazovさんは(2)のつもりのようですが、(3)だととらえる人はいるでしょうし、(4)だと思う人もいるかもしれません。少なくとも私は最初に読んだとき、(3)の意味だと思いました”
いつごろからそう読まれるようになったか…と考えるのは読者ですので、そんな方向で読んでいただけるような記述を目指しているつもりではあります。--ムカイ会話2017年6月3日 (土) 09:31 (UTC)[返信]


提案 : 第1段落最後の文を「中世後期には「城」は「しろ」と読まれた[3]。」と変更することを、新たに提案します。 --Kazov
理由: ムカイさんが、下記の「時期は特定されていない」にこだわっているわけではないことが判明したからです。

“日本において漢字「城」が「しろ」と訓じられるようになった時期は特定されていない。”の一文を削除したほうが文章も短くなってよいと思います。
— User:ムカイ

コメント 前回までの提案は取り下げます。したがって、ムカイさんが「演繹」の妥当性をお調べになる必要はありません。

「演繹」がOKかについてはプロジェクトの文書に見当たらないので、セーフかはまだ判断できません。
— User:ムカイ

コメント: 記事の本文中(第1段落)に、次行を少し変更した文を挿入します。
中古から中世初期の文献に「城」とのみあるものは、「キ」または「ジヤウ」と読むべきものである。 — 「しろ」『古語大辞典』角川書店、1987。
理由: 改めて本文を読み直してみると、古語に訓読み「き」があったことは述べられていますが、「しろ」がなかったことは述べられていません。ひょっとすると、それが無用な論争を生む素になっているかもしれないと考え、また多くの利用者のためにも掲載しておくべきと思うからです。(ここで提案してから挿入するのも一法ですが、上の提案に集中するほうが議論が単純になるのでよいと考え、直接書き込みます。もしまずければ差し戻し (revert) をなさってください。) --Kazov会話2017年6月3日 (土) 14:34 (UTC)[返信]

Kazovさん、おつかれさまです。お返事が大変遅くなりまして、申しわけありません。

コメント 『古語大辞典』について
きちっと認識を共有できるようにして、それからご提案の「中世後期には「城」は「しろ」と読まれた[3]。」の変更が適当であるかどうかを検討したほうがよいと思われますので、本日図書館で角川書店の『古語大辞典』を検証してまいります。--ムカイ会話2017年6月10日 (土) 03:35 (UTC)[返信]
報告検証作業から戻ってまいりました。
確かに定義・冒頭の後に、―山城国は奈良山の背後という意味で「やましろ」と名付けられ、平安京遷都が成されたとき「自然作城」(自然の山河が都市を守るという意味)という認識があって、794年に「斯形勝によりて、新号を制すべし。」(『角川古語大辞典』中村幸彦 ほか編、角川書店、1987年より引用。)と「山背」を「山城」に改め、「山城」を「やましろ」と読んだために「山城」と書くときの「城」にだけ「しろ」が当てられた―という風に記述されています。このあとに、Kazovさんが引用していただいている一文がきて、このあとの「しかるに」については「ところで」と同類の接続詞と解釈されるので、ここで一旦文章が切れていることになります。また、延暦13年に山背を山城に改名したことに発生した「山城」の読みと中古-中世初期までの文献の「城」の字は「キ」「ジヤウ」と読むべきものとの記述は「したがって」などの接続詞的なものは入れられておらず、繋がりがはっきりとしません。
コメント したがって、私は1「軍勢が立てこもって―」の冒頭部分、2「奈良山の―」、3「中古から中世初期の―」、4「しかるに、山が―」…という具合にこれらは別の記述として解釈すべきものだと思いました。そのうち3「中古から中世初期の―」は、「べきもの」という根拠が2のくだりからは読み取ることはできないため、このくだりは担当した執筆者や著者の意見の可能性がありますので、とりあえず取り扱いには注意が必要だと思います。
「中世後期には「城」は「しろ」と読まれた[3]。」への記述の変更について
賛成 三次資料で、中世後期にはそのように読まれたとの記述があることが確認できますので、問題はないと思います。その意味で賛成票です。
提案 私の案ですが「漢字の「城」は、現在は音読みで「じょう」また「せい」、訓読みで「しろ」と読む[1]。また、日本語の古語として「き」という訓読みがある[2]。」の後に「「しろ」と訓じられるようになった時期として『角川古語大辞典』によれば、中世後期には「しろ」と読まれたとしている。」とするのはいかがでしょうか。ご検討をお願いいたします。
質問Kazovさんによる2017年6月6日 (火) 00:50‎ の版の記述について。
本文の「中古から中世初期の―」というくだりについてです。
この部分については文章が『角川古語大辞典』と同じのようですが、著作権法に抵触する恐れはないでしょうか。ご確認をお願いいたします。--ムカイ会話2017年6月10日 (土) 08:14 (UTC)[返信]


 感謝: ムカイさん、ご多用のところ、ご確認をしていただきどうもありがとうございます。(インデントを戻します。)

「…日本語の古語として「き」という訓読みがある[2]。」の後に「「しろ」と訓じられるようになった時期として『角川古語大辞典』によれば、中世後期には「しろ」と読まれたとしている。」とするのはいかがでしょうか。
— User:ムカイ

賛成 : 基本的に、それでよいと思います。ただし、追加する文を少し単純化して、「「しろ」と訓じられるようになった時期を、『角川古語大辞典』では中世後期としている[3]。」としてはいかがでしょうか。
除去: 上記の追加をする場合、段落末尾の「日本において漢字「城」が「しろ」と訓じられるようになった時期は特定されていない。」は、削除したほうがよいでしょうね。内容が矛盾するからです。
除去: 上記の追加と削除をするなら、「中古から中世初期の―」も、削除してよいでしょう。直後に続く第2段落の内容と重複してしまいますから。(なお、この文は、出典を明記している一部の引用なので、著作権法上の問題はないはずです。)

結局、上記の修正案を採用すれば、第1段落はこうなります。これでよろしいでしょうか。

漢字の「城」は、現在は音読みで「じょう」また「せい」、訓読みで「しろ」と読む[1]。また、日本語の古語として「き」という訓読みがある[2]。「しろ」と訓じられるようになった時期を、『角川古語大辞典』では中世後期としている[3]

--Kazov会話2017年6月12日 (月) 01:52 (UTC)[返信]

Kazovさん、おつかれさまです。新しいご提案、拝読いたしました。
漢字の「城」は、現在は音読みで「じょう」また「せい」、訓読みで「しろ」と読む[1]。また、日本語の古語として「き」という訓読みがある[2]。「しろ」と訓じられるようになった時期を、『角川古語大辞典』では中世後期としている[3]
賛成  よい落しどころだと思います。除去部分についても問題ないと思います。一つ目の除去部分は、正しくは除去ではなく「「しろ」と訓じられるようになった時期を、『角川古語大辞典』では中世後期としている。」へ訂正するつもりでのご提案という認識であります。二つ目もおっしゃるとおりでありますので、除去していただくことで問題ないと思います。

上記の追加と削除をするなら、「中古から中世初期の―」も、削除してよいでしょう。直後に続く第2段落の内容と重複してしまいますから。(なお、この文は、出典を明記している一部の引用なので、著作権法上の問題はないはずです。)
— User:Kazov

 感謝 お返事ありがとうございます。
本文の「中古から中世初期の―」の一文が引用であることを確認いたしました。引用の場合は引用とわかるようにしなければならないという決まりがあります(Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#引用の要件の5)。もし、著作権法違反だと判断されて特定版でも削除されるようなことになれば、いろいろ面倒だと思います。決定事項を反映する前に一度著作権問題の調査依頼で確認していただいた方がよいと思いますが、いかがでしょうか。--ムカイ会話2017年6月12日 (月) 13:56 (UTC)[返信]
報告本日、著作権問題調査依頼に調査依頼を行いましたのでお知らせいたします。--ムカイ会話2017年6月16日 (金) 14:31 (UTC)[返信]

報告: ムカイさんと意見が一致し、上記案のとおり改訂しました。ご意見、ご協力をありがとうございます。
改訂案では削除される部分について著作権問題調査依頼が出されたので、すぐに削除しないほうがよいと考え、改訂作業をせずに待っていました。現在まで1週間がたち、どなたからのご意見もないので、改訂を実施いたしました。
返信 : 確かに、Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#引用の要件の 5. には「記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識できること」と書いてあります。その方法として、「被引用文を、カギ括弧、字下げ、枠組みなどを用いて、明確化するのが一般的です。」と書いてありますが、「明瞭に区別できるのであれば、方法は問いません。」とも書いてあります。調査依頼なさった部分には、1文ごとに文末に出典の参照記号([3] など)が付いているので、どこからどこまでがどの出典から引用されているのかが明確です。この方法は、学術論文などでも多用されている方法なので、問題はないと考えております。 --Kazov会話2017年6月22日 (木) 16:26 (UTC)[返信]

Kazovさん、おつかれさまです。
 感謝改訂いただきまして、ありがとうございました。
コメント 引用部分についてのご認識を拝読いたしました。
「引用の条件」の5条には以下のようにあります。
記事本文と被引用文が明瞭に区別できない場合、被引用文の利用までもがフリーライセンスで許諾されているものと誤認されるおそれがあります。それを回避する上でも、本要件は重要です。 — 「Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#引用の要件
ウィキペディアはフリーライセンスで提供されるものですので、引用部分とそうでないものとをより明瞭に分けて引用することを望んでいるようです。また、日本の著作権法でも、4.「引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること」5.「カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること」(いずれも「Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#考慮すべき法律」より)として同様に引用部分がはっきりとわかるように記述することとしているようです。

「明瞭に区別できるのであれば、方法は問いません。」とも書いてあります。調査依頼なさった部分には、1文ごとに文末に出典の参照記号([3] など)が付いているので、どこからどこまでがどの出典から引用されているのかが明確です。この方法は、学術論文などでも多用されている方法なので、問題はないと考えております。
— User:Kazov

その前文には、以下のようにあります。
記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識できるようにするには、被引用文を、カギ括弧、字下げ、枠組みなどを用いて、明確化するのが一般的です。 — 「Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#引用の要件
[3]」によって出典または脚注があることは判明しますが、この文献を読んだことがない人であったら、この部分が引用部分だと気づく人はいないと思います。したがって、明瞭に区別するには「[3]」をもって引用部分の範囲とするとするのは十分ではないと思われます。
以上のことから本件を直接、特定版削除の依頼を行いたいと思います。予定している範囲は2017年6月3日 (土) 14:34時点における版から2017年6月6日 (火) 00:50時点における版までです。依頼後にご報告いたしますので、ご協力をお願いいたします。--ムカイ会話2017年6月24日 (土) 04:20 (UTC)[返信]

終了「「しろ」の語源」節の修整について合意形成が行われましたので、これにて議論を終了したいと思います。

ご協力いただきました、Kazovさん、アルビレオさんありがとうございました。なお、今後も修正提案を受け付けておりますので、この「しろ」の語源」の部分については、このセクションにてお願いいたします。

報告特定版削除の依頼を提出してまいりました。以降、引用部分の著作権法に関わる議論は削除依頼ページにて行ってまいりますので、ご協力をお願いいたします。--ムカイ会話2017年6月24日 (土) 04:44 (UTC)[返信]