ノート:成田新幹線

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東京-越中島間工事についての記述除去の理由[編集]

東京―越中島間の工事についての記述を削除されたのはなぜでしょう? 編集の要約にもここにも理由を書かれておらず、京葉線の記述にはこの記述が残っているのですが、間違った記述だったのでしょうか。--218-225-118-245 2004年11月30日 (火) 07:02 (UTC)[返信]

東京駅ホームについて[編集]

日本鉄道建設公団発行の『京葉線工事誌』には、成田新幹線として建設された施設を転用したとする記載が一切なく、京葉都心線の着工の際に一から作り始めたような記述でまとめられています。

よって、東京駅は東京〜越中島貨物間と同様に空間設定のみで、筐体そのものの工事には着手していなかった可能性もあるのではないかと思い、私は「〜と言われている」という表現にとどめておいたのですが。筐体転用説を明確に証明できる文献等がありましたらご教示いただければ幸いです。--Kusamura 2005年8月30日 (火) 15:44 (UTC)[返信]

『日本鉄道建設公団30年史』や公団の各年度の事業計画なども確認しましたが、やはり成田新幹線の名義で東京駅ホームに着手したとする記述はありませんでした。現状では明確に確認できないので元の記述に戻します。そもそも、京葉線東京駅の構内はそんなに広いでしょうか? 私が見た限りでは、ほぼ同じ条件にある上野駅や成田空港駅と比較して少し狭いような気がするのですが。--Kusamura 2005年11月5日 (土) 11:58 (UTC)[返信]
成田新幹線東京駅ですが、『横須賀線東京駅の建設時に一部着工していた』とう記述を見たことがあります。
ソースを探してみます。--以上の署名のないコメントは、210.138.91.134会話/Whois)さんが 2007-03-09 08:17:32 (UTC) に投稿したものです。

東京駅の節を元に戻します。両論併記しなければならないほど難しい話ではありません。公団史や工事誌を引っ張るまでもなく、京葉線(都心線)の工事が行われた当時の新聞や雑誌などを読めば、躯体転用説は明らかに間違いであることが分かります。 たとえば、鉄道ジャーナル1988年3月号42〜46pには「京葉線東京地下新駅工事の現状」と題した記事が掲載されており(執筆者は東日本旅客鉄道東京工事事務所)、「東京地下駅は昭和60年7月に全面着工して2年半が経過したが、この間に仮設工事および一次掘削工事が完了し、工事は最盛期を迎えている」と記されています。一次掘削工事というのは掘削工事のごく初期の段階です。成田新幹線の工事が凍結された1983年度の時点で東京駅の躯体が完成していたのであれば、1985〜1988年のあいだに仮設工事や一次掘削工事など行うはずがありません。他にも、交差する鉄道や道路の仮受工事など、躯体完成後にやるはずのない工事がこの時期に行われていることが、この記事には写真入りで詳細に記されています。
これだけでも転用説は明確に否定できるのですが、ついでに一般紙の記事もあたってみました。1986年2月5日の朝日新聞朝刊には、環境庁長官が東京地下駅の建設で湧出する地下水を皇居のお堀の水質浄化に役立てる方針を固めたとする記事が掲載されており、「国鉄によると、京葉線は千葉から東京湾岸を通って東京までつなぐ路線で、同線の東京駅は地下33メートルのところにできる。建設工事は昨年7月から始まり、63年3月に完成予定だ。昨年夏から掘削しているが、工事水が本格的に出るのは61年度からという。」と記されています。「昨年(=1985年)夏から掘削」を開始している工事が、1983年度に工事が凍結された成田新幹線の掘削工事であるはずがありません。
さらに1988年5月10日の読売新聞夕刊には、京葉線東京地下駅の工事現場リポートが掲載されており、「京葉線東京地下駅の建設現場は、いま都庁舎前の道路下で、深さ約二十メートルまで掘り進められている。」としています。深さ約30mの京葉線東京地下駅が1988年5月の時点で「深さ約二十メートルまで」しか掘削されていないのです(つまり未完成)。しかも1988年といえば、成田新幹線は工事の凍結どころか基本計画すら失効しています。--61.124.234.79 2007年4月3日 (火) 15:31 (UTC)[返信]

現在京葉線のノートで議論しています。情報を集約するため、議論はこちらでお願いします。--Alt_Winmaerik 2007年9月30日 (日) 15:37 (UTC)[返信]
本件は上記ノートで10月一杯を出典明示の猶予期間と設定のうえ、議論中です。現在洗い出し済みの出典を記事にする方向性も見えていますので、一度上記ノートをご覧下さい。--Alt_Winmaerik 2007年10月28日 (日) 14:44 (UTC)[返信]
ノートでの結論を反映させました。異論反論がある場合は、上記ノートで出典を示し、議論してからにしてください。--Alt_Winmaerik 2007年10月31日 (水) 15:49 (UTC)[返信]
情報 当セクションの主題にかんする議論と典拠探索は《ノート:京葉線#東京駅と成田新幹線の関係》でおこなわれました。--Yumoriy会話2024年5月8日 (水) 12:43 (UTC)[返信]

出典の追加について[編集]

今月に入り、玄史生さんによって 交友社『鉄道ファン』2008年8月号 No.568 p110〜p117 が出典として追加されました。しかし、当該雑誌の発売は2008年6月20日であるのに対し、7月8日現在の記事全てが6月20日以前に記述されたものであることから、出典としては認められないと考えます。以上の理由により、出典からは削除しましたのでご了承ください。--Alt_Winmaerik 2008年7月8日 (火) 08:40 (UTC)[返信]

これが私の加筆利用記事です、7月8日以前の加筆変更もご一覧くたさい。決は本文への加筆なしに文献名だけ追加するてはない。--玄史生 2008年7月8日 (火) 09:29 (UTC)[返信]
日本語が難解?で意味のわからない部分も多々ありますが、とりあえずその加筆部分は存じていますが? 記事としての実態の無い程度の分量です。この成田新幹線の記事が執筆された際に、貴方の仰る雑誌を「参考文献」として並べられるほどの情報は、その雑誌からは何も採用されていません。参考文献ではなく、脚注化で対処すべき程度の分量です。--Alt_Winmaerik 2008年7月13日 (日) 15:24 (UTC)[返信]
上記の件、文献名のみ削除し記事タイトル部分を残してしまっておりました。失礼しました。--Alt winmaerik 2009年2月3日 (火) 09:59 (UTC)[返信]

「武蔵野線交差部 - 千葉ニュータウン駅付近」項[編集]

上記の『鉄道ファン』での記事を執筆された草野氏が、船橋二和高南側の敷地について見解を変えた模様なので、注釈箇所を削除したいと思います。[1] --4th protocol会話2021年10月9日 (土) 06:25 (UTC)[返信]