ノート:引き揚げ

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「撤収」という用語について[編集]

「軍や軍人及び軍属が軍籍下で本土に戻されることを「撤収」という」という記述が本文中に記載された方がおられましたが、「撤収」の用語を日本の敗戦後の軍人の「復員」と同列の用語として使用した資料は、見当たりませんでした。そのため、本文中では「復員」という用語に統一いたしました。「撤収」といいうのはまだ軍隊が存続し、軍人が「軍籍」下にある場合に使用する語句であり、本稿で扱う時期、すなわち軍隊が解体されつつある時期に使用する用語ではないと考えます。--二林史夫会話2015年7月3日 (金) 21:13 (UTC)[返信]


本記事における戦争の呼称について(「アジア・太平洋戦争」・「太平洋戦争」・「大東亜戦争」・「第二次世界大戦」の各用語について)[編集]

要旨[編集]

本記事において「アジア・太平洋戦争」を用いるか、「太平洋戦争」を用いるか、「大東亜戦争」を用いるか、編集合戦になりかけている。「アジア・太平洋戦争」の用語の選択を維持しつつ、「一般的でない」との批判をふまえ、改善提案を行う。

各用語の定義[編集]

  • アジア・太平洋戦とは1931年の満州事変に始まり、日中戦争・太平洋戦争を経て1945年の敗戦に至る一連の対外戦争の総称。これらの戦争を一連の不可分一体のものと考え、日本がアメリカとの戦争のみならず、中国・アジア諸国に侵略戦争を行った意味を込めた呼称である(『大辞林(第3版)』三省堂)。
  • 太平洋戦争とは、第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国など枢軸国とアメリカ等の連合国との戦争である(wiki「太平洋戦争」の項)。
  • 大東亜戦争とは、太平洋戦争の日本側の呼称であり、1941年12月12日の東條内閣で閣議決定された呼び方で、支那事変(当時の言い方、現在では日中戦争が一般的呼称)も含めるとされた(「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」;昭和16年12月12日 閣議決定による)(wiki「太平洋戦争」の項)。
  • 第二次世界大戦とは、1939年から1945年までの6年間、(ナチス)ドイツ、日本等の三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、英・米・仏・ソ連および中華民国等の連合国陣営との間で戦われた全世界的大規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、仏英による対独宣戦布告とともにヨーロッパ戦争として始まり、その後1941年12月の日本と米英との太平洋戦争によって、戦火は文字通り全世界に拡大した(wiki「第二次世界大戦」の項)。

以上の用語をどう使い分けるかについての私見[編集]

上記4つの用語は確かに重要要素(1941年からの要素)が重なり合いますが、「いつから始まった戦争を指すか」という点で、大きな違いが生じます。まず、1931年の満州事変から1945年の敗戦までの一連の戦争と捉えるのが「アジア・太平洋戦争」の用語、1939年のナチスドイツのポーランド侵攻から日本の敗戦までの世界規模での戦争と捉えるのが「第二次世界大戦」の用語、時間的・空間的な幅が一番狭いのが「太平洋戦争」で1941年12月8日の日本による真珠湾攻撃に象徴される連合国への戦争開始から日本の敗戦までとの捉え方です。 「アジア・太平洋戦争」「太平洋戦争」「第二次世界大戦」の各用語にあっては、場面によっての使い分けが必要と考えます。すなわち、日中戦争から太平洋戦争に至る一連の流れを示したいときは「アジア・太平洋戦争」との用語を、これに対してアメリカをはじめとする英・仏がアジア地区に有していた植民地に対する戦争に限定して述べるときは「太平洋戦争」をという使い分けをすべきと思います。確かに、「満州事変から日本の敗戦までを一連の不可分一体のものと考え」という捉え方は、これまでは一般的ではなかったかもしれません。しかし、戦争というものは、全くの平和状態から一夜にして始まるものではありません。「戦後の多くの書物は、『第一次世界大戦中に日本が中国に<二十一ヶ条条約>を押しつけた結果、中国側のナショナリズムを高揚させ、抗日運動を激化させた。その中国を支援する米英に対する日本側の政策の失敗は、日米関係を悪化させ、最終的に石油の禁輸を招いた。そのために日本はやむにやまれず真珠湾を攻撃した』と語っている。中学や高校の歴史教科書もほぼこのように説明している。」(山中恒著『アジア・太平洋戦争史』(2005年)岩波書店刊、「まえがきー欠けていた視点」より)このような一連の流れの中で捉えるのが、本質を捉えていると私は考えます。今後は、「アジア・太平洋戦争」の言葉が多くの場面において、「太平洋戦争」の言葉に置き換わっていくと思います。

とりわけ本「引き揚げ」の記事について[編集]

本記事は、いわゆる「外地」にいた軍人・軍属と民間人あわせ600万人以上の日本人が短期間・集中的な人間の移動、言い換えると人類史上最大規模の移動について解説しています。では何故それだけの人員が「外地」にいたのか?満蒙開拓団による移出が満州事変後本格化したという事実に象徴されるように、満州事変後の一連の国家の軍事・経済政策、その最高度の発現形態として「アジア・太平洋戦争」のなかで、それだけの人員が「外地」に蓄積されたのです。それがポツダム宣言受諾という出来事を契機として、身の危険を冒して否応なく帰らざるを得なかった、それが「引き揚げ」の実態です。この実態そして本質を考えれば、用語の選択として「アジア・太平洋戦争」という用語の選択が相応しいと考えます。

改善提案[編集]

上記理由により、本記事においては、「アジア・太平洋戦争」の用語を維持したいと考えます。ただし、この用語に馴染みがないという年代の利用者もいるだろうということも認識しております。そこで、以下のように改善提案をしたいと思います。

引き揚げ(ひきあげ)とは、1945年(昭和20年)のアジア・太平洋戦争 [注釈 1]における日本の敗戦まで、日本の植民地や占領地での生活基盤を有する一般日本人が、日本本土に戻されることをいう[1][注釈 2]

(略)

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 太平洋戦争」が第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国など枢軸国とアメリカ等の連合国との戦争を指す(wiki「太平洋戦争」の項)用語であるのに対して、「アジア・太平洋戦争」とは1931年の満州事変に始まり、日中戦争・太平洋戦争を経て1945年の敗戦に至る一連の対外戦争の総称を指す。これらの戦争を一連の不可分一体のものと考え、日本がアメリカとの戦争のみならず、中国・アジア諸国に侵略戦争を行った意味を込めた呼称である(『大辞林(第3版)』三省堂)。大東亜戦争とは、太平洋戦争の日本側の呼称であり、1941年12月12日の東條内閣で閣議決定された呼び方で、支那事変(当時の言い方、現在では日中戦争が一般的呼称)も含めるとされた(「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」;昭和16年12月12日 閣議決定による)(wiki「太平洋戦争」の項)
  2. ^ 軍人や軍属を召集解除または解雇し、軍籍から外すことを「復員」という。軍人軍属が日本本土以外にいる場合は、日本への帰還が完了することで最終手続きとなるため、所定の「復員手続」を済ませて、帰郷旅費を支給するまでの面倒を見ることまでが「復員業務」とされた。本項では、一般日本人の「引き揚げ」に加え、軍人軍属の「復員業務」を併せて扱う。(以上河原後掲書による)
出典
  1. ^ 河原(2011年)12ページ

参考文献[編集]

  • 河原功解題「編集復刻版台湾引揚者関係資料集第1巻」(2011年)不二出版

--二林史夫会話2015年8月23日 (日) 20:49 (UTC)[返信]

議論[編集]

議論提起ありがとうございます。まず結論から申し上げますと、アジア・太平洋戦争ではなく、「太平洋戦争大東亜戦争」あるいは「太平洋戦争大東亜戦争)および日中戦争」(大東亜戦争についてはなくても可)を採用すべきではないかと思います。

まずそもそも論として、Wikipediaの構成上、太平洋戦争および日中戦争の記事に戦争そのものの概要が書かれている以上、アジア・太平洋戦争という説明書きは整合性が取れませんし、[[太平洋戦争|アジア・太平洋戦争]]というやり方も読者に混乱を与えるだけですので、不適切だと思います。

次に私見としては、防衛研究所紀要第13巻第3号(2011年3月)の日本における戦争呼称に関する問題の一考察(http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j13-3_3.pdf (PDF) )の「おわりに」(p.78以降)に私の言いたいことがおおよそ書いてあったので参照していただければと思いますが、一般的には「太平洋戦争」や「日中戦争」という呼称が用いられている現状があり、一方「大東亜戦争」や「アジア・太平洋戦争」については認知度の問題やイデオロギー的な背景があると言われていますので、中立的な表現である「太平洋戦争」や「日中戦争」を用いるべきだと思います。また、「大東亜戦争」については当時の日本政府が公式に決めた名称であるという事情もあります(そのため日本政府関連機関が編纂した史料にも記載が多い)ので、併記しても良いと考えますが、「アジア・太平洋戦争」については戦争期間の定義について曖昧な箇所があるという指摘も防衛研究所紀要第13巻第3号の65ページに指摘がある上に、二林様ご提示の注釈である国語辞典は何が根拠なのかが検証が難しいですので、用いるべきではないと考えます。同様にWikipedia:検証可能性#ウィキペディア自身及びウィキペディアの転載サイトにありますように、Wikipediaの他項目から注釈や出典を引っ張ってくるのは自己参照となる上に、誰かが編集してしまえば同一性を保持できなくなるため、避けるべきであると思います。

(個人的には三省堂の辞書にある侵略戦争云々というのも政治的な議論の対象となっていますので、表記すべきではないと考えております。あとついでに細かいことを申し上げますと、「Wiki」ではなく「Wikipedia」と必ず記載して下さい。Wikiはあくまでシステムの名称ですし、一部古参ログインユーザーに必ず揚げ足を取られる間違いですので、お気をつけていただければと思います)

参考までに噛み砕いたと思われるものも見つけましたので、長文PDFを読みたくないという方のために、念の為リンクを置いておきます[1]

それと過去にも同様の議論があったようなので、参考までに - ノート:太平洋戦争/過去ログ1 --準特橋本Talk/Contribs2015年8月24日 (月) 10:25 (UTC)[返信]

本記事中の戦争を指し示す用語について[編集]

S.S.Exp.Hashimoto様、ご提案ありがとうございました。この提案を受け、表記の件について以下のようにしたいと思います。結論としては、「アジア・太平洋戦争」に代え「太平洋戦争および日中戦争」の用語を使用することにしたいと考えます。理由は、S.S.Exp.Hashimoto様が2015年8月24日の提案で主張されているとおり、Wikipediaの構成上、太平洋戦争および日中戦争の記事に戦争そのものの概要が書かれているのに対し、アジア・太平洋戦争の記事が用語の説明に終わっていることです。この現状にかんがみれば、本記事において「アジア・太平洋戦争」の用語を出すのは、利用者にとって不親切と考えるに至りました。よって、「太平洋戦争および日中戦争」の用語に変更したいと思います。ご諒解いただければと思います。--二林史夫会話2015年8月30日 (日) 06:36 (UTC)[返信]

承知いたしました。私も賛成です。--準特橋本Talk/Contribs2015年8月30日 (日) 07:40 (UTC)[返信]