ノート:少女革命ウテナ

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"アンシー"の語源について[編集]

アンシーという名前の由来ですが、「花が開く」という意味なのは把握しているのですが、それがどの言語を由来にしているのか確証がとれません。(ラテン語説とギリシャ語説がある。)どなたか詳しい方がいらしたら追記をお願いします。 210.224.236.182 2004年10月14日 (木) 23:55 (UTC)[返信]

確かギリシャ語のαηθ(Anthy;花?花が開く?)だったような・・・--この署名のない記事は2005-01-22 06:25:05に206.27.238.161さんによって書かれました.--Gonorego 2006年5月28日 (日) 12:13 (UTC)[返信]

どうして1年の放映予定だった記述を消したのでしょうか?[編集]

チェック

ネタバレテンプレートはともかく視聴率云々の記述は別に消すような内容じゃないでしょう。消した理由は書くべきです。実際終盤はかなり端折ってわかりにくい展開になっていました。ただ絵のレベルが異常に上がっていたことを考えると、打ち切りというか短縮が近いでしょうが。--Gonorego 2006年5月28日 (日) 12:13 (UTC)[返信]

打ち切りになったという情報はどこから仕入れたものなのでしょうか?--Snow steed 2006年5月28日 (日) 23:20 (UTC)[返信]
ふーむなるほど、確かに言われてみればその通りですが、消した理由は書いて欲しかったです。確認がとれないためとか。--Gonorego 2006年5月29日 (月) 10:13 (UTC)[返信]
ちなみに、視聴率については当時の月刊ニュータイプに掲載されていたビデオリサーチによるデータでは同時間のテレビ東京アニメとしては天空のエスカフローネと同程度のようです(ただ、全話比較したわけではないので信頼性は低いと考えてください)。同時期のスレイヤーズ (アニメ)爆走兄弟レッツ&ゴー!!と比べるとやや低いですが打ち切りになるほどかどうか。3クールに関しては放映当初から聞いていたようにも思ったのですが、なにぶん10年近くも前で記憶がハッキリしないのでなんとも言えません。個人的には4クールがほとんどだった時代から2クール(や1クール)アニメが増え始めた時代でしたので実験的な要素でも有ったのかと思っていましたが、打ち切りと言う資料があるのでしたら示して頂ければと思います。--Snow steed 2006年6月1日 (木) 03:05 (UTC)[返信]
私も確証がないのでタイトルを変えました(打ち切り云々を書いたのは私ではありません)。当時のニュースグループで「姫宮は何人の愛人扱いになることに決まってるんだ」等大騒ぎになったことを知ってはいますが、当初1年の予定だったかどうかは情報はありません。資料系の本にもさすがに記述はなかったですし。--Gonorego 2006年6月1日 (木) 12:50 (UTC)[返信]

登場人物修正[編集]

チェック

登場人物への追記で、明らかに事実と違う部分や記憶違いと思われる部分を消したり直したりさせて頂きました。
そのついでといっては何なのですが、脚本集やLDライナーなどのスタッフインタビューから得られた情報を元にいろいろ書き加えてみたのですが、見づらくなったかも…。
センスのある方、修正をお願いします。

--以上の署名のないコメントは、219.101.69.7会話投稿記録)さんが 2007年3月5日 (月) 17:59 (UTC) に投稿したものです(kimidoriによる付記)。[返信]

ウテナとアンシーの現在の人物紹介文についてですが、やや冗長であるように感じます。またアンシーの項においては紹介文が解説の枠を逸脱し主体性の強い考察文となってしまっている気がします。人物紹介はキャラの人物像を客観的に記述するものに留め、考察は以前のように作品への導入的なレベルのものへと留める方が良いように思うのですがどうでしょうか。ご意見をお持ちの方、お聞かせ頂ければありがたいです。Idobata 2007年3月19日 (月) 07:25 (UTC)[返信]

加筆&修正ありがとうございます。天上ウテナの紹介文の最後の二行について私の方でコメントアウトを行わせて頂きました。直前の段落にすでに同じ意味の記述がありますので不要と思われたためです。コメントアウトが不適切と思われる場合は修正ください。Idobata 2007年4月21日 (土) 03:21 (UTC)[返信]

加筆をお願いしたい点について[編集]

放送10周年となる今年、かつて関わったスタッフが『ゼロの使い魔』でパロディキャラを出すなど、当時を知るアニメファンには印象の深い作品です。「世界観の編集」など大胆かつある意味独自研究的な編集を拒否するものではありませんが、それよりも百科事典的な加筆をお願いしたいことがあります。

この作品では同じような展開になったときに突然、一見何の意味もない静物が写り込む・割り込むシーンが何回も出てきます。TV版で多用されたのは次の3つの表現です。

  • 黒薔薇会編で下降するエレベーターの背後にサナギの額縁が掲げられている
  • 薫幹がストップウォッチで計時している
  • 薔薇の花が突然何かの法則性を持って出現する

これらのシーンの意味を加筆お願いします。--Gonorego 2007年10月3日 (水) 15:08 (UTC)[返信]

 資料は持ち合わせないので、捜し物のヒントになればと思って仮設を書きますが、
  • 弁証法解釈からして、黒薔薇会は「幼生→蛹→羽化」という中段階ではないでしょうか? 第3段階の決闘では、他人との協力がメインに見えますが、その前に、自分に潜る時期があることを象徴しているのだと思います。
この第2段階を通過すると、決闘広場にはエレベーターが生じますが、それよりもテレポートしたかのようです。黒薔薇会の「影」は「内面」もまた象徴していて、その葛藤を通過した後では、決闘の高みに至るために「螺旋の階段を一歩づつ登」ることに比べて「内部から跳躍的に高まる」ことが可能になる、と・・。
(追加挿入)作品を見直して、追加をしました。
  • 双子の薫兄妹が、理知と感情、安定と不安定に分裂した一体のものであり、幹は理性の体質であることを示していると思います。妹の示す不安定な感情をすばらしいもののように思って、その意味でアンシーのわからなさを求めているのでは。
彼は青バラですが、これは人工的に色を付けないとできません。つまり、彼の人工的な位置づけを表していると思います。
↑追加挿入Suuw 2007年10月4日 (木) 09:28 (UTC)[返信]

修正依頼、独自研究[編集]

チェック

「世界設定、装置」「世界観とテーマ」は独自研究にとどまっていませんか。象徴表現のリストならば百科事典的だと思います。しかし、その象徴的意味をつけるのには違和感があります。とくに脚注までつけて弁証法と不完全性定理について書かれていますが、内容の正確性は確保されていますでしょうか。たとえば、私は専門家ではありませんが、不完全証明はどういう意味でしょうか。証明不可能性ならわかるのですが。それとは別に、弁証法や不完全性定理をそれらに当てはめられるとしても、当てはめることがこの番組の視聴者にとってどれほど一般的なことだったのでしょうか(つまり、スタッフがオフィシャルにそれを背後に考えていた、もしくは視聴者のほとんどがそれを背後に読みこんでいた、というような典拠等を示していただけると嬉しいです)。

むやみに解釈を載せることを否定したいわけではありません。『少女革命ウテナ』の場合、明らかに番組から読みとれることと、視聴者の勝手な解釈にすぎないこととの区別が難しいこともわかります。ただ、現在の編集はやりすぎではないかと危惧しています。Shaz 2007年10月3日 (水) 18:37 (UTC)[返信]

ご指摘はすべてもっともだと思います。
しかし、それ以前の編集こそ、主観的解釈を客観的かのように書き込んでいるものでした。だから、それを((追加挿入2)「寓意解釈例1」として) 別の欄に移して合わせて別の解釈を書き込むことで、全体の客観性を回復させたつもりです。そのことは「世界観とテーマ」の冒頭で書いています。(その文の印象が弱かったなら、強めるように書き直すべきかも)
これらの解釈をすべて等しく削除することには反対しません。ただ、今までの解釈が相当長期掲載されていた以上、しばらく置いてもらうか、今までの解釈 解説は独自研究だと示唆するような一文を置いて欲しいと思います。
象徴用語の脚註としての弁証法や不完全証明については、確かに直接のソースを今取ってきたわけではありません。不完全証明の文は教養書からの私の記憶であり、かつここにもあります。http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/fukanzen.html
また、直接その用語への言及の必要があるかといえば、作品的には薄いでしょう。 しかし視聴者がそれを読み込んでいたからでなく、むしろ逆に、「革命」という言葉によってわりと狭い解釈に意気込んでしまう人も多いようなので、それへのバランスとして哲学用語を加えたわけです。 この辺は、本文と脚注の文表現を変えてみました。
(更に細かくは、「不完全証明」とは通俗固有名のつもりでしたが、googleで確かめると今や一つしかないので、「不完全性定理」に絞るべきでした。また、弁証法について、弁証法の全体像を正しく知っている、と言うつもりもなく、修正を入れました。)
このウテナ項目全体について、独自解釈の匂いをすべて消し去るなら、これらの部分を削除しても当然だと思うのですが。各象徴に意味をつけるについても同様です。 Suuw 2007年10月4日 (木) 09:28 (UTC)[返信]
一般的な話として、正確に理解していない場合、弁証法や不完全性定理のような専門用語を使うのは、控えるべきであると考えます。アドバイスではなく一般的な話としたのは、Suuwさんがどの程度理解しているのか私が把握していないためです。ただ、たとえば、「矛盾のない完全な体系の中にも、真偽を判定できないことが生じうる」と書かれていますが、不完全性定理は「矛盾がなければ完全でない」といっているのだから、「矛盾のない完全な体系」という前提はおかしいです。矛盾のないのは無矛盾性であって、完全性とは異なります。また、「不完全証明」という言葉はリンク先にもありませんでした。せっかく力をこめて執筆していただいて非常に申しわけないのですが、失礼ながらあまり不完全性定理について理解しているようにはお見受けできないので、いらぬ誤解を招かないためにも、削除の方向で編集しませんか。
また、別の観点からも削除が妥当だろうと思います(この点は、すでにSuuwさん自身が述べていらっしゃることですが)。ある解釈を抑えるために難解な哲学用語を加えたのでは、よけいに複雑になってしまうだろうと思います(韜晦とも受けとられかねません)。「革命」という言葉に過剰に狭い意味を推しこめる人がいた場合は、変に用語を追加するよりは、もっと一般的な表現を促すようにすべきだったろうと考えます。これらの部分も削除するのが妥当だろうと思います。Shaz 2007年10月4日 (木) 16:04 (UTC)[返信]
余分なことですが、厳密な部分はいくらでも他人が修正すればいいとおもいます。元々比喩の説明ですからその程度の説明でいいと。まあ、正しくは「無矛盾の公理系」ですが、つまりは、「互いに矛盾のない定理の集まり」ということは、一般にとっては、「完全な体系」というのがわかりやすいかと。なにしろ、「りくつは完璧だが、しかし応用は間違っている」というのはよくある話なので、「応用が違っていれば完全な体系と呼べない」などと普通人は気にしないと思いました。
また余談ですが、複雑になれば一つの解釈への耐性ができるから、それとは別に客観性を保っておけば、複雑も悪いことではないと思います。
削除の方向はもちろん、基本的にかまいませんが、今までの編集者の方達は、それ以後の編集方法についてどう思ってられるのかなと思います。Suuw 2007年10月4日 (木) 16:43 (UTC)[返信]
比喩だから誤りを書いてよいという態度は歓心しかねます。自然数論を含む述語論理においては無矛盾な公理系は完全な公理系ではないので、いくらニュアンスが伝わる(かもしれない)からといっても、無矛盾な体系(いかなる矛盾する命題も同時に証明されない)を完全性(いかなる恒真命題も証明される)といいかえるのはマズイです(厳密に大きな間違いです)。「無矛盾なら不完全」という不完全性定理を、無矛盾と完全とを区別していなければ、「完全なら不完全」という意味不明な定理になってしまいます。これでは、伝わるはずのニュアンスも伝わりません。一生懸命文章を読みとろうとするほど混乱してしまいます。その混乱が、比喩なのだから誤ってよいという執筆者の態度に起因するのであれば、眉を顰めざるをえません。私も不完全性定理をちゃんと理解しているわけではないので(講義には毎週ちゃんと出席していたのに……)、大間違いをかましているかもしれませんけれども。また「なにしろ、『りくつは完璧だが、しかし応用は間違っている』というのはよくある話なので」以降でSuuwさんのおっしゃりたいことがよくわかりません。不完全性定理がこれの比喩になっているということでしょうか。まったく関係ないですよね……?
「複雑になれば一つの解釈への耐性ができるから」は、「余談」どころではありません。Suuwさんの記したこのくだりを読むと、この記事の読みやすさを、執筆者の能力ではなく、読者の能力に任せているように感じます。上の段落の件と併せて、Suuwさんの執筆者としての態度に不安を覚えます。もちろん、この記事の執筆者としての知識には期待していますよ! ここからは私の個人的な感想ですが、多かれ少なかれSuuwさんのようなちょっと衒学的な物の書き方をする人でないと、この記事はおもしろくならないだろうと思っています。ただ、いくら書く知識があっても、上のような態度では、記事が散漫になる一方で、せっかくできるはずのおもしろい記事も実現しないのでは、と心配しています。Shaz 2007年10月4日 (木) 20:43 (UTC)[返信]
作者自身が哲学者ではないから、一般に知識が広まっている形が要点だと思います。あまり厳密な知識として誤解されない注意は必要でしょうが。その点でShazさんの意見とは対処の方向性が違いますね。この項目について厳密さのレベルが上がるなら、もちろん合わさせてもらいますが。
『読みやすさを、執筆者の能力ではなく、読者の能力に任せているように』→その通りでしょう。百科事典は主に素人が読むためのもので、それが最優先です。ネタバレタグの多用については、ネタバレが過ぎるのは、広く迷惑です。創作作品の紹介文としては、おもしろくかつネタバレにならずかつ主観性を決めつけない範囲で・・、かつ他人の書き込みや内容をなるべく生かして・・とまあ・・どこまで自分の文のことを評されているのがわかりませんが。
(追加挿入)他人の文を生かすというウィキペディアの性質上、これ以上仕上げようという気持ちは今ありません。「多方面に解釈できる」、ということが十分伝わればそれだけでいいと思っています。
「複雑になれば一つの解釈への耐性ができるから」については、関連を下の提案文の方にも同時に書いておきます。Suuw 2007年10月5日 (金) 03:58 (UTC)[返信]
では、厳密さを上げるために、次の点について質問します。(1) 「無矛盾で完全」という表現がおかしいということは理解していただけましたか。不完全性定理の根幹にかかわることですから、たとえ厳密性を無視して一般人向けに書こうとしても、明らかな誤りになってしまうということです。(2) 不完全性定理は何の比喩になっているとSuuwさんが考えていますか。「りくつは完璧だが、しかし応用は間違っている」の比喩であれば、明らかに間違いであり、記事の厳密さを上げるため、解釈の道具としては削除したいです。(3) 不完全性定理は一般人にどのような意味で広がっていると考えていますか(これは (2) にもかかわります)。私は一般の人には不完全性定理は広がっていないだろうと考えています。以上、該当箇所の執筆者であるSuuwさんの執筆背景について共有したうえで、編集の必要が生じれば編集したいです。Shaz 2007年10月5日 (金) 06:12 (UTC)[返信]
(インデントを多少戻す)まあ、気楽に書きます。
(1)誤りと呼ぶ論理系はともかく、そちらに合わせます。
(2)「完全に自己矛盾無く計画されて、他と隔離された装置(数学の公理系、温室)の中にも、どう対処したらいいかわからない事態が生じてしまう」ということの比喩です。これは、私の編集以前には欲しい用語でしたが、「バグ」の一言で代用できてしまうので不要とも思います。
(3)一般の人には、大学教養程度として「絶対的な証明はありえない、という証明があるらしい」、とということでしょう。Suuw 2007年10月5日 (金) 09:42 (UTC)[返信]

すいませんが、修正以来に提出させていただきました。現状の記事内容は「~は~を示している」みたいな独自色が強すぎます。せめて何らかの出典(作品を解説した書籍なり、制作サイドのインタビューなり…)に基づく記述をしていただけないでしょうか。作品の解釈例なんてのは、百科事典の範疇から外れているので、正直なところ外部サイト、ブログ、Wikiなどを立ち上げるなりしてそちらでやって欲しいところです。--怪盗蓬月 2007年10月4日 (木) 05:30 (UTC)[返信]

削除のやり方が、私が上述の下線部に書いたようにであればいいのですが。そうでないときには、今までのものを放置していながら今回一日も経たないうちにいきなりそういう行動(というより批評)をされるのは、客観的視点からの行動とは思えないかもしれません。 Suuw 2007年10月4日 (木) 09:54 (UTC)[返信]

上述の要点部に、青字の((追加挿入2))を入れました。
追加。私が解釈例2と3を長く書き込んだのは、解釈例1がそれまで長い間書かれていたものであり、それをいきなり削除はせずにバランスを取るためです。前述のように、今まで長く置かれていたものなので、「それも解釈の一例に過ぎない」と見せた上でないと、ただの削除は問題だと思ったからです。
削除方法として、解釈例1, 2, 3のネタバレタグ内のものを消去して、各種の解釈を簡略にするということも一つの方法でしょう。
私は、上述下線部の内容が十分配慮されていればよく、また方法は様々にあると思います。Suuw 2007年10月4日 (木) 10:58 (UTC)[返信]

以前の記事が主観的な解釈にすぎないと認識なさっていたなら、それを消滅させる方向で編集すべきだったと思います。別の解釈を追加することは、傷口を広げることになってしまうだろうと予見なさるべきでした。私は、現にいま収拾のつかない状態にあるように感じます。

Suuwさんの下線部についてはわからなくはないですが、ここは解釈を披露する場ではありません(怪盗蓬月さんのおっしゃるように、ファンサイトとは性格が異なる)。よく研究されている文学作品と比しても、とくにサブカル的な作品の解釈を公平に書こうとすると、このようにやはり収拾がつかなくなることが必至だろうと思います。もとの解釈が長く掲載されていたとしても、ノートにコメントしたうえで削除するのならば何の問題もないだろうと思います。

私の提案としましては、「寓意的な物語であり、ファンがさまざまな解釈を楽しんだ」のようなこと(これは現在の「世界観とテーマ」の冒頭のアレンジです)を「概要」に追加したうえで、「世界設定、装置」「世界観とテーマ」を削除するのはいかがでしょうか。(ひとまず叩き台として極端な提案をさせていただきました。)Shaz 2007年10月4日 (木) 16:04 (UTC)[返信]

「ファンがさまざまな解釈を楽しんだ」で今気になったのは、ウィキペディアで書かれていることに解釈があった場合、単なるファンではなく楽しんだわけでもないから、それを信じていいかのように受け取られることです。ウィキペディアもあまり信じてはいけない、というニュアンスが欲しい・・かな・・。他の方達の感覚はどうなのでしょうか・・Suuw 2007年10月4日 (木) 16:43 (UTC)[返信]

ところで、私はあまりあわてた議論に集中する必要があると思いません。 たまたま返事を書くのが今まで早かったと思いますが、これからもっとゆっくりした返事になるかと思います。
急ぐ必要がない理由は、
「世界観とテーマ」の欄を設けたことについてですが、
A「客観的形式で主観的なものが書かれている。また書かれやすい」
B「客観的な部分と主観的な部分とが明示されて書かれている」
との二つの内、実害がないのはBの方です。 形式が合わないなどと言うことで騒がれたとしても、表面形式が合えば読者を主観へとリードしてもまだ比較的ましだ、などと言えません。
むしろ、私は「客観性を長期保つための安全装置を加えた」 のです。 次善ではありますが、このこと自体を今までより問題だみたいな対応は、今後のために危険だと思います。

この安全装置は、ネタバレにも同じりくつがいえると思います。
この手の近作一般について、あまりにもネタバレがひどすぎます。
百科事典の読者は各作品を鑑賞するかどうか迷っている人が多いと思うので、今の状態は迷惑です。
そうなる原因は、(ネタバレタグが最近までなかったのかもしれませんが) 、読むに値する内容を客観的に書こうとすると、おもしろさがまるきりわからないか、ネタバレをしてしまうからではないでしょうか。
ネタバレタグがなかったら、ある程度までのネタバレ欄かページをつくるという工夫がされるべきでしょう。その方が「実害がない」からです。しかし、それは形式的に合わないとされるでしょう。

そういうわけで、安全装置が一時的に加えられている状態自体を問題視する考えは、読者にとっていいことにはならないと思います。だから、エネルギーを節約しつつ他の方の意見も待ちたい思います。
Suuw 2007年10月5日 (金) 03:58 (UTC)[返信]

私も急いでいるわけではなくて、たまたま早く返信できる時期であるだけです。いろいろな人の意見が聴きたいのですが、どうも閑散としていますね。出てきた論点としては、このような感じでしょうか。

  1. いまある「世界設定、装置」「世界観とテーマ解釈」の項目が、独自研究になっているかどうか。
  2. 解釈例がひとつしかないときに、それが例にすぎないことを示すために解釈例を追加することが、記事の客観性を保つのに妥当であるかどうか。
  3. 解釈の際に使用される専門用語の厳密性は保たれるべきか、アニメが一般向けであることに合わせて、ある程度厳密性を無視してもよいか。

このまとめ方も、恣意的なものがありますので、訂正があればお願いします。ひとまず、これらについての具体的な回答を求めているのではなくて、このような論点の整理でOKかどうかの意見をお尋ねしたい次第です。Shaz 2007年10月5日 (金) 06:33 (UTC)[返信]

だいたいそうですね。
1.は、「文の書き方と合わせて」独自研究なのは明白ですが、この手の項目で許容範囲がどこにあるか、ではないかとも思います。 2.と 3.はそうですね。

なお、論点と言うより、削除対処の方法ですが、

  • ネックの二つめは(一つめは下線部)、長く置かれていた解釈例1を削除したり大幅短縮することを、短時日で小人数の話で決めるのは、以後の揺り戻しの可能性に対して、万全の手続きとは言えないと思います。 最近の編集者の一定の支持か、ある程度の日数が必要かと。 Suuw 2007年10月5日 (金) 09:42 (UTC)[返信]
Shazさんの提案に賛成です。解釈については「様々な解釈が可能な物語である」という概要を示すのみでよいのではないでしょうか。固定的な解釈項を設けることは、むしろSuuwさんが懸念されている様に、記された解釈がファンの間の一般通念であるかの様な印象を読者に与えてしまうのではないかと思います。私がこの項を閲覧する様になった頃には、すでに事象と解釈が複雑に入り混じり、編集を試みようにも何処から手を付けてよいか分からないような状態でした。10年以上前の作品という事もあり、おそらく私の様に受動的な参加者が多かったのではないかと思います(反省すべき点と感じています)。その点で今再び編集方針について積極的な議論が行われるのは喜ばしく思います。ぜひ他の方の意見も聞けるとよいのですが。kimidori 2007年10月6日 (土) 03:17 (UTC)[返信]
別のことですが、最近は動画像掲示板で見ることができます。画像が粗いし音質も良くないので鑑賞には耐えませんが、その分容量も小さく、ダウンロード保存して記憶と事実の確認には、早見操作が便利なのでいいかと。Suuw 2007年10月6日 (土) 12:46 (UTC)[返信]
つ[著作権]--MikeAz800o 2007年10月7日 (日) 01:09 (UTC)[返信]
極端な提案とおっしゃいましたが、私も現状の「世界設定、装置」「世界観とテーマ」は削除というShazさんの提案に賛成です。編集対応による存続も自分の中で検討してみましたが、ほとんど何も残せそうにないので節として成立しないため、削除に賛成します。今後もウォッチしておいた方が良さそうですね。--MikeAz800o 2007年10月7日 (日) 01:09 (UTC)[返信]
上の節で作品中に11回は登場しているストップウォッチシーンの意味に答えておられず、存続は厳しいですね。また、内容確認するときには動画サイトではなく、買うとか最低限レンタルして確認すべきでしょう。編集したこと自体は歓迎ですが、削除に賛成します。--Gonorego 2007年10月7日 (日) 04:23 (UTC)[返信]
余計なことですが、私はレンタルからの個人保存のテープを持っています。ただ便利さの違いを語ったのです。どこにあるとは書いてませんし。
また、ストップウォッチの意味は関係ないでしょう。「世界観とテーマ」に解釈例として書くのは冗長に過ぎるし、これ以上増やす気はありません。最低限の言及は「象徴」の部分に書きましたが、他の知識と合わせてこれで想像して思い当たらない方はむしろ自分流に解釈すべきかと思って、返事の追加を書かなかったわけです。ノートとはいえ解釈の展開になり、ノートに書かれたものは長く残されるからです。
独自研究なのは明かであり、長期に渡って長文で残す気などありません。私としてはむしろ下線部のことについての配慮についてどうすれば十分なのかという意見を伺いたいと思っているのです。代わりの注意文をどう置くかとか、「世界観とテーマ」という欄を、極めて形式的に数行程度置いておくかとか、その他のアイデアとその必要度の有無について、です。 今も少しづつ推敲修正しているのは、たまたま思いついたからにすぎません。Suuw 2007年10月7日 (日) 05:16 (UTC)[返信]

コメント依頼を出してきました。該当の記述が行なわれたのはこのあたりからでしょうかね。半年以上放置されていたものを新たな節に分離してまとめたことで問題点が浮き彫りにされたので、その点でSuuwさんには感謝しています。注意文としては、例えば概要節の終わりあたりにこういうものでも置いてみましょうか?--MikeAz800o 2007年10月7日 (日) 05:32 (UTC)[返信]


本記事に出典のない独自の解釈を記述することはお控え下さい。Wikipedia:五本の柱もご覧下さい。


悪くはないですね。さらに、概要に書く文に、過去に書かれたもので独自解釈があったことを匂わせる表現がほしいと思いますが。Suuw 2007年10月7日 (日) 05:38 (UTC)[返信]


私からも提案してみましょう。
1.概要に以下のように書く。
作品解釈
この物語は暗喩が多く、主観的解釈を離れて理解しきることは不可能と見る向きが多い。ファンの間ではバリエーションの極めて広い多くの解釈が存在し、その方向性も多様である。過去からこの項目に書かれてきた内容についても例外ではない。」
2.次に続いて、
タグ風に注意書きする。微妙なものはまずノートに書いてみることを要望。
3.解釈例1は全削除して良し(よって2,3も)。削るには惜しいと思われる部分があったとしても、新しい文で書き直すことにする。
Suuw 2007年10月7日 (日) 09:10 (UTC)[返信]

あまり二人の会話みたいになってしまうのも望ましいものではなく、他の方のご意見を強く希望しますが、とりあえずコメントします。1については主観が前に出すぎていると思います。出典なしにそこまで書いてしまうのはウィキペディアとしてはアウトになってしまうでしょう。Suuwさんのご希望である「過去に書かれたもので独自解釈があったことを匂わせる表現がほしい」に配慮するなら、端的に「過去に書かれた独自解釈については議論の上で削除されています」とはっきり書いた方が本意が伝わるかと思います。2については意味が取れませんでした。3については異存はありませんので、時機を見て削除しましょう。
ついでに現在の記事全体について踏み込んで申し上げます。まず<br/>は使わないことが望ましいと考えます。これはW3Cが廃止を勧告しているのが理由で、Wikipedia‐ノート:改行記号は使うなでも若干話が出ていますが、私はテーブル内で体裁を整える以外の用途では使用しないのがいいと考えています。それから、Spoilerが濫用されていると思います。むしろ定義部直下に{{ネタバレ}}を置いた上でSpoilerは全て解除し、同時に個人的感想、独自研究、出典のない情報は全て削除したいと思います。全般的に出典方式を徹底させるべきです。スタッフも色々語ってますからソースには事欠きませんし、ソースがないことは書いてはいけません。--MikeAz800o 2007年10月8日 (月) 12:23 (UTC)[返信]
ぼくは「出典を示してください」とお願いしていたつもりなのですが、いっこうに出典を示してくださる様子がないまま編集を続行されているのが実に残念です。。すみませんが、僕は出典がないなら全削除以外ない、と考えております。提案1は本記事の過去の編集内容等に言及している時点でWikipedia:自己参照を避けるに思いっきり抵触するため論外。--怪盗蓬月 2007年10月9日 (火) 06:12 (UTC)[返信]
文句を付けるだけだと思われると悲しいので、書いてみました。これはこれでトリビアル過ぎて要らないと言われるかも知れませんが、ま、使えそうな部分だけでも採用して貰えればと。(自己参照には‥‥抵触してるかな?)--MikeAz800o 2007年10月9日 (火) 10:39 (UTC)[返信]
  • 1.については、削除してあると書くと、監視し続ける負担が生じると思います。日付を書くとか。現在状態を保証しない感覚がほしいです。自己参照を厳密にしようとするなら、しっかり管理する姿勢も同時に必要です。それが今までできていなかったのに、急に鉄則として持ち出されても説得力を感じません。他の方針に比べて、強い規則とは思いませんし。
  • 2.については、ちらっと見て目に付くような形式がいい、と思ったので、前二人の意見をたした形でタグも加えたわけです。
  • <br />は<br>も含みますか? 私は、一行空けの改行と、単純な改行とを区別するためにしていましたが、先で無効化しそうだというわけですね。本ページでは注意します。ただ、近日内にやりとりすることが中心のノート会話には、見やすさを優先したいのですが。
  • Spoilerは今までの見聞と比べて濫用とは思いません。というのは、
概論以外の人物欄などをすべてネタバレ範囲にするのは、作品を見ようか迷っている人の役に立たないと思えます。つい少しだけ見ようとしてしまいます。
ネタバレ部が散らばっている場合、 {{ネタバレ}}では、そこを省略しようと思っても、どこから何処までが範囲なのかをいちいち目で確認することが毎回ですから、結局目に入るからで、うっとうしいです。 まあ、「ネタバレ」という独立した「欄」を設けるならば、ページ内ジャンプを使って予防できますが。 
つまり、Spoilerの問題ではなく、「各個にネタバレタグを使うか、一箇所にネタバレをまとめるか、概論とネタバレの中間を別にまとめるか」 +「見分けて読むときの便利さ」、ということだと思います。前記述のあった場所で各個に隠していましたが、まとめられてもかまいません。安心便利に隠せればいいわけで。
理想的には、多層的に、便利に、すっきりと、ということなんでしょうが、凝ったやり方をしても読者の慣れもあるでしょうね。
  • >全般的に出典方式を徹底させるべきです
それが全般にできるなら、それでいいでしょう。もっとも解釈例の削除に反対しているわけではないので、私は何か意味をずらして答えてるのかな?とも思いますが。
  • しかし、『出典を示してください』というのは、解釈例でしょうか、舞台設定でしょうか。
解釈例ならば削除前提で整えるつもりで書いているだけです。舞台設定についてなら、作品中の具体的な表示そのものを書いているのも多いのに、個々のことを語らずに形式まで含めて全削除というのは理解できません。もしいっしゃにされているなら、この二つは分けてもらわないと話が理解しにくいです。Suuw 2007年10月9日 (火) 16:05 (UTC)[返信]

世界舞台設定、装置」について[編集]

それとは別に、MikeAz800o 2007さんなどは「世界舞台設定、装置」についても削除を語られているようですね。(今改めて気付いた)
しかし、説明内容を否定されるのか、リスト欄を設けること自体を否定されるのか、あるいは象徴に言及することを否定されるのか、ページバランス上の比重が大きいとされているのか、がわかりません。それらは全く別のことです。 
この欄については、一つ一つの項目と文内容について、書き過ぎと思うことは他の人が書き直していけばいいことだと思います。事実、蛹やストップウォッチについての需要があったのでしょう?
また、もし象徴の存在を無視するなら、「ここは重要な象徴、他はただの装飾とギャグ」といった風な特定解釈が幅をきかせかねないと思うので、少なくとも形式的言及(リストなど)はあったほうがいいと思います。
Suuw 2007年10月7日 (日) 09:44 (UTC)[返信]

参考に、象徴について受けた疑問や、私も微妙と思うことについて、書いておきましょう。 
1.弁証法を言及した理由の一つは、解釈例に使う以外に、決闘のシステムがあまりに似すぎていることと、黒薔薇会がマルクス革命のイメージに似ているからです。意味を広げるために書くべきだと思いました。
2.不完全性定理については、もう消そうと思いましたが別の意見が来るかと思ってすこし待っています。もともとは、ウテナがバグという他に、暁生の完全主義故の挫折、という視点だったのですが。
3.半円については、昨日、今でも残っていた評論サイトにも見付けました。有名かも知れません。
4.「ベルサイユのバラ」は哲学風ではないからこそ、バランス上増やそうと、あえて薫兄妹まで加えましたが・・
5.「鳳」の陳勝は余分としても、意味は近いですね・・
6.「忘れる」。必要な注意点だと思います。
7.時計とクロノスについては書き直しています。Suuw 2007年10月7日 (日) 10:45 (UTC)[返信]

追伸、「世界設定」は間違いで「舞台設定」が正しい。その他、一時隠しタグの利用、2.の不完全性定理の消去など、かなり変えました。Suuw 2007年10月8日 (月) 05:54 (UTC)[返信]

現在の「舞台設定、装置」節の中で残した方がいいと考える部分は暁生=暁の明星=ルシファーの関係くらいですし、それは登場人物の節で書くべきで、節としては全削除が望ましいと考えます。--MikeAz800o 2007年10月8日 (月) 12:23 (UTC)[返信]
おっしゃる理由は、ネタバレ枠内の記述に対してのもののようですが、それで欄ごと、冒頭の単純リストまでなくすのは、どうでしょうか。出典の問題があるとは思えないし。 この作品の場合、読まれ方の広さに比べて、リストをなくすべきという理由に説得力を感じません。これらを消すべき理由はありますか?
残す理由ならあります。これらに注意する鑑賞方法があると指摘することで、初見の視聴者に利益があるからです。非古典創作については、素人を作品に導く役目が大きいと思います。
またたとえば、暁生=ルシファーを登場人物の欄で書くのは、ネタバレ隠しをしない場合、強調してしまって好ましくないと思います。感情的記述も解釈表現の内だし。 すると今までの形式では、書かないほうがいいと思いますが、書き込まれずにはおかないでしょうね。 ベルサイユのバラとの相似についても、誰かが書こうとするのを止めるほうが不自然です。 ・・などそういった部分を吸収する欄があるのが自然だと思います。
一つの方法にこだわる気はありませんが、基本的に形式がよくないとは思いません。Suuw 2007年10月9日 (火) 16:05 (UTC)[返信]

「舞台設定、装置」について私も節ごと削除が望ましいと思っています。作品の意匠にまで踏み込む必要を感じません。丁寧過ぎる解説は、鑑賞のヒントになると同時に、読者(視聴者)の想像の余地をも奪いかねません。百科事典が作品の鑑賞方法についてガイド役を担えるとも、期待されているとも考えません。予備知識ありきの楽しみ方もありでしょう。反面、ガジェットを独力で読み解いていくことに楽しみを見い出す読者(視聴者)もいます。そして、その読解の答えはひとつでなくて構わないのがウテナという作品だと捉えています。Suuwさんが、読者の作品理解を縛らぬよう極力配慮なさっていることも理解しています。しかしながら、ヒントを末端まで示さぬことも多彩なアプローチを引き出すひとつの方法ではないでしょうか。ネタバレについて はWikiの性質上、今後もある程度続いていくのは仕方ないのかもしれませんね。自浄作用がその都度働くことを期待するしかないのかもしれません。楽観的に過ぎるかもしれませんが、出来る限り読者(視聴者)の想像の余地を残しておきたいというのが私の考えです。--kimidori 2007年10月10日 (水) 09:50 (UTC)[返信]

進展が見られないので代案を示します(こちら)。節の名前を「用語」とし、まずはこのように解釈の揺れがほとんどないものから始めましょう。異論がなければこの内容に置き換えます。もちろんその後に加筆していくのは自由です。--MikeAz800o 2007年10月15日 (月) 06:19 (UTC)[返信]

異存ありません。一番良い解決策だと思います。--kimidori 2007年10月16日 (火) 01:56 (UTC)[返信]
置き換えを終了しました。あとは登場人物をなんとかしたいと思うのですが、これもなかなか難物です。--MikeAz800o 2007年10月22日 (月) 09:35 (UTC)[返信]

 オフラインの事情で、ここ半年間この項目に入っていませんでした。 現状の本文は、独自解釈を書き込みたくなる雰囲気を感じませんのでいいでしょう。 用語に付け加えるべきものがあるかどうかは、今のところ、熱が薄れて考えていません。 
 ネタバレ防止タグについては、なにやら問題がありそうなので、ネタバレ節を設けてそこでまとめて使用するということも可能でしょうが。 
 以上、かってに抜けていたので、最後にご挨拶に。--Suuw 2008年5月4日 (日) 07:55 (UTC)[返信]

 ネタバレ防止欄(節)の設置について [編集]

チェック

 ネタバレ防止タグが廃止になって、ネタバレを原則削除という提案だったはずが、項目によっては、ネタバレやり放題で嫌なら必要な情報さえも見るな、というやりかたになしくずしになっているように見えます。  このウテナ項目でも、何かで一部の内容を読みかじった人が、冒頭→目次→必要項目へジャンプ、ということもありそうです。

 そのため、
1 ネタバレ欄をもうけ、そちらを参照させる。
2 さらに白反転をつける。
 というやり方を提案して置いときます。 (完全に記述分割することは不可能でしょうが)

 ま一応、目次欄に(ネタバレへの)注意の節をつけておきましたが。 --Suuw 2008年11月24日 (月) 11:06 (UTC)[返信]

それはどういった意図からのコメントなのでしょうか。「ネタバレやり放題で嫌なら必要な情報さえも見るな、という状態になっている」から、その部分を残して移動もしくはデザインを変えるべきということですか。もしそうなら、ネタバレというのは「その項目の説明に最小限あればいいもの」であるので、その部分は除去すべき部分であり、どのような形でも残しはいけないのではないのではないでしょうか。--春日椿 2008年11月24日 (月) 13:48 (UTC)[返信]
 『ネタバレやり放題で嫌なら必要な情報さえも見るな、という状態になっている』というのは、この項目では一月前までのことでしたね。実は、そう書き込んでからスキップタグがつけられているのに気づいて必要性が薄れた気もしますが、今のまま十分だと認めるのも迷って書き込みを残したのです。
 ネタバレの基準は人により違い、おまけにストーリーが二転三転することが多い。たとえば、最初から90%ぐらいしてから本当の物語が始まるから、その辺を書くべきだとか、その前までは書いても許容できるとか、プロセスの興味を削ぐから冒頭から30%までの部分にすべきだとか、人により違うでしょう。作品の価値の意味によって有効な説明範囲が違い、その分野でどの程度の古典に近いかによって必要な予備知識の程度が違うでしょう。(・・つまりは、削除したもまた書き込まれることになるし・・)
 また、ネタバレながら作品を見ても見落しそうな細かい観察は削りたくなかったり。
 なので、書く位置・読む位置を区別することで、読む人が調節しやすいようにと思うわけです。
 現状のスキップタグは有効だと思うし、目次欄にその文字を入れることで効果は高まるでしょう。 ただそれでも、人物欄の解説には何割かネタバレとして省きたい部分と作品理解のために紹介したい部分とが今あり、こういうものはランクを分けた方がいいと思います。
 単にネタバレとしての意味しかないのに、人物ごとにバラバラに書くと人物資料のように見えて消しにくい、というのを防ぐために、ネタバレの強い部分はまとめたら、という意味もあります。
 ・・とくに急ぐ気もないですが。--Suuw 2008年11月25日 (火) 10:29 (UTC)[返信]
ええと、まずはちょっと気になった点について。「ネタバレながら作品を見ても見落しそうな細かい観察」というのは、「解釈の余地のない本編情報もしくは出典のある情報」でしょうか。ならいいのですが、「本編を見た編集者が考察を書いたもの」だとすると、それは独自研究になりますからネタばれ云々の前にWikipediaでは掲載するべきでないものとなります。
ネタばれがどの程度必要かは、人により違うことがわかっているなら、具体的に話し合うべきでしょう。ノートで合意がされたなら、それはある程度の権威を持った合意となります。一部の内容のみ編集を禁止するということはできませんが、ある程度の防止は可能になりますし、反した行為への対処も容易になります。
レイアウトについては、一般論としては、ネタばれ部分が本当に解説に必要だと考える部分であるなら、そういう対処をする必要はありません。その作品に興味を持ってもらうためにあるわけではないので、そういうのが嫌な人への警告はスキップタグのみで十分ではないかと。ただ、相変わらずSuuw氏がどのような想定しておられるのかが見えないので、もっとわかりやすくコメントをしたほうが良いかと。そして、できればレイアウトの下書きもしくは例などを提示してもらいたいです。--春日椿 2008年11月27日 (木) 08:59 (UTC)[返信]
 細かい点、独自研究についてですが、演出上明確といえるかどうかですね。たとえば、『封を切らずに突き返されたと考えられる手紙が映っている』 というのは、明示的でないし考証的に考えると疑問があるが、演出としてはそのように受け取るのが最も妥当でしょう。(積極的に残したいとは言いませんが)
 ネタバレは製作者の影響や初心の読者のつごうによるものであり、ウィキペディアのかってに決めていいものだとは思いません。だから一律に決めるなら、冒頭から30%までの範囲が許容範囲だと思います。一律でなく作品ごとに決めるとしたらこのような作品の場合、なかなか決まらないのでは。
 『本当に解説に必要だと考える部分であるなら』 ということですが、このような項目においては、はっきり言って、本文のほとんどが記述する必要がありません。 作品鑑賞の前の情報を与える百科事典として見れば、概論においていかに特徴的な作品であるかを示せばいいので、「登場人物」欄は各一行で十分です。 しかし、それでは書き込みたいという欲求を抑えることはネット上では不可能ではないでしょうか? また私の提案としても、大幅削減提案という大胆なものになりますし。
 私の提案は、「ストーリーの後半部分は、人物欄には書き込まない」という意味もあります。 ストーリーについては、概論以上に詳しい中期以降の内容は全てネタバレ欄にまとめて、人物の声優名・基本配置・名前の由来などはネタバレと離して読めるようにすべきです。 
 どこからがネタバレストーリーかということが一つの記事にまとめられていれば、人物欄への書き込みもそれを基準に調整しやすくなるでしょう。
 また現状を見ると、人物欄にストーリーを書くと感情がこもり、主観感覚による独自解釈が混ざりやすいようです。 ネタバレ・独自解釈の絡み合いの編集の調整には労力がいります。 ネタバレ・ストーリー欄としてまとめれば、判断が楽でバグ取りもしやすいでしょう。--Suuw 2008年11月29日 (土) 11:41 (UTC)[返信]
「ネタバレは製作者の影響や初心の読者のつごうによるものであり、ウィキペディアのかってに決めていいものだとは思いません」これは全く違います。百科事典は、初心者の人がわかりやすく見れるようにするべきではありますが、作品を見る前の導入書ではありませんので、あくまで必要かどうかは、製作者の都合や読者の都合で判断するべきではなく、「解説に必要かどうか」です。
作品によっては解説に最後までのネタバレを必要とするものと、逆に全く必要ようとしないものがあります。一律に決めるとなると、前者の場合は足りなくなり、後者はやりすぎということになります。ただ、それでも一律にすべきというお考えなら、この場は議論の場所としては相応しくないので、井戸端やウィキプロジェクトなどに行ってみてはいかがでしょうか。
「書き込みたいという欲求を抑えることはネット上では不可能ではないでしょうか?」難しいとは思いますが、それを言ってしまえばレイアウトや書き方をかえようとも抑えられるものではないでしょう。変えた方が対処をしやすいとお思いまもしれませんが、それでは解決にはならず、編集合戦を招くおそれがあります。それよりは、一度この作品ではどの程度のネタバレが必要かを議論し、それ以上の部分はなぜ載せるべきではないかを示すことが有効かと思います。
現在Wikipediaでは、人物の解説が作品の解説だと思い込んでいる方が多いようで、それを実行されるというなら賛成です。ただし、その移動の基準はネタばれかどうか、前半に現れるものかどうかというものにはしてほしくないです。最初、この提案を見たときに想像したのは、Aという人物の記述を二か所にするというものでしたので、違うのであれば問題はないと思いますが、白反転はやめた方がいいでしょう。--春日椿 2008年11月29日 (土) 12:37 (UTC)[返信]

「解説に必要かどうか」
 それだけが基準としたら、百科事典を編集する者がまるで特権者です。 ウィキペディアに特権などありません。ネタバレというのは、百科事典のつごうとは別に存在するもので、著作権やプライバシー同様対外的なものとして注意すべきです。 「製作者の都合や読者の都合」 こそ百科事典の存在理由です。 現在ウィキペディアは、別のネット事典にコピーされて、公式かのような情報支配力をもっています。だからこそ自重すべきです。
 ただし、いろんな要素の複合で編集されるとは思います。たとえば戦前の古典的名作などは著作権が残っていても、一般予備知識として必要ならすべて書いてもいいと個人的に思います。(もちろん特権者でないから抗議がきたらそのときということで)。サブカルチャーのファンによるネタバレというのが、たいていの問題だと思います。
 「一律」というのは考え方の一例・一段階です。 論理の順を整理しなおすと、 ――私の思うに、今まで通りのやり方だとここでは、編集合戦や元のもくあみ状態の可能性が高いと思います。 それを防ごうとしたらふつうは基準を決めようとするでしょう。 この項目ではとくに人それぞれだと思うので、この項目で基準を決定できるとしたら、それは他の項目にも一律に通用する基準だというぐらいでないと、この項目で決まらないだろう、・・・と考察しました。 それらいろいろな方法をやってみるにしろ、それが安定するかわかるまでに月日がかかり、かつあてにもなりません。 だから、スムーズな方法として提案した――というのが道筋です。

「編集合戦」
 現在よりもはるかに編集合戦になりにくい方法を探った提案です。 編集合戦というのは新工夫自体が議論になるという想像でしょう。 しかし議論による合意が編集合戦を防ぎやすいとお考えなら、そもそも編集合戦を防ぐための工夫を考えた上で議論で合意されたものは編集合戦を減らすはずでしょう。 

「白反転」
 白反転が好ましくないという理由が、ネタバレ防止折りたたみタグを廃止した人たちのような、文章に対するナルシシズムの感覚に気を遣ったものだとしたら、ウィキペディア編集者の思い上がりだと思います。払うべき注意を払うことが優先でしょう。

さてしかし、気づいた点があります。
 白反転は、他のネット事典にコピーされても白反転のままなのかどうか。
 ストーリー的にまとめることをイメージしていたのですが、ネタバレストーリー欄などとしてしまうと、ほんとにネタバレ目的の欄になって、ネタバレの書き込み放題になりかねない、という点です。
 この辺は、追加の基準・規則の設定が必要でしょう。 

 要するに、どういう仕上げをするかというイメージの問題なのではないでしょうか?
 日数をおいて仕上げの形を考えてみようかと思いますが、ただ私としては、考え方を語らずにいきなりこういう形にして賛同を得た、というのが後々有効かどうかが気になるのですが。
--Suuw 2008年12月2日 (火) 12:07 (UTC)[返信]

私がいっているのはさぁさぁどんどんネタバレをせよ!ということではないです。百科事典の解説に必要なネタバレが、製作陣に大いに不利益を与えるほどのものになるとは思いません。ですが、たとえば続きの作品であったり、核心にふれる部分が評価に影響を与えたなどのことがあった場合、そこに触れないで書くのは難しいものである場合もあります。また、その核心部分について解説することが、なんら作品の理解に寄与しない場合もあります。というか、たいていの場合記述しなくていい(今のサブカル系は書きすぎである)と考えますが。でもその場合、一律の基準というのはあやふや(足りなすぎか書きすぎ)になる可能性が高いと思います、この記事が基準に適している素材とは思いません。そうすると、「書きたい側」と「書きたくない側」の意見が対立することが高くなるのではないかと。で、合意が対処を容易にするというのは、ローカルルールが決まった場合、それに反した編集を荒らしとみなすことにより、ユーザーのブロックや半保護が容易になります。
白反転やスポイラーなどは、そもそも解説で隠すという概念が必要なのか、という点でおかしいものであると思います。
あくまで一律、百科事典は自重すべきという観点ならば、やはりここで話し合うのは不適切です。ので、ここで話すならば、まずはこの記事用の基準として話すべきであると思います。
まずはノートページもしくは利用者ページのサブページを使い、提案とコメント依頼も併用して、意見を募った上でリリースすれば問題ないでしょう。--春日椿 2008年12月2日 (火) 13:41 (UTC)[返信]
 どうも話の理解がおかしいですね。‘一律にどうこう’というのは、‘それは無理だろう’という例であって、‘結局は人それぞれ’だと私も書いているのですが。話し合って決まりそうもないと思うからこそ、提案を出したのです。
 『そもそも解説で隠すという概念が必要なのか』というなら、そもその『以下に核心があります』というタグにせよスキップにせよ、元から不要だというようなものです。それらのタグが生まれる背景があり、ネタバレタグ生まれていたはずです。 それが廃止されたのは、代わりの方法を考えるという条件付きだったはず(それが不十分だという不満が私にあります)。いまさら、そもそも隠すことが必要かどうかの検討は不要でしょう。
 ということで、「一律」がどうこうというのは誤解です。 私は実用的な提案をしています。この項目に適合した方法だと思います。一般論的な手法として別の場所で提案しても、項目によって適不適が様々で語りにくいと思います。それに、この項目に適するかどうかを別の場所で語るのは変です。--Suuw 2008年12月4日 (木) 12:22 (UTC)[返信]
あなたのコメントは、「一律に基準を決めるべき。この項目はその基準としてふさわしい」という発言だと私は理解しましたので、ここは場所として不適切と返答したのです。私も言われたことがあり実感していることなのですが、提案や意見というものは、できる限り誰にでも理解しやすいように、わかりやすく書いた方がいいと思います。
生まれた背景というか、私はそれらのテンプレートを「必要ですね、じゃぁ作りましょう」とした合意を知らないので、ここをネタバレファンサイトのような場所と勘違いした人が作り、同様の人(もしくは、他者の記述は可能な限り残すという方針を守った人)がどんどん利用していったのだと考えていますが……。あとスポイラーの廃止は代案を考えることを条件として、決定したのではありませんよ。--春日椿 2008年12月4日 (木) 12:47 (UTC)[返信]
 人それぞれなのできちんと整理して進めようとすることがかえって受け取りにくくなったりするようです。とりあえず、誤読については終了したということでいいですね。
 各種の他テンプレートがただの個人のアイデアレベルかどうかということは、つまり、「現状で中間的なタグが使われているけども、きちんと削除すべきか否かを区別する方法があるのではないのか・・?」 という視点からですね。 私は、ネット上にある以上、何かの中間的なタグが必要だと思います。それがごまかしでなく有効であるべきだと思います。
 中間的領域を作ることとは別に、書くべきことと書いてはいけないことを分ける方向のアプローチとしては、むしろウィキペディアの基準として指針を出すべきだと思います。戦前以前の古典作品は全ネタバレOK、現代サブカルチャーの平均的一つ一つのネタバレ内容は、基本的に百科事典としての掲載価値がないので削除的編集を歓迎、重要らしき作品については記述方法の具体性を減らす(かつ中立を守る)方向で調整、とかを指針として打ち出すこと。 ・・まあ、ここでの提案とは別の話ですが。
 >スポイラーの廃止は代案を考えることを条件として、決定したのではありませんよ。
 そうでした。

--Suuw 2008年12月6日 (土) 14:04 (UTC)--Suuw 2008年12月10日 (水) 11:56 (UTC)[返信]

それでいいと思います。案のリリースにあたっては、2人だけの話し合いということが不安なら、WPなどにコメント依頼することや、本文の編集者、ノートの議論参加者を誘う、期限を決めて何人以上の意見・賛成がついた場合採用とするなど、条件を付けてもいいと思います。
公式な方針やガイドラインを総合して考えれば、実は書けることというのはとても少ない、ということはわかると思うんですよね。そのあたりと、「読者のニーズ」というものとの間でどう折り合いをつけるかということだと思います。--春日椿 2008年12月10日 (水) 12:43 (UTC)[返信]
 なるほどコメント依頼ですか。ちょっと私の労力集中に迷いがあったりします。私自身が結構長くウィキペディアから意図的に離れて休みたがったりする者で、一時の数をもってするのはどうなのかという気もあったり、期間イメージが自分でつかめないので、今のところ私自身はもうしばらく置いてみます。--Suuw 2008年12月14日 (日) 10:43 (UTC)[返信]
ではいったんクローズということで。それと、基準云々を一般論として考えようとはしていないとおっしゃっていたと思うのですが、違ったのでしょうか。--春日椿 2008年12月14日 (日) 16:38 (UTC)[返信]
ここの場所で全体基準を提案しているわけではないです。ただ成り行きで別の場所に書かないとは限りません。提案することと人を集めてまですることとは、労力的に違うので。--Suuw 2008年12月15日 (月) 11:35 (UTC)[返信]
そうですか。私が「全体基準を決めるべきという考えを持っている」なら別の場所で議論するべきと言ったことを、否定されていたのでそういう考えではないと思っていたのですが。
ただ基本的に何かを提案するということは、ある程度の労力をかけることや責任を持つことは覚悟すべきです(それはWikipediaに限ったことではないと思います)。これは、事情があって参加が難しくなることを否定するわけでも、実行する権利が提案者にのみあると言っているわけでもありません(賛成意見を出してくれた別の方がやって下さる時もありますし)が、実行が難しいことが高い確率で予測されるまたは他力本願の提案は出すべきではないと思います。Suuw氏が、「ウィキペディアから意図的に離れて休みたがったりする」時期が、提案を全うされた後に来ることを願います。--春日椿 2008年12月15日 (月) 12:26 (UTC)[返信]
 ご忠告承りました。 私も始めは他への提案はしないつもりでしたが、成り行きで書き置いてしまって、さらに成り行きで続けてしまいました。 責任についてはわかります。しかし、その前に熟成期間がなければどのみち理解されないのではないか、という気もするので、先に書き置くという方法を取ったりもします。 私は、基本的に議論を決めることよりも、基礎を深めるためにゆっくりやりたい・・・目的には遅かったり、相手への迷惑もあるだろうことが欠点ですが。--Suuw 2008年12月15日 (月) 14:59 (UTC)[返信]
「提案逃げ」でなければ大きい議題の場合、ある程度の長いスパンで議論をすることや、疑問や異論の投げかけへの返答以外あえて傍観者となる、ということは一つの手ではあるんですけどね。--春日椿 2008年12月16日 (火) 10:26 (UTC)[返信]

主題歌の記事に関する提案[編集]

テレビアニメのオープニング主題歌「輪舞-revolution」と前期エンディング主題歌「truth」に関する記事は現在

  1. 輪舞-revolution
  2. truth (裕未瑠華の曲)
  3. 輪舞-revolution/truth

と、シングル単位で記事が存在します。ですが、これは同一曲が異なる形でシングル化されているに過ぎず、プロジェクト:楽曲の方針に照らして好ましい状態ではありません。そこで独立記事を1と2のみにして記述を楽曲単位にまとめ、3は少女革命ウテナ#主題歌へのリダイレクトにすることを提案します。『ひまわりっ!』の主題歌シングルと似たような再編になります。3から1、および3から2への統合という段階を踏むことになるので、統合提案として掲示しておきます。--エンタシス会話2020年3月4日 (水) 17:03 (UTC)[返信]

3のリダイレクト先は1に変更します。1の方が2より売れていたこと、歌手の知名度からいっても1の奥井雅美の方が、2でデビューして2年間に5枚のシングルを出しただけの裕未瑠華よりは上であることによります。--エンタシス会話2020年3月7日 (土) 09:33 (UTC)[返信]
統合しました。--エンタシス会話2020年3月14日 (土) 13:24 (UTC)[返信]