ノート:千夜一夜物語のあらすじ

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この記事、最初から最後までネタバレしかありませんよね?賛助すべきでは?--202.212.71.201 2010年7月31日 (土) 09:02 (UTC)[返信]

削除依頼してきました。--Susuka 2010年8月6日 (金) 12:31 (UTC)[返信]

大変申し訳ありませんが、「過剰なネタバレ」を理由として「即時削除テンプレ」が貼られていたが、明らかに「即時削除の方針」の対象外であるため、除去させていただきました。上記理由で「通常の削除依頼」に提出しようとしても、恐らく「通常削除の方針」にも当たらず、削除は不可能と思われます。残される方法となると「編集除去」くらいしかありませんが、勝手に除去せず、当ノートページにて合意形成のために話し合う必要があると思います。--Runrun 923(TalkContLog) 2010年8月6日 (金) 13:14 (UTC)[返信]
全ての話を知っているわけでは無いですが、適切な量のプロットで書かれていると思います(余計な描写もよく削られている)。もし、ここでおっしゃるネタバレというのが、結末まで書かれていることだと言うのであれば、それはWikipedia:ネタバレにありますように、別にウィキペディア上で特に問題のあることではありません。また、これは千夜一夜物語の子記事であり、セットと見れば別にあらすじだけが書かれているというわけでもないので特に問題とは感じません。--EULE 2010年8月6日 (金) 15:43 (UTC)[返信]
削除の必要はありません。記事名にあらすじとありますし問題はないでしょう。--Tiyoringo 2010年8月6日 (金) 21:56 (UTC)[返信]

ということは、宇宙英雄ペリー・ローダングイン・サーガなども、別記事を立ち上げて詳細なあらすじを書いてもいいということでしょうか?--Susuka 2010年8月9日 (月) 08:24 (UTC)[返信]

プロットを書くこと自体には百科事典として何ら問題はありません。しかし、物語の理解に必要など、特筆性や言及性を念頭を置いて記述するべきであって、些細な描写など、どうでも良いことを書いても良いということではないです。氏の言う「詳細なあらすじ」というのが何を持って「詳細」としているのかは知りませんが。あと、別記事を立てるか立てないかはケースバイケースです。あらすじを書くことによって記事バランスが崩れるなら分割(子記事として独立)すべきだし、そうでないなら分割しなくても良いです。--EULE 2010年8月9日 (月) 10:13 (UTC)[返信]
(追記)草案ですがWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案が参考になるでしょう。--EULE 2010年8月9日 (月) 10:15 (UTC)[返信]
Susukaさんがあげられたものは長編小説であり、説話集である本作品と同様に考えるのは適当ではないと思います。--Tiyoringo 2010年8月9日 (月) 12:08 (UTC)[返信]
削除の必要は無いと思います。現在進行形で出版されている物語や、書かれて高々数十年の物語(従って、商売関係が生々しい状態にある)と、数百年前に成立していた物語を同列に論じるのはピントがずれていいます。が、、、幾つかのあらすじが「私は、、、」の一人称形式になっているのが、少し気になりました。これは、やはり百科事典っぽくありません。三人称で淡々と書いていただきたい。それから私の個人的な意見ですが、「適切な量」というよりは、やや過剰です。さらに申し上げるならば、マドリョス版を元にして、本当によろしいのでしょうか?膨大な千夜一夜テキスト群に対して(主な日本語訳は3種類ですが)マドリョス版を標準的なものとして扱うことについては、議論があっても宜しいのではないかと思います。--おーた 2010年8月20日 (金) 15:10 (UTC)[返信]
Susukaさんが上で挙げられた宇宙英雄ペリー・ローダンやグイン・サーガとこの「千夜一夜物語」が一番違うのは、。おーたさんが言われるように宇宙英雄ペリー・ローダンやグイン・サーガがごく最近生み出され、まだ十分に評価の定まっていない作品であるのに対してこの千夜一夜物語がすっと昔に生み出され、すでに「古典」として評価の定まった、学術的な研究書がいくつも存在する作品だという点では無いでしょうか。(宇宙英雄ペリー・ローダンやグイン・サーガがつまらない作品だという訳ではありませんので念のため。)ただ、現在のこの記事の現在の状況は、ごく最近生み出され、まだ評価の定まっていない作品についてのウィキペディアの記事によくある「作品そのものだけに基づいてウィキペディアの筆者が自身でまとめた記述を延々と書き連ねているだけ」の記事と同じように見える状態になっています。百科事典的な記事としては、出来れば現状のような「あらすじだけが延々と書かれているだけ」という状態ではなく、「この話はどういうタイプの話である(そして同じタイプの話としてこういうものがある)」とか「この話はこういう古い説話(あるいはこういう史実)がもとになっている」といった評価や考察が学術的な研究書や研究論文に基づいて書き加えられた状態になるのが望ましいかと思います。なお、現時点でもこの記事はかなりサイズの大きい(「長いページ」の第2位)ものになっていますから、これ以上の加筆を行う場合、個々の話(またはまとまった話のグループ)ごとに独立した記事にすることを検討する必要があるかもしれません。--211.135.54.237 2010年8月21日 (土) 19:42 (UTC)[返信]
執筆当事者である、119.173.39.10119.173.33.105氏への議論参加を呼びかけておきました。--おーた 2010年8月23日 (月) 22:25 (UTC)(修正)--おーた 2010年9月7日 (火) 22:20 (UTC)[返信]
やはり継続的に執筆をされ、つい最近も編集を行っておられた利用者:Uruyaさんにも議論参加を呼びかけておきました。--おーた 2010年9月14日 (火) 14:07 (UTC)[返信]
119.173.33.105ですが、記事のうち半分ぐらいしか記載していません。他はどなたが書いているか良く知りません。それで、何が問題となっているのでしょうか。EULEさんが示されたように、現状の書き方で問題ないと思います。一部での「私」という記載が他とスタイルが違うというのなら、編集して変えれば良いと思います。マルドリュス版かバートン版かカルカッタ2版かの点は、どっちでも良いと思いますが、将来的にバートン版のあらすじを書く人が出てくるのであれば、この記事を「千夜一夜物語のあらすじ(マルドリュス版)」に変更し、別途「千夜一夜物語のあらすじ(バートン版)」を作れば良いと思います。マルドリュス版とバートン版は収録物語が相当違い、並び順も違いますから、別々の記事が必要になるでしょう。一方、バートン版はカルカッタ2版の翻訳で、夜数、物語の並び順は同じですから、バートン版とカルカッタ2版は分ける必要はないと思います。長いページになっている点ですが、「アリババと40人の盗賊」のように知名度があり独立させられるものは独立させれば良いと思いますが、ほとんどの物語は題名の知名度が低く、独立は無理ではないでしょうか。他に論点はあったでしょうか。119.173.39.25 2010年9月13日 (月) 14:36 (UTC)[返信]

こんにちは。皆さん、色々書いておられますが、多くの方々が現在の記事に対して違和感を感じておられることは確かだと思います。最初にSusukaさんらがそれを「過剰なネタばれ」だから削除しろと言ったので話がややこしくなった面がありますが、今一度整理しておきましょう。

  • ただの事実を羅列しただけの文章は百科事典的記述ではない。
「『千夜一夜物語』のあらすじ」という項目に、『千夜一夜物語』のあらすじを書いて何故いけないのかと思っていらっしゃるのかもしれませんが、それは違います。Wikipediaは世の出来事や事象をそのまま記述するだけのメディアではありません。Wikipediaは何でないかには「記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです」とあります。
  • このままだと、ただのデーターベースである。
Wikipediaは何でないかには「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」とあります。もちろん有名作家の著作リスト、ミュージシャンのディスコグラフィのような書誌資料的な内容はWikipediaの中でも有用なものとして認められていますが、短編集の個別のあらすじを書くのは少し違います。それは、次の「特筆性」に関わる問題です。
  • 特筆性が認められない
Wikipediaでの記事内容の基準のひとつにWikipedia:特筆性があり、そこには「百科事典の記事は、その主題に関する一般的な知識の概要であるということを心に留めておいてください。 可能な限り全ての詳細なものを完璧に説明するものではありません」とあります。『千夜一夜物語』の全ての挿話のあらすじを詳細に書くことには特筆性はあるのでしょうか?ことに、『千夜一夜物語』は枠物語としてのシェヘラザードの物語以外は、すべてが作中作という構造を持っています。どれか一つが欠けたり変化していたり別の話に入れ替わっていたとしても『千夜一夜物語』自体が大きく変質するというようなものではありません。ペルシャ系・アラビア系etc.のありとあらゆる種類の説話が繰り返すというテキスト構造において、ひとつひとつの挿話のあらすじには特筆性は無いと判断するのが妥当です。119.173.39.25さん自身も書いておられますが「ほとんどの物語は題名の知名度が低」いのです。そして、知名度が低くても独立記事にしなければ良いというものではありません。特筆性が無いのなら、書くべきではないのです。もちろん、各説話群を代表できる特徴的な挿話のあらすじを書くのは有用だとは思いますが、全てを書く必要などありません。
  • 『千夜一夜物語』のテキストには様々な版があり、その中のひとつの版に基づいてあらすじを書くことにどんな意味があるのか。
『千夜一夜物語』のテキスト群は膨大にあってマドリョス版、バートン版、カルカッタ版の3つで済む様な問題ではありません。そして御存知のように、挿話の並びは版によって異なり、それぞれの挿話自体も有ったり無かったりします。有名な『アラジンと魔法のランプ』『アリババと40人の盗賊』ですら、アラビア語の版には無かっただろうと推定されています。それなら、異なる版ごとにあらすじ記事を作ればよいと、119.173.39.25さんはおっしゃりますがそれはWikipediaの方針と逆方向です。Wikipediaは「可能な限り全ての詳細なものを完璧に説明するものではありません」。むしろ、それらのテキスト群を要約して記述する方向なのです。
  • サブカルチャー系記事の悪癖が持ち込まれていないか。
このノートに書かれている現行記事への批判は、おそらく「サブカルチャー系記事の悪いところがそのまま持ち込まれている」という印象に根ざしていると考えられます。これも、御存知でしょうけれど、現在のWikipedia日本語版のサブカルチャー系の記事は、事細かな「あらすじ」と「人物紹介」や事物の解説で埋め尽くされ、しかも作品自体(一次資料)に基づいてのみ書かれる傾向が大変に強い。ファンサイトや同人誌や商業誌の記述スタイルをそのまま持ち込むことはもとより、二次資料に基づく記述を推奨するWikipediaの方針を無視する、こうした編集のありようは、しばしば批判されていますが、大方は「サブカル内部で勝手にやってくれ」という形で放置されています。ただ、これがサブカルの外部にそのまま持ち出されると反発も起きます。言葉は悪いですが、現行の記事は「既存の百科事典を見たことも無い読んだことも無い、思慮の浅いサブカル系の編集者が何も考えずにやってるんだろう」と見えても不思議ではありません。(私がそう断定しているのではありません。そう思われて仕方が無いと言っています。念のため。)原テキストのあらすじ紹介だけを延々と書き続けることのみ続けていれば、そういう反発は有り得るものだと御理解ください。
  • 百科事典記事のスタイルを理解していない。
「「私」という記載が他とスタイルが違うというのなら、編集して変えれば良いと思います」と119.173.39.25さんは仰います。まず、あらすじの書き方については、膨大な議論があって、Wikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案に集約されつつあります。是非、参考になさってください。それから、Wikipediaは決まりごとが多くて、面倒くさい作業を強いられるところが多々ありますが、だからといって他者に作業を強いる書き方は避けていただいたほうが良いかと思います。「私は~」は、たとえあらすじ紹介でも百科事典記事の文体に相応しくありません。そのことを認識されたのであれば、そのように書く事を今後は避け、御自分の書いたものは出来うる限り修正ください。

--おーた 2010年9月14日 (火) 13:40 (UTC)[返信]

119.173.33.105です。すごい分量ですね。きちんと答えられるか自信がありませんが。まずWikipedia:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体の「具体的な例」の桃太郎のあらすじを見て頂きたいのですが、「桃太郎は、赤ん坊の時に大きな桃の中から老夫婦によって発見され、大切に育てられる。成長した桃太郎は、人々に害をなす鬼を退治すべく鬼が島へと旅立つ。旅の途中で家来とした猿・犬・雉とともに鬼退治を成し遂げ故郷に凱旋する。」と書くのはウィキペディアにふさわしいとされています。このため、1点目2点目3点目5点目の指摘は当たらないと思います。4点目ですが、それではどう編集したいのか、具体的に示して下さい。私の編集方針は、既に示したように、まず現状のマルドリュス版を完成させ、その後、可能であればバートン版を作るというものであり、そういう形に完成するのが読者にとって最も分かりやすいと考えています。それ以外のマイナーな版について書こうという人はまず現れないでしょう。6点目の「私は」ですが、もともと「修道僧は次のように語った。『私は昔ある国の王子であり、、』」という入れ子の物語であり、「私は」でも問題ないと思います。『その修道僧は昔ある国の王子であり、、』という書き出しで入れ子の物語を書いても良いのですが、そうすると2回目に修道僧が出てくるときどういう語で受けるかが難しく、きれいな文章になりにくいという問題があります。文章力がある人が書けば問題ないのでしょうが。私は毎月7,8話を書きたいと思っていますが、それでも1001夜に行くまで8ヶ月くらいかかります。「私は」を直すのはその後でも良いでしょう。これだけのことを書くエネルギーがあるのであれば、1話分でも良いから書いてもらいたいと正直思います。119.173.39.25 2010年9月15日 (水) 13:40 (UTC)[返信]
御返事ありがとうございます。私はいくつかのWikipediaの基本方針やガイドラインを具体的に示して、現在の記事のあり方がWikipediaが目指す百科事典から離れていることを指摘したつもりです。ところが、119.173.39.25さんは、Wikipedia:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体に沿って書いているのだから、その指摘は当たらないと仰る。これは、不思議なロジックです。Wikipedia:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体に沿っていれば、他のガイドラインや方針は無視してよろしいのでしょうか?ここは冷静になって再考いただきたいと思います。--おーた 2010年9月22日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
119.173.33.105です。常識で分かることまで一々説明しなければならないのでしょうか。1点目について「事実の羅列」でないことはフィクションであるから明白です。また引用された部分の前後に書いてあるのは「あらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説 記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです。検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください。」であり、個々の物語についてスタイルに従い簡潔にまとめてありますから、指摘は当てはまりません。2点目「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」というのは特筆性の問題ですから、既に示してあります。5点目「サブカルチャー云々」の点ですが、意味不明です。6点目「百科事典記事のスタイルを理解していない」ですが、推奨されるスタイルに従って記載しています。指摘は全く当てはまりません。119.173.39.25 2010年9月22日 (水) 16:37 (UTC)[返信]
特筆性について追加ますが、歴史的な書物の場合、次のようになります。Wikipedia:特筆性 (書籍)#歴史的な書物「ほとんどの場合、特筆性の問題で削除依頼にかけられるのは近代以降の書籍の記事であり、上記の「判断基準」も主に近代以降の記事を対象としています。従って近代以前の書籍の特筆性が問題になった場合、上記の判断基準を当てはめて考えるのは適切でないかもしれません。そのような場合、その書籍が広く引用されたり研究の対象とされたりしているか、現代においても再版されているか、過去に広く読まれたことがあるか、文学や学問の歴史に名を留めているか、といったことを考慮しつつ、常識的な判断を行なってください。」
千夜一夜物語の個々の物語は、「現代においても再版されいる」し、世界各国の言語に翻訳されて、世界各国で読まれています。個々の物語についても特筆性があるといえます。119.173.39.25 2010年9月16日 (木) 12:43 (UTC)[返信]
特筆性についてのお考えは分かりました。では、千夜一夜に含まれる挿話のどれもについて、その各々のテキストが広く引用されたり研究の対象とされているということは実証できますか?私の認識では、千夜一夜のテキストの中で引用されたり、研究の対象となっているのはかなり限られたものの筈です。例えば、何でもよろしいのですが、『薔薇の微笑のファリザード』(あるいはもっとマイナーな小噺とか)のテキストが広く引用されて研究の対象になっているということを119.173.39.25さんは示すことができるのでしょうか?私とて『千夜一夜』自体の特筆性に疑念を差し挟むものではありません。私の疑問は、『千夜一夜』に含まれている挿話すべてに特筆性はあるのですか?ということです。私は、無いと考えます。後は、他の方々のご意見も伺った上で判断すべき問題かと思います。
119.173.39.25さんの尽力については、敬意を払いたいのではありますが、これはWikipediaで行うことではなく個人サイトやそれ相応のデータベースで行うべきことなのではないかと考えます。--おーた 2010年9月22日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
119.173.33.105です。特筆性については「現代においても再版されいる」し、世界各国の言語に翻訳されて、世界各国で読まれていることで示されています。研究の対象云々は、すでに特筆性に関し無関係です。無意味な繰り返しはやめましょう。119.173.39.25 2010年9月22日 (水) 16:20 (UTC)[返信]
最初の方でも言ってますが冗長じゃないストーリー(プロット)を書くこと自体は問題無いんですよ(最近の作品だとダメだって言われているが、最近の作品だって良い)。ただ、ストーリーしか内容が無いとかだとダメだと思うし、そういうのに限って、冗長であるとか、ネタバレを避けて序盤しか記述しないとか問題がある。本件に関しては、あくまで子記事であって、親記事に基本情報はある。
もし、これが全3話とかだったら全然許容されているだろう。本件が目に付くのは、偏にその量だ。単純な量だけ持ち出せば、そりゃ本件は多すぎるだろう。しかし、中身に違いは無いのに、2,3話程度の話集ならOKで、100話越える規模ならダメだってそりゃ矛盾じゃないのと。
あと、細かい部分に関しては、既にIP氏も言われているけど、ひとつの版に基づいてあらすじを書くのに問題があるというなら、別の版も書けば良い。誰も別の版を書くのを禁止してないし。スタイルに問題があるなら、問題の無いように書き換えれば良い。1次資料のみだから消してしまえ!じゃなくて、それなら2次資料を足せば良い。足せば済む問題を、引いて片付けようとするのはウィキペディア日本語版の悪いところであり。絶対的な問題があるなら消すのも已む無しだけど(例えば内容が冗長的な物だったら削除も已む無し)、相対的な問題において、削除してバランス取るってのは悪手でしょ。
ただ、理想はガリヴァー旅行記盗まれた手紙なんですけどね。しかし、これはあくまで目標であってハードルではない。--EULE 2010年9月16日 (木) 12:48 (UTC)[返信]
EULEさん、こんにちは。
  • しかし、中身に違いは無いのに、2,3話程度の話集ならOKで、100話越える規模ならダメだってそりゃ矛盾じゃないの
とのことですが、私は矛盾は無いと思います。まず、2,3話程度の話集で有名なものは、挿話のほぼ全てもそこそこ人々の記憶に留まってもいるし、言及も、引用もされ、それぞれのテキストが研究対象にもなってそこそこの特筆性は獲得している可能性は高いでしょう。たとえば漱石の『夢十夜』なんてのを考えていただいてもよい。しかし、『千夜一夜』みたいな大規模な挿話集で、しかも版によって収録された挿話は一定せず、『千夜一夜』に収録された話かどうか多くの人は知らないし関心もなく独立したテキストとして研究対象になることもほとんど無いというような挿話が多数を占める『千夜一夜』に同じことが言えるとは、とても思えません。そんな中で、全ての挿話のあらすじを列挙するのは「主題について一般に認められている知識をまとめた」記事とは逆方向ではないでしょうか。つまり「Wikipediaでは無いもの」へ向かってませんか?
それから誤解があるかもしれませんが、私は削除しろなどとは言ってませんよ。特筆性のある挿話だけに絞るべきだと言いたいのです。--おーた 2010年9月22日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
>特筆性のある挿話だけに絞るべきだと言いたいのです
それを削除と言う、っていうか「除去」って言えば良いですかね。あなたは話に特筆性が無いって言っているのだから、すなわち削除(除去)せよ、と言っている。何も変わらない。
木を見て森を見ずではないが、全体としての構成において問題無いと言っているのであって(親記事に基本情報はあって、本記事は付録、従属)、それを構成する要素、一部分に対してこれは特筆性が無いといわれる時点で多分、見ている物が違うんでしょう。別に木を見てる人より森を見てる私の方が偉いとか言うつもりは全く無いですが。
正直なことを言うと昔の自分だったら、氏と同じ考えで似たようなことを主張していたと思います。しかし、英語版とか見てるとね、これはこれで良いんだと思うんですよ。ドラマの1話1話を独立記事で仕立てたら、まず即時削除される日本語版の住人として、大規模な挿話集の個々に特筆性なんか無いっておっしゃられる意図や根拠は十分に理解していますよ。まあ、現状の英語版でもさすがに千一夜物語の個々の話に1つ1つあらすじはありませんが、そのうち記述されるでしょう(たぶん)。--EULE 2010年9月22日 (水) 15:24 (UTC)[返信]
119.173.33.105です。既に個々の話に特質性があることは示しました。おーたさんの提案(全然具体性を持っていない提案ですが)は既に根拠を失っています。また他のガイドラインにも抵触していません。119.173.39.25 2010年9月22日 (水) 16:12 (UTC)[返信]

コメント依頼を見て来ました。難点にもわたる議論ですね。以下、おーたさんの9月14日の投稿に書かれた6点を基準に、コメントします。

1点目。ただの事実の羅列とは言えないと思います。

2点目。情報の無差別の収集とは言えないでしょう。役に立たないものでは決してありません。そもそも百科事典の個々の記事は、そうそう多数の人の役に立つものではありません。自分がくだらないと思っても、案外誰かの役に立ったりするものです。

3点目。特筆性ガイドラインは、基本的には単独で記事項目とする場合のガイドラインであり、記事内容の特筆性については、重要性にしたがって重みをかけろ、等とし書かれていません。今、単独で記事項目となっているのは、あくまでも「千夜一夜物語(のあらすじ)」であって、「千夜一夜物語を構成する個々の話」ではありません。おーたさんは後者、すなわち記事内容たる個々の話について問題にしているようですので、特筆性ガイドラインを持ち出すことは失当(故意だとすれば詭弁)です。ただし、各話に重要性の違いが認められれば、「この話を長く説明し、この話は短く触れるだけにしよう」ということが言えます。

4点目。版の違いがよくわからないのですが、代表的な版について記事を書けばよいでしょう。

5点目。ガイドライン等に依拠していないので、削除、ないし記事丸ごと不要との主張の根拠としては援用不可能。

6点目。記事を書く中で改善していくべき問題。一人で書くわけではないので、スタイルの不良を理由に記事丸ごと削除はおかしい。

結局、削除には反対です。ただし、「千夜一夜物語」のページの中で書けばよいことのような気がしますので、統合した方がよいように思います。--219.66.153.83 2010年9月24日 (金) 07:39 (UTC)[返信]

119.173.33.105です。記事の記載が止まってだいぶ経ちました。漠然とした話はあっても、具体的な編集の提案はないようですから、記事の記載を止めておく必要はないように思えます。記載を再開しようと思いますが、反対はありますか。記載を続けて、必要があれば議論すれば良いと思います。119.173.39.25 2010年9月28日 (火) 15:26 (UTC)[返信]
念のため書いておきます。おーたさんも半分わかっていらっしゃるようですが、これだけは理解して欲しいところがあります。 それは『千夜一夜物語』は歴史的な古典文献であって学術対象になっており、頭から尻尾まで、全部特筆性を持っているということです。ここがサブカル作品と決定的に違うポイントです。全部特筆性があるのですから、網羅したところで何かの規則違反でもないし、ガイドラインに違反してるわけではないという事です。堂々と網羅して大丈夫ですから安心して下さいということをお知らせしておきます。--Gyulfox 2011年1月26日 (水) 03:20 (UTC)[返信]