ノート:動的リンク

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

皆さんへお願い。

最近は、ウィキとはなにかという事を知らないで、検索サイトなどから直接やってくる方も多くなっています。そういう人が「このページを編集」や「赤リンク」を実験的に押してしまい、何か書き込んでしまうこともあるかと思います。そのような場合は、「荒らし」などとあまり過剰反応はしないで、できればやさしく対応してあげてください(その後、ウィキペディアに定着してくれる人になるかもしれません。)

それから、「赤リンク」を、将来記事が出来る事を期待してたくさん張られている人もいるようですが、上記のような悪い点もあることも御留意してていただいて、多用は控えていただけたらと思います。--Yoshitaka Mieda 15:20 2003年5月22日 (UTC)

しかし、たとえば国名などを中心に、ほとんど0バイトの記事が量産され続けているようなので、やみくもに記事を増やすよりは、赤リンクが増える方がよっぽどましではないでしょうか。るがこむ 15:32 2003年5月22日 (UTC)

ごめんなさい。意味がよく取れていません。もう少しご説明を。

ほとんど0バイトの記事というと、記事名だけとか、中身がない、記事として未完成な記事ということだと思います。作ってみるまで誰も手を着けないので、とりあえず作ってみると誰かが記事を増やしてくれるということを期待して作る場合もあります。

あと、短い記事を作るのは、路線の一覧、首都の一覧などで記事へ書かずにリンクの前後に記事の中に書くべきことをいろいろ書いているものがありますが、それらをとりあえず記事の中へ入れて、他のリンクからも参照できるようにすることです。おこめ 15:43 2003年5月22日 (UTC)

「文章」になっていない「単語」だけを赤リンクに書き込んで、ほとんど0バイトの記事を増やしていく人がいるので、それよりは「文章」が書かれるまではまだ赤リンクのままの方がよいのでは、と思います。るがこむ 15:47 2003年5月22日 (UTC)

ふむ。だいたい判りました。その場合、我々に出来る事は、「ほとんど0バイトの記事」や「赤リンク」は作らないで下さいと訴え続けるしか出来ないですね。ウィキペディアは、見かけは手軽に素人が記事を書けるようになっていますが、実際期待されている内容は、相当高いレベルなのだということをみんながもっと理解してくれれば良いのですが。おこめさんやるがこむさんと違って、どうも百科事典を辞書やリスト集といまだに勘違いしている方が多いようで…。。--Yoshitaka Mieda 16:02 2003年5月22日 (UTC)

辞書と百科事典の記述はそんなに大きくはちがわないと思います。私が言いたいのは説明の「文章」がないと「記事」とはよべないということです。るがこむ 16:16 2003年5月22日 (UTC)

私は「るがこむさん」は、文章になっていない、つまり2,3行しかないつまらない記事を作るなと主張しておられると理解しました。それから「おこめさん」は、「赤リンク」を集めたリンク集を作るなと主張しておられると理解しました。私は両者の主張とも正しいと思いました。ですから、両者を統合して、「ほとんど0バイトの記事」や「赤リンク」の記事は出来るだけ作らないで下さいと訴えれば両者の主張を満たすのではないかと思います(勿論、両者で対立する部分は譲り合ってけんかしないようにしていただかないと困りますが)。--Yoshitaka Mieda 16:28 2003年5月22日 (UTC)

おこめさんは、赤リンクを「羅列」しただけのリストがいけないと言われているんですよね。だから、項目を説明する文章をつければ良いと思います。私は、ほとんど項目名だけで「1行」の文章にもなっていないページは記事じゃないと言ってるんです。るがこむ 16:42 2003年5月22日 (UTC)

ごめんなさい。「おこめさん」の主張をよく読むと、一覧に文章があることに否定的なので、それを解消するために、リンク先に文章を移すべきだと主張しておられるようです(赤リンクうんぬんは私の勘違いだったようです)。しかしるがこむさんが主張されるように、これを解消するために文章がない「ほとんど0バイトの記事」が出来てしまっている事は否めないと思います。ですので譲り合って、「赤リンク」も「ほとんど0バイトの記事」も作らないようにしましょうと言うべきでした。私は文章のない一覧の必要性に関しても否定的な意見を持っていますが、ここでは述べないこととします(本心では、「赤リンク」も「ほとんど0バイトの記事」も「一覧」もいらないと思っていますが、そこまで言うと条件が厳しくなりすぎるような気がします。)。--Yoshitaka Mieda 16:28 2003年5月22日 (UTC)

私の方は将棋の戦法一覧などを作っちゃってるので、赤リンクの一覧については何も言えません。百科事典の付録などには、ふつうは「歴代将軍」「星座」などの一覧表があるので違和感はありませんが。とにかく説明の文章があれば文句は言いません。るがこむ 17:11 2003年5月22日 (UTC)

赤リンクは、説明と、あとは記事にするような人などの一覧ならいいと思いますよ。あまり関係なさそうなところはリンクなしで記述してもいいですし。後々でも、一覧記事であってもそうでなくても記事として正しい形には持っていくべきですね。 おこめ 17:24 2003年5月22日 (UTC)

2,3日外出していたので、ウィキから離れている間にも大きく動いているようですね。
Yoshitaka Miedaさんの最初の書き込みは重要なことと思います。どこか参加者の留意点として纏めておいた方が良いかと思います。
赤リンクについては、そのような弊害があるということは気がつきませんでした。以後気をつけます。しかし、その後の議論では『多用するな』が『作るな』に過激になっているのはちょっと心配です。『多用するな』と『作るな』には大きな差があります。
「0バイトの記事」については同感です。
最後に「実際期待されている内容は、相当高いレベルなのだ」という点についてですが、言葉のニュアンス的な問題かと思いますが、これはちょっと違う気がします。ウィキペディアを高いレベルに高める為に多くの人が必要なのではないでしょうか?最初は、記事を誰かが書いて、それをレイアウトを修正したり、記事を修正したりして、記事のレベルを高めていくものと思います。これは期待するものとはちょっと違う気がします。敷居を高くして参加者を減らすことは望ましいことではありません。もちろん参加者に対して一定のルールやモラルを求めることとは別です。ルールやモラルのない社会は社会として成り立ちませんので…。G 12:49 2003年5月23日 (UTC)

こんにちはGさん。これは、ノート:メインページにも書いたのですが、最近は、記事の数ばかりが増えて、内容はますます薄くなっているのが実情だと思います(おそらく日本語版がいちばんひどい)。どこかでGさんが述べておられました。原因として、「見本となる記事」が明示されていないことにあると思っています。その解決策として秀逸な記事をメインページの目立つところにおいて、初めての方にウィキペディアのスタイルに沿った記事とはどういうものかということをちょっとでも見てもらった方がよいのではないかと思っています。これは、はじめに見たものを真似するという一種の「刷り込み効果」を狙ったものです。メインページの書き換えはその実験です。

それからルールに関してですが、参加の初期にルールを知らないのは当たり前ですが、参加しているうちに、ルール全部に眼を通さなくても、他人の作業を見ることにより自然に学習していけるようにしないといけないと思っています。これを解決するには、「ブロークン・ウインドウズ理論(割れ窓理論)」にならって、皆でルール、規則から外れている記事を徹底的に修正して、ウィキペディア日本語版がしっかりと管理されていることを印象づければよいと思っています。これにより、ルールを良く知らない人は他人の作業を見て自然にルールが覚えられるでしょうし、いわいる荒らし行為を排除、防止する効果も生まれるでしょう。たった一つのルールから外れた記事の放置が、それをまねしてルールから外れた記事をねずみ算式に量産させます。このようなルールから外れた記事の放置が、「記事数ばかりが増えて、内容がますます薄くなっている」もう一つの原因であるとも考えています。--Yoshitaka Mieda 16:34 2003年5月23日 (UTC)


ウィキペディアが一定の見た目や中身のある記事で充実していく、と言う点ではYoshitakaさんの意見に賛成です。リストや赤リンクに関しては、たいていの人が作ってみたくなってしまうもの(だとおもう)ですし、作ってみなければ分からないこともあるし、本題でもないのでとりあえず保留。ルールやモラルと言う点にかんしてはあちこちでぽつぽつ発言しておりますが、スタイルマニュアルの整備が行き遅れている、と思います。保留点、未決定点が多くあって、記事の校正のよりどころとしては不安を感じます。

いろいろ考えつつ参加しているのですが、ノートなどで自分の意見をきっちりだすのと、短い記事を長くしたり片っ端から修正するのに時間を割くのと、どっちに時間を使うのかが悩ましいところです。お手本となるような記事と、その記事の書かれかた、考え方を文章化して、毎日毎日参加していなくてもルールを覚えられるといいかな、と。いまのところプロジェクト関連の文書は英語からの訳出が多く、硬い文章も多いですが、初心者受け入れ用にWikipedia:入門 みたいなシリーズがかける程度に様々なスタイルや思想が分かりやすく文章化できるといいかなぁとときどき思います。時間がなくて散文ですが。suisui 19:58 2003年5月23日 (UTC)