ノート:内藤正典

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「ジャーナリズムでの論跡」の節の記述は、全体として内藤弁護の観点から組み立てられた主張となっており、中立的な観点が欠けているように感じるので、一部の記述をコメントアウトした。出典不明で編集者の恣意的な価値判断が書き連ねられており、百科事典として不適当ではないだろうか?出来れば、出典を明示した上で編集作業を行ってもらいたい。--PhysicalReview 2008年10月25日 (土) 16:35 (UTC)[返信]

上記主張は妥当性を欠くものとして反論する。「該当人物弁護の観点から組みだてられた主張」は、それ以前に「存命中の人物の伝記」に関して、特定の思想的立場からなされた恣意的かつ根拠のない批判がWikipedia上に存在していたことに対する編集者の訂正である。これは百科事典が、「存命中の人物」の言論活動を、出典を明記せずに批判するという理不尽な行為への応分の抵抗としてなされたものである。この際、Wikipediaにおける中立性命令に鑑み、問題とされた項目全体を削除することが望ましいと思料する。従って、以下、「中立性への疑問」、「および独自説の展開という冒頭二項目は意味をもたない--利用者:philosophia 2008年11月22日、(日)、04:15(UTC)Muammer会話履歴)による偽署名、投稿日時は2008年11月22日 (土) 19:27 (UTC)[返信]

oldid=51820277 で削除された記述[編集]

Wikipedia:存命人物の伝記#本人による編集の扱い」には「ウィキペディアは本人による項目の新規投稿や既存記事への加筆は思いとどまるよう勧めますが、不正確な記述の修正や、不正確、あるいは根拠の無い記述の除去は歓迎します」とあります。本人が不正確な記述だと判断したのであれば削除は妥当だと考えます。仮に本人でなかったとしても特筆性のある主張であれば氏の著書に存分に記されているはずで、ツイッターでの発言を切り貼りする必要があるとは到底思えません。--Akiyama(tentative)会話2014年7月13日 (日) 11:07 (UTC)[返信]