ノート:伊藤清

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本項目の伊藤清 (数学者)への移動、並びに伊藤清 (曖昧さ回避)伊藤清への移動を提案します。非常に高名な数学者ですが、伊藤清 (島根県知事)等とは並列にしたほうがいいと考えます。KMT会話2016年9月12日 (月) 23:36 (UTC)[返信]

出典が必要な記述[編集]

僭越ながら{{要出典範囲}}のテンプレートを添付いたしました[1]。問題の箇所は以下の三点です。

  • このため伊藤の定理は数学の範囲を超え、経済学全般、特に1990年代に発展した金融工学に大きく貢献した。
    ← 金融工学への貢献は分かるのですが、「経済学全般」というような話は聞いたことがありません。「経済学」と「金融工学」は理論体系から観ても歴史的に観ても全く異なる分野であり、日本経済学会に所属されている経済学者の方で金融工学の専門的知識を持っている方もほとんどおられないと思います。ショールズは確かにノーベル経済学賞を受賞しましたが、ノーベル経済学賞は心理学者や数学者など経済学以外の分野の方も受賞されており、ショールズがノーベル経済学賞を受賞したという事実を「伊藤の定理は(...)経済学全般(...)に大きく貢献した」と解釈するのは誤った独自解釈に過ぎないのではないでしょうか。もしもそのような解釈を採用している文献ご存知の方がおられましたらご教授ください。私の意見としましては、伊藤氏の貢献は「経済学」ではなく「金融工学」に対してであり、「経済学への貢献」という見出しは「金融工学への貢献」に改めるべきだと思います。
  • 伊藤の公式は確率解析学における基本定理で確率積分の計算手段を示したもので、この公式無しでは確率解析における計算はほぼ不可能といえる。
    ← この部分関しては、ウィキペディアの定める所の「信頼できる情報源」が明記されない限り、明らかに「大言壮語」に該当すると思います。仮に「伊藤の公式(...)無しでは確率解析における計算はほぼ不可能といえる。」が真実だとしても、それを事実として示している客観的な出典がない限り、こういった記述を掲載すべきでない、というのがウィキペディアの方針でしょう。
  • 数学者の伊藤清三とは兄弟。
    ← 故人とはいえ伊藤氏は今世紀の人物であり、近い親族の方がまだ存命でしょうし親族に関する記述を出典を明記することなしに記載するのはウィキペディアのルール以前に人間のモラルとしてどうかと思います。もちろん、ウィキペディアの方針であるWP:Vにも明らかに違反しています。

ノートで他の議論が進行している最中にこのような問題を提起してしまい申し訳ありません。--ミクロ経済学会話2016年10月9日 (日) 02:46 (UTC)[返信]

コメント 伊藤清三も有名な数学者ですから,モラル云々というのはちょっと違うのではないかなと思います.新規作成 (利用者名) 会話2016年10月9日 (日) 06:30 (UTC)[返信]

モラル云々の件は「公表されていない血縁関係や親戚関係を公の場であるネット上に書き込むべきではない」という意図です。その際に有名かどうかは重要ではないのではないでしょうか(例えば「お笑い芸人の××は有名な政治家○○の甥である」という事実があったとしても、それが公表されていないとすればネット上に書き込むべきではありませんよね?)。有名人の個人情報ならば自由にネット上に書き込んで良い、とお考えの方がおられるとしたらそれこそモラルに問題があるように感じられます。もちろんそれが事実か否か以前に出典が明記されていない以上、ウィキペディア的には除去すべき記述なのでモラル云々の件は私の蛇足でしたが。--ミクロ経済学会話) 2016年10月9日 (日) 07:11 (UTC)  追記 もちろんそれが公表されている事実であるのならば、ウィキペディアの方法に従って出典を明記すれば済む話です。そういった意味での「要出典」ですし。--ミクロ経済学会話2016年10月9日 (日) 07:31 (UTC)[返信]

コメント Munascaさんの編集[2]によって「このため伊藤の定理は数学の範囲を超え、経済学全般、特に1990年代に発展した金融工学に大きく貢献した。」の部分の出典として元々掲載されていた「NHKスペシャル マネー革命 第三回『金融工学の旗手たち』1998年12月6日放送。存命中の伊藤清氏を取材」が挙げられましたが、①伊藤氏が本当に「伊藤の定理が経済学全般に貢献した」と発言したのか、②本人の研究の重要さや偉大さに関する記述の出典として本人への取材を挙げることに「中立的な観点」から問題はないのか、とう疑問が残ります。①については、「金融工学の旗手たち」は書籍化もされているようなので後日確認します。②については、私は「中立的な観点」から明らかに問題があると思うので、前述の編集をなさったMunascaさんのご意見を伺いたいです。--ミクロ経済学会話2016年10月9日 (日) 07:31 (UTC)[返信]

伊藤清・清三が兄弟であることは、「公表されていない」などということはとても信じられないほど超有名なことですので、逆に出典を探すのが難しいですね。ネット上をサラッと探してみましたが、信頼できる情報源のものはなかなかありません。とはいえ空が青いということに出典は要るというのがwikipediaですので、ミクロ経済学さんのご指摘はまっとうなご指摘です。ということで学習院大学史料館の「ミュージアムレターNo.27」「伊藤清先生と学習院大学」にある写真のキャプションに「家族写真 右から父、母、伊藤先生、弟(数学者の伊藤清三)、円内は祖父母 昭和12年(1937)」とあるのを挙げておきます。これでいかがでしょう。--126.169.127.158 2016年10月9日 (日) 08:20 (UTC)[返信]

情報ありがとうございます!私も伊藤清三さんの教科書を授業で使った際に教員から「この教科書の著者はかの有名な伊藤清さんと名前が似ていますが実は兄弟なんですよ」といったことを聞いたことはあってしばらく探してみたのですがなかなか情報源が見つからなくて...ついに情報源が見つかって良かったです!私は十分に「信頼できる情報源」だと思います。早速出典として追加いたしました[3]。--ミクロ経済学会話2016年10月9日 (日) 08:43 (UTC)[返信]

一般的に言えば、伊藤の公式は連続時間の確率過程の振る舞いを議論する上で最も重要な公式の一つであることに特に疑いはないと思います。経済学への応用という観点から言えば、例えば、Darrell Duffie (2001) "Dynamic Asset Pricing Theory" isbn:069109022X や John Cochrane (2005) "Asset Pricing" 2nd ed. isbn:0691121370 等の著名な業績を残している経済学研究者が書いた定評のある教科書において、連続時間におけるモデル化を行う上では伊藤の公式について必ず言及されています。また、2016年度のジョン・ベイツ・クラーク賞を受賞したYuri Sanikovの主要業績の一つとして連続時間のプリンシパル=エージェント問題の分析がありますが、この研究においても伊藤の公式は重要な役割を果たしています。[4][5] これらの事情を鑑みれば、現行の記事における引用の仕方に改善の余地はあるものの、経済学においても伊藤の公式は重要な役割を果たしているといっても過言ではないでしょう。--Munasca会話2016年10月9日 (日) 08:48 (UTC)[返信]

丁寧なご回答ありがとうございます!私のどういった認識に齟齬があったのかなんとなく分かりました。独自研究の域を出ませんが、
①日本の経済学者の中にはMunascaさんが挙げられたような「ファイナンス」の分野が「(狭義の)経済学」ではなく「金融工学」に含まれる、と考えている方が多く、実際に大学教育でも「ファイナンス」に関連する授業が「経済学」ではなく「経営学」や「工学」として開講されることが多い。
②「ファイナンス」を専門としている方は「ファイナンス」と「金融工学」をきちんと峻別しており[6]、「金融経済学」などと称して「ファイナンス」を「経済学」の一分野と考える方もいる。
ということだと思います(余談ですが①については「確率微分方程式などの応用に興味があって理学部や商学部ではなく経済学部に入ったのに金融工学的な授業が全然ねぇじゃねぇかよ」と言って経済学部の先生に諭された学生を知っています)。これらを踏まえると記事中の見出しを「経済学分野への貢献」とすることにも「金融工学分野への貢献」とすることにもそれぞれ問題があるような気がします。いずれにせよ何らかの変更は必要だと思います(当該分野に詳しくないので適切でないかもしれませんが「ファイナンス分野への貢献」辺りが良いのでしょうか)。◆出典の『金融工学の旗手たち』に関しては掛かりつけの図書館に蔵書が確認できたので明日探してみようと思います。しかしこの出典は「信頼できる情報源」の観点から問題がありそうなので、また出典を探し直す必要がありそうですね...--ミクロ経済学会話2016年10月9日 (日) 10:52 (UTC)[返信]

余談になりますが、数理ファイナンスや金融工学と経済学の一部として位置づけられる金融経済学、ファイナンスの違いは価格過程を所与のものとして見なすかどうかが一番大きなポイントとして見なされるのが一般的です。数理ファイナンスや金融工学における最適な投資比率決定問題であったり裁定によって決まる相対価格といった議論・問題においては、一般均衡下の価格受容者としての市場参加者の視点から見れば価格は所与と考えて議論してもよく、祝迫先生が引用なさっているようなアンドリュー・ロー教授の(市場参加者のための)「数量的な側面を重視した目的志向型のファイナンスという学問の実践」という要約はそういう点を意図したものだと考えられます。なのでこれらの分野は祝迫先生が指摘なさっているように、実務家が(所与の価格の下で)どのようにリスクを管理したり、金融投資を行うべきかという点を分析することを目的としています。逆に伝統的なファイナンス理論においては、価格が均衡下でどのように定まるか、という点に重きを置いており、それが祝迫先生が仰っているように、Fama, Black, Sharpeらの(数理ファイナンスや金融工学との分化が起こる以前の)現代的なファイナンスの創生期に重要な業績を残した学者に共通の意識であるように思います。そのようなファイナンス創生期の人々の問題意識はペリー・メーリング(2006)「金融工学者フィッシャー・ブラック」isbn:482224511X などで伺い知ることができるでしょう。ただどちらの分野にせよ、目的意識は違ったとしても基本的な方法論としてはほぼ共通していますから、ツールとしての伊藤の公式やそれに続く確率解析の理論は金融経済学と見なされるファイナンス研究においても非常に重要な役割を持つと言えるでしょう。実際に、先ほど挙げたJohn Cochraneの著書では、一般にマクロファイナンスと呼ばれる分野における均衡理論において伊藤の公式を用いた分析が数多くなされています。またこの区別はあくまで大枠に過ぎず、数理ファイナンス、金融工学的な研究でも均衡理論に基づく内生的な価格決定機構を備えた研究もありますし、両方の分野で活躍しているような研究者も大勢います(例えば、先ほど挙げた Darrell Duffie など)。さらに言えば、伊藤の公式は不確実性を伴う連続時間のモデルではほぼ必須と言っていいほど使用されるのが常ですから、そのような分析を行っているモデル(先ほど挙げたSanikovの業績や連続時間のゲーム理論、マクロ経済学における連続時間の一般均衡理論など)が多数現れる経済学の分野全体にとっても大きな貢献を果たしていると言っても過言ではないでしょう。--Munasca会話2016年10月9日 (日) 12:29 (UTC)[返信]

報告 『NHKスペシャル・マネー革命2 金融工学の旗手たち』を確認したので報告いたします。結論から言えば、伊藤氏は第8章で「知られざる金融理論界の巨人」(283頁)として紹介されてはいるものの、「経済学への貢献」といった類の記述は見られませんでした。「経済学」関連の記述としては「サミュエルソン(...)の論文の付録に私の仕事が詳しく紹介されていたのを見た気がするんですが(...)あまり関心がありませんでした。」(284頁)という伊藤氏ご本人のコメントがあった程度であり、本記事当該箇所の記述は加筆者の独自研究と考えて良さそうです。◆対応としましては、
①「経済学分野への貢献」という見出しは、専門家や機関の中にも「ファイナンスは経済学ではなく経営学や工学である」派と「ファイナンスは金融経済学の一部でありしたがって経済学の一分野である」派がいる以上、「経済学分野への貢献」よりも「ファイナンス分野への貢献」とか「金融工学分野への貢献」にしておくのが中立的な観点から適切だと思います。もちろん、Munascaさんのように「ファイナンスは金融経済学の一分野であり然るにファイナンスは経済学の一分野」という立場の方は「経済学分野への貢献」でいいじゃないかと思うのでしょうけれど、ここがウィキペディアである以上、そうはいきませんので。ウィキペディアで「経済学の分野全体にとっても大きな貢献を果たしていると言っても過言ではないでしょう。」と判断するためには「伊藤の公式が連続時間のゲーム理論や動学的一般均衡理論で応用されることも多く、したがってこの公式経済学全般にとって大きな貢献を果たしている」という内容が書いてある二次資料(この場合ですと教科書やサーベイ論文)が無ければなりません。これがウィキペディアのWP:VWP:NORといった公式方針の意味するところであり然るにウィキペディアは面倒臭いのです。匿名の編集者が一次資料を解釈した結果を掲載することができないというのは面倒である一方、ウィキペディアの魅力だと思っております。
②現行のようにテレビ番組を出典としておくのは(検証可能性の観点から)論外として、書籍の方も出典として使うのは避けた方が良いと思います。というのもテクニカルな解説が掲載されている「定理は金融工学の基礎をなす重要な道具になった」という節の冒頭に「『伊藤の定理』はとても難解で、数学に素人の筆者には十分な解説をする能力がない。しかし、専門家からお叱りを受けることも覚悟して意訳すると(...)」(310頁)とあり、明らかに信頼できる情報源の要件を満たさないからです。もちろん、伊藤氏へのインタビュー部分で語られている伊藤氏の経歴やエピソードならば引用しても良いのでしょうけれども。したがって、当該箇所は全除去し、新たに出典を探す、というのが得策かと思います。--ミクロ経済学会話2016年10月10日 (月) 12:40 (UTC)[返信]

私は少なくともいくつかの国際的に評価された経済学研究や教科書等で伊藤の公式が分析に用いられている事例をいくつか挙げました。それでも、それらの研究は経済学とは見なしていないという考え方が一定数あるということが確かな情報源で確認でき、伊藤の公式が経済学研究に影響を与えたという記述はそういった考え方をしているグループの存在を前提とした場合、WP:NPOVに反するというのならば、書き換えなさればよろしいのではないでしょうか。もう私はこの件に関してはこれ以上は関与いたしません。--Munasca会話2016年10月10日 (月) 14:20 (UTC)[返信]

残念ながら、具体的な「伊藤の公式が活用されている研究」という一次資料を出典として「一般的な研究において伊藤の公式が活用されている」と記載することは明らかに独自研究に相当します(WP:NPOVはその次の段階で生じる問題でしょう)。一度Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料をお読み頂くことをお勧めいたします。最後に、Munascaさんが今後他の記事を編集する際に誤った理解からWP:NORに違反しないことをお祈り申し上げます。--ミクロ経済学会話2016年10月10日 (月) 15:13 (UTC)[返信]

 追記 誤解されそうなので補足します。ウィキペディアでは出典に書いていない情報を記載したり、出典に対する評価を(第二の出典を明記せずに)行うことを禁じるルールがあります(これはWP:NPOVではなくWP:NORです)。◆例えば「黒い烏①」と「黒い烏②」を出典として「全ての烏は黒い」という内容を記載することも、この独自研究に相当します。つまり「全ての烏は黒い」という内容を記載するためには「全ての烏は黒い」という情報が書いてある出典(二次資料)を探し明記する必要があるということです。Munascaさんは「私は少なくともいくつかの(...)事例をいくつか挙げました。[7]」と仰いましたが、この「いくつかの黒い烏を示したから全ての烏は黒い」という思考プロセスこそが独自研究なのです。もちろんMunascaさんが執筆しているのがウィキペディアではなく学術論文であれば、そういった思考プロセスは一切問題ないでしょう。しかし、ここがウィキペディアである以上、「経済学全般において伊藤の公式が活用されている」と記載するためには個々の研究事例(一次資料)を二三示すのではなく、直接「経済学全般において伊藤の公式が活用されている」と書いてある文献(二次資料)を示す必要がある、ということです。◆そして、記事中に「経済学全般において伊藤の公式が活用されている」と記載するにあたってその二次資料が出典として十分かどうかを考える段階でWP:NPOVWP:RSを検討する必要が出てくるのです。Munascaさんがウィキペディアの方針に対する無理解から誤った編集を繰り返すことのないよう気を付けて、今後楽しいウィキペディアライフを送られることを願っております。--ミクロ経済学会話2016年10月10日 (月) 15:45 (UTC)[返信]

報告 2週間、特にご意見などもありませんでしたしとりあえず問題の「独自研究」的記述を除去し「経済学」を「ファイナンス」に修正しました。ここでの「ファイナンス」という言葉の使い方が正しいのか分かりませんが。--ミクロ経済学会話2016年10月30日 (日) 03:48 (UTC)[返信]

IP利用者の方が「ノートの議論で問題になった部分以外で削除された記述を復帰」と編集を戻されましたが、先に報告した通り例の出典は「信頼できる情報源」として明らかに問題があるため、先の編集で削除した次第です。編集を戻されるのであれば、せめてノートでのやり取りをご覧になって頂きたいものです。--ミクロ経済学会話2016年11月3日 (木) 06:08 (UTC)[返信]

一度編集を復帰した者です。ミクロ経済学氏の編集規則を重んじられる点には実に敬服の至りと存じます。さて「従来の手法では、ランダム曲線は微分できない」「伊藤氏の定立した確率微分方程式によって、ランダム曲線を数学的に解析することが可能になる」これは確率微分方程式に関する数学的な事実を記述してあるだけで、NHKがどう報道してようが無関係です。お言葉どおりノート議論を拝見しましたが、ミクロ経済学氏は出典の薄弱性と、二次資料の不足を問題にされておられますね。まずNHKに代わる一般的な情報源として

"Kiyoshi Ito, 93, Mathematician Who Described Random Motion, Dies" NOV. 23, 2008 New York Times

また伊藤の定理と金融分野の関係に関する二次資料ですが、こんなところでどうでしょうか

"Modeling with Itˆo Stochastic Differential Equations"

"The impact of Kiyoshi Ito´s stochastic calculus of financial economics"  -- 118.111.199.244

情報提供ありがとうございます!私は「数理経済学」や「経済数学」の編集に際して「どの分野までが数理経済学/経済数学か?」という問題の出典を調べる中で「伊藤清」の記事に関わることになっただけで、ファイナンス分野に関しては素人なので、このような情報提供はたいへん助かります。ご教授頂いた資料の内容は今日や明日の内にでも記事に反映したく思います。
余談ですが「数理ファイナンスが数理経済学や経済数学に含まれるか?」という私の問いに関する出典は、長沼伸一郎氏の『経済数学の直観的方法』で「(...)経済数学は高度に発展してきました。なかでも、マクロ経済学の「動的マクロ均衡理論」と、金融工学の「ブラック・ショールズ理論」は「二大難解理論」として、その頂上をなしています。」(はしがき)がある位でその他には見当たりません(長沼氏は経歴を見る限りでは経済学に関しては素人で自然科学者ですらないようなので、信頼できる出典とは言い難いのですが)。経済学史の文献を見た限りファイナンス分野を「経済学」の一分野とみなす論者がほとんどいないようですが、その一方で心理学や社会学などと同様にファイナンス分野からもノーベル経済学賞受賞者が出ている点が事態をややこしくしており、なかなか直接的な出典が見当たらず苦労していた次第です。--ミクロ経済学会話2016年11月5日 (土) 22:42 (UTC)[返信]