ノート:伊勢物語

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

IPさん。どうして出典が明らかな記述が何回も抹消されるのでしょうかねぇ。作者不祥だからいろいろの説があるんですよね?。両論併記はだめですか?。papamaruchan22 2007年5月22日 (火) 13:50 (UTC)[返信]

出典が明らかといわれますが、あげられている「日本の古典」吉川弘文館刊の記述とは、執筆者が特定でき、またその執筆者はどういう方なんでしょうか?さらにその中で、伊勢、源融、紀貫之、源順、それぞれを作者と擬している説は、現代の視点からみても信用できる論拠が明記されているのでしょうか?以前はその他にも、業平の子供で歌人であるからという理由で、在原棟梁や滋春にも作者説があったように思いますし、作者を一人としない段階的成立論を著している方もいらっしゃいます。「日本の古典」吉川弘文館刊、発刊年などもあげていらっしゃらないようですが、本文に既出の参考図書をご一読の上、それでもなお記述に値するものかどうか、ご再考いただければと思います。--以上の署名のないコメントは、124.109.172.239会話/Whois)さんが 2007年5月22日 (火) 22:40(UTC) に投稿したものです([[papamaruchan22]]による付記)。

  • 仰せのとおり不(誤字訂正)詳であることはその通りなんですが、出典は間違いないです、ただいろいろ作者については取りざたされてましてね、正確には4名全部とも列記しているのは、河出書房新社の「『古典の事典』精髄を読む-日本版第2巻」(初版1986年・昭和61年刊)ですね。(ISBN4-309-90202-2)第2巻は、956年から1086年にわたっての古典を解説してます。編纂は、古典の事典編纂委員会で監修者は石井良助東大名誉教授・暉峻康隆早大教授他です。かなり信頼性の高い参考書じゃないかと思ってます。この本の18ページに伊勢物語の名称の由来と作者について記述がありまして、「作者についても、在原業平とその一門、源融をパトロンとする歌人仲間、伊勢、紀貫之、源順等が擬せられていますが、これも未詳というほかありません」とあります。(伊勢物語の執筆担当者は雨海博洋・二松学舎教授)ただ未詳なのでいろいろ説がありますよという意味で記述しましたので絶対乗せといてくださいというわけではないんですがね、ただ即抹消されますと、、ね。まぁ研究途上であるという事を文章上工夫したいですね。papamaruchan22 2007年5月23日 (水) 10:47 (UTC)[返信]
気になりましたので、少し調べてみました。小林正明「伊勢物語」(藤井貞和編『王朝物語必携』学灯社、1993)は、作者は不明としつつ、業平自作説、在原一門説、伊勢説、紀貫之説、源順説、源融周辺説に言及しています。高田祐彦「研究の現在」(鈴木日出男編『竹取物語伊勢物語必携』学灯社、1993)では、業平自作説、伊勢御編纂説、在原一門説にふれた後、近年は紀貫之説(高橋正秀、長谷川政春ら)と業平説(片桐洋一ら)が有力となっていること、そして源融サロン説(渡辺実ら)の存在について述べられていました。鈴木日出男「伊勢物語」項(『日本古典文学大事典』明治書院、1998)は、伊勢物語の成立には業平とその子孫の関与が想定されること、紀貫之説の存在、漸次的な増補の過程で多くの者が関わったであろうことなどを叙述しています。また、福井貞助による伊勢物語解説(『新編日本古典文学全集 12』小学館、1994)でも、上記の各説に言及しながら、作者は断定できないとしています。
以上の各書を概観しますと、片桐洋一による業平またはその縁者説が一定の支持を得つつも、他説もまた広く受容されているのであり、作者論はまだ流動的な状況にあるように感じました。伊勢物語の作者論はすなわち、成立論と不離不測の関係にありますから、ウィキペディアの本項においても、作者だけについて論ずるのではなく、成立論を体系的に記述することが本当は望ましいことなのでしょうけれど。
というわけで、現在の版は、一つの説だけを選択している点で、Wikipedia:中立的な観点に抵触しているように思いました。しかも「内容から推測するに~と察せられる」という表現は、ウィキペディアの執筆者の個人的な見解と受け取られかねませんので、あまり良くない書き方です。いずれにせよ、書き換えた方がよさげに思います。--shimoxx 2007年5月23日 (水) 14:11 (UTC)[返信]

 たしかに包括的な記述に変えたほうが、より望ましいとは思います。 ただ古来よりいわれてきた説に、現在の見解をどの程度まで組み入れるのか、あるいは詳しくは取り入れないで“現在も作者論についてはなお流動的である”程度の記述にとどめるのか、それこそ個人の研究発表とは違うので、判断が難しいところだと思います。私はハンドル名を取得しておりませんし、とりあえず新しい記述についてはお任せいたします。--以上の署名のないコメントは、124.109.172.69会話/Whois)さんが 2007年5月24日 (木) 10:22(UTC) に投稿したものです([[papamaruchan22]]による付記)。

  • shimoxxさん。それから124.109.172さんいろいろありがとうございます、お世話様でした、IP142.109さんの判断が難しいところだというのもある意味事実でしょう。だから度々抹消なされたのかと前向きにとらえております。大筋shimoxxさんのおっしゃる通りのことと存じます。いずれごく簡潔に(作者論から成立論までのべるのには自信が無いので)記述してみますが推敲と添削宜しくお願い致します。お話出来て光栄です。papamaruchan22 2007年5月24日 (木) 01:55 (UTC)[返信]
    • ps↑簡潔に書こうと取り掛かったのですが進みません。shimoxxさんのお調べの文章を尊重使用をして文案ご提示します。で、ほとんどしもーさんの調査で,拙papamaruchan22の原稿では、ありませんのでおそれいりますが本文への加筆推敲宜しくお願いします。papamaruchan22 2007年5月24日 (木) 05:54 (UTC)[返信]

文案一応

作者未詳。物語の成立当時から古典教養の中心であり、各章段が一話をなし分量も手ごろで都人に大変親しまれたようで作者についても多く意見があった。伊勢物語の作者を論ずるには、作品そのものの成立論と不離不測の関係にある。古来より広く古今和歌集後撰和歌集の成立時期の前・間・後の三次にわたって成立したと考えられてきた。作者についても伊勢物語という題名から作者を延喜歌壇の紅一点の伊勢であるからとの説や成立が数次にわたっていることから複数人説との見方も有力である。小林正明「伊勢物語」(藤井貞和編『王朝物語必携』学灯社、1993)は、作者は不明としつつ、業平自作説、在原一門説、伊勢説、紀貫之説、源順説、源融周辺説に言及しており、高田祐彦「研究の現在」(鈴木日出男編『竹取物語伊勢物語必携』学灯社、1993)では、業平自作説、伊勢御編纂説、在原一門説にふれた後、近年は紀貫之説(高橋正秀、長谷川政春ら)と業平説(片桐洋一ら)が有力となっていること、そして源融サロン説(渡辺実ら)の存在についても論述している。鈴木日出男「伊勢物語」項(『日本古典文学大事典』明治書院、1998)は、伊勢物語の成立には業平とその子孫の関与が想定されること、紀貫之説の存在、漸次的な増補の過程で多くの者が関わったであろうことなどを叙述している。また、福井貞助による伊勢物語解説(『新編日本古典文学全集 12』小学館、1994)でも、上記の各説に言及しながら、作者は断定できないとある。以上を概観すると片桐洋一による業平またはその縁者説が一定の支持を得つつも、他説もまた広く受容されているのであり、作者論はまだ流動的な状況にある。

老婆心ながら脇から失礼します。出典は<ref></ref>で処理した方がスマートではないでしょうか?--ろう(Law soma) 2007年5月25日 (金) 01:40 (UTC)[返信]
ろう(Law soma)さんのおおせの通りですね。私の資料では河出書房新社だけなものですからref処理がどうも、、。かといって簡単処理も憚れました。で、しもーさんのノートの記述をもとに案として載せておきました次第です。よろしかったら(しもーさんのお出まし次第ですが)お手をわずらせますが、、よろしく改稿とか。第一級の古典として尊重され、以後多くの作品に影響を与えた物語の作者について未詳とだけしておくのは、確かにもったいないと思っております。考察を紹介しておくのも有意義ですね。サゼスチョン有難うございました。多謝。papamaruchan22 2007年5月25日 (金) 02:10 (UTC)[返信]

不躾な意見表明にご海容を賜りまして、124.109.172.xxさんとpapamaruchanさんには謝意を申し上げます。さて今回、図書館でちょこっと調べただけですけれども、どうやら「業平か、その周辺者によって伊勢物語の原型が形成されたのだろう」という論が、現今の作者論の中心にあるように感じました。んで、周辺者の具体説として、棟梁や滋春を挙げる論者あり、伊勢御を挙げる論者あり、紀貫之を挙げる論者あり、その他云々、という状況であるように思った次第です。いずれにせよ、私は趣味で伊勢物語を楽しみこそすれ、古典文学の研究については全くの門外漢でありまして、判断も加筆もようしきりません。とりあえず、ご専門の方が集っているであろうPortal:文学#意見募集中に投げかけてみました。--shimoxx 2007年5月25日 (金) 14:26 (UTC)[返信]

こんにちは。私も『伊勢物語』の専門家ではないのですが、私なりに捉えている現今の研究史などを書かせて下さい。まず作者ですが、上記で取りざたされている「業平かその周辺」作者説は、片桐説としてはやや妥当性を欠く表現になるかと存じます。私の把握している限りでは、片桐氏は『伊勢物語』は元々業平の家に伝わっていたお話が、後人の補足などによって段階的に現在の125段に成長していった、と唱えているのかなと思います。片桐説をより正確に表現するなら作者は「いろいろな人」であり、その色々な人が勝手に付け加えたのが現在の125段本という事になるでしょう。それ故、作者「未詳」という表現にもなるのだと思われます。
ただ片桐氏の学説にも難点はあります。たとえば色々な人が勝手に付け加えていったのなら、どうして付け加える前の写本が現存していないのか。現在の伝本は1000以上あると言われていますが、その殆どが現行の初冠から始まる125段本の筈ですし、鎌倉時代の藤原定家の時点ではその初冠の125段本が『伊勢物語』の原型として捉えられていました。また、片桐説では『拾遺集』前後まで成立のずれこむ『伊勢物語』が、『拾遺集』とほぼ同時代と思われる『源氏物語』絵合巻の中で新しい当世風の『正三位』(散逸)に対し、「伊勢の海の深き心をたどらずてふりにし跡と波や消つべき」、つまり『伊勢物語』が古いとされている事も状況的な矛盾を呈しています。どの位で古いとされるかは主観にもよるでしょうが、『後撰集』以降の増補説というのはなかなかとり難い様にも思われます。
片桐氏の『伊勢物語』の段階的成長説は確かに面白く、今日では広く用いられていますが、結局決定的な証拠は何か、となるとその論拠に乏しい、いわば魅力的な仮説の域を出ないものと思われます。
対して作者を特定できるとする説にも決定的証拠はありません。ただ古典文学研究の一般的な手法によって、その言葉遣いや物語内部の分析による説得力のある説も多いです。結局段階的に勝手な増補によって成立したにしては、記事中にも「ゆるやかに結合している」とあるように、『伊勢物語』には一貫した要素が多すぎます。
ただ、作者を特定しようとすれば学会の超大物である片桐氏の成長論と衝突せざるをえません。その為積極的に論じられる事自体が少なくなっております。ただ、そのような中でも作者として論じられる事が近年多いのは、紀貫之説かなと感じます。萩谷朴や神田龍身も貫之で論じていたような気がします。
個人的には、貫之と断言できないまでも、貫之と同年代の紀氏一族で漢文の素養もある誰かの手は入っているだろうという気はしています(そうなると貫之くらいしか思い当たりませんが、現在名の知られた人が書いたとは限りませんものね)。作中に紀氏の人物が登場しますし、業平の一族や惟喬親王が権力を握っていれば、紀氏もまた隆盛を誇る違う歴史を紡いでいた様に思われるからです。そのような悲運に対する嘆き、敗北の物語といった趣は『伊勢物語』作中に一貫する魅力だと個人的には思ってます。
さて、個人的な感想はどうでも良いのですが、進行中の学説などの併記が事典として好ましくないのであれば、「初期成立本は業平の死後、その日記あるいは遺稿をもとに縁者が編集・加筆したものだったのではないかと察せられる。」といった片桐氏の学説に関する記述は全面的に避け、作者未詳にとどめるべきだと思われます。個人的には「初期成立」本といったものがどこにも存在しない事、そしてその草稿が実際にあったとしても『伊勢物語』と呼んでいいのかが分からない事(125段の一貫した体裁こそが『伊勢物語』と呼ばれうる作品の体裁ではないかとも思われます)から、誤解を与えうる非客観的な記述だと思います。また、それに対し、上の方で10年20年以上前の本の記述を元に引用・反論するのも危険な傾向かなとも思います。結局研究は日進月歩ですので、次の10年後には教科書の記述だって変わっているかもしれませんよ。
長文失礼しました。2007年5月26日。--以上の署名のないコメントは、219.67.160.242会話/Whois)さんが 2007年5月26日 (土) 06:03(UTC) に投稿したものです([[papamaruchan22]]による付記)。
↑いえいえ、懇切なるご意見ありがとうございます。papamaruchan22です。各学説に対する、並々ならぬ理解と咀嚼にも感じ入っております。ウィキペディアの根本的な方針のひとつである中立的な観点では、すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない、というものです。ので、「進行中の学説などの併記が事典として好ましくない」のであればという点では、(未発表の学説等はさておき)ご懸念は、いらないのかと存じております。辞典の中立のうえでは独自の見解を除いて各論併記もよろしいのかと思う所です。いずれ良い思案も集ると存じますが。今後ともよろしく。papamaruchan22 2007年5月26日 (土) 11:24 (UTC)[返信]
一応作者について219.67.160さんの考察参考に片桐説については、一歩下がった表現にしました。ただ成長論にも言及しておかないといけないと思ってます。shimoxx さんの周辺論も加味して、ろう(Law soma)さんのrefについても一つリンクしました。紀貫之説は釈迢空が主として唱えたことも少し書いて見ました。あとよろしかったら、たたき台として、、、工夫おねがいします。papamaruchan22 2007年6月1日 (金) 14:14 (UTC)[返信]


折口が歌人であることについて

何度も書き直されているようなので、一応私見を述べさせていただきます。

折口が歌人である旨をどうしても書かれたいようですが、折口自身が歌人、ないし作家の側面を持っていたことと、国文学研究を行った事は基本的に分けて考えなくてはなりません。折口が彼自身の作歌状況を背景に『伊勢物語』を論考していたと客観的に証明できるなら話は別ですが、「折口全集」所載の「ノート編」などを見ていても、折口が学者(国文学者/民俗学者)として『伊勢物語』に取り組んでいた事は明らかです。

詩歌を研究する研究者には、古典・近現代と分野を問わず、個人的に短歌や俳句をたしなむ方は大勢いらっしゃいますが、個人的な作歌と研究を結び付けることは出来ません。念の為に書きますが、「自分だったらこうする」という話は、人文科学の論証ではなりたちません。文学も科学である以上、一定以上の客観性が必要だからです。

歌物語としての側面の強い『伊勢物語』の項目で、歌人であることを記載するのは「歌詠みがこのように考えているのだ」という、補強をしたいかのような、おかしな印象を受けますが、実際には補強ではなく、折口にも折口の唱えた説にもマイナス要素となってしまっています。それでは、この記事にもマイナスでしょう。

また、国文学の世界では「折口信夫」の名で通っていますので、同様に釈迢空の筆名を記す必要性も全く感じません。

よって一研究者として「折口信夫」の説にどうしても触れたいのであれば、せめて「歌人」であることと「釈迢空」の号を持つことは外した方が良いと思われます。ただし、本音を言えば成立論における折口の説は特異なものではありませんので、折口にだけ触れる意味は余りないと思います。成立論にせよ文体論にせよ、研究史を整理・執筆したいのなら古注釈からさらいなおさないと有用ではないと思います。

以上は私がこのような印象を受ける、というレベルの話ですが、ノートに書くように、とのことなので書かせていただきました。お目汚し・スペース浪費失礼しました。--61.116.181.126 2008年1月25日 (金) 18:24 (UTC)[返信]

  • 61.116.181.126 さん。ご丁寧な返信有難うございます。学者と歌人を別けて考えてのお話は良くわかりました。で、ここはウィキペディァの名前空間ですので私は折口が歌人であることについて記述しておくことは、そんなにおかしい事ではないと思ってます。虚偽を書いてるのではなくて、(貴方様の仰せの国文学の世界においてはそぐわなくても)世上的には実態的には折口は釈だったんですよねぇ、だから参考書にもかいてある事なんかを基にして書いてます。私たちは折口と釈が同一人物だということを国文学の参考書あたりからも知識として仕入れてます。国文学の世界では「折口信夫」の名で通っているから、同様に釈迢空の筆名を記す必要性ないのはそうかもしれませんが、専門書はともかく、大津有一氏の参考書籍だったとおもいますが、貫之説は{歌人釈迢空でもある折口信夫}が唱えた説で云々とあります。全く分野が違う世界で活躍する人はいますよね?。ある著名な政治家(原健三郎とか)がヤクザ映画の脚本を書いたりしてます、この場合政治学の専門書に映画のことを書いたら変かも知れませんがここウィキペデァの知識として出典を明らかにして本件記載しても事実の投稿として許容範囲かなと思っております。文学愛好家(勿論素人)が折口が釈迢空という名前のせいで学者より有名なので「釈迢空も貫之説でしたと書きたいのかなぁ」程度に思っていてください。いずれお話できて光栄です。papamaruchan22 2008年1月26日 (土) 12:26 (UTC)[返信]
返信ありがとうございます。私はIP(しかも光なのでしばしば変動)で気楽にうろちょろしている身ですので、過剰なお言葉をいただき恐縮です。素人と謙遜なさっているようですが、私も玄人と名乗れるような者ではありません。いずれにせよこうすべきだ、という程のことではないので、気楽にお読みいただければと思います。
私は辞書・事典の項目や、展観の説明文、或いは論文の執筆の際に、指導教授から「人物や研究者に過剰なステータスを与えるな」ということを言われてきました。読む人によってその人物から受ける印象は違って当然ですが、その印象に抵触するようなことを不必要に書けば、論点とは関係の無いところで障害が発生します。ひいては、説明そのものを受け入れてもらいにくくなる可能性が高くなるでしょう。
たとえば『伊勢物語』の説明文の冒頭に業平のことが書いてありますが、「(和歌の名人で色好みでも有名な)在原業平(従四位上)」といった( )内の性格や官位はいりません。それは何故かと申しますと、在原業平の性格や官位が事実や事実に準じるものとして周知されるものであったとしても、この記事のこの説明に関しては、暫定的に関係がないからです。
もちろんその説明が「必要」なら良いのです。しかし直接の結び付きに乏しく、説明したいことと本質的に違う(或いは外れる)「不必要」なことを書いて、今回の私のように引っ掛かりを感ずる人がいた場合、「必要」な部分の説明や記述を読んで(聞いて)貰えない可能性が出てきます。ウィキペディアは百科事典ですので、このような事態は避けた方が良いのではないかな?と思う次第です。
折口のことを釈迢空という名の方で御存知なのは、恐らく相当ご年輩の方とお見受けしますが、昨今では国文学の分野を持ち出さずとも、Googleのヒット数なども折口信夫の方が圧倒的に多いようです。折口のことをより知りたい人は折口からリンクを貼っておけば釈迢空であることも確認できるわけで、とりあえず『伊勢物語』と釈迢空を結び付ける必要性はあまりないような気がする次第です。
とはいっても、これはもう感性の問題でもあります。papamaruchan22さんが仰る通り「事実」として間違っていることではありませんので、取り立てて再び編集する気もありません。今回は、過去の編集の理由の説明として、書き込みをさせていただいた次第です。色々口幅ったいことを申し上げてしまいましたが、お気を悪くなさらずこれからも項目の発展に努めてくださると嬉しいです。一読者として楽しみにしています。--61.116.181.126 2008年1月27日 (日) 02:01 (UTC)[返信]
  • 61.116.181.126様papamaruchan22です。ぜんぜん気にしておりません。これがウィキペデァの本質だと思うところです。ただ伊勢物語は、田口研究所あたりでも言っているようですがミヤビとイロゴノミの昔男一代記です。ですから(和歌の名人で色好み)も貴族としての(従四位上の)地位に言及することも必須であると思料致します。また「貫之説は{歌人釈迢空でもある折口信夫}が唱えた説」と書籍に書いたのは学者のかたがたでしてね。そこから出典を示して記述したんです。別のIPさんが折口説が初出といってましたので、いやノートでの話し合いのうえ書いたんですよと要約欄で述べたのです。くりかえしますが折口と釈迢空を結び付ける必要性とかじゃぁなくて、折口信夫=釈迢空だという事実を素朴かつ単純に記述しただけだとお考えいただければでいいのです。釈迢空を知っているから古い人間とも限らないです(新しくもないですが、、)。こだわっているわけでもないです。だから大筋これでもいいのですがねと本文で言ったりしてんるんです。基本的にノートで意見集約しつつ本文が推敲されていくのがベターだと思料いたしております。papamaruchan22 2008年1月27日 (日) 11:49 (UTC)[返信]
多分IP変わっていると思いますが、上の者です。誤解があるようなので補足させていただきます。
業平を例にしたのでかえって分かり難かったかもしれませんが、要は説明したい本筋と関係の無いことを書くと、その関係の無い方に話が脱線する可能性が強いということを申し上げているわけです。必要な事実なのか、必要でない事実なのか。この点については、必要か否か、という点で主観の違いが生じるでしょう。私は「歌人」が唱えた云々は不要な、かえってマイナスになりかねない脱線と感じるわけです。そのため「事実を素朴かつ単純に記述しただけだ」というのは私の問題視している「必要か否か」という点については、申し訳ないですが何度繰り返していただいても、取り立てて意味のある説明になりえていません。しかしこの件に関しては、これ以上述べるつもりはありません。
今回気になったのは「学者のかたがた」が書いている、という点です。「ミヤビとイロゴノミの昔男一代記」(私はそうは思いませんので、これが本文なら訂正を求めるか加筆します)というのも含め、学者であれ誰であれ、書かれたものはあくまで「一解釈」であり「説」です。また一般向けに噛み砕いた概説書では、親しみやすさや分かりやすさを優先するために、必ずしも学術的正しさを追究するとは限りませんのでご注意下さい。概説書では自説や自説に有利な一方の学説を取る事もあり、その点事典のような客観性は、書く方には求められていないので鵜呑みは禁物です(事典であっても怪しいものは沢山ありますけど)。
さてその上で、説を唱えている人の立場(素人である、というのも一つの立場です)は、その意見の正誤や優劣を証明するものとはなりません。国文学研究者が統一した見解を持っている訳でもありません。この点の本質については、↑の方で「両論併記」を提起されているのでお分かりの事と思います。
もし真に客観的な執筆を行うのであれば、古注釈から一通り研究史に目を通し各学説を併記する努力は、学者であれ趣味であれ、玄人であれ素人であれ必要です。それが出来ないなら、無理に学説に立ち入った本文を書く必要は無いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。御自分がよく把握できていないことを、一部の学説や他人の意見を根拠に書くのはとても危険なことだと思います。
また学説を引用する場合、本当なら当人自身の著作を引用しなくてはなりませんが、折口の説を大津の本を典拠として載せているのは不備といえます。今後執筆の際に気をつけていただければと思います。いろいろ差し出がましいことを申し上げてしまいましたが、今後ともご活躍をお祈りしています。--61.116.181.125 2008年1月29日 (火) 15:52 (UTC)[返信]