ノート:中央競馬クラシック三冠

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「西暦末尾が7の年のクラシック世代の不幸」に次々と加筆され、いったい不幸説を説明しているのか何を語っているのか分からない状態になっていますが、ここらで一旦整理した方が良いのではないかと思います。

そもそもこの節は、「マスコミがジンクスとして語っていた」とされているものの、一読して独自研究なのではないかと疑われる内容が散見されます。特に現役の世代である07世代に関する記述などは全編に渡り独自研究以外の何物でもないでしょう。「マスコミがジンクスとして語っていた」ことを担保として節を成立させるならば、まずその具体的資料を挙げることが不可欠であり、また、そこに書かれている内容以上の加筆は独自研究と見なされるでしょう。

とりあえず節の冒頭に独自研究テンプレートと出典明記テンプレートを挿入し、07世代の記述についてはコメントアウトを行いましたが、今後の対応としては、元々この節が記載されていたラッキールーラに最初に書き込まれた程度まで記述を戻して資料提示を待ち、しばらく(年内~半年程度)様子を見ても出典が提示されない場合、節そのものを無くすことも視野に入れるべきではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。--Unmaokur 2008年10月4日 (土) 07:50 (UTC)[返信]

主立った執筆者の方に会話ページで議論参加をお願いしましたが、1ヶ月で特に意見も出ないようですので、もう1週間様子を見て特に何もなければ上記の対応を順次行っていきます。--Unmaokur 2008年11月8日 (土) 08:51 (UTC)[返信]
「不幸説」詳細のコメントアウト、07世代についての記述の全削除を行いました。--Unmaokur 2008年11月16日 (日) 06:16 (UTC)[返信]

「西暦末尾が7の年のクラシック世代の不幸」は、語るとすれば世代論ですので、すくなくともクラシック自体には関係ないと思います。一般的な話でもないので、「百科事典」という視点から言えば不必要に思います。 バッサリとカットしてよろしいかと思います。--Hassy9 2009年6月17日 (水) 01:28 (UTC)[返信]

(対処)発議から1年が経過しましたが、節冒頭で本ノートページへの誘導もありながら出典が提示される様子がないため、いったん当該の記述を全て削除致しました。復活させる場合は、必ず記述に沿った出典の提示をお願い致します。--Unmaokur 2009年10月18日 (日) 03:40 (UTC)[返信]

当方も過去の優駿を見ましたが、「オリンピック4歳最強馬出現説」と言うのはあったもののこう言った説の記載はありませんでした。よって報告して置きます。--目蒲東急之介 2010年9月22日 (水) 18:45 (UTC)[返信]

内容の整理について[編集]

「三冠達成における記録」には、種々の「記録」が列挙されています。3戦で後続につけた着差、とか、何戦で三冠を達成したか、ぐらいならともかく、「皐月賞前に喫した最多敗戦」だとか「三冠競走における単勝オッズの和」あたりには、どんな意味があるのでしょう。「セントライトの三冠を達成した日から、オルフェーヴルが三冠を達成した日まで、最低1頭は三冠馬が生存している。」とかに至っては何がなんだかわかりません。そのうち「三冠達成馬が登場した前年の10月15日が晴れだったもの」とかも出てきそうです。しばらく待って、何かこれらの記述に出典なり、特筆性があることを証明するか、少なくとも何かの反対意見がなければ、大幅に整理(削除)を行いたいと思います。--零細系統保護協会会話2013年3月13日 (水) 08:00 (UTC)[返信]

3ヶ月経過しましたが特に反対意見もなかったので大きく削除しました。
これにあわせ、概要部などの整理も行いました。
とはいえ、全体的にはまだ出典がない、根拠が不明確である、話の出処が怪しい、雑多な事象の羅列にとどまっているなどの問題は解消されてないように思います。そもそも「クラシック三冠」という記事名でありながら、「クラシック」ではない「牝馬三冠」にも大きく言及しており、基本的な概念が未整理であるように思います。--零細系統保護協会会話2013年6月14日 (金) 04:00 (UTC)[返信]

イギリスと日本の相違[編集]

特にポイントになる部分に要出典タグを貼りはしましたが、端的に言って、節まるごと独自研究でしょう。要出典のポイントを下記に書き出しておきます。基本的に論証は不要で、要するに、そう書いてある文献を示していただければ結構です。

  • 三冠馬以外の二冠馬はダービーとセントレジャーを制している例が多く、いわゆるギニーレースが今日考えられている程には重要視されていない時期があったと思われる
「ダービーとセントレジャーの二冠馬のほうが他の組み合わせの二冠馬より多い」かどうかは、数えれば検証出来る話です。
しかしそのことと、「ギニーレースが今日考えられている程には重要視されていない時期があった」こととは結びつきません。
  • 1970年代までのフランスの競走体系の中で2000ギニーよりもリュパン賞(2100m)の方が重要な位置にあったことでも明らかである
そう述べている文献を示してください。
  • 三冠体系が崩れ始めた頃からイギリスでは1600メートルの2000ギニーと2400メートルのダービーの両方にチャレンジしようとするものは減ってきており
これはトートロジーです。「2000ギニーとダービーの両方にチャレンジしようとするものが減ったことで三冠体系が崩れた」と表現することもできます。
  • それは1970年代から80年代に入る頃にイギリスにおける短距離G1競走の増加とフランスにおけるギニーレース(当初はG2でその後G1昇格)の強化でマイル路線が明確に設定されたことが大きいと思われる
この記述から、執筆者さんがイギリスやフランスのグループ制度についてよくご存じないのではないかと思いました。日本の(かつての)JRAと違って、G1レースというものはつくろうと思って作れるものではありません。結果的にG1やG2になるのです。「G1競走を増やすことでマイル路線を設定する・強化する」という図式は成り立ちません。たとえば賞金を増やすとか、注目度を高めるために日程を調整したり宣伝を行うとか、有力馬を誘致するとか、そういったことは可能です。
  • 20世紀中頃には、ダービー、キングジョージ、凱旋門賞という路線を歩むのが通常になった
「通常」というのがなんなのかにもよります。ダービーの勝馬のことなのか、上位馬・有力馬のことなのか。とはいえ、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの創設自体が20世紀中頃(1951年)ですからねえ。
  • 近年はイギリスのクラシック三冠競走は実質的に「三冠」としての目標となっていないと指摘する声もある
まあこう書いてある出典を持ってくるのはそう難しいことではないでしょう。ただし、文脈からは、「過去には三冠が目標となっていた」ことを示す出典が同様にないと、全体としては意味が通らなくなるでしょう。
  • これはフランスを含めて他の国もそうであるが、「三冠」が本来スピードとスタミナを違う距離と時期とで競う競走体系でなくなり、ただ人気のある競走を3つ並べる競走でしかないことを意味する
そう書いてある出典を示してください。
  • 2005年にディープインパクトが無敗で三冠を達成した際には、競馬を知らない人にも大きな話題となった
これも出典を示すのは容易でしょうが、文脈からは、それ以前の三冠達成は話題にならなかったことを同時に示す必要があるでしょう。そうでなければ特筆することではありません。
  • そのため、イギリスほど出走馬に棲み分けが生じにくい
「イギリス」が棲み分けが生じていること、日本ではそうでないこと、そして、その原因が皐月賞と日本ダービーの距離の差が400メートルであることがその原因であることを述べた出典を示してください。もし仮にそうであるならば、なぜその「棲み分け」が100年前には無かったのか、イタリアやドイツではどうなのか、といったことも示していく必要が本当はあるだろうと思います。
  • しかし1984年からのマイルG1競走の設定と秋の天皇賞の2000メートルへの短縮などで、その後距離適性を重視して3000mで実施される菊花賞ではなく2000mで実施される古馬との混合戦・天皇賞(秋)を選択する馬も増えてきており
<1984年のマイルGI設定を契機>に、<距離適性を重視して>、<秋に天皇賞へ挑む3歳馬が増えた>ことを示すか、そう書いてある文献を示してください。

いちおう細かく切り分けましたが、全体として独自研究そのものとしか思えません。「日本の牡馬三冠」が、最近の短距離路線の整備の結果として、必ずしも菊花賞を目指さなくなったという主旨であれば、別に反対ということではないのですが、それにしても出典は必要ですし、そもそもその話とイギリスがどうのこうのは無関係です。--零細系統保護協会会話2013年12月29日 (日) 09:35 (UTC)[返信]


一読して当方の脇の甘さを痛感しています。訂正しながら若干の説明をします。

・ダービーとセントレジャーの二冠馬について

2000ギニーとダービーの二冠馬との比較について、別の項目での勝ち馬一覧表を参照すると21頭と19頭で逆に2000ギニーとの二冠馬の方が多かったので訂正しました。どうもハイペリオンやネバーセイダイのイメージが強かったようです。

・ギニーレースについて

これは、まだ米国の競走馬が英国の競走馬に歯が立たなかった20世紀初頭に、長距離血統の種牡馬を米国に輸入することが難しかった時に、米国人はスピード血統の種牡馬が買いやすい事情から、どしどし輸入して自国の競走馬の血統改良を行い、やがて「スピードはスタミナを制す」と言われるほど英国競馬を席巻した歴史を語った大橋巨泉氏の本に書かれていたことを書いたのですが、その本は手元にはありません。仏のギニーレースの昇格はドイツの例と混同したようで削除します。

・グループレースについて

欧州がグループ競走で米国はグレード競走であるのは知っていますが、最初は国内でG1競走の認定を行い、必ずしも国際G1として統一された基準が最初からあった訳ではありません。70年代後半に問題になったのは米国のG1乱造と一部で言われるほど各競馬場がG1競走の認定を行い、やがて出走馬のレベルを一定の基準で定め、グレードの変更を頻繁に行うようになったと認識しています(その詳細までは把握していませんが)。そしてG1は作ろうと思って作れる訳ではないとのことですが、順序が逆ではないかと思います。最初にG1競走を作るという計画があって、賞金を増やし、日程を有力馬が集まりやすいように変えて、ステップを踏みながらG1へ昇格するのが普通のやり方だと思います。70年代から80年代後半にかけてのセントジェームスパレスSやスプリントチャンピオンシップ(現ナンソープS)や、後のクイーンエリザベス2世Sなどその時代ごとに理想とするレース体系を作るために英国の競馬関係者が長い期間考えてきたのが今の体系だと思います。だから図式が成立すると考えています。英国のマイル競走の体系化に合わせる形で仏の競馬関係者が2000ギニーを強化し、その影響でリュパン賞が存在意義を失い、一時は秋に移行することも検討されたが結局は廃止に追い込まれたことで、G1は作られるものだと感じたものでした。

以上ですが、たしかにこの節とはまた別の話であると私も思います。加筆するたびにどうも別の話に持って行ったようで反省しています。今後この点に注意していきたいと思います。 eraharisi

  • お返事ありがとうございます。
  • まず基礎的なこととして、eraharisiさんによる考察の内容の是非云々の話ではないです(eraharisiさんの考察が間違っている、という意味ではありません。)。要するに「そう書いてある出典(文献)を示してください」ということになります。例えば、具体的に<大橋巨泉氏の本>と言及なさっているので、たとえばその書名や何ページに書かれているか、という情報が必要だということです。それがウィキペディアのルールであり、出典が示されていなければ、いきなり削除されても文句は言えないということです。巨泉さんの本がお手元になければ、図書館とかで探すとか、別の文献を探すとか、いずれにしろなにかそういうものが必要ということです。(競馬関係の本はカタい図書館にはなかなかないので、その点は大変です。)
  • 逆に言えば、巨泉さんの本に“エプソムダービーは1883年まで乳牛によって争われていた”と書いてあれば、どんなに「そんなわけねーだろ」と思っても、ウィキペディアにはそう書いていいということになります。もちろん、複数の出典を検証していくことであからさまな嘘や間違いはいずれ正されていくでしょうけども、“歴史上もっとも白熱したダービーは1892年のレースである”みたいなものになってくると、いろいろ見解が分かれていくでしょうから、出典の使い方や記事の書き方は注意が必要になってくるでしょう。
  • あちこちに要出典をつけましたが、文末が「と思われる」とか「を意味する」とかで終わるようなものは(一般的にウィキペディアのルールに照らして検証可能性/出典の点で)怪しいということになります。「○○によれば✕✕である」とか、そう書いてある文献を示す必要が出てくるということです。そうした出典・文献を示せないのであれば、執筆者としてはときには「俺はこう思うけどそれについては書けないな」と自重することも必要です。
  • もちろん、なんでもかんでもいちいち出典を示さないと書くこともできない、とは私は考えていません。たとえば、イギリスにダービーというレースがあることや、その距離が約2400メートルであるというような基礎的な事実まで一つ一つ出典を付していくのは、執筆者もしんどいですし、読む側にとっても鬱陶しいでしょう。なので、そこらへんのバランス感覚は必要だろうと思います。私もいちいちそこまで出典をつけて書いてはいないです。「単なる事実」よりは「事実に対する評価・解説」のほうが、出典の必要性は高いでしょう。こうした観点から、一般に「評価」や「分析・解説」をウィキペディアに書いていくのはなかなか難しいです。例えば、「三冠の意義は薄れている」と私が解説に書くと、本当かよ、ということになりますが、「○○という本には三冠の意義が薄れていると書いてある」と書けばこれは事実です。
  • 繰り返しますが、これらの話は、eraharisiさんの考察が合ってるとか間違ってるとかいう話ではないです。個人的には、「イギリスではもう三冠を達成することは多くの馬主にとって最大の目標ではなくなっている」とか「有力馬はダービー、KQ、凱旋門賞へすすむ」とか「日本では相変わらず三冠達成が至高の目標である」とか「でも以前よりは唯一無二の目標ではなく、大昔は短距離馬でもなんでもとにかく三冠に出たけども、今はそうでもない」というような大筋には異論はないです。しかし異論はなくても、同じように思っていても、それでもやっぱりそう書いてある出典を示さないと、書くのはなかなか難しいということです。
  • たとえば「2000ギニーのあとはダービーに出るのが通常だ」と書くときに、何を以って「通常」と判定するのかは難しいと思います。「2000ギニーの優勝馬は次にダービーに出走することが(そうでない場合より)多い/少ない」ということは事実として検証可能です。しかし、「通常」かどうかを決めるのは「優勝馬」だけが基準とは限りません。1着馬だけが次にセント・ジェイムズ・パレス・ステークスに出ても、本命で負けた馬や2着から8着馬までが全部ダービーに駒を進めたならば「2000ギニーのあとはダービーに出るのが普通」と言ってもいいかもしれません。これも、こうやって検証していくことは困難ですが、そのかわりに、どこかの本で「2000ギニーの後は普通はダービーに出る」と書いてあれば、それを根拠にしちゃえばいいわけです。
  • 「2000ギニーを勝った馬がその後もマイル路線を歩む傾向」というのは確かにあると思います。しかしそれは私達が判断することではなく、「そういう傾向がある」と書いてあるものを持ってこなければなりません。そうでなければ、ひょっとしたら2000ギニーのあとにエプソムに向かわず愛2000ギニーに向かうのは、マイル路線志向なのではなく方違えなのだ、と言っちゃうことだってできちゃうかもしれません。
  • ウィキペディア内の数々の競馬記事を見て回ると、実は全然出典が示されていないものがあふれています。以前は、今ほど出典に関するルールが厳密ではなかったということもあるのですが、そのぶんを差し引いても、出典が示されていない記事・記述はたくさんあります。が、それがいいか悪いかで言えば良くはないでしょう。
  • eraharisiさんは、競馬に関して十分な経験と見識をお持ちだと思っています。ここらへんのウィキペディアの独特の習わしに慣れてしまえば、素晴らしい執筆者になっていただけるだろうと思っています。よろしくお願いします。--零細系統保護協会会話2014年1月4日 (土) 08:31 (UTC)[返信]


大変貴重なお話をありがとうございます。このウィキペディアの世界に全く慣れていない私ですので、お手数をおかけしましたことをお詫びします。出典物と言われると昔は持っていた本がその多くを廃棄したので、こんなことなら残して置いておけば良かったと後悔しています。これからは十分に注意しながら、また記憶違いの無いようにしていきたいと存じます。この後ともよろしくお願いします。   eraharisi

長きに渡り出典が示されなかった記述を一斉除去しました[編集]

出典の明記テンプレートが2009年より貼付されているにもかかわらず出典がまったく示されなかったため、本文を除去しました。6年も経過しているため、猶予期間は過ぎたと考えます。なお、今後も信頼できる情報源による出典が明記されず記事本文も充実しない場合は、しかるべき時期に削除依頼を提起します。--HOPE会話2015年6月11日 (木) 12:29 (UTC)[返信]