ノート:中上健次

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「その他」節から取り除いた内容について[編集]

中上健次には、2018年11月7日まで、「その他」という名前の節が存在していましたが、その内容(下記)には明確な出典が無く、template:雑多な内容の箇条書きが添付されてからすでに3ヶ月以上経っていたため、記事から除去してここへ移します。これらの内容を記事に復元したい場合は、出典を付けて復元してください。

== その他 ==
*[[ビートたけし]]と[[永山則夫]]がアルバイトをしていた[[ジャズ喫茶]]「新宿ヴィレッジバンガード<!--[[Wikipedia:削除依頼/ヴィレッジヴァンガード (東京都新宿区)]]-->」の常連だった。その後もたけしとは交遊があり、雑誌で対談も行なっている。(「文藝別冊 中上健次」に収録)。また[[1990年]]に永山則夫が[[日本文藝家協会]]から死刑囚であることを理由に入会を断られた際、この決定に抗議して[[柄谷行人]]、[[筒井康隆]]とともに協会を脱会している。
*[[都はるみ]]とは生前から親交があり、都を題材とした小説も2作出版した。中上の訃報を知った都は、電車と飛行機で数時間かけて新宮市の中上の自宅に向かい、中上の亡骸と対面した。
*自身の境遇について、作家としての素材を豊富に持つと自負していた。実際、多くの作品において言及される異父兄の自殺のほか、『岬』『枯木灘』『地の果て至上の時』に描かれる複雑きわまる血縁関係、『千年の愉楽』『奇蹟』において狂言まわしとなる産婆オリュウノオバや『奇蹟』において非業の死を遂げる主人公のヤクザ者タイチの存在等は事実をもとにしている。
*中上はもともとは親族の物語を、ギリシャ神話[[エーレクトラー]]をもとにして『エレクトラ』という220枚の長編に仕上げていたという。しかし、これは未熟な作であるとして、編集者から発表を拒否されている。そこでは後の『岬』『枯木灘』『地の果て至上の時』三部作へつながる中上の親族についての原体験が生々しく綴られていたという。この原稿は、自宅の火災により焼失し、残っていない。
*肉体労働のかたわら執筆をおこなった中上が、原稿用紙のかわりに、持ち運びの容易な集計用紙をもちいて執筆をおこなっていたことはよく知られている。中上によると集計用紙一枚が、原稿用紙五枚から七枚の分量に相当するという。
*韓国の文化に強い関心を示し、ソウルを舞台にした小説(物語ソウル)、エッセイ(輪舞する、ソウル)を著したほか、[[金芝河]]ら韓国の文学者と交流を持ったり、韓国の伝統芸能[[サムルノリ]]の日本への紹介に努めたりした。
*受賞を切望したとされる谷崎潤一郎賞に6回(枯木灘、鳳仙花、地の果て至上の時、日輪の翼、奇蹟、讃歌)候補とされるも、遂に受賞は叶わなかった。
*エッセイ集America, America刊行時に、自作の特権化のため、著書の文庫化をしないことを決意している。それにより長編「地の果て至上の時」、短編集「千年の愉楽」以降の著書は、生前に文庫化されることはなかった(ただし編集者との“盟友”としてのつきあいから、短編集「熊野集」に限り、生前に講談社文芸文庫に収録された)。
*現在も[[熊野大学]](中上が生前に組織した郷里のグループ)主催による「中上健次シンポジウム」が毎夏に新宮市で開催され、[[柄谷行人]]、[[浅田彰]]などが講師として参加している。生徒には[[モブ・ノリオ]]などがいた。
*テレビ番組「笑っていいとも」の「テレフォン・ショッキング」のコーナーに出演した際、早稲田大学出身と虚偽の発言をした。司会のタモリから生年を聞かれ、同窓の後輩扱いすると、からかわれている。
*[[1991年]]、[[湾岸戦争]]への[[自衛隊]]派遣に抗議し、[[柄谷行人]]、[[津島佑子]]、[[田中康夫]]らとともに『[[湾岸戦争に反対する文学者声明]]』を発表した。

--Leonidjp会話2018年11月7日 (水) 09:28 (UTC)[返信]

「その他」節から取り除かれたものの再掲載について[編集]

出典を明記可能なものは出典をつけ、再掲載した。その際、編年の来歴に組み込めるものは組み込んだ。組み込むのに向かないと思われるものはエピソードという欄を設けそこに収録した。

再掲載できていないもの (ソースがないため)

テレビ番組「笑っていいとも」の「テレフォン・ショッキング」のコーナーに出演した際、早稲田大学出身と虚偽の発言をした。司会のタモリから生年を聞かれ、同窓の後輩扱いすると、からかわれている。--以上の署名のないコメントは、2409:252:b60:5a00:f859:198e:4122:6228会話)さんが 2019年1月3日 (木) (UTC) に投稿したものです(Jgmo30会話)による付記)。

中上の訃報を知った都は、電車と飛行機で数時間かけて新宮市の中上の自宅に向かい、中上の亡骸と対面した。--以上の署名のないコメントは、2409:252:b60:5a00:213b:6e88:a5ef:1d54会話)さんが 2019年1月7日 (月) 00:01 (UTC) に投稿したものです(Jgmo30会話)による付記)。[返信]

出典不明かつ必要性の怪しい記述をよけている[編集]

尾崎豊の「十七歳の地図」は本作がもとになっている。 WIKIPEDIAを参照したようなネット記事しかないうえ、中上の辞書の項目に書かれる必要性も高くないと思われる。(尾崎豊の辞書項目のほうが適当ではないか)--以上の署名のないコメントは、180.63.135.94‎会話)さんが 2019年1月18日 (金) 06:33 (UTC) に投稿したものです(Jgmo30会話)による付記)。[返信]

中上健次のページにおけるエピソードの節について[編集]

中上健次が谷崎潤一郎を敬愛していたことはわかりますが、中上が『枯木灘』が毎日出版文化賞を受賞するなら、谷崎賞が欲しかったと言っていたという発言のみで谷崎賞に固執していたと捉えるのは難しいと思います。『奇蹟』においても、谷崎賞ではなく「谷崎潤一郎が生きていたら」という発言から読み取れるのは賞ではなく谷崎潤一郎という作家そのものへの執着に思えます。谷崎潤一郎賞への選考への怒りも、勝手に何度も選考された挙句落とされ続けた故の怒りで、どうしても欲しかったわけではないのでは?それとも決定的な発言があるのなら出典が欲しいです。また、他の出典に関してもページ数まで指定して頂けると正確性が増して調べやすく信憑性が出るので、出来ればページ数の明記もお願いします。

また、中上本人の発言、記述でない場合全ては推測の域を出ないと思いますし、どうしても記述したい場合はこう言った表記をしなければ評論ではなくただの故人への冒涜になってしまいます。 サイドン会話2022年2月15日 (火) 07:53 (UTC)[返信]

生前の中上と親交があった川村湊という文芸評論家がおり、著作(川村湊『村上春樹はノ-ベル賞をとれるのか? 』光文社kindle708)でこう述べています。

「三島由紀夫とほぼ同じ年齢(享年四十六)で死んだ中上健次は、日本で三人目のノーベル賞作家になることを日頃から自ら広言(高言)していた。もちろん、酒の席での放言、暴言にはこと欠かなかった無頼派的な作家のことだから、その言葉にどれだけの真剣味があったのか、疑問とするところがないわけではないが、私の個人的な感じ方では、彼はかなりの程度本気でそのことを考えていたと思う。 彼は文学賞を欲しがっていた。中上健次が生前、受賞した文学賞は、芥川賞(『岬』)と毎日出版文化賞、芸術選奨文部大臣新人賞(『枯木灘』)ぐらいで、彼は自分が不当に文学賞から遠ざけられていると考えていた。つまり、彼は国内では自分の評価に対して不遇を託っていたのだ(三島由紀夫、そして村上春樹もそうだった)。  とりわけ、彼が敬愛していた谷崎潤一郎の名前を冠した谷崎賞は、新人作家からもう一段、中堅作家に与えられる賞としても、中上は当然自分に与えられるものとして疑っていなかった。そのため、選考委員の一人、丸谷才一(一九二五~二〇一二)が中上の文章を選評のなかで取り上げ、それを非難して落選させたことを述べた時の、彼の落胆ぶりと怒りは激しかった。しかも、それまでに、谷崎賞には彼の代表作と目される『枯木灘』『鳳仙花』『地の果て至上の時』『奇蹟』『讃歌』と五回も候補に挙げられ、そのたびに落選の憂き目に遭った。現在の文学史的評価から見て、これがいかに不当なものであるかは歴然としていよう。  中上健次の激しい抗議をきっかけに、谷崎賞は候補作の発表を止めてしまったほどだ(受賞作だけが発表されることになった)。」

これを出典として「受賞に執念をみせた[169][170]谷崎潤一郎賞には6回(『枯木灘』[注釈 63] 『鳳仙花』『地の果て 至上の時』『日輪の翼』『奇蹟』[注釈 64] 『讃歌』[35])候補となったが、落選し続けた。中上健次の抗議をきっかけに、谷崎賞は候補作の発表をやめて、受賞作だけが発表されることになった[173]。」こう記述します。
これはどういう意味でWikipediaの記述の出典たり得ないのでしょうか?または記載されるべきでない内容なのでしょうか?Wikipediaのルールに基づいて回答ください。

--Travis sttoko会話2022年2月15日 (火) 08:13 (UTC)[返信]

返信有難うございます。失礼ながら、テンプレートを貼り付けた際の返信をコピーペースト致します。→テンプレートを使い慣れていなくて申し訳ない。これらの記述はWikipediaにおける「検証可能性」「中立的な観点」の方針から外れていると自分は考えます。また、中上自身が発言したことに関しては断定的に書いても問題はありませんが、他者による伝聞や推測の域を出ない、さらにWikiの編者が内容を一部補完している記述は独自研究と見做すべきだと考えます。 ただ、中上が谷崎潤一郎賞に長年固執していたと自ら断言している記述、及び湾岸戦争反対の主張はノーベル賞への布石であると言っていた出典がある場合は推測としてではなく、断定で書いていいと思います。また、大江健三郎が中上の死後ノーベル賞を受賞したという記述は中立性に欠けますし、中上健次が自ら大江をライバル視していたという様な発言は残っていますか? こういった「死人に口無し」な情報はかなり厳密に取り扱う必要があると自分は考えます。書評家や評論家による発言ではなく中上本人による発言が載った出典を明記してくだされば助かります。 サイドン会話2022年2月15日 (火) 08:41 (UTC)[返信]

ノートでコメントした通りに目処が着くまで谷崎賞に限定して話します。Wikipediaの「検証可能性」はきちんとした典拠があることで担保されるはずです。本件については上記の通り出典があります。また「中立性」というのは事実を典拠にもとづいて提示しているだけで、何かの評価や論評をしているわけではないため全く関係がないと考えます。「検証可能性」「中立性」のどの考えかたに抵触するとお考えなのか、具体的に文言をひいてきて当てはめて議論いただけませんか

--Travis sttoko会話2022年2月15日 (火) 08:52 (UTC)[返信]

https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A6%B3%E7%82%B9 ←貼れてますかね?Wikipediaの編集における「中立的な観点」の原則として「意見を事実として記さない」というものがあります。それを踏まえてトラヴィスさんが上に記載した文章を読む限り、「中上健次が谷崎潤一郎賞に固執していた」と断言はできないと考えます。敬愛する作家の名を冠した賞に何度も作品を勝手に候補に挙げられた挙句落とされ続けたことに対しての怒りは読み取れますが(それすらも本人の記述、発言によるものではない、というのも気になりますが)、文学賞にこだわっていたと書かれているだけで谷崎潤一郎賞にこだわっていたとは書かれていません。なので、自分は中上健次が谷崎潤一郎を敬愛していて、どのような作品をベストに挙げていたのかという記述は認められると思いますが、谷崎潤一郎賞に拘っていたというような記述は「意見を事実として記さない」「独自研究を載せない」などに抵触すると考えます。 サイドン会話2022年2月15日 (火) 09:22 (UTC)[返信]

また、「検証可能性」に関しては出典においてページ数の明記がないこと、誰によって谷崎潤一郎賞に固執していたと述べられているのかの記述が無く、それにより独自研究になっているといった観点から「検証可能性」に抵触すると判断しました。 サイドン会話2022年2月15日 (火) 09:32 (UTC)[返信]

出典に「とりわけ、彼が敬愛していた谷崎潤一郎の名前を冠した谷崎賞は、新人作家からもう一段、中堅作家に与えられる賞としても、中上は当然自分に与えられるものとして疑っていなかった。そのため、選考委員の一人、丸谷才一(一九二五~二〇一二)が中上の文章を選評のなかで取り上げ、それを非難して落選させたことを述べた時の、彼の落胆ぶりと怒りは激しかった。」と書いてありますが、これは自然に読むと谷崎賞にこだわっていたということではないでしょうか?/中上健次研究の第一人者である高澤秀次の作成した中上健次 キーワード事典(中上健次電子全集20収録)にはこう記載があります「谷崎潤一郎賞受賞に執念を見せたものの、『枯木灘』、『鳳仙花』、『地の果て 至上の時』、『日輪の翼』、『奇蹟』の五作品は、いすれも候補作にあげられながら受賞を逸した。」本文記事はこの「執念をみせた」という文言をもってきて作成しており、私がなにか角度をつけたり、捻じ曲げた解釈をしているということはありません。むしろ研究者が谷崎に関係する話題として辞典に記載した内容をWikipediaに書かない方が不自然だと考えます。--Travis sttoko会話2022年2月15日 (火) 09:52 (UTC)[返信]

受賞に執念をみせた←中上健次本ページにおける谷崎潤一郎賞の節におけるこの記述ですね。中上健次は谷崎潤一郎を敬愛しており、毎日出版文化賞を受賞した際は『枯木灘』で谷崎潤一郎賞が欲しかったと言っていたそうですが、それ以降の作品において谷崎潤一郎賞に執念していた記述は見つからず、『奇蹟』における評価においても谷崎潤一郎賞ではなく「谷崎潤一郎が生きていたら」と発言しているため、谷崎潤一郎という名を冠した賞に勝手に候補に挙げられ落とされるといったことに関して怒りを覚えた、としか挙げれた出典からは読み取れない上に、それらは全て友人の推測です。それをWikipediaの本人が実際にそう思っていたかのような事実として記載されるのはやはり問題があると思います。

ただ、中上健次が自ら谷崎潤一郎賞を受賞するために作品を書いていたとかそのようなことを発言、もしくは記述しているのであれば推測ではなく事実としての体で記載しても問題ないと思います。 サイドン会話2022年2月15日 (火) 09:55 (UTC)[返信]

辞典の対象の発言が必要というのはWikipediaではなくあなたが独自で今設定しているルールですよね。文学研究者が研究結果を辞典にしるしたことが、その通りに率直にWikipediaに記載されて、それがどのWikipediaのルールに抵触しますか?しないはずです。「それは事実かどうかわからない憶測だかもしれない」という考えがむしろおかしな憶測というべきではないですか

--Travis sttoko会話2022年2月15日 (火) 10:10 (UTC)[返信]

また、ノーベル賞における大江健三郎の話は明らかに余計な情報ですし、ライバル視していたという本人による発言はあるのでしょうか?仮にあったとしても大江健三郎の受賞と中上健次のエピソードを接続させるのは中立性を欠いた記述だと思います。

また、柄谷は中上健次が実際に湾岸戦争への抗議は布石だと発言したと書いたのか、柄谷がそう思っていただけなのかで記述の仕方も変わってくると思います。 サイドン会話2022年2月15日 (火) 10:13 (UTC)[返信]

申し上げているとおり順番に話しましょう。谷崎賞についてはいまのとおりの「執念をみせた」の記述を生かすということでいいのですか?

--Travis sttoko会話2022年2月15日 (火) 10:15 (UTC)[返信]

要はWikipediaの編集における「中立的な観点」の原則として「意見を事実として記さない」に抵触している記述が多いので記述の方法を変えて、尚且つ原本をお持ちならページ数と出版社まで出典に記述してくださいということです。

中上健次が実際に自ら語ったことなのか、周りの人間がそう判断した上でそう言ったことなのかの判別がはっきりする形で記述をしてくださいということです。 サイドン会話2022年2月15日 (火) 10:19 (UTC)[返信]

例えば

また、谷崎潤一郎賞には6回(『枯木灘』『鳳仙花』『地の果て 至上の時』『日輪の翼』『奇蹟』『讃歌』)候補となったが、候補作にあげられながら受賞を逸した。最終的には、中上健次の抗議をきっかけに、谷崎賞は候補作の発表をやめて、受賞作だけが発表されることになった。

↑これなら事実を記載しているだけなので問題は無いと思います。 サイドン会話2022年2月15日 (火) 10:29 (UTC)[返信]


ノーベル賞の節においては→

文学的盟友であった柄谷行人は、中上がノーベル賞を意識することからその言動が変わり、晩年の湾岸戦争反対などの運動もノーベル賞を意識したものであったのではないかと推測している。←これなら「中立的な観点」の原則として「意見を事実として記さない」に抵触しないとおもいます。

大江健三郎の記述に関しては、本人たちが認めていたのかも定かではない曖昧な対立構造を根拠に大江健三郎の記述を付け加える必要性は断じてないと思います。中立性を欠いた俗っぽい記述だと自分は思っています。 サイドン会話2022年2月15日 (火) 10:36 (UTC)[返信]

「意見を事実として記さない」とのことですが、繰り返しになりますが「執念をみせた」というのは「私の意見」ではなく、研究者である高澤秀次が「中上健次キーワード事典」を作成する際に「谷崎潤一郎」という辞典の項目において「事実」を記す際に使用した「表現」です。これをこの通り率直に記載してはいけないというWikipedia上のルールを明示ください。何故辞典に書いてある表現をそこまで忌避するのか全く理由がわかりません。むしろこの表現を避けることに何か意見や意図や恣意があると感じます。
また今日やりとりしていたペースで毎日続けることは明日以降はできません。1日1、2返答程度のゆっくりしたペースでやらせてください。(私は出典つきで記事を書いています。ニュアンスの違いというようなことはあり得ても、あることをないとかないことをあるということはしていないため大急ぎで片付ける案件ではないと思っています)柄谷行人の論が収録されたhttps://www.amazon.co.jp/中上健次-別冊太陽-高沢秀次/dp/458292199X/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=1TUBXV9NDIB4Z&keywords=別冊太陽+中上健次&qid=1644924151&sprefix=別冊太陽+中上健次%2Caps%2C226&sr=8-1は新本が市場で流通しているようです。柄谷の議題に移る前に目を通しておいていただけませんか。それなくして話がまともに進むとは考えられません。(言いにくいですが率直に申させてください。私が出典を読んで付した表現について、あなたが出典を読まずに想像でこういう表現ならいいとかどうこうおっしゃったり、出典に何が記されているか書き起こすよう要求されるのは常識的にはちょっとおかしいのではないかと思います。今までのやりとりだと、私の側からすると「原典は確認していないが、自分はとにかくお前は怪しからんと思ったからから逐一尋問する」という扱いを受けているのだということをご理解ください)

--Travis sttoko会話2022年2月15日 (火) 12:01 (UTC)[返信]

https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A6%B3%E7%82%B9 ←先程も貼りましたが、このWikipediaの編集における「中立的な観点」のページの「中立的な観点とは」という節をまず確認してください。また、出典を確認するという次元の話ですらなく、wikiの編集ルールに則り誰もが出典の確認をスムーズにできるように出版社名と引用文があるページ数を出典に記載してくださいと言っているだけです。自分はゼミの教授が中上健次のWikiが中上本人の発言と書評家、評論家の発言が事実と推測が混濁していて出典元の記載も乱雑な「悪い例」として出していた際に気になり、それがきっかけで編集しているだけの人間で、出典元の本はもちろん借ります。私が言っているのはそれ以前の問題の話です。上記のWikiを見ていただければ、編集ルールに沿ってかなり単純な指摘をしていることがわかると思います。それを踏まえた上で私がテンプレートの範囲に指定しているあなたが記載した文章と私がさっきこの議論ノートで記載した上記の例文を読み比べればわかります。一応、下に自分が指摘していることに関しての要約を再度コピーペーストしておきます。↓↓↓↓↓↓↓↓

要はWikipediaの編集における「中立的な観点」の原則として「意見を事実として記さない」に抵触している記述が多いので記述の方法を変えて、尚且つ原本をお持ちならページ数と出版社まで出典に記述してくださいということです。

中上健次が実際に自ら語ったことなのか、周りの人間がそう推測した上でそう言ったことなのか判別がはっきりする形で記述をしてくださいということです。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 私はただWikipediaの編集ルールに則って、正確な情報や事実が正確な出典の元中立に出揃っていて欲しいと思っているだけです。確かに伝え方が下手でしたが、Wikipediaの編集ルールに則りページを中立な状態で編集していくためにどうかご協力をお願いします。 サイドン会話2022年2月15日 (火) 12:51 (UTC)[返信]

私が一人で記事を作成しているわけではないため、完全に統一されていませんが、基本的には全て出典は中上健次著の場合、【記事名 書名】、(対談である場合記事名の後に(対談相手))他の著者の場合【著者名 記事名 書名】、他の著者で記事名がない場合【著者名 書名 ページ数またはkindleページ番号】記してあり、書名だけが投げ出されてあり書のなかのどこを当たれば出典元が記載されているか第三者からわからず検証が不能なものはないという認識です。漏れがある場合個別に指摘ください。--Travis sttoko会話2022年2月15日 (火) 20:15 (UTC)[返信]


あなたでずっと「中立性」ということをおっしゃっておられますが、https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:中立的な観点 これは、「中上は日本文学史上最大の作家である」など価値判断や評価を含む「意見」をWikipediaに記述するとした場合に適用されるガイドラインであり、「中上が谷崎賞に「受賞に執念をみせた」」という真偽ありえる「事実」を記述する際に適用されるガイドラインではありません。
私は中上研究の第一人者である高澤秀次が、「中上が谷崎賞に「受賞に執念をみせた」」と言っているのであるから、このことは確実な事実だと考えます。(私でなくても普通は誰もが考えるでしょう)よってその事実を「検証可能性」のガイドラインにしたがって、信頼性のある情報源(高澤秀次など)を出典としてきちんと付して、記事にします。その場合に、「検証可能性」のガイドライン https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:検証可能性  に「(検証可能性とは)編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません」と書かれている通り、高澤秀次の記述が本当に事実なのか裏取りを私がする必要はWikipediaのルール上まったくありません。
よってあなたは「中上健次が実際に自ら語ったことなのか、周りの人間がそう推測した上でそう言ったことなのか判別がはっきりする形で記述をしてくださいということです。」とおっしゃいますが、これは私の任ではありません。
あなたは「中上健次が谷崎賞の受賞に執念をみせたという高澤秀次の説はただの憶測であり確定した事実とは言えない」「中上は谷崎賞にさしてこだわっていなかったという見方もありえる」と強く信じられているようですから、その根拠になり得る「信頼性のある情報源」をご自身の努力で探してくることを強くお勧めします。私自身は高澤秀次の記述と整合する情報しか持ち合わせておりません。
私は検証可能な出典を付して記事を記述しています。[要検証 – ノート]をあなたがつけておられますが外させていただきますが宜しいでしょうか?--Travis sttoko会話2022年2月16日 (水) 22:00 (UTC)[返信]

まず、なせトラヴィスさんが中上健次の研究の第一人者というトラヴィスさんの「価値判断」を根拠として、中上本人が記述していない情報を「意見」ではなく「事実」として解釈しているのかよくわからないのですが、 トラヴィスさんは↓↓↓ 受賞に執念をみせた谷崎潤一郎賞には6回(『枯木灘』『鳳仙花』『地の果て 至上の時』『日輪の翼』『奇蹟』『讃歌』)候補となったが、落選し続けた。↑↑↑と記載しています。これは ガイドラインの例の中で「大量虐殺は悪行である」と記述してはいけませんが、「某氏は、大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と記述することはできます。と、書いてある通り、「受賞に執念を見せた」という箇所に関しては中上本人が谷崎賞を是が非でも獲るとどこかで発言、記述していた場合はその出典を明記してもらえれば「事実」として「受賞に執念を見せた」と記載して構わないと思いますが、それがないのならば「事実」ではなく一評論家の「意見」「推測」になるため削除するか、誰の意見、推測なのかをはっきり記述した上で記載してください。

また、↓↓↓ 文学的盟友であった柄谷行人は、中上がノーベル賞を意識することからその言動が変わり、晩年の湾岸戦争反対などの運動もノーベル賞を意識したものであったとしている。を、「であったと推測している」という個人の意見として強調する文章の改変、また、↓↓↓ 日本人二人目のノーベル文学賞は中上の死の二年後、中上が影響を受け、またライヴァル視もした大江健三郎に授与された↑↑↑という部分に関しては大江健三郎の受賞を中上健次の節にわざわざ補足として記載する必要性がない、「中立性」のない権威主義的な記述であることから大江健三郎の受賞部分に関しては全て削除が妥当だと思います。 サイドン会話2022年2月17日 (木) 08:49 (UTC)[返信]


高澤秀次は中上健次死後すぐに出た集英社全集の年譜を担当、その後評伝を執筆し、現在刊行されているインスクリプト刊行の各巻解題を執筆、小学館電子全集の監修をし、最新の詳細な中上の年譜を小学館全集に掲載している人物です。中上がいつどこで何をやったか一番詳細に知悉している人物でしょう。その人物が中上健次の研究の第一人者かどうかが「トラヴィスさんの「価値判断」」である、などという言葉遊びをされるのは厳に慎んでいただけませんか。常識的な事実認定が「主観だ」ということになると、議論の共通の足場が突き崩され誠実で建設的な議論が全くできなくなります。発言を撤回いただけないでしょうか。それがされないままでは私はあなたに真摯に議論いただいているとは受け止めかねます。
また議論の上で「意見」と「事実」をきちんと区別してください。主観の問題であるため賛否の何が正しいということは確定しえないものが「意見」、証拠を辿っていけば何が「真」か確定できるものが「事実」なはずです。ここを峻別せずに、議論の都合のいいように恣意的に使い分けられると「中立的な観点」の「意見を事実として記さない」「事実を意見として記さない」というルールが意味をまったくもたなくなり、やはり議論が全て言葉遊びになってしまいます。「中上健次が谷崎賞を欲しがったかどうか」ということはあなたが今まさにお書きになった通り、証拠が残存していればそれを辿って真偽を確定しうる「事実」の真偽の範疇の問題です。あなたは「事実」を「意見」と扱うことによって、あなた自身がが持ち出してきた「中立的な観点」のガイドラインの中の「事実を意見として記さない」をおかしています。
改めて、申し上げます。「高澤秀次が中上健次の研究の第一人者かどうかは、事実ではなく私の「価値判断」に過ぎない」との発言は撤回ください。誠実真摯にに議論くださるようお願いいたします。--Travis sttoko会話2022年2月17日 (木) 11:40 (UTC)[返信]

自分が言っているのは高澤秀次が(例えそれが担当編集、親、配偶者、娘だったとしても) 中上健次本人ではない限りWikipediaに載せるのなら、「受賞に執念を見せた」という部分は中上健次本人が実際に記述、発言した部分とは違うということを前提とした文章で記載されないと「中立的な観点」( https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A6%B3%E7%82%B9 )に記載されている原則と反すると言っているんですが、本人による発言と他の人間による発言は分けて、というか誰がどういった根拠でそう推測、評論しているのかというのは全て記載されるべきというのは基本原則云々を持ち出す前に当たり前のことですよ。今のWikipediaに記載されてる内容では一研究者、評論家の意見、推測が普遍的事実として載ってしまっているんだから、「もっと正確な形で再編集されるべき」という指摘に関してなぜそんなに抵抗をするのか理解ができません。 サイドン会話2022年2月17日 (木) 17:46 (UTC)[返信]


「なぜ中上健次の研究の第一人者というトラヴィスさんの「価値判断」を根拠として」というのは誠実に議論しようとしている議論相手を愚弄しているとされてもおかしくないレベルの暴言であったと考えています。よって私はいまのところ前発言で申し上げた通り「私はあなたに真摯に議論いただいているとは受け止めかねます」という思いです。私はここで労力をかけて書き込んでいることが徒労にならないようあなたが真面目に議論を積み重ねて、相手に道理があるなら受け入れるということをされるお気持ちがある方なのかどうかをまず確認させていただきたく考えています。
議論をするのならご自分がそう発言したのならそう発言したとしてください。あなたは「自分が言っているのは高澤秀次が(例えそれが担当編集、親、配偶者、娘だったとしても」と言ったのではありません。「なぜ中上健次の研究の第一人者というトラヴィスさんの「価値判断」を根拠として」とあなたは言いました。高澤秀次が中上健次研究の第一人者かどうかは私が勝手に思い込んだ「価値判断」に過ぎず、議論上の前提の事実認定して受け入れられない、議論の根拠とならないといったのです。のらくらと言ったことを言っていないとされると議論はできません。
①不適切な議論をしたことは認めて、言ったことは間違っていたので撤回すると明言してください。そしてYes、Noで答えてください。高澤が中上健次研究の第一人者であって、従ってその研究は「検証可能性」のガイドラインの「信頼できる情報源」として確実であるという常識的な事実認定を認められますか?(議論の共通前提が共有されているか確認しています)
②前の私の発言「「意見」と「事実」をきちんと区別してください。主観の問題であるため賛否の何が正しいということは確定しえないものが「意見」、証拠を辿っていけば何が「真」か確定できるものが「事実」なはずです。」これは受け入れられているのでしょうか?「中上健次が谷崎賞を欲しがったかどうか」はこれは「意見」ではなく「事実」の範疇と認めれているのでしょうか?やはりYes、No で答えていただきたく思います。(ここが確実でないと、議論の継続の上で、ある事象にたいしてWikipedia のどのルールのどの文言が適用されていくべきなのかも確定できなくなり、議論が空転するためそここを確認しています)
③Wikipediaのガイドラインの条文の細かい文言と事象との当てはめをきちんと行なっていって議論を精緻に積み重ねていくおつもりはおありなのでしょうか?(上の発言でもそうですが、あなたはいつも中立性のガイドラインのページを貼り付けて、これに反していますとアバウトに論述されるので、あなたが何を論証したのかわからないことがあります。それはやめて厳密にやっていただきたいのです。)やはりYes、No で答えていただきたく思います。
前提的なことがクリアされないと議論になりませんのでまず①、②、③に回答いただけませんでしょうか--Travis sttoko会話2022年2月17日 (木) 21:22 (UTC)[返信]

①中上健次本人が明言したこと以外が「事実」として解釈できる理由が「高澤秀次(私にとってはここの名前に柄谷や今井亮一や松田樹や四方田犬彦が入っていても同じです)は中上研究の第一人者だから」というのは「事実」として記述してもいい理由にはなっていないと私は考えます。なぜなら、高澤秀次は中上健次本人ではないので、高澤の記述を根拠に「受賞に執念をみせた谷崎潤一郎賞には…」という「事実」として解釈されてしまうような記述が適用されるのはおかしいからです。私は誰がどういった根拠で「中上が受賞に執念を見せた」と、推測しているのかも記述する形で再編集してくださいと言っているだけです。その根拠の記述を記載する形で再編集していただけないのであれば、「受賞に執念をみせた」という一批評家の解釈を「事実」として載せるのは問題があるため「受賞に執念をみせた」という箇所だけでも削除すべきという考えです。 ② 証拠を辿っていけば何が「真」か確定できるものが「事実」なはずです。←私もその通りだと思うので「確定」できる証拠を文中にしっかり記載すればいいと思います。ただ、中上健次本人に関する話なので勿論「中上健次が谷崎賞を欲しがったかどうか」に関して完全に「確定」させるためには中上本人の記述、発言がない限りこれは「事実」ではないので記載する時は一評論家の「意見」として解釈してもらうための配慮が必要です。というか誰による意見なのか正確に記載するのは意見の中立性を保つ上で当然だと思います。 ③このノート上における私の記述を遡ればわかりますが既にWikipediaのページを貼り付け、Wikipediaの編集における「中立的な観点」のページの「中立的な観点とは」という節をまず確認してください。と、説明しています。さらに、その節の中の例文を引用して再度説明をしています。私が問題視している部分は「中立的な観点」の原則に反しているということが主にあり、それに関連して誰の評によって、またどういった根拠で中上健次が谷崎賞に執念を見せていたのかも記載せず、「受賞に執念をみせた」と記載してしまうのは「検証可能性」の原則に反しているので再編集してくださいというのが、自分が問題視している箇所であり、たった今議論している内容だと私は解釈しています。 サイドン会話2022年2月17日 (木) 22:45 (UTC)[返信]



あなたはWikipediaのルールを守れと盛んにおっしゃるのですが、そもそもあなた自身がWikipediaのルールをきちんと読んで理解されているのか?怪しく思います。あなたが「検証可能性」や「中立性」という言葉を持ち出されていますがWikipedia上のガイドラインとはかけ離れたあなたオリジナルのものだからです。また、あなたはWikipedia上のそれらガイドラインにおいて「やるな」とされることを、私にやらせようとしたり、あなた自身がやろうとしているからです。
この点でもあなたは誠実に議論をされる気が最初からあるのか?強く疑念をいだかせます。
Wikipediaのルール上議論の余地がないことについて、あなたが独自に作られたルールを守れと言い募ってこれ以上私に絡んでこられては大変に迷惑します。
編集に差し戻し合いや議論が続き熱くなられているのでしょうが、議論のための議論をいたずらに重ねることなく、冷静に自制いただくことを切にお願いいたします。


以下Wikipediaのルールが本件にどう適用されるか説明させていただきます。
検証可能性
あなたは「「検証可能性」の原則に反しているので再編集してください」とおっしゃいますが、あなたがいう「検証可能性」はあなたオリジナルの考えであり、Wikipediaにおける「検証可能性」ではありません。以下Wikipediaにおける「検証可能性」ガイドラインを説明して本件に当てはめて考えます。【】はガイドラインから引用しています。(重要箇所は太字にしているところがあります)
【ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性 (Verifiability) と呼んでいます。】【百科事典を編纂する際、良い記事を執筆するためには、広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです。このことをよく理解することは、良い記事を執筆するために最も大切な秘訣の一つです。ウィキペディアは、完全で、信頼の置ける百科事典を目指しています。記事を執筆する際は、閲覧者や他の編集者が内容を検証できるよう信頼できる情報源にあたり、出典を明記するべきです。この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。 】
Wikipediaにおける「検証可能性」の意味は、Wikipediaの記述に信頼できるソース(情報源)を付すことで、他の編集者や読者が、Wikipediaの記述が信頼できるソース(情報源)に基づく記述だと検証できるようにしろということです。本件においては高澤という中上健次の伝記研究の第一人者の著作の記述を出典として高澤の言通りに記事を記述をすればWikipediaのガイドラインの「検証可能性」はクリアされます。高澤という「信頼できるソース(情報源)」の説を基にされるWikipediaの記述は、ガイドラインの通り、「真実であるかかどうか」に関係なくWikipedia上の「検証可能性を満たした事実」でありWikipediaにそっくりその通りに記載してよいものです。(常識的に考えれば、伝記的研究の第一人者の高澤のいうことは、普通に「真実」だろうと私には思われますがそれはとりあえず措きます)
「検証可能性」がWikipediaに記載する内容に見合う適切な信頼できるソース(情報源)を出典としてつけて、その通り記述しろいうことを命じているだけであるためWikipediaはこう規程しています。繰り返しですが引用します【この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。】Wikipediaは「信頼できるソース(情報源)」の記述の真実性の検証をWikipedia編集者に全く求めていません。私が高澤の説の裏をとることはWikipedia上まったく要求されていないにもかかわらずあなたが私にそうしろと要求されるのは完全に理不尽で不当です。
あなたは「誰の評によって、またどういった根拠で中上健次が谷崎賞に執念を見せていたのかも記載せず、「受賞に執念をみせた」と記載してしまうのは「検証可能性」の原則に反しているので再編集してくださいというのが、自分が問題視している箇所であり」とおっしゃいますが、あなたがここでいう「検証可能性」はWikipediaのガイドラインのいう「検証可能性」となんの関係もありません。あなたが「検証可能性」という言葉から連想して作られたあなた独自のお考えです。Wikipedia編集上でわたしが従うべきものではありません。
記事に「受賞に執念をみせた」と記載する根拠は、「信頼できるソース(情報源)」である「高澤秀次「中上健次キーワード辞典」『中上健次電子全集20』所収」を参照すると、まさにそのまま「受賞に執念をみせた」と同じことが書いてあると他の編集者や読者が検証できるから、です。
中立的な観点
「中立的な観点」ガイドラインということをあなたはしきりにおっしゃいますが、「中立的な観点」ということがいまの段階で本当に論点足りえるのでしょうか?【ウィキペディアのコミュニティにおいて理解される「中立」を成し遂げようとする姿勢とは、さまざまな信頼できる情報源を注意深く、批判的に分析し、それらに含まれる情報を公平に、各観点の比重に応じて、可能な限り編集上の偏向なく読者に伝えることを意味します。ウィキペディアが目指すところは、論争を記述することであり、論争に加わることではありません。】【中立であるためには、標準名前空間にある各記事またはその他のページは、信頼できる情報源で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます】というのが中立的観点のガイドラインですが、高澤が「受賞に執念をみせた」としていることについて、「高澤の憶測にすぎず信用できない」「中上健次は別に谷崎賞に執念は全然見せていなかった」などの反対説がどこかで唱えられているのでしょうか?そういうことを言っている「信頼できる情報源」がどこかにあるのですか?ないのではないですか?わたしには見つけられませんでした。一体、高澤と何にバランスを持たせて中立性を持たせるおつもりなのでしょうか?
私は以前すでにあなたにこう述べました。
「あなたは「中上健次が谷崎賞の受賞に執念をみせたという高澤秀次の説はただの憶測であり確定した事実とは言えない」「中上は谷崎賞にさしてこだわっていなかったという見方もありえる」と強く信じられているようですから、その根拠になり得る「信頼性のある情報源」をご自身の努力で探してくることを強くお勧めします。」
何故こう申しあげたというと、そういう反対説を唱える「信頼性のある情報源」があって初めて「中立的な観点」が論点となりうるからです。 「中立的な観点」の話をされるなら手ぶらのままで延々と私に絡んでくるのは今後遠慮いただいて、高澤への反対説を唱える「信頼性のある情報源」を探し出して持ってくるという作業をまず行ってください。それなしでは私はこれ以上応接しかねます。(ただ正直に申し上げるとあなたが幾ら探しても反対説はでてこないのではないかと強く推認します。常識的に考えれば伝記的研究の第一人者の高澤のいうことは普通に疑問符のつけようのない真実だろうからですし、実際にその通りにわたしが調べている限りでは高澤の説と整合する話はいろいろ揃う一方、反対説はなど一切見たことがないからです。そもそもあなたが何故第一人者の言明をそんなに疑う必要があるのかまったくわかりません)
またガイドラインにはこうもあります。【ウィキペディアが目指すところは、論争を記述することであり、論争に加わることではありません。】「中立的観点」ガイドラインはWikipedia編集者であるあなたが個人的に抱いた疑い、独自説に言い分を与えて、記事に反映させるためにもうけられているのでは断じてありません。「中立的観点」ということを、あなたが遵守するお気持ちがあるならば、「信頼性のある情報源」無しに、Wikipedia編集者であるあなたの独自見解をもって高澤のような専門家の研究結果を相手にして「論争に加わ」るのはお控えください。
また、あなたもお認めの通り、「中上健次が谷崎賞に執念をみせた」ということは、「意見」ではなくその真偽を争う「事実」をめぐる問題です。この「事実」は第一人者の研究という最大限信頼しうる「信頼できるソース(情報源)」である高澤秀次「中上健次キーワード辞典」『中上健次電子全集20』所収」の記述により明確に確認されるものです。
「事実」をどう扱うかについては、「中立的な観点」にはこうされています。【事実を意見として記さない 信頼できる情報源によって反論や論争の余地のないものとされた事実の主張であれば、普通はウィキペディアの見解として率直に記述されなければなりません。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張を誰かに帰属させる必要はありません(それでも、情報源への出典リンクを付けておくことは検証可能性に役立ちます)。また、その説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません。中上健次研究者でもないあなたが「高澤の言明は疑わしい」と個人的に特段の根拠もなく思うということは中上の伝記的研究の第一人者の著作の記述に「反論や論争の余地」があるとは常識的には考えられません。繰り返しですが「反論や論争の余地」があるとあなたが主張されるのであれば、あなたの個人的見解ではなくそうした反対説の根拠になり得る「信頼性のある情報源」を持ってきてからにしてください。
したがって中上健次が「執念をみせた」ことは、ガイドライン通り「事実」として率直に記述されなければなりません。つまり「受賞に執念をみせた」と率直に記述して、出典として高澤「中上健次キーワード辞典」を出典に付すことになります。
何故、この「事実を意見として記さない」という決め事が「中立性」の問題としてあるか念のために説明させていただいて宜しいでしょか。例えば「高澤は受賞に執念をみせたとの意見を持っている」と記述したとしましょう。こう書いてしまうと、「高澤が言っているだけの話」と読まれて、そうでない説があるかに読めてしまうからです。繰り返しですが、高澤に反対説を唱えているのはWikipedia編集者であるあなたただお一人のみで、「信頼できる情報源」は一切確認できません。したがってWikipedia編集者であるあなたの独自説がWikipedia上で専門家の言に対置されて何かの重みづけを持って反映されるのは極めて不適切でありこういう記述はされるべきではありません。


以上です。ご理解いただけませんでしょうか。よろしくお願いいたします。--Travis sttoko会話2022年2月18日 (金) 11:26 (UTC)[返信]

まず、トラヴィスさんが記述した文がこちらです↓↓↓

受賞に執念をみせた谷崎潤一郎賞には6回(『枯木灘』『鳳仙花』『地の果て 至上の時』『日輪の翼』『奇蹟』『讃歌』)候補となったが、落選し続けた。中上健次の抗議をきっかけに、谷崎賞は候補作の発表をやめて、受賞作だけが発表されることになった。

↑↑↑ この文章の問題点は個別参照、Inline Citationによる出典の明記はされていますが、文中自体に誰による文章なのかが明記されていないことによって「検証可能性」に反しており、なによりそれと同時に「中立的な観点」の方針に反しています。まず、「受賞に執念をみせた」という箇所に関してですが「中立的な観点」のページ( https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A6%B3%E7%82%B9 )における「中立的な観点とは」という節から「意見を事実として記さない」という原則を一つ引用し、また、同じく「中立的な観点」のページにおける「中立性論争に対処する」の節からほぼ全文引用しますのでまず読んでいただきたいです。↓↓↓↓↓↓↓↓↓

↓「中立的な観点」のページの「中立的な観点とは」という節における「意見を事実として記さない」という原則から引用↓

通常、記事はその記述対象について表された重要な意見を情報として含みます。しかし、その意見をウィキペディアの見解として述べてはいけません。それよりはむしろ、その意見が特定の情報源に帰することを文中に記すか、あるいは十分な根拠を示せる場合には、広く認められている意見として記述されるべきです。たとえば、記事中で「大量虐殺は悪行である」と記述してはいけませんが、「某氏は、大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と記述することはできます。

↓同ページの「中立性論争に対処する」という節から引用↓

「ジョン・ドウの野球技能は、アル・ケーラインやジョー・トーリといった野球関係者から賞賛されている」というように、事実に即した意見を扱った記述としてならば、記事に含めることができます。それでもなお、意見は検証可能な情報として適切に出典を提示した上で記載されなければなりません。

別の方法としては、実際に事実として存在する事柄について明細に述べるか具体的に述べる方法が有効です。たとえば、「ジョン・ドウは、2003年から2006年まで、メジャーリーグで打率1位であった」といった記載の仕方があります。このような記述であれば、彼が最高の野球選手であったかどうかについては人々の間でなおも議論が続くでしょうが、ここで事実として提示された優れた打撃成績については誰もが認めるところとなるでしょう。

偏った記述や意見の陳述をイタチ語法で言い換えたくなる衝動は抑えてください。たとえば、「多くの人々はジョン・ドウが最も優れた野球選手だと思っている」という記述では、「どういった人たちが?」「どれだけ多くの人が?」という側面について意味をぼかした表現になっています。「多くの人々は…と思っている」といった記載の仕方が許されるのは、少なくとも1件の公表された意識調査によってそれが裏付けられている場合のみです。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑ これらの原則を踏まえた上で、トラヴィスさんが記述した文章を見ると文中には川村湊、高澤秀次という人による意見、記述であるとは記載されていません。また、トラヴィスさん自身が個別参照、Inline Citationによって「受賞に執念をみせた」という箇所に出典を明記してくださっていますが、その出典の1つである川村湊『村上春樹はノ-ベル賞をとれるのか? 』光文社 Kindle版708ページにはこう記載されています。↓↓↓↓↓↓↓↓↓

「もちろん、酒の席での放言、暴言にはこと欠かなかった無頼派的な作家のことだから、その言葉にどれだけの真剣味があったのか、疑問とするところがないわけではないが、私の個人的な感じ方では、彼はかなりの程度本気でそのことを考えていたと思う。」

↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 正直、例え川村湊がこういうexcuseを入れていなかったとしても中上本人によるものではない記述の時点で「受賞に執念を見せた」というような、文中に「誰々による、意見、推測」といった正確な情報を記載せず、主語を入れない形で「事実」として記述してしまうのは正確性に欠けるのではないかと思います。また、高澤秀次の中上健次キーワード事典に収録されている中上健次電子全集21収録からの引用をトラヴィスさんは2回されていますが、その引用文はこれですよね?↓↓↓↓↓↓

「谷崎潤一郎賞受賞に執念を見せたものの、『枯木灘』、『鳳仙花』、『地の果て 至上の時』、『日輪の翼』、『奇蹟』は、いずれも候補作にあげられながら受賞を逸した。

↑↑↑↑↑↑ 再度引用しますが、トラヴィスさんが中上のページに記述した文章がこれです。 ↓↓↓↓↓↓

受賞に執念をみせた谷崎潤一郎賞には6回(『枯木灘』『鳳仙花』『地の果て 至上の時』『日輪の翼』『奇蹟』『讃歌』)候補となったが、落選し続けた。

↑↑↑↑↑↑ もし引用するのならば、「受賞を逸した。」を「落選し続けた。」とニュアンスを変えて記載するのではなく、なるべくそのまま正確に引用するべきではないでしょうか?

これらを踏まえた上で再編集して引用した場合まず前提として川村湊の引用部分は高澤秀次の引用部分を包括した上でより詳細に中上と谷崎潤一郎賞に関して記述しているので、川村湊の記述を正確に引用する形にまとめるのが1番いいのではないかと私は思いますが、もちろんそれはトラヴィスさんと議論した上で最終的な文章の形を決めていきたいと思っています。一応現段階で自分は具体的にこういう形に再編集するのが正確性の観点からいいのではないかと思っていますが、トラヴィスさんの意見を聞きたいです。↓↓↓↓↓↓

また、生前の中上と親交があった川村湊によると、中上は自分が不当に文学賞から遠ざけられていると考えていたが、その中でも彼が敬愛していた谷崎潤一郎の名前を冠した谷崎潤一郎賞の選考委員である丸谷才一が中上の文章を選評のなかで取り上げ、それを非難して落選させたことを述べた時の彼の落胆ぶりと怒りは激しく、それまでにも谷崎賞には中上の代表作と目される『枯木灘』『鳳仙花』『地の果て至上の時』『奇蹟』『讃歌』を五回も候補に挙げられ、そのたびに中上は落選の憂き目に遭っており、現在の中上の文学史的評価から見て、これがいかに不当なものであるかは歴然としていると川村は主張している。そして、最終的に中上健次の抗議をきっかけに、谷崎賞は候補作の発表を止め、受賞作だけが発表される事態にまで発展した。 サイドン会話2022年2月18日 (金) 17:13 (UTC)[返信]


川村のことですが簡潔にコメントします
川村原文「三島由紀夫とほぼ同じ年齢(享年四十六)で死んだ中上健次は、日本で三人目のノーベル賞作家になることを日頃から自ら広言(高言)していた。もちろん、酒の席での放言、暴言にはこと欠かなかった無頼派的な作家のことだから、その言葉にどれだけの真剣味があったのか、疑問とするところがないわけではないが、私の個人的な感じ方では、彼はかなりの程度本気でそのことを考えていたと思う。 彼は文学賞を欲しがっていた。中上健次が生前、受賞した文学賞は、芥川賞(『岬』)と毎日出版文化賞、芸術選奨文部大臣新人賞(『枯木灘』)ぐらいで、彼は自分が不当に文学賞から遠ざけられていると考えていた。つまり、彼は国内では自分の評価に対して不遇を託っていたのだ(三島由紀夫、そして村上春樹もそうだった)。  とりわけ、彼が敬愛していた谷崎潤一郎の名前を冠した谷崎賞は、新人作家からもう一段、中堅作家に与えられる賞としても、中上は当然自分に与えられるものとして疑っていなかった。そのため、選考委員の一人、丸谷才一(一九二五~二〇一二)が中上の文章を選評のなかで取り上げ、それを非難して落選させたことを述べた時の、彼の落胆ぶりと怒りは激しかった。しかも、それまでに、谷崎賞には彼の代表作と目される『枯木灘』『鳳仙花』『地の果て至上の時』『奇蹟』『讃歌』と五回も候補に挙げられ、そのたびに落選の憂き目に遭った。現在の文学史的評価から見て、これがいかに不当なものであるかは歴然としていよう。  中上健次の激しい抗議をきっかけに、谷崎賞は候補作の発表を止めてしまったほどだ(受賞作だけが発表されることになった)。」
●谷崎賞についての記述ではない部分(ノーベル賞についての記述)「「三島由紀夫とほぼ同じ年齢(享年四十六)で死んだ中上健次は、日本で三人目のノーベル賞作家になることを日頃から自ら広言(高言)していた。もちろん、酒の席での放言、暴言にはこと欠かなかった無頼派的な作家のことだから、その言葉にどれだけの真剣味があったのか、疑問とするところがないわけではないが、私の個人的な感じ方では、彼はかなりの程度本気でそのことを考えていたと思う。 」
●谷崎賞についての事実の部分「とりわけ、彼が敬愛していた谷崎潤一郎の名前を冠した谷崎賞は、新人作家からもう一段、中堅作家に与えられる賞としても、中上は当然自分に与えられるものとして疑っていなかった。そのため、選考委員の一人、丸谷才一(一九二五~二〇一二)が中上の文章を選評のなかで取り上げ、それを非難して落選させたことを述べた時の、彼の落胆ぶりと怒りは激しかった。しかも、それまでに、谷崎賞には彼の代表作と目される『枯木灘』『鳳仙花』『地の果て至上の時』『奇蹟』『讃歌』と五回も候補に挙げられ、そのたびに落選の憂き目に遭った。」「中上健次の激しい抗議をきっかけに、谷崎賞は候補作の発表を止めてしまったほどだ(受賞作だけが発表されることになった)。」
●谷崎賞についての意見の部分「現在の文学史的評価から見て、これがいかに不当なものであるかは歴然としていよう。」


私の個人的な感じ方では、彼はかなりの程度本気でそのことを考えていたと思う。」は谷崎賞についての記述ですか?違いますね。ノーベル賞についてですよね。関係ないことを論拠に使う不誠実な論証はやめてください。
私が谷崎賞の記述の中にこの「意見部分」「「現在の文学史的評価から見て、これがいかに不当なものであるかは歴然としていよう。」をもりこんでいますか?いないですよね。したがってこの点から川村の個人名を記事本文に出す必要性を一切認めません。
川村の「事実の部分」は高澤の記述と整合します。それで高澤の簡潔な記述をつかって「受賞に執念をみせた」としています。その簡潔な表現で全く問題ないと考えます。川村の著作は出典として付しているため「事実の部分」は著作にあたって確認でき、出典として川村の名前がでている以上、正確性にかける部分は全くなく、よって川村の名前が本文にでる必要は全くありません。「事実を意見として記さない」の異説が一切存在しない事実の記述について、個人名をだす弊害はすでに説明しました。この点から川村の名前を記事本文にだすのは不適切です。
なお専門家が事実として述べていることにたいして「「中上本人によるものではない記述の時点」で事実とは認められない」というのはあなたの個人的な感覚に過ぎず、それは明白に「独自研究」であり、Wikipediaの編集上考慮すべきものではありません。



--Travis sttoko会話2022年2月18日 (金) 22:06 (UTC)[返信]

専門家が「事実」として述べていたとしても、それが誰によって語られ、どのような文脈で語られたのかは詳細に引用しましょうと言っているだけなのですがなぜそこまで執筆者の名前を本文に付け加えることに対して頑なに拒否をするのでしょうか。川村湊の本文からどの文を抜き出すのかという判断事態に恣意的な判断が混ざっているので、なるべく詳細に、簡潔に引用しましょうという話でもあります。

ただ、これでは埒があかないのでトラヴィスさんの記述した通り高澤秀次の文を主に引用するのならば「受賞を逸した。」を「落選し続けた。」とニュアンスを変えて記載するのではなく、なるべくそのまま正確に引用していただきたいのですがこれは認めていただけますでしょうか?高澤秀次の文章から正確に引用していただければテンプレートを外します。

後は私が独自に川村湊の文章から引用をする形で中上健次がどのように文学賞に執着していたのかを同じ節に違う項目を作り記述してみます。 サイドン会話2022年2月19日 (土) 06:28 (UTC)[返信]

また、ノーベル賞の項目に関して、中上健次のページなので大江健三郎のノーベル賞受賞をここに記載することに関しては脈絡もなく恣意的な引用であると感じます。

湾岸戦争の記述はそのままでいいとしても大江健三郎の記述に関しては何度でも削除させていただきます。 サイドン会話2022年2月19日 (土) 06:50 (UTC)[返信]


①「落選し続けた」「受賞を逸した」は私は同じ意味だと思っていて「落選し続けた」という表現に特になにか意図を込めていたわけではないです。書き換えました。
②「受賞に執念をみせた」という記述に出典を追加しているので確認してください。
③私が今回の議論上こだわって強力に反対したことは「受賞に執念をみせた」という真実であろう事実について、その記述が削除されることや、「誰がそう主張している」と誰かの個人名に帰属されることで、誰かの見方に過ぎないとか、異説があるうちの一つであるとされることだけです。そこが確保されればあとは全くとまではいいませんが、さして気にしません。
川村の目撃談や、中上が何に怒ったという話が盛り込まれることは普通に良いことだと思っています。提案なのですが、既存の注釈と統合して、『奇蹟』受賞逸した時のエピソードとして、これは文案に過ぎないですがこんな感じで書かれているなら賛成できます。(川村の記述はちょっと文章がおかしいので、わたしなりに表現いじっています)
「親交のあった批評家川村湊によると、第二十五回谷崎賞(受賞作なし)において、丸谷才一が選評で中上の文章を取り上げ、その日本語を非難して、それを理由として落選させたと述べたことへの中上の落胆ぶりと怒りは激しかったという。『奇蹟』は平林たい子賞に内定したが辞退している。中上はこうコメントしている。「理不尽な状態にあったんですね、『奇蹟』が…。『奇蹟』という作品の名誉を守るために、『奇蹟』という作品で平林賞をいただくと、なんかなだめられたような気がするんだ 。そうじゃない、怒っているぞ、ということを示すために、僕は断ったんだね 。まあ、谷崎潤一郎が生きていたら、どう言うのかって聞いてみたい気がするね」
④私は「ノーベル賞」というトピックで、中上にとって特別な作家であった大江(高澤のキーワード辞典には大江健三郎の項目があります。中上とリアルタイムの小説家で項目があるには大江健三郎だけです)が中上とせって受賞者なら脈絡はじゅうぶんあると思っています。ただ議論で疲れたので、これをどうするかの突っ込んだ議論は半年後くらいにやらせていただけないですか?要検証つけたまま置いておいてください。半年後くらいを目処にノートで呼びかけください。--Travis sttoko会話2022年2月19日 (土) 08:15 (UTC)[返信]