ノート:ヴィルヘルミーネ・フォン・プロイセン (1774-1837)

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備考[編集]

  • ポツダムで生まれた
    • [1][2][3]による。蘭語版ではベルリンで生まれた、となっている。

--粗製濫造 2007年3月3日 (土) 01:59 (UTC)[返信]

改名の提案[編集]

とすることを提案します。これでもまだわかりにくいかも知れませんが、生没年よりは幾分ましでしょう。--Uraios 2007年3月17日 (土) 04:14 (UTC)[返信]

反対。移動する意味がわかりません。--粗製濫造 2007年3月17日 (土) 06:26 (UTC)[返信]
同じ家名が多くの項目に付いているだけで「区別がしにくい」という人がいるくらいですから(ノート:マリー・テレーズ・ドートリッシュ参照、ただしこの項目の改名に関しては反対)少しでもわかりやすくしようとするのは当然だと思っています。--Uraios 2007年3月17日 (土) 07:03 (UTC)[返信]
二点。
ホーエンツォレルン家の人物は基本的にすべて生没年で曖昧さ回避しています。この二人だけ別の方法を用いる必要性がわかりません。
オランダ王ヴィレム1世は即位前にオラニエ公ヴィレム6世だったのだから、オランダ王妃となったヴィルヘルミーネ王女も当初は「オラニエ公妃」であったはずです。もちろん普通は王妃として称されるでしょうけど、曖昧さがないとは言えないでしょう。--粗製濫造 2007年3月18日 (日) 03:49 (UTC)[返信]
反論がないようなので改名テンプレートは剥がしました。--粗製濫造 2007年3月20日 (火) 02:22 (UTC)[返信]
別件でもそうですが、やることが性急にすぎます。提案から5日と経っていません。戻せとまでは言いませんが。--Uraios 2007年3月20日 (火) 03:33 (UTC)[返信]