ノート:ヘリプレーン1型

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英語版のノートページKayaba Heliplaneの talk によれば、コンチネタル IO-360 ( Continental IO-360 ) は1960年後半まで在しなかったとのこと。 確認したら、確かに間違いありませんでした。

Petebutt氏によれば

:OK
  1. Have included the ref for the specs
  2. Powerplant completely wrong as the IO-360 did not exist untiln the late 1960s!!
  3. The propeller shown is the fixed pitch. No evidence, as yet, that the variable-pitch prop was ever fitted. As now in the text--Petebutt (talk) 08:52, 11 February 2017 (UTC)
  1. 緒元表は参照を含んでいます
  2. IO-360が1960年代後半まで存在しなかったので、Powerplantはまったく間違っていました!!
  3. 示されているプロペラは固定ピッチです。可変ピッチのプロペラがまだ取り付けられていなかったという証拠はまだありません。今の本文のように

1954-1955と開発年代ぎりぎりですが、ライカミング・エンジンズ Lycoming O-360 の間違いではないでしょうか?う

--ゆい奈1107 2017年2月11日 (土) 09:47 (UTC)

ライカミング O-360装備とする出典が存在するのですね。それならばそれに従った内容に書き換えて問題ないと思います。可変ピッチペラに関しては「取り付けられた」とする資料が存在する以上、そのように記事に書いておくべきでしょう。Wikipediaというのは真実を書く場所ではなく、検証可能な情報を書く場所ですので……(Wikipedia:検証可能性)。--CAPRI-1会話2017年2月11日 (土) 11:06 (UTC)[返信]


搭載されたレシプロエンジンを特定する命題 [編集]

結局のところ、KYB株式会社に資料が残っていないかもしれませんが、問い合わせするしか手段がないかと思われます。Talk:Kayaba Heliplane より翻訳。


原型機「セスナ 170B」(Jジェーン年鑑、1955-1956)によれば「コンチネンタル C145-2 空冷式水平対抗6気筒」であった可能性が高いです。 しかし、それは唯一の情報による推測としてのみ使用することができます。 by TSRL(会話)

原型機「セスナ 170B」には「C-145」( O - 300 )エンジンが搭載されていたというわずかな心配があるが、実際には 145馬力しか生産していません。 O-300、175馬力では飛行試験の説明に合っていたが、170馬力には適合しなかったので、コンチネンタルを超えた型は指定しなかった。 TSRL(会話)19:16、2017年2月11日(UTC)

それは特定の日付を与えないジェーン年鑑の1956-1957 に言及されていますが、*1818シリーズはヘリプレーンの記載の180馬力に近いと言えます。

E185シリーズは、後に1940年代に始まった「オリンピックE」シリーズに含まれていました。

Wikiの記事によれば、1950年に「O-470」シリーズの最初の認定を取得しました。

そのため、「Eight 185」は飛行試験の記載の「180 hp 原型のコンチネンタルエンジン」ではなく、もっともらしい答えです。

与えられた命題が全て間違っている可能性〔NOR〕を避けるための信頼できる情報源はまだありません。

※ 否定論理和(ひていろんりわ)とは、与えられた複数の命題の全てが偽であることを示す論理演算である。NORと表記される。

--ゆい奈1107 2017年2月12日 (日) 00:36 (UTC)

ここでいうNORはWikipedia用語のNOR、日本語版でいうWikipedia:独自研究は載せないであろうと思います。英語版ではen:Wikipedia:No original research。問い合わせた結果を書く、は発表された情報でないからこれに抵触する、と考えます。--水原紡会話2017年2月13日 (月) 03:24 (UTC)[返信]


Lycoming O-360 [edit] Okay I think the Japanese Wikipedia misunderstood about Lycoming O-360 ??

--Yuiyuasa (talk) 09:20, 11 February 2017 (UTC)

It's probable that the engine was a Continental C145-2 air-cooled flat-six, since that's what was in the Cessna 170B (Jane's AWA, 1955-6). Not usable, though, as it's only an informed guess.TSRL (talk) 17:20, 11 February 2017 (UTC) The Flight article, now a ref, confirms that the fuselage was that of a 170B and that it retained the original engine. A slight worry is that the 170B had the C145 (O-300) engine, which, as it says on the tin, only produced 145 hp. The geared GO-300, at 175 hp, would fit Flight's description but was not fitted to 170Bs so I've not specified type beyond Continental.TSRL (talk) 19:16, 11 February 2017 (UTC)

Poked about a bit further: the E185 is a close match to Flight's 180 hp. The E185 was later included in the O-470 series and was around before the Heliplane; it is mentioned in Jane's 56-57 which gives no specific date but says the E series started in the 1940s. The Wiki article gives first certification of the O-470 series as 1950. So the E185 is also a plausible answer, though not Flight's "original 180 hp Continental engine"; we still lack a reliable source to avoid NOR.TSRL (talk) 22:26, 11 February 2017 (UTC)

 地上運転試験の写真 [編集]

以下のチェコスロバキア語のウェブサイトの画像に撮影されている萱場ヘリプレーン1型の写真について、出典となる資料の名前をご存じの方はおられないでしょうか? もし出典資料が判明しましたなら、既に「KYB株式会社 経営企画本部 広報部」を通じてご提供頂いた最初の写真と同様の手続きにより、ウィキメディア・コモンズへの登載の手続きにすすみたいと考えています。 忙中、お手を煩わせることになりますが、よろしく調査いただければと考えています。

項目 説明
開発設計・製造 萱場工業
型式 ヘリプレーン(Heliplane)
1954
フォトギャラリー データベース情報
ヘリコプターID 1218
最終更新日 2008年10月5日13時00分49秒
  1. (上):機体の左側面の断面図のイラスト。後部に乗客らしき人物が着座。/ (下):地上に繋止(タイダウン)されてエンジンの試験を行うヘリプレーン1型機。
  2. 写真に対する注釈

この2つの写真がヘリプレーン構想のカタログであったのか、ポスターのようなものであったのかは不明だが、こんな写真が残されていた。 いわば「萱場資郎」社長が見た夢の細目である。 資金さえ続けば成功する可能性は十分にあった。

現代にも通用するコンセプトの航空機であり、現にアメリカでは似たような開発計画が進められていた。 もし、これが実際に飛んでいたとしたら、コンピューター技術などを付加しつつ、日本独自の航空分野が開拓されていたかもしれない。

The caption to the piece (2 images) in Japanese It is unknown like [ whose two photographs of these were ] a poster for whether it was a catalog of the Heliplane concept. So to speak They are details of the dream which President Shiro Kayaba looked at. There was a possibility of enough of succeeding if even funds continue. I am the airplane of the concept accepted by the present age, and the similar development project was furthered actually in the United States. The field of Japan's original aviation might be developed while adding computer technologies if this really flew.

--ゆい奈1107 2017年2月13日 (月) 13:42 (UTC)