ノート:スポ根

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

単なる「スポーツ物」と「スポ根もの」の境界線はどこらへんにあるんでしょう? --61.192.108.27 2005年11月25日 (金) 12:10 (UTC)[返信]

どんなジャンルでもそうなようにはっきりした線引きは難しいでしょう。あくまで個人的には、「作中の人間関係がすべて試合の勝ち負けで展開するようなストーリ」とでもするべきかと思いますが。逆にそういうスポ根へのアンチテーゼとして「試合だけで話が終始しない、人間ドラマにも重きをおいた作品」が登場してきたわけですから。--橋川桂04:41の死線 2005年11月26日 (土) 02:37 (UTC)[返信]

ひとつの提案[編集]

主要作品についてですが、現実のスポーツ史上の出来事も併記して、小年表風にしてみるのはどうでしょうか。--橋川桂04:41の死線 2005年12月1日 (木) 04:15 (UTC)[返信]

こんにちは橋川さん。現実のスポーツ史でも「スポ根」の流れは確実にあると思います(高橋尚子や亀田3兄弟とか)が、線引きが難しいのでは?現在では懐古趣味でしか「スポ根」と表現しないような気がしますが如何でしょうか?--219.173.28.39 2005年12月2日 (金) 07:46 (UTC)[返信]
や、例えば「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」と「巨人V9」、東京オリンピックでの「東洋の魔女」や「柔道無差別級でヘーシンク優勝」と「アタックNo1」や「柔道一直線」、白井義男の世界タイトル獲得と「あしたのジョー」は、やっぱり切り離せないわけで。狭義でのフィクションにおける「スポ根」はこういう出来事の影響を受けて描かれた、というところを判りやすくするために、「小年表風」にしてみてはどうか、という提案だったわけです。
言葉足らずで申し訳ありません。特に積極的賛同がなければ、取り下げます。橋川桂04:41の死線 2005年12月4日 (日) 02:51 (UTC)[返信]
こちらこそ言葉足らずで失礼しました。ご提案そのものには賛成します。--219.173.28.39 2005年12月5日 (月) 19:40 (UTC)[返信]

2年以上待って特に賛同も反対もなかったようなので、撤回とさせていただきます。--橋川桂04:41の死線 2008年6月2日 (月) 03:13 (UTC)[返信]

鬼コーチ節について[編集]

「はじめの一歩」の鴨川会長について、「ただし徹底した理論家で従来の鬼コーチとは一線を画する」との記述を一端コメントアウトさせていただきました。

「むちゃくちゃな特訓を課す」ことが鬼コーチの定義ではない。星一徹も宗方仁も、そのキャラクターのせいで誤解が強いですが、それぞれ合理的な(「当人の中では合理的な」とか「作中では合理的とされる」とか言い換えても良いですが)理由があって、そういう特訓を飛雄馬や岡ひろみに課していたわけです。

「何でこんなことをさせるんだ、コーチは鬼か」→試合→苦戦→特訓のおかげで逆転→「そうか、コーチのあの特訓にはこういう意味があったんだ!」

的な展開も鬼コーチの重要な役割なわけで、それが現実のスポーツ科学の常識に照らしておかしいからと言って、

「スポ根漫画における鬼コーチというキャラクター」

を説明するこの節でそれをとやかく言うべきではない。

というのがいちおうの私の見解ですがいかがでしょうか。

現実のスポーツ科学におけるあれやそれは、しかるべき項目へ誘導すれば良いのでは?--橋川桂04:41の死線 2008年6月2日 (月) 03:13 (UTC)[返信]

改稿について[編集]

2013年6月8日 (土) 03:43‎ の版にて、出典を追加して改稿しました。以前の版に記されていた内容を出来るだけ反映したつもりですが、「典型的なキャラクター」「現代のスポ根」の節については興味深い内容でしたが出典無しということもあり割愛しました。もし記述を復帰させる場合には出典を明記の上でお願いします。--Athleta会話2013年6月8日 (土) 03:57 (UTC)[返信]