ノート:シモーヌ・ヴェイユ (哲学者)

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改名提案[編集]

本項目をシモーヌ・ヴェイユ (哲学者) へ改名することを提案します。提案理由は、日本語の表記としてはまったく同じとなるシモーヌ・ヴェイユ (政治家)との関係を考慮してシモーヌ・ヴェイユを平等な曖昧さ回避ページとするためです。ちなみに両者ともフランス出身でユダヤ系の女性ですが、哲学者のほうは Simone Weil、政治家のほうは Simone Veil です。--Ariesmarine 2009年4月7日 (火) 14:12 (UTC)[返信]

  • 賛成 提案者としては上記の通り、平等な曖昧さ回避とするほうが妥当であると考えます。--Ariesmarine 2009年4月7日 (火) 14:12 (UTC)[返信]
  • コメント 確認したいのですが、この二人の人物は同等の著名性、特筆性を有していると考えていいのでしょうか。単に私が政治分野に疎いだけなのがも知れませんが、私はシモーヌ・ヴェイユといえば哲学者のシモーヌ・ヴェイユしか知らなかったもので。--sergei 2009年4月9日 (木) 12:38 (UTC)[返信]
    • コメント 記事をお読みいただければおわかりになるかと存じますが、Veil (混同を回避するためこのように表記します)はフランスで保健相を務め、避妊中絶を合法化するなどの成果を残しています。また1979年には初めて直接選挙が行われた欧州議会で議長に選出されています。これらを踏まえると十分に著名性、特筆性があると考えますがいかがでしょうか。--Ariesmarine 2009年4月9日 (木) 12:50 (UTC)[返信]
      • Veilが政治家として大きな業績を残した人物だということは項目本文を読めばよくわかります。ただ、こうした(実質的な)同姓同名の人物の項目の場合は日本語話者の間での両者への関心の高さを比較考量した上で適切な曖昧さ回避の方法を決定する必要がありますが、ご提案の趣旨説明の中にそうした点について言及した部分がないのがちょっとひっかかったのです。
        Weilは20世紀の思想史に多少なりとも関心のある人なら知らない人はいないビッグネームですし(尤もかくいう私はほとんど名前しか知らないのですが)、兄のアンドレが偉大な数学者であると同時にクロード・レヴィ=ストロースとの交流を通じて現代思想に大きな影響を与えた人物であるということもあって、Weilへの一般的な関心がかなり高いものであるのは間違いありません。
        しかしこうした感覚というのは各人の興味・関心の持ち方に大きく依存するものなので、国際政治に強い関心を抱いている人の中にはシモーヌ・ヴェイユといえばまず欧州議会の議長を務めた政治家Veilのことを思い浮かべるという人も少なくないのでしょう。私にはそのあたりの判断がつかないので改名を積極的に支持も反対もしませんが、冒頭で述べた論点について十分考慮した上で決定していただきたい、ということだけ念を押させて下さい。--sergei 2009年4月9日 (木) 14:24 (UTC)[返信]
        • コメント あくまでも私個人の考え方ですが、Weil も Veil もともに一定以上の大きな著名性・特筆性があります。著名性・特筆性に極端に大きな差があるということであれば平等な曖昧さ回避にするべきではないでしょうが、今回のケースではその差を測ったところで意味があるとは思えません。つまり特筆性・著名性が同等であるかどうかということを正確に測る必要はもはやないと考えます(両者ともにそれぞれの分野で活躍していることは明らかで、その知名度や業績の評価をこの議論で競わせたところでウィキペディアが得る利益はないでしょう)。また補足させていただくと、今回このような提案をしたあとでも放置しているのですが、特別:リンク元/シモーヌ・ヴェイユを見てもわかるとおり混乱しているのがウィキペディア日本語版の現状です。利用者の利便性を確保するという観点からしても、平等な曖昧さ回避にしておいたほうがよいと考えます。--Ariesmarine 2009年4月9日 (木) 15:26 (UTC) 下線部追記--Ariesmarine 2009年4月9日 (木) 15:34 (UTC)[返信]
          • 私が申し上げているのは両者の著名性・特筆性を何らかの厳密な尺度によって測定するというようなことではありません(そもそもそんな尺度なるものが存在するとも思えませんし)。両者に極端に大きな差がないということが確実に言えるのでしたらご提案に反対は致しません。--sergei 2009年4月9日 (木) 15:38 (UTC)[返信]
            • コメント 「日本語話者の間での両者への関心の高さを比較考量」というものが著名性・特筆性を基準にしてなされるものであると解釈していたのでこのように述べたのですが、それはどうも私の誤解だったようです。ただ提案者としてはこの改名の措置が妥当かどうかをお聞かせ願いたいと考えていますので、各位におかれましてはさまざまな要素を踏まえてご意見をいただければ幸甚です。
              ところでsergeiさんに確認したいのですが、「支持も反対も」しないというのは賛否表明を棄権するということでしょうか、それとも保留するということでしょうか。結論を出すさいにご発言をどのように反映させるかということを考えると棄権と保留とでは対応を変えなけばならないので、いずれかを明確にしていただけませんでしょうか。--Ariesmarine 2009年4月10日 (金) 10:43 (UTC)[返信]
              • えーと、上の私のコメントの「ありません」という打ち消しの言葉は「厳密な尺度によって」という部分にかかります。「日本語話者の間での両者への関心の高さを比較考量」というのは著名性・特筆性を基準にしてなされるものと考えています。著名性・特筆性を数値的・定量的に厳密に計る基準というのは存在しないだろうというのがその理由です。書き方が下手なせいかうまく伝わらなかったようですみません。
                私の立場は現時点で中立ということです。今後何か新たな判断材料が提示された場合に賛成もしくは反対に転じる可能性もありますが、そのようなことがなければ賛成にも反対にもカウントせず、ほかに意見を述べる方が現れなければ改名していただいて結構です。--sergei 2009年4月10日 (金) 13:38 (UTC)[返信]
  • (インデント戻します)以下ちょっと雑感を述べてみますので軽く読み流して下さい。同姓同名で敢えて平等でない曖昧さ回避を行っている項目として例えば三浦綾子があります。この項目は一度「三浦綾子 (作家)」に移動されてアナウンサーと平等な曖昧さ回避にされたのですが議論の末もとに戻されました(ノート:三浦綾子を参照)。長谷川一夫は元々は曖昧さ回避のページだったのですが現在は俳優についての項目になっています(ノート:長谷川一夫を参照)。同姓同名の場合の曖昧さ回避の仕方はそれぞれの人物の社会的な評価を考慮した上で決定するべきだというのは単に私の意見ではなく、コミュニティーの間でもかなり共有されている認識だと言っていいと思います。
    私が今ちょっと気になっている項目にボリス・ベレゾフスキーというのがあります。ピアニストのボリス・ベレゾフスキーもチャイコフスキー・コンクールを制した著名な人物で、クラシック音楽のファンなら名前を知っているはずですし、私個人としてはピアニストの方がなじみ深い存在なのですが、実業家・政治家のボリス・ベレゾフスキーは現代のロシアの政治や経済に甚大な影響力を及ぼしている人物で、クラシック音楽のファン以外の人にとってはおそらくこちらの方が関心が高いのだろうな、と思って改名を提案するのは躊躇しているところです。もう一つ気になっているのが森麻季で、これなどはソプラノ歌手の方を括弧無しにしてもいいんじゃないかと思うのですが、女子アナマニアみたいな人たちと論戦をするのも煩わしいのでそのままにしています。
    分野の異なる人物の著名性・特筆性を評価するというのは双方の分野にある程度通じている必要があり、それは一般に実に困難なことです。今回こういう提案を提出されたということはAriesmarineさんはある程度両者についての知識をお持ちなのだろうと思ったので、それを確認させていただきたいと思ったのがここでコメントした動機でした。私が中立という立場にさせていただいているのは政治分野に明るくないために政治家のシモーヌ・ヴェイユの著名性・特筆性を全く評価できないからなのですが、まあ取り敢えず政治家のシモーヌ・ヴェイユがアナウンサーの三浦綾子より遥かに高い著名性・特筆性を有していることは明らかですので、本件に関しては平等な曖昧さ回避でいいんじゃないかな、と思い始めているところです。--sergei 2009年4月10日 (金) 13:38 (UTC) インデントのスタイルを修正させていただきました。--Ariesmarine 2009年4月10日 (金) 23:06 (UTC)[返信]
    • コメント 雑感で返してみます。少々乱文になっていることはご容赦ください。
      どの記事が代表的なトピックであるか(人物記事ならばどちらがよりビッグネームであるか)ということを議論していくと、各人の専門分野や価値観、あるいは嗜好といったものまで飛び出してくるということは私も想像に難くないものです。実際にそのような議論も見かけたこともありますが、ただそれらは不毛な議論であることが多い(すべて、とは言いません)とも思います。なぜならばそのような議論がウィキペディアの利益になるとは思えないからです。議論の目的は利用者の利便性を向上すること、ひいてはウィキペディアの質を高めることであって、特定の記事の価値を認めさせることではないわけです。それにもかかわらず記事の価値をアピールする、あるいはそれを否定する主張を競うだけのような議論が続けられることは、時間、手間、リソースの無駄にほかならないと思います。私はこのような不毛な議論を続けるよりも平等な曖昧さ回避(なまじっか「平等」などという言葉が使われているから揉めるのだとも思うのですが)にして利用者の利便性の確保を目指すことは、あってもよい妥協だと思います。
      翻って今回のケースは、やはり私は Veil の記事の価値を強く主張したいと思いません。しかし特別:リンク元/シモーヌ・ヴェイユを見るとおわかりのとおり、本来 Veil にリンクされるべきものが混在しており、利用者に少なからず不便を強いています。「{{Otheruses}} をたどれば済む話」と思われるかもしれませんが、Veil の記事を読もうとしていきなり Weil の記事が出てくると、閲覧者は大なり小なり困惑するのではないでしょうか。また編集者にしても Weil と Veil を区別せずにリンクしている事例がすでに出てきている以上は、今後もこのような誤リンクが繰り返される可能性があるわけです。
      曖昧さ回避のあり方全般まで議論しようというエネルギーを私は持ち合わせていませんので、その議論はしかるべき場所でほかの方にお任せするとして、私は今回のケースでは平等な曖昧さ回避にしたほうが今後のウィキペディアの利益になると考えます。とりあえず雑感はここまでにしましょう。議論の脱線につながりかねません。--Ariesmarine 2009年4月10日 (金) 23:06 (UTC)[返信]
  • 未了 2009年4月17日 (金) 14:00 (UTC) まで待って、異論が出されなければ改名することにします。--Ariesmarine 2009年4月14日 (火) 12:44 (UTC)[返信]

チェック 改名を実施し、シモーヌ・ヴェイユを曖昧さ回避としました。--Ariesmarine 2009年4月17日 (金) 14:02 (UTC)[返信]