ノート:クリーピー (小説)

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「クリーピー(小説)」のウィキペディアページには、この小説を原作とする、 「クリーピー 偽りの隣人」の記述がありますが。 内容が違うので分割すべきだと思います。

小説の映画化ではありますが、主人公が興味を持つ内容も違いますし、途中から原作の設定を借りただけで、大きく別方向に話が進みます。 他の有名な映画でも、例えば「シャイニング」とかでも、小説のページと映画のページは分かれてますが。 双方が優れており、オマケのような者でないレベルに発達しているのであれば。 ウィキペディアとしては、小説と映画は別のページを立ち上げるべきだと思いますが。 いかがお思いでしょうか?--以上の署名の無いコメントは、Burumaノート履歴)さんが 2019年3月24日 (日) 02:59 (UTC) に投稿したものです(Aikata28会話)による付記)。[返信]

投稿履歴を拝見すると、海外の作品をよく取り扱われているようですが、日本の映画の記事は、テレビドラマと同じく、原作がある場合はそれにぶら下がる形で記事が書かれることが一般的です。例えば『永遠の0』や『舟を編む』や『紙の月』などその他多数。その際、映画オリジナルの人物が出てきたり、ストーリーを含め内容が異なることはよくあることであり、それだけで別ページで立ち上げる理由にはなりません。同一ページにするにはそれぞれの分量が多すぎて可読性を損なうとか、分割して何か利点が生まれるとか、必要性が出てきて初めて考えればいいことです。現時点で分割しても、映画の記事になるのはキャストとスタッフと少しの評価のみ。これで分割すべきとはWP:SPLITを読んでも到底思えません。
あと、今回はこちらで補記しましたが、Wikipedia:署名はきちんと行ってください。--Aikata28会話2019年3月24日 (日) 04:26 (UTC)[返信]